映画専門家レビュー一覧
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ジョアン・ジルベルトを探して
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フリーライター
藤木TDC
哀悼ジョアン・ジルベルト。とろけるような彼のボサノヴァとリオの美しい風景が観客を甘やかなシエスタに導く中年男のセンチメンタル・ジャーニー。にしても世界が認める生きる伝説に電凸面会を試みるってあまりにも無謀な気が。加えてドイツに21世紀までジョアンを知らなかった人間がいた事実にも?然。かの男は手紙に「あなたの音楽をドイツに広めたい」と本気で書いたのか?監督の態度を果敢ととるか非礼とみるか。謎な結末も成果か自虐か観賞後の裏読みが盛り上がる。
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映画評論家
真魚八重子
監督のG・ガショ自身がジルベルトとの邂逅を求めてさまようのだが、映画を牽引するほど魅力的な人物とは思えず、いささか自己愛を感じた。逝去したライターのマーク・フィッシャーがジルベルトに会おうとする?末を描いた本からの引用と、監督自身のナレーションの境目が曖昧なのも混乱する。大御所マルコス・ヴァーリのインタビューなどは観る価値があるが、ジルベルトの周縁をさまよいながらも核心にはなかなか踏み込んでいこうとしない展開を、長々と見せられるのはじれったい。
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ディリリとパリの時間旅行
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
ベル・エポックのパリの背景が美しく、そこへロートレック、コレット、モネ、サティ、ドビュッシー、パスツール、マリ・キュリー等キラ星のような著名人が(似顔絵で)登場する。男性の場合はヒゲが、女性の場合は衣装と姿勢がポイントか。物語はニューカレドニアからやって来た少女ディリリが配達人のオレルと、男性支配団による少女連続誘拐事件を解決するまで。ディリリがいつのまにかチータの背に乗ってノソリノソリしている辺りのリズムが、実にいい感じだ。
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ライター
石村加奈
タイトルをはじめ「ペイネ 愛の世界旅行」(74)との共通点は多々あれど、全く違う現代的なテーマ、即ち男権主義者に抵抗し、立ち上がる女性の、凛々しい姿を描いた、繊細な美しさのアニメーションだ。少女ディリリ(チーターとのシーンが素敵)を取り巻く、化学者マリ・キュリー、舞台女優サラ・ベルナール、オペラ歌手エマ・カルヴェら、ベル・エポック時代を彩った女性たちのエレガントな態度には、うっとり、というより背筋が伸びる。ガブリエル・ヤレドの音楽も素晴らしく、耳福。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
万博の人間動物園「カナック村」にバイトで出演する少女ディリリと配達人の青年オレルが出会う冒頭の流れが見事だ。え、何が始まったの?と思っている間にベル・エポックのパリで繰り広げられる“一見かわいい”冒険ミステリーに引き込まれている。写実的だが奥行きを感じさせない背景、立体的な造形物、ややデフォルメされた人物たちが一体となった不思議な味わいのアニメーションだが、その中に現代にも通じる人種やジェンダーの問題をさらりと描いている、実は骨太な作品だった。
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火口のふたり
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映画評論家
川口敦子
男の英雄神話を覆すため息子を呼び寄せる愛人の復讐/愛の物語――ベルトルッチ「暗殺のオペラ」(原題“蜘蛛の戦略”)をふと思わせもする映画は、結婚を控えかつて身も心も捧げた従兄を故郷に召喚するヒロイン、その企みの恋に先導されて終わりの世界を生きる覚悟をきめていくふたりの、もう若くない青春の寂寥にくらりとしつつまずは女の映画として堪能したのだが、実はからめとられた男の話としてこそ味わい深いのかと反芻する度、別の貌が見えてくる監督+脚本荒井3本目の快打!
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編集者、ライター
佐野亨
白石一文の小説を映画化するなら絶対に荒井晴彦(もしくは井上淳一)だろうと考えていたので、これは待望の一作。日本でもっともセックスの体位に細かい(と思われる)脚本家の作品だけにセックスシーンは大いに見せる。が、それ以上にラーメンやレバニラ、手作りハンバーグを食べるシーンのそこはかとない親密さに、映画のなかの二人に対する作り手のやさしさがにじみ出ていて、ほっこりさせられた。野村佐紀子の写真、蜷川みほの絵画の使われ方も効果的。
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詩人、映画監督
福間健二
表現への苦闘らしきものを見せない荒井監督作。大胆なのは、登場人物二人だけのその二人の間の、説明ゼリフの連発。そして二人の過去が写真で存在すること。セックス、なじみのある相手が一番という退行的物語にどう前を向かせるか。実は大変だ。グルメと震災関連の話題が浅く持ち込まれ、肝心の「気持ちいい」と「体の言い分」のアクションは苦行的。最後の非常時への追い込みも絵空事的。だが、大人の常識的チェックが入って表現は安定し、二人は破滅を免れる。退屈はさせない。
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二ノ国
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ライター
須永貴子
親友同士の少年が、状況を打破するためのルールを見つけ出す謎解きと、大切な人を守るために戦うアクションからなるRPG的構造にワクワクする。異形の者が酒を酌み交わす酒場、悪にその特別な力を狙われる姫、圧倒的な数と武力で敵軍が攻め入るシーン、空を飛ぶ船など、美味なおかずを詰め合わせているが、すべてにおいて既視感あり。別世界へ行くと車椅子が不要になり剣術の達人になるというキャラ変は、この現実を生きる若者にとって果たして希望になるのだろうか。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
日本アニメの得意分野となった感のあるパラレルワールド話。今現在の日本そのものの一ノ国と西洋古代のような魔法の世界の二ノ国で、それぞれの人物の命が繋がっている。車椅子のユウと親友のハルは、二ノ国に飛び、幼馴染のコトナを探す冒険を始める。ストーリーはよく出来ている。友情、裏切り、愛、恋、葛藤、勇気、闘い等々、映画にほしいアイテムがあますことなく詰め込まれている。が、今一つ心打たれないのは何故なのか。出来過ぎて、作為が目立つ結果となった気がする。
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映画評論家
吉田広明
異世界転生ものは流行だが、多くが異世界に行ったきりであるのに対し、こちらは異世界と現実を行き来しており、その関係が並行的なのか、対立的なのかが後々問題になってくる点が異色で興味深い。とはいえ、異世界の意義がいまいち分からない。監督出自のジブリならば、異世界を構築するにあたって常に現実の日本という環境が念頭にあり、ゆえにファンタジー世界が現実の問い直しにつながっていたが、ここにはその問いがない。原作がゲームだから異世界の存在は自明、でいいのか。
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ドッグマン(2018)
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
南イタリアの小さな港町。犬のトリミングサロンで働くマルチェロは犬や娘を愛する心優しき小市民であると同時に、街の暴力者のシモーネには窃盗の協力をせざるを得ない脆弱さも併せ持つ。しかし徐々にマルチェロの良心や弱さではなく、彼の制御できない狂気的な哲学が噴出してくる。それは「犬」という動物の哀しくも強さでもある性分にも通ずる。飼い主への絶対の服従は、本分をこえ「服従」という強く倒錯したプライドに変化していく。そこではもはや飼い主不在の従属のみが残る。
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フリーライター
藤木TDC
犬かわいい。パイセン怖い。ヤンキーカーストは万国共通なテーマ。南イタリアの殺風景を舞台にすると微妙にオシャレ感が増すが本質は通俗映画で主人公の人物像は「現代やくざ 血桜三兄弟」の荒木一郎等にも似たり。岸和田ならぬナポリの「カオルちゃん」のクンロクに耐える生涯一パシリ中年の痛みに満ちた日常は日本なら大事件。されどあっちはカモッラ本拠ってことか地元警察は余裕で静観。ワンちゃんにホッコリしつつ破壊衝動を得たい人に推薦。
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映画評論家
真魚八重子
実話からインスピレーションを受けた映画だが、孤独を巡り寓話性の高い物語となっている。犬のサロンの無機的で寂れた内装には、いいしれぬ不安がかき立てられるし、曇り空と水はけの悪い地面のロケーションも陰鬱で効果的だ。主人公マルチェロと暴力的な友人シモーネの関係は、抑圧的ながら閉ざされた小さな町の息苦しさによって共依存も生み出す。一見不条理だが、屈折した憤りと人恋しさが絶妙に混じり合っていて、いかにも人間らしい矛盾した感情がスッと流れ込んでくる。
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ロケットマン
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
「ボヘミアン・ラプソディ」の撮影最後の数週間を引継いだデクスター・フレッチャー監督作品。薬物依存更正施設の車座での告白シーンが物語に通底されていて、文字通りステージ衣裳を脱ぎ捨てて身も心も裸に近づいていく。存命中の本人による製作総指揮という珍しい作品で、本人が自身の半生の語り直す。人生において理解できないこと、納得しがたいことを映画に投影することでの自己治癒効果。劇中の告白と実際の映画製作という二重の語り直しの入れ子構造であるところが興味深い。
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フリーライター
藤木TDC
昭和世代にとりエルトンのミュージカルの代名詞だったケン・ラッセル「トミー」に本作は重なる。少年期の虐待トラウマ、夢の実現と神への接近、母との関係、主人公が成功し舞台仕掛けが派手になるほど気持ちが暗鬱になるもどかしさ。娯楽性で「トミー」ほど突き抜けてないのは製作に関わったエルトン自身が被害意識を主張しすぎなんじゃ? 楽しいことも随分あったろうに。俳優のイマイチなボーカルを除けば悪くない演出、序盤の軽快ムードで最後まで押しきってほしかった。
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映画評論家
真魚八重子
キッチュな衣裳と『黄昏のレンガ路』という、象徴的なファーストシーンに鮮烈な印象を受けたが、その喜悦を超えるカットが続かない。ストーリーがエルトン・ジョンによる自己憐憫と他責的な訴えに覆われて、暗くよどんでしまっている。ミュージカルとしての楽しさ、奇抜さを丹念に演出しつつも、エルトンの孤独に苦しむ描写に空気が引きずられすぎているようだ。成長期、麻薬中毒期に偏って、絶頂期が薄い比重も満足感が足りない。T・エガートンは肉感的でなりきりぶりも奮闘。
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鉄道運転士の花束
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
鉄道運転士がのっけから不幸な列車事故で「俺は28人殺した」「俺は何人だ」と言い合うのでびっくりしてしまう。いくらなんでも多すぎないか。ところが監督の祖父はチャンピオンと呼ばれた運転士で、なぜなら17人という記録をもっているからだという。セルビアの鉄道文化がよほど荒っぽいのか、この死をめぐる微妙な感覚のズレが、この映画に独得の調子を与える。無残な轢死はそれはそれでむごたらしいが、なぜかクスッと笑ってもしまえる余白がどこかに取ってある。
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ライター
石村加奈
冒頭の、60歳の鉄道運転士イリヤの怠惰な運転っぷり、6人のロマを轢き殺した事故の状況を語る淡々とした様子に意表をつかれる。生活のために仕事を止められないのは、セルビアも日本もおなじだが、それにしたって……。やがて汽車住宅での(魅力的!)イリヤ爺さんの静かな暮らしぶりや、鉄道事故で死んだ恋人の存在を知るうちに、養子シーマとのぎこちない関係性やタイトルの意味がわかってくると、俄然映画が味わい深くなってくる。イリヤの相棒、犬のロッコも大活躍で楽しい。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
「アンダーグラウンド」が私のフェイバリットの一本だからかもしれないが、60代になったリストフスキーの佇まい、まなざし、そしてカラノヴィッチとのやりとりだけで心動かされてしまった。そういう俳優、そういう映画も存在するのだ。セルビアの運転士たちは人を轢き殺してしまうことを前提で列車を走らせている、という嘘か本当かわからないような話だが、クストリッツァにも通じるアイロニックなセンスが全篇通して心地良く、彼らが奏でるその“リズム”に最後まで乗ってしまう。
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