映画専門家レビュー一覧

  • 君がいる、いた、そんな時。

    • フリーライター

      須永貴子

      商業映画としては、役者の芝居、妙に間延びした編集、あまりにも色気のないカメラワークなど、青さが目立つ。しかし、メインの少年2人を演じる子役たちの青さが、時間経過とともに魅力へと転じ、作品を救い始める。特に、スーパーポジティブ&ハイテンションで常に周囲から浮いている香山を演じる子役は、全身にエネルギーがみなぎり、本物の喜怒哀楽を見せつける。シナリオをなぞるのではなく、キャラクターが物語を動かしているように見えるという点では、成功作。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      モチーフは多岐にわたる。差別、いじめ、虐待、親と子、死。どれも映画のモチーフとしては、取り上げられることがあまりに多いとしても、取り組むことに意義のあるものばかり。が、そのモチーフのそれぞれが、行き当たりばったりに中途半端な形で出現するような印象が強く、どれに集中して観ていいのかわからなくなってしまう。つまりはとても雑然としているのだ。あちこちつまみ食いをしている感じがして、本当の味を味わえない。映画にとっては技術が大切だと思わせた作品である。

    • 映画評論家

      吉田広明

      やたらうるさい給食時の校内放送でみなにウザがられ、主人公にも変につきまとってくる少年が、実は自身も悲惨な家庭にいて、しかしだからこそ他人に関わろうとし、周りを変えていこうとする。この少年がこの映画の肝となるが、そのキャスティングに成功したことが本作の成否を決定した。いじめや虐待、未婚の母などシビアな問題が深刻になり過ぎずフワッと描かれているのも、これで観客の間口を広げているし、今どこにでもある問題との認識の表れと見れば、欠点に見えてこない。

  • アンナ・カリーナ 君はおぼえているかい

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      60年代ゴダール作品のミューズとしてだけではなく、あまり振り返られる機会がない、監督や作家や歌手としても活動した「その後」のアンナ・カリーナも人々の記憶に留めたい。そんな彼女の4番目の夫デニス・ベリーのパーソナルな想いが結実。亡くなる2年前の作品なので、過度に感傷的でないところには好感が持てるが、作品の成り立ちはあくまでもフランスやドイツで放送された55分のテレビ番組。そして、やはりどうしても目に焼きつくのはゴダール時代の圧倒的な輝きだ。

    • ライター

      石村加奈

      ゴダールのミューズだったアンナ。その最期は6人目の夫に看取られたとニュースで読んだが、本作を撮ったのは4人目の夫D・べリー監督!?しかも監督自ら語るナレーションは、進行形のラブラブぶりで(17年製作)謎は深まるばかりだが、それも彼女らしいのかも。つい作品の背景に思いを馳せてしまうのは、ゲンスブールの曲を口ずさむ若き日の姿然り、赤裸々な昔話を、カフェでこともなげに聞かせる近影の彼女然り、一貫したアンナの魅力ゆえ。「自分の人生を生きる」を体現したアンナに献杯。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      不遇な幼少期を過ごした故国から脱出しモデル、女優、歌手、映画監督、そして小説家にまでなった“ヌーヴェル・ヴァーグの象徴”アンナ・カリーナ、その「愛される才能」が立体的に紐解かれる。特筆すべきは、このドキュメントの監督、ナレーションを彼女の夫が務めていることだ。ゴダールとの関係、ヴィスコンティ、キューカー、そしてゲンスブールら伝説的な人物たちとのコラボレーション、その自分と出会う前の妻の軌跡を、誇りと少しの嫉妬を滲ませながらまとめる極私的な視点に好感。

  • ホーンテッド 世界一怖いお化け屋敷

    • 映画評論家

      小野寺系

      お化け屋敷から出られなくなるという恐怖、殺人鬼に追われる恐怖を合わせ、ジャンル映画としてスッキリとまとめた脚本の手腕は評価できる。反面、演出にはそれほど特徴がなく、ジェイムズ・ワン作品の映像的快楽や豊富なアイディア、80年代風の郷愁から新しさを生み出すアダム・ウィンガードのセンス、「ババドック 暗闇の魔物」のジェニファー・ケントのような強いメッセージのある恐怖表現など、同時代の天才的な監督の仕事を、テクニカルな部分を超えて学んでほしい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ハロウィン・パーティのおふざけの続きでお化け屋敷に入った6人の男女の恐怖体験だが、絶叫を聞かせるアトラクション・ホラーとは違う様相のスリラーなのだと徐々に気がつく。そうか、原題が「HAUNT」だもの。恐怖の核心は、6人の中のハーパーの幼児期のトラウマに絞られる。それで、お化けの正体は見てのお楽しみとして、その正体とトラウマを関連づけるのはいささか強引だ。ギミックを楽しむことも幼児体験の挿入の仕方も、いまひとつ。中途半端なまま閉塞感だけは募る。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      タイトルを見て誰もが想像するであろう「ウエーイな若者たちがお化け屋敷をひやかしてやろうと思ったらガチのやつでした!」という物語が全くその通りに進んでゆくB級ホラーの王道とはいえ、恐怖や痛みの演出は思いのほかしっかりしており、人体破損描写も娯楽として観られるギリギリをわきまえている印象で、カタルシスばっちりなラストも含め気楽に楽しめるのだが、屋敷運営サイドのツッコミどころと謎の多さはこの手のジャンル映画の許容ラインを超えてしまっているように思う。

  • ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      マンブルコアの実践者としてキャリアをスタートさせ、A24での自伝的作品(「レディ・バード」)で大成功。そのままインディー系人気監督の座に収まるかと思いきや、ハリウッド・メジャー初進出の本作では、これまで散々コスり倒された古典に現代的な視点を盛り込み、最終的にはパーソナルな表現として成立させるグレタ・ガーウィグ。その的確な狙いと野望の大きさに圧倒された。名手ヨリック・ル・ソーの撮影も功を奏し、文芸作品にありがちな堅苦しさからも解放されている。

    • ライター

      石村加奈

      塩漬けライム代に困るエイミーや髪を売った夜のジョーにそっと寄り添い、見事な姉っぷりを発揮するメグの姿に、子供の頃、熱心に読んだ原作の魅力を思い出した。親以外の、自分以上に自分をよく知る他者の存在に憧れていた(本作ではメグのガーリーな部分まで網羅)。クリスマスの朝のシーンも想像以上に素晴らしかったが、心弱るジョーに「それは愛じゃない」と断言する“これぞ四人姉妹の母”の強さ(L・ダーン!)に痺れた。原作者と原作をつなぐ構成、すみれ色の衣裳も美しい。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      自伝的作品「レディ・バード」の後に、自身が影響を受けたオルコットの自伝的小説『若草物語』を映画化したガーウィグ。主役であるオルコット自身を反映させたジョー役には、またも“分身”シアーシャ・ローナンを起用、常にクリエイトする己を捉え、「女性の生き様」を追い続ける。原作の1部と2部を大胆に現在と過去(もしくは現在と未来)として再構築し行き来して描く手法は、それぞれのエピソードが反映し合い、この普遍的な物語の時代設定を変えず、新たな感触で楽しめる。

  • あなたにふさわしい

    • 映画評論家

      川口敦子

      え、そうなるの、そうするのと、予想外の言動をしらりと繰り出す専業主婦、平然ととんでもない一歩を踏み出す様(それも一度ならず)に、濱口竜介監督作の微かな影を感じたら「ハッピーアワー」に参加した高橋知由の脚本だった。ただ興味深さが習作の域に留まっている憾みも。真正面の顔の無言でものいう力など素敵な瞬間もあるのに説明的な表情に堕しがちなヒロイン以下、演技、人物像とも煮つめ切れずに終わっていて“運命の人/じゃない人”の主題も尻切れトンボ。残念。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      「螺旋銀河」「ハッピーアワー」の脚本家・高橋知由のダイアローグの妙を堪能する作品。ただ、ことばの力に引きずられすぎたか、俳優たちの演技が終始段取りをこなしている風なのが気になる。それだけに、ふと無音になる瞬間、一人で押し黙っているときの表情がかえって印象に残る。せっかくのロケーション、その風景を写真に撮るというモティーフ、手紙のことば、もっと活かしてもよかったのでは。いまこのタイミングも手伝い、夫婦の距離を見据える視線には大いに同調した。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      貸別荘でともに休暇をすごす二組の若い夫婦と、もうひとり。どの役も下手すると自分が可愛いだけだとなりそうな危うさに対して、宝監督と役者たち、迷いながらも頑張ってなにか引き出したという感触。休暇中なのに仕事する二人が出たあとの、浮気関係にある二人の「弾み感」など、わるくない。脚本、高橋知由。彼が参加した濱口作品「ハッピーアワー」を思い出させる。いまあるものが自分にふさわしいかどうか。それぞれがまじめに反省して終わりということで、痛快さはない。

  • コリーニ事件

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      いわゆるネタバレになるが、作品魅力の遜色にはならないと判断し述べます。ドイツならではのナチス亡霊の世代を超えるトラウマ社会派サスペンス。しかしユダヤ人が登場しないことと主人公がトルコ人という二点が独特。いままでドイツはユダヤ人に対して全面謝罪し続けてきたことで、逆に隠蔽されてしまったナチスの本質と戦後の加担者への過度な庇護や寛容。そしてどうしても自分たちドイツ人では客観視できないゆえ主人公をトルコ人に据え置いたこと。まだまだナチスネタは豊富。

    • フリーライター

      藤木TDC

      フランコ・ネロが画面に現れた瞬間に「映画」が始まる。ネロを見るためだけにオッサンは劇場に行く価値がある。地味に思われがちな法廷ミステリを多彩なキャラをちりばめスピーディに構成、欧米製の連続ドラマのような現代的センスで一気に見終わらせる。ただ中年の私には軽さやご都合主義も感じられ、その悪目を救っているのがネロの古くさく重苦しい演技で、意外な配役が功を奏した。ドラマをより楽しむならドイツの殺人罪や60年代末の政治状況を予習しておいたほうがいい。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      シーラッハの小説は淡々としながらも、不思議なエモーションに溢れているから楽しんで読めるが、そういった筆致を削ぎ落してストーリーだけを追うと、どこかで聞いたような地味な作品に仕上がってしまう。コリーニが頑なに沈黙を続ける理由や、なぜ語りを引っ張る必然があるのか不自然に感じる。全体に同じトーンが続く演出も地味で、ぼんやりとした締まりのない映画だ。弁護士が主人公なのにディベートの刺激が乏しく、過去の黒を白にしかねない法廷劇の良作映画と比べ退屈。

  • 15年後のラブソング

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      ポップカルチャーやスポーツ観戦に入れ込みすぎて私生活に支障をきたす大人。過去に縛られて人生の足踏みをしている大人。そんな大人に気づきを与える子ども。90年代からニック・ホーンビィ小説が延々と書いてきた主題が本作でも繰り返されているわけだが、いくらなんでも自己模倣が過ぎるのではないか。途中から登場するイーサン・ホークの存在感によって作品のテンションは保たれるが、それもリンクレイター作品で彼が演じてきたキャラクターの借り物感が強い。

    • ライター

      石村加奈

      “安定したカーディガン姿の英国女性”風のヒロイン・アニーが、似合わない花柄ワンピで、最低の行為に暴走したところから、ラストシーンの、髪をアップに、自信に満ちた、都会のモノトーン美人に大変身する様を、R・バーンが鮮やかに魅せる(衣裳はL・プー)。腐れ縁の恋人を遂に家から追い出した後、妹と出かけたバーでアニーが踊りだす、物語の転調場面など、音楽とシーンのマッチングが素敵だと思えば、監督がレモンヘッズのベーシスト、J・ペレッツとは、これまた嬉しい再会。

5481 - 5500件表示/全11455件