映画専門家レビュー一覧

  • トールキン 旅のはじまり

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      多くのファンタジー好きと同様、私も少年時代に数年かけて『指輪物語』を読破した(その難解な文章を読み進める過程はまさに「冒険」だった)。本作はトールキンが第一次大戦時の戦場で親友を探す旅、そして彼の幼少時代からその戦場に赴くまでの回想を同時進行で描いているのだが、どちらにも後に執筆する「物語」を構築する要素、その誕生の瞬間がちりばめられている。そこに「友情」や「恋愛」を盛り込むのでややダイジェストな憾もあったが、ファンとしては楽しめた。

  • ブルー・ダイヤモンド

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      渋い。暗い。一人の女との交情が切なすぎる。追いつめられた男の不動の立ち姿がかっこ良すぎる。宝石商のキアヌ・リーヴスがマフィアとのダイヤ取引のためにサンクトペテルブルクへ、東シベリアの寒村へ飛ぶ。ロシアならではのどんよりとした灰色の空の下、組織犯罪の闇と、生命と愛をやりとりする孤独な戦いが、硬質なハードボイルド・タッチで描かれる。たいして凄味はないヤクザのボスがいつのまにかこちらの首根っこをつかんで、のっぴきならなくなっていく感じがリアル。

    • ライター

      石村加奈

      ブルーのシャツ&ネクタイにキャメルのコートでの登場時は、くたびれた中年男風の主人公ルーカスだが、黒いジャケットを羽織れば一転、陰のある色気を醸し出す。さすがはキアヌ・リーヴスだ。ダンガリーシャツの似合う、田舎のおばさん(アナ・ウラル)も恋に落ちれば、セクシーな女性に大変身! 特にサンクトペテルブルク以降の艶やかさは圧巻。ストーリーが進むにつれて、アナのブルー・アイズが印象的になっていく。衣裳、美術を含めスリリング&緻密な色彩設計がお見事。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      ロシアを訪れた宝石商の主人公は、見た目ほぼジョン・ウィックの髭面で憂いのある表情のキアヌ。ロシアンマフィアとの取引直前にダイヤを所持した相棒が謎の失踪し、期限以内にその行方を追う異国での緊迫したサスペンス、と思いきや、その渦中で偶然知り合った現地美女との不倫愛に燃え始める謎の展開に。主要な登場人物は魅力的に描かれているのだが、なぜか全員行き当たりばったりの行動しかしないので緊張感に欠け、クライマックスの銃撃戦さえも空回りに終わってしまった。

  • 聖なる泉の少女

    • 映画評論家

      小野寺系

      泉に閉じ込められた魚に重ね合わされた、ジョージアの寒村の因習に縛られる少女。彼女の抱いている脱出願望と、常にあらゆるかたちで顔を見せる“近代化への後ろめたさ”が生じさせる軋轢が、近代文学的対立構造を生み出し、長回しで自然や室内を切り取った映像群をまとめあげている。ここで問題となっているグローバルな先進性とローカルな固有性の間の葛藤というのは、芸術映画における分裂的傾向をも表出させてしまっていて、物語を超えたところで興味深い作品だともいえる。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      映像の美しさに引き込まれた映画の始まりだったが、物語のあまりの深さ・豊かさ・鋭さに圧倒された。トルコと国境を接する村の民間伝承でストーリーを編んだこの映画は、人と自然との交感、あるいは人と信仰や物質文明の関係を描き、人が築いてきた万物との関係が壊れていく現代の世界に警鐘を鳴らす。けれどその鐘の音はんで控えめ。セリフも説明を排して最小限。なので「絶対の静寂を映像で表現できないものか」と思ったと語る監督の意図を見逃さないようにすべし。集中の至福。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      画の美しさで最後まで観せ切る映画で、多くのカットは宗教画が動いている様な神々しさだし、少女の佇まいはフェルメールの絵みたいだし、水や火や霧や霞の描出は見事だし、ラストでは見たことない奇跡的な画を捉えているのだけれど、普通に生きたいと願う少女が呪縛から逃れようとするという物語や、神話と文明というテーマは睡魔を召喚させる程に薄味で、もうちょっとだけお話を面白くしてもいいのになあと思ったのは、まあ、自分の好みの問題で、とても気高い映画だとは思う。

  • 米軍(アメリカ)が最も恐れた男 カメジロー不屈の生涯

    • 映画評論家

      川口敦子

      「お百姓さん~」という映画がそうというのではないが「競争社会から共生社会へとシフトする、新しい幸せの物差し」とチラシにあるような姿勢の向こうに垣間見える“公明正大さ”、“自然”や“弱者”の側に立てばオッケーみたいな世の風潮にはつい抵抗したくなる。“沖縄”もまた同様の抵抗感を招きかねないテーマともなり得るのだが、この瀬長亀次郎をめぐる記録映画にも、記録された人にも染みついた、新味など歯牙にもかけない武骨な在り方、それが見る者を巻き込む力となっている。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      「映像の世紀」の名ナレーター・山根基世と役所広司の語り、さらに坂本龍一の音楽と、いささかお膳立てが整いすぎて、「ドキュメンタリー映画」としては快い破綻に欠ける。TV報道的なイメージショットは極力排し、もっと話し手一人ひとりの表情や語りの間を重視してほしかった。とはいえ、瀬長亀次郎の言葉の実直さ、その生き方のぶれなさには、やがて熱いものが込み上げてくる。瀬長の追及に対する佐藤栄作の答弁は、昨今の国会で見られる光景とも寸分違わぬ欺瞞に満ちている。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      佐古監督による瀬長亀次郎についての映画二本目。今回は、残された二三〇冊以上の日記の言葉を読み解くことに主眼をおく。そうなのだが、日記に対する「引用」以上のアクションを映像にしていない。監督か、カメジローの娘さんか、あるいは他のだれかの、日記の文字を追う姿が欲しかった。一二八分もの長さ。尺の多くが費やされるのは、同時代者による回想の人物評。現在が足りない。カメジローが精神的な柱となっているとされる「オール沖縄」を取り囲むものへの矢が飛んでない。

  • お百姓さんになりたい

      • 映画評論家

        川口敦子

        「誰もが生き生きと暮らしていける社会を」と28歳でお百姓さんになった青年の「不揃いであることが自然の本来の姿」「人間も同じ」との信念に共感する撮り手の撮りたいという気持ちは、プレスにある「なぜ、この映画を撮ったのか」と銘打たれたノートを読むと成程と思えるのだが、映画と向き合う限り青年をみつめる目と、彼が採る方法、はたまたそこに集う人々への目とがやや漫然と連なるばかりといった印象に陥っている。核心を強調しない語り方がもひとつ機能していない点が残念だ。

      • 編集者、ライター

        佐野亨

        無肥料自然栽培に取り組む明石誠一さんを中心に、新規就農にまつわる困難や試行錯誤が丁寧にとらえられている。ことに障害をもった人々が農業に参加する様子が時間をかけて描かれる点は、作り手がなにを見せたいかが明確にあらわれていると感じた。評者のように農業に疎い人間でも、彼らの営みがグローバル化、大企業化する社会のなかで、どのような意味をもつのかを考えさせられる。日常を淡々と映しながら、芯の部分には野菜とおなじくたっぷり栄養が詰まった作品だ。

      • 詩人、映画監督

        福間健二

        農業を題材にした作品、十本目という原村監督。今回はとくに軽さを意識したのかもしれないが、農作業する人たちと同じ地面に立つというよりも横から覗き込むような画が多いのは、どうしたことか。ナレーションの甘さもあって表現に迫力がない。失敗と実験を重ねながらの「自然栽培」の農法、そのやりがいと大変さから、自然の根底にある力への敬意と驚き、障がいをもつ人の受け入れや家族で農業をすることの幸福まで、話題はあっても、世界が見えない。文句なしのおいしい食べ物も。

    • アイムクレイジー

      • ライター

        須永貴子

        ミュージシャンでもある古舘佑太郎が演じる、音楽への愛憎を抱え、夢を諦めようともがき、葛藤を歌で吐き出すシンガーソングライター役はもちろん説得力がある。しかし、彼がラストライブを行う1日を描くにあたり、渋谷と下北沢を何度も不自然に行き来する動線とシンクロするかのように、主人公の感情の動線もジグザグカクカクして追いきれず。初めて出会った者たちが一緒に音を鳴らし、音楽が生まれる瞬間を収めたシーンの多幸感が、主人公と映画にとっての救いに。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        若きミュージシャンとシングルマザーの作曲家。そして彼らを取り巻く心優しき人々。猫に関する言い回しが思い浮かぶ。「借りて来た猫」のように良い子ぶり、「猫を被っている」みたいに大人しい。そのつもりは毛頭ないだろうが、出て来る人びとが、みなそう見えてしまうのは何故なんだろう。心優しい言葉も心無い罵倒でさえも、どこか借り物の匂い。今の若者には絶望的な閉塞感しかない。それを吹き飛ばすような映画であってほしいのに、却って閉塞感に囚われてしまう。

      • 映画評論家

        吉田広明

        自分をアイムクレイジーって言っちゃう青臭いロック・ミュージシャンが色々な人との出会いを経て大人になりましたという成長物語として、これでもそれなりに感動する人はいるのかもしれない。しかし全体に作りが粗すぎる。ベタ過ぎる物語が、渋谷でのゲリラ撮影、手持ちカメラのブレの疑似リアリズムで糊塗できるものでもない。とりわけ出てくる窓やライトが全部滲んでいて、意図的なのかもしれないが、露出どうなってるんだと苛々する。在るものをそのまま映せばリアルか。

    • 無限ファンデーション

      • ライター

        須永貴子

        まだ何者でもない高校生たちの、本人たちには整理できていない感情がスクリーンを埋め尽くし、圧倒する。即興芝居が若手女優らの本物の感情を引き出したのか、特に演劇部員たちが言い争うシーンは、封印していた記憶が蘇るほど生々しい。唯一の男性部員の影の薄さが、女同士がギリギリの冷静さを保つために機能しているという意味でも非常にリアル。西山小雨の歌が彼女たちと観客を癒やし、映画を締める。時折カメラの焦点がぼけていたのが惜しい。気が散ってしまった。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        服飾デザイナーを目指す女子高生が、演劇部の舞台衣裳スタッフとして入部。公演へ向けて、一心に衣裳を作って行くが……。脚本のクレジットがどこにもなく、「?」と思ったら、全篇即興劇という趣向らしい。が、仕掛けはある。ウクレレを弾く少女だが、その正体は後でネタバレされるまでもなく、すぐに客は見破るだろう。南沙良や原菜乃華等俳優たちの良さは即興劇ならではとは思うし、西山小雨の歌もいい。が、脚本に基づいた身に迫る“本当のような嘘”が見たかったと思った。

      • 映画評論家

        吉田広明

        自分の限界を見るのが怖くて前に進めない少女、周囲を犠牲にしても前に進む少女に、二人の属する演劇部、見守る謎のウクレレ少女。心の揺れ動きやすれ違いが、即興で演じられる。構成が少々甘い、台詞の方向性をもう少し錬成した方が心理がクリアに伝わったのでは、など即興なりの難はあるが、物分かりよく現実を受容する若者が多い中、正面からぶつかり合う少女たちの姿に心を打たれる。気づまりな沈黙や、なじり合いなどが正面から描かれている青春映画が今一体どれだけあるか。

    • ジョアン・ジルベルトを探して

      • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

        ヴィヴィアン佐藤

        今年のドキュメンタリー暫定1位。「不在」を追い求め彷徨い続けるカメラ。ジルベルトという亡霊に取り憑かれ、故マーク・フィッシャーの足跡とジルベルトの残り香に戯れる。ボサノヴァというウィスパー音楽はブラジルの住宅事情により派生したと聞く。そもそも壁の向こう側から流れてくる調べは否応なしに「不在性」が関わってくる。フィッシャーは「音楽は終わらない。部屋のものと結びつき空気や僕たちと繋がっていく」「消え残ったのだ」と。これこそ映像体験そのものではないか。

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