映画専門家レビュー一覧

  • アートのお値段

    • ライター

      石村加奈

      ステファン・エドリスにとってのマウリツィオ・カテランの「彼」の付加価値は、たしかに美術館ではつけられないだろう。コレクターの愉悦に納得。しかしアーティストの芸術的価値とは、100億円で落札されたジェフ・クーンズのステンレス製ウサギの彫刻と、野ウサギと暮らすアトリエで、抽象画を描き続けるラリー・プーンズ、どちらのウサギがお好み? というレベルから発展せず、経済的価値との関係性は判然としない。オークショニアやギャラリストの存在価値も、やや物足りず。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      右欄「カーライル」と同じ構造の映画だと言える。貧者のための覗き窓として、映画が機能し始めたのだ。時にそれはセレブ御用達ホテルとなり、時に現代アートの売買市場となる。時には銀座の一流寿司屋にも。F・ワイズマンが開いた限定空間への覗き窓は、仏頂面のワイズマンに任せておけない野心家たちによって多様なバリエーションが展開されつつある。バブルの軽薄さを呪うことは誰でもできるが、その仮想の間口の広さこそが本作の真の主題であることを作者は熟知しているのだ。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      山中貞雄の無声映画の傑作が見つかった。オーディションにかけられる。超高値で落札。以降、そのコレクターの眼にしかふれられないとしたら。ここで取り上げられているのは美術品だけど、映画に替えて想像したらゾッとする。格差社会の上流の人たち、それに群がるアート・ビジネスの連中。今や芸術は私有財産か投資の対象。悪びれもせず自説を語る彼らの顔を、作り手は淡々と記録する。こんな状況に苦笑し、ため息をつきつつ作品に向かい続ける画家たち。そこにひと筋の光を当てて。

  • ダンスウィズミー(2019)

    • 映画評論家

      川口敦子

      ウェルメイドな聖林映画の娯楽を要とする心を受け継ぐインディ出身監督矢口、その失われたジャンル/ミュージカルへの冒険は、踊り出したら止まれないヒロインの「赤い靴」、「雨に唄えば」のソファー背倒し等々、さりげなく古典をふまえつつ暴走ヒロインのロードムーヴィーへ、要は自分の世界への引き込みもしらりと断行し、ともかく愉しませる。「舞妓はレディ」に続き今回は“ミュージカルの素人”ヘプバーンの「パリの恋人」での活かし方を睨むような桝井Pの挑戦としても興味深い。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      さすが矢口史靖。当意即妙のアイデアがつるべ打ちのシナリオはすこぶる快調、シチュエーションや人物のカリカチュアも絶妙なラインで、終始飽きさせない。なにより主演の三吉彩花の魅力が十二分に引き出され、彼女の表情や動きを眺めているだけでも楽しめる。肝心のミュージカルシーンは、観ているこちらが思わず一緒に踊り出したくなるような高揚感には欠けるが、呆気にとられる周囲をよそに強制的に踊らされるという設定ゆえ、おそらくある程度は意図されたものなのだろう。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      ミュージカルでの歌と踊りの不自然さを催眠術でそうなることにしたら、という発想。音楽場面への入り方のシャープさ、全体の音響構成の滑らかさ、もっと欲しいし、ときに相当泥くさくもなるが、もうこの種のミュージカルはそうであるしかないのかもしれない。直線的ながら弾力あるヒロイン三吉彩花を支えるように、癖ある出演者たちがそれぞれに奮闘。矢口監督らしい手作り的仕掛けが最後には功を奏した。何を応援する方向の楽しさにするのか。ゴールへの道のりを踏みちがえていない。

  • イソップの思うツボ

    • ライター

      須永貴子

      上田監督の前作は、裏切り(=サプライズ)が見事に成功した。本作は、ストーリーのある地点までは、シナリオと編集により黒塗り部分を作って観客を騙す、叙述トリックに近いものがある。そこで終わっていたら作り手のマスターベーションに過ぎないが、黒塗り部分を開示して種明かしをした後に、さらなるサプライズを用意。また、3人のヒロインを演じる若手女優がそれぞれに魅力的で、前作では退屈だったフリ部分も飽きることがない。以上、2つの進化を評価したい。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      “誘拐、裏切り、復讐、予測不能の騙し合いバトルロワイヤル!”が謳い文句のネタバレ厳禁映画。「ここで観たことは友達に話さないで」とエンドロールに字幕を入れたのは、64年前の「悪魔のような女」(55)。その52年前に“映画は構成である”ことを高らかに宣言した「大列車強盗」(1903)。それらを継承してこの映画があると思えてくる。図らずもそれをラストカットが物語っている。もちろん映画は、構成がよければすべて良しという訳ではない。“仏作って魂入れず”の感。

    • 映画評論家

      吉田広明

      「カメ止め」の監督の新作、ということだが、そう思ってみると確かに構造的に「カメ止め」に似ている。物見高い観客への批判として悪意あるメタ映画でもある。ただ、登場人物たちを二重三重にしたせいなのか、監督が三人いるせいなのか、どうも切れが悪い。話自体は難しいわけでもないのだから、もっとスピード感あっても良かったのではないか。編集の問題なのかとも思うが。このキャラで色仕掛けと行動がえげつないのは、「カメ止め」と違って後味悪いし信憑性にも欠ける。

  • 命みじかし、恋せよ乙女(2019)

    • 映画評論家

      小野寺系

      幼年期からの抑圧的な家庭環境へのパーソナルな想いが観念的な映像によって語られていく陰鬱な内容を見続けるには集中力が必要。日本文化が大好きな監督ということだが、黒澤や小津への憧憬なども含め、ネットで繋がれた現代に、過度な神秘性によるスピリチュアルな救いを日本に求め過ぎていないか。日本という土壌が、作中に表れるジェンダーフリー志向と極右の台頭への不安からの逃げ場のような場所にはなり得ないだろうことは、いまの日本に住んでいる者にはよく分かることだ。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      そもそも日本的な情緒は、例えば小泉八雲の『怪談』的な霊性と相性がいい。ドイツ人の監督が描く物語は西洋のゴーストと日本的な幽霊を並び立て、話がちぐはぐに。さりながら樹木希林さんが登場する終盤になって落ち着く。主人公のドイツ人の前に現れる日本人のユウが何者なのかは見てのお楽しみとして、ほんの一年余り前の撮影、それも最後の出演作とわかっていたであろう女優が発する「あなたは生きてるんだから、幸せになんなきゃダメね」。此岸と彼岸の間からの魂の声と聞く。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      これ多分変な映画なんだろうなーとは思っていたけどやっぱりヘンテコな映画だった。酔いどれドイツおじさんと不思議日本少女のふれあいは何だかヌタ?っとした気持ち悪い空気に包まれているし、ベタな怪談風味や饒舌にすぎる音楽、序盤から微妙にネタが割れている話運びも結構キツい。が、しかし、心挫けそうになっていた(というかもう挫けていた)ころ唐突に登場した樹木希林が一気に映画を引き締める。時間としては僅かな出番だけど彼女の名優、怪優ぶりを改めて思い知らされた。

  • HOT SUMMER NIGHTS/ホット・サマー・ナイツ

    • 映画評論家

      小野寺系

      人生は一度きり。若い青春時代も一度きり。ティモシー・シャラメが演じる、隅に追いやられるような“陰キャラ”が、ここが人生のピークだと、自分の殻を破り一世一代の行動を繰り返す、痛々しくも前向きな姿は“胸アツ”。そしてハリケーンとともに訪れる、大人への猶予期間の終わり……。「ラスト・ショー」を思い起こさせるような、青春映画ならではの回顧的な描写には、監督の思い入れがたっぷり過ぎて、いまの時代に映画を撮ることの意味を見失っているようにも感じられる。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      センシティブな若者役で熱狂的な人気を集めているT・シャラメを大ブレイクする前に発見し、起用したのだから、刺激的な作品を送り出し続ける製作スタジオA24の慧眼はさすが。というわけで俳優と製作姿勢の両面で期待値は高くなる。その分を差し引いたとしても、いささかストーリーが平凡。思うに、シャラメ演じる主人公の恋の相手、マッケイラ役のM・モンローには荷が勝ちすぎていたようだ。気鋭の若手俳優たちの魅力が生かしきれていなくて惜しいが、時代を感じる音楽に★一つ。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      音楽とナレーションを節操なく貼りまくるペラペラな雰囲気は90年代の軽薄さにマッチしてるけど、出てくるワル達が微妙にシャバ僧感を醸しててあんま怖そうじゃないし、男を狂わす町一番の美女もケバいキャバ嬢みたいだった。「ビューティフル・ボーイ」で薬物中毒者を壮絶に演じたシャラメ君は今回売人側で、まあ、扱ってるブツが大麻ってのがなんかセコい感じしたけど、前半はちゃんと可愛い童貞君に見えたのは良かった。半端者達のしょっぱい青春譚として見れば楽しめるかな。

  • 永遠に僕のもの

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      物語の根幹から誰しも彷彿するのがジャン・ジュネの犯罪や性倒錯という背徳哲学、そしてカルリートスの美しい横顔からはジャン・コクトーの素描であろう。完全に外部で盗み続ける(=生き続ける)彼の過程は、こちら側の世界の反転した自画像。人間社会に刺さる永遠の棘とも言える。ジュネは「空間は奪われるもの」で「時間は聖なるもの」と言う。カルリートスにとって盗みに入った家でも牢獄であろうと違いはさほどない。時間に関係する、生きること(=盗むこと)が重要だったのだ。

    • フリーライター

      藤木TDC

      耽美系少年愛映画風の宣伝で男性客を遠ざけてるが、正味はセクシュアリティ不安を抱えた美貌のナチュラルボーンキラーがベルボトムのズボンからもぞもぞ二丁拳銃をとりだし男を殺しまくるクライムムービー色の濃い内容。男性客にも充分楽しめる。BGMに流れるアルゼンチンの70年代サイケデリック・ロックにも激しく萌え。サントラ欲しい。ジェンダームービーとグラインドハウスの合体は政治的なのか倒錯か。カタルシスを寸止めしてムズムズ感を残す連続射殺魔映画。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      本質は意外と渋い犯罪映画。プロデューサーのペドロ・アルモドバルの粘度と退廃美が、監督のルイス・オルテガの持ち味らしいフィルム・ノワール風味と、良い配分であわさっている。同性愛の傾向を示しながらそちらに傾斜しすぎない、独特の意固地さのようなものも映画を乾いた空気にしている。美貌の冷血な主人公が、犯罪とダンスの瞬間だけ能動的になる危うさと官能性。主人公を演じるロレンソ・フェロの容貌は、1971年という時代設定もあって日本の少女漫画を髣髴とさせる。

  • 感染家族

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      ゾンビ映画の新趣向として、この映画ではゾンビ化するまでに長い潜伏期を設定し、その間オヤジたちが精力絶倫になるといって列をなしてゾンビに腕を?ませる。笑える? ゾンビ映画は英語圏ではアポリカプス(黙示録)といい、地球上に生き残りは我らだけみたいな悲壮な「世界の終末」感が肝だが、そんなことは屁とも思わぬ韓国製ゾンビ映画はあくまで狡く明るく逞しくハッピーエンドをめざす。笑ってしまえ。キワモノ、ゲテモノの類だが、ゾンビ映画ってもともとそうでしょ?

    • ライター

      石村加奈

      主人公家族の兄弟を演じた、チョン・ジェヨン、キム・ナムギルをはじめ、芸達者な面々の競演が痛快。ゾンビのチョンビ(チョン・ガラム)と末娘へゴル(イ・スギョン)が、キャベツ畑で戯れるシーンで流れる、ユン・ジョンシンのヒット曲〈Rebirth〉など、音楽の使い方にもユーモアがある。ゾンビに対する男女の意識差や、ゾンビと育まれる関係性など、のどかな地方の風景の中で繰り広げられる、牧歌的なストーリー展開も面白い。本作が監督デビューとなるイ・ミンジェが脚本も。

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