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  • さて、大島新監督が世に問う新作は「国葬の日」。安倍晋三元首相の国葬が東京・日本武道館で執り行われたあの日、「2022年9月27日、私たちは何を見たのか」というキャッチコピーのもと、全国10都市(東京、山口、京都、福島、沖縄、北海道、奈良、広島、静岡、長崎)にてカメラを回したドキュメントだ。安倍氏の地元の山口、震災の傷跡がなお残る福島、新基地の埋め立て工事が進む沖縄、銃撃事件のあった奈良など、各地での人の営みを記録、“日本の現在地”が見えてくる。   ▶【特別座談会】大島新×ダースレイダー×プチ鹿島 「いまこそ必見! 現在の日本を捉える2本のドキュメンタリー映画『シン・ちむどんどん』と『国葬の日』」:前編はこちら 「国葬の日」 2022年9月27日の1日で 日本の現状を浮き彫りにする   大島 こちらのタイトルは何のひねりもないですね(笑)。その2022年9月27日、たったの1日だけで構成していることを強調したかった、というのはあります。ドキュメンタリーもまた劇映画同様、多様な手法があって、完成するまで17年間かかった「なぜ君は総理大臣になれないのか」のようなものとは裏腹に、撮影日を“1日”に限定し、アーカイブ映像を使わず、どこからも素材も借りずに表現する──このタイトルはそういう決意表明でもあったんです。 ダース 試写を観た感想を端的に述べるならば、僕らが「劇場版 センキョナンデス」や「シン・ちむどんどん」を作ったところで社会的には無意味なのでは……と脱力させる、それぐらいのパンチ力があり、観終わってからもボディブローのように効いてきて、げんなりしましたよ(笑)。一日の記録だけれど、間違いなく日本論、日本人論になっている。それって今はどう展開してもいい話が出てこないテーマなんですが、その煮こごりみたいな様相が映し出されていました。 鹿島 亡き首相のセレモニーでしたけど、公文書をだいぶ疎かにしていた安倍さんの国葬をこうやってちゃんと公文書ならぬ公的映像として記録に残している。これだけで批評性がありますし、記録として50年後、100年後の人がこれをどう観るのか想像すると、「ああ、スゴいものに挑まれたなあ」と感じ入りましたね。そして「なるほど、この手があったか!」とも。 大島 たかだか日本全国10カ所、限られた人員で撮影に行ったので、我々がやったことがその日の日本すべてを表したなどとは到底考えてはいないのですけど、「公文映像を残した」というのはそうかもしれません。まあ、NHKが総力をあげて臨んだら、また全然違うものができるのでしょうが。 鹿島 ホントはね、「2020東京五輪」の公式記録映画を総監督された河瀬直美さんみたいな人が撮るべきなんですけどね(笑)。 ダース できれば「SIDE:A」「SIDE:B」に分けて! いや、先ほど「煮こごりみたいな様相」と言いましたが、今後、日本がどんどん分断が進んでいき、合意できるものがほとんどなくなっていきそうな中、台風による大規模な浸水被害に遭った静岡の清水で、地元の高校のサッカー部の若者たちが見せてくれた行動、あのボランティア行為に対しては、NOを突きつける人はいないんじゃないか。どんな立場の人であっても「これはいい話だよね」と言える、みんなが共有できる希望の光景だと思いました……思いましたけれども! もう少し考えると、まさにそこに岸田政権は行政の手を伸ばしていないわけです。国民みんなが合意できそうなことなのにないがしろにして国葬をやっている。だから、一番ダメな部分が露呈してもいるんですよね。あとはインタビューに応え、フワッとしたことを返している方が多い。国葬に反対している人には明確な理由があるんだけど、賛成の方々はけっこうなフンワリなんですよね。その印象は強かったかな。 鹿島 そうですねえ。言葉がフワフワしていたのは、そもそも国葬なのか国葬儀なのか、はたまた国民葬なのか、政府もまた議論とは呼べない議論を空中に漂わせたまま、あの日を迎えたような気がするんです。日本各地の市井の人々に話を聞いていき、当たり前ですけど僕らがいないときでも辺野古ゲート前では座り込みをし、中には国葬を批判する山城さんがいらして、今年4月の再取材で会うことになる。一方ではダースさんが指摘したみたいに、「偉大な功績があったから賛成」という、なかなかのフンワリ感がクローズアップされちゃうんですよね。何だか日本って広いなあと改めて思いましたよ。 大島 いろんな言葉が私の中に残り、予想をしていたことではあったのですが、ある種の衝撃も受けました。例えば奈良のタクシー運転手の方の「デモやっても、もう遅いでしょう、国が決めたことなんやから」というコメント。偉い人の葬儀なんだから賛成すべきだと。ダースさん、鹿島さんが感じられた通りに、国葬に反対している人には明確な理由があるけれども、それ以外の方はけっこうフンワリしているのが日本人らしさだなあって。意図的にそういう並びに編集したのではなく、撮影素材のほぼ7〜8割は使っています。あまりに重複している内容のコメントは外したのですが、基本的には撮れたものをゴロリとまんま見せたら、前々から私が気になっている日本人の“個の弱さ”がたくさん撮れてしまいました。そこが何ともモヤる……私自身が大いにモヤモヤする作品になりましたね。 リベラルの言葉が届くべき人に届いていない この大問題をずっと引きずっている ──この2本を観ると、別アングルで捉えた日本の現実が目の前に屹立してくる。そして、様々な局面で進んでいる分断に頭がクラクラする。第一に、ややもすればこういったドキュメンタリーを作ると、イデオロギー的にレッテルを貼られがちだ。では3人の“立ち位置”はどうなのか。 鹿島 自分のことを左派と思ったことはないですね。右派でもないけど。保守かリベラルかと強引に分けるならば、保守側なのかな。でも僕が、正統派保守と認識している政治学者の中島岳志さんを左派と呼んでディスっている人もいますから、もはや尺度がわかりません(笑)。 ダース 鹿島さんは真っ当な保守ですよ! 僕もSNS上で左派とか左巻きだと言われることが多い。けれども、改革で制度を作ることにそんなに信頼をおいてなくて、人であったりコミュニティを重視しているという意味では保守的です。とにかく、整合性のない穴の空いた言説、行為にはツッコむ。今はもうそこら中、穴だらけじゃないですか(笑)。それから芸人もラッパーも「王様は裸だ」と、強権的なものに抗うのは基本スタンスですよね。 鹿島 ええ。当然、今の野党が与党の立場になったら、そういう目線で接していきます。最終的には、軸となるのは思想的な立ち位置ではないんじゃないかなあ、人の話をちゃんと聞いているか。もとより話していて心地いいか。その立ち居振る舞いですよね。 ダース そうそう。人を単純にイデオロギーで分けたりすることには意味がないです。 大島 私は長年、自分のことを“中道やや左”と認識してきました。なおかつ、国家や権力が個人を虐げたり、抑圧したりすることに関しては強く反対したいし、抵抗を示したいと考えています。そういう意味では左派に分類されてもおかしくはないのですが、ただ一方で左派リベラルの言葉が届くべき人に届いていない問題をずっと引きずっていて、今やそのことが大問題だと捉えています。SNS上での極右の人たちの汚い言葉は全く受け入れられないですけど、左派の方々の上から目線な、人を馬鹿にしたような言動にはとても違和感があり、ここ数年、あまりにおかしなことばかりが続いているのに自民党が政権を任せられている現状にはリベラルサイドにも責任があるはず。このことをこれからも自分なりに視野に入れていきたいですし、何らかの形で作品にもしたいですね。今回の「国葬の日」も、どんな方が観てもちょっとずつ何となく嫌な気持ちがするドキュメンタリーを目指しましたし、であるがゆえに、私自身もモヤっているのですが、まずは先入観なくフラットに、多くの観客に触れてもらいたいですね。 *お三方のお話をさらに深く展開するバージョンは、『キネマ旬報10月号』(9月20日発売)に掲載いたします。 取材・文=轟夕起夫 制作=キネマ旬報社   「国葬の日」 2023 年/日本/88 分 監督:大島新 取材・撮影 東京=大島新、三好保彦/下関=田渕慶/京都=石飛篤史、浜崎務/福島=船木光/沖縄=前田亜紀/札幌=越美絵/奈良=石飛篤史、浜崎務/広島=中村裕/静岡=込山正徳/長崎=高澤俊太郎 プロデューサー:前田亜紀 編集:宮島亜紀 整音・効果:高木創 監督補:船木光 制作:中村有理沙 制作:ネツゲン 配給:東風 ©「国葬の日」製作委員会 ■安倍晋三元首相の国葬が東京・日本武道館で執り行われた2022年9月27日の一日に、日本全国の10都市(東京、山口、京都、福島、沖縄、北海道、奈良、広島、静岡、長崎)で何かが起こったのかをカメラで切り取った先に、見えてくるものは……。 ◎9月16日(土)より東京・ポレポレ東中野、9月23日(土)より大阪・第七藝術劇場、愛知・シネマスコーレほか全国順次公開   大島新(おおしま・あらた)ドキュメンタリー監督、プロデューサー 1969年生まれ、神奈川県出身。95年大学卒業後、フジテレビに入社し、ドキュメンタリー番組『NONFIX』『ザ・ノンフィクション』などのディレクターを務める。1999年フジテレビを退社、フリーランスでの活動を経て、2009年映像製作会社ネツゲンを設立。主な監督作品に、「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」(07)、「園子温という生きもの」(16) 、「なぜ君は総理大臣になれないのか」(20/キネマ旬報ベスト・テン文化映画作品賞受賞)、「香川1区」(21)。プロデュース作品に「カレーライスを一から作る」(16)、「ぼけますから、よろしくお願いします。」(18)、「私のはなし 部落のはなし」(22)、「劇場版 センキョナンデス」(23)など。   ダースレイダー ラッパー/ミュージシャン (写真左) 1977年生まれ、フランス・パリに生まれ、イギリス・ロンドン育ち。幼少期をロンドンで過ごす。ジャーナリストの和田俊を父に、日活出身の映画プロデューサー大塚和を祖父に持つ。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビュー。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業など様々な分野で活動。2023年2月、監督・出演を務めた「劇場版 センキョナンデス」が公開。 ブチ鹿島(ぷち・かしま)時事芸人 (写真右) 1970年生まれ、長野県出身。新聞14紙を読み比べ、スポーツ、文化、政治と幅広いジャンルからニュースを読み解く。2019年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。朝日新聞デジタル『コメントプラス』のコメンテーター、ラジオ『東京ポッド許可局』、『プチ鹿島の火曜キックス』、『プチ鹿島のラジオ19××』、などに出演。最新著書『ヤラセと情熱 -川口浩探検隊の「真実」-』。2023年2月、監督・出演を務めた「劇場版 センキョナンデス」が公開。
  • 人気YouTube番組『ヒルカラナンデス(仮)』の名タッグ、ラッパーのダースレイダーと時事芸人のプチ鹿島は今年、ドキュメンタリー映画界においてもフルスロットル状態だ。約半年前、出演と監督を務め、2月に封切られるやスマッシュヒットを飛ばした「劇場版 センキョナンデス」に続いて、早くも第2弾の「シン・ちむどんどん」を作り上げたのである(8月11日より那覇・桜坂劇場にて先行公開、あわせて全世界同時配信もスタート。8月19日からは東京・ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタほか全国順次公開)。 「選挙はお祭り、参加できるフェス!」がモットーの二人は本土復帰50年の節目となった2022年9月の沖縄県知事選をその目で、カラダで確かめに行った。それは当然ながら、沖縄と日本との歴史──選挙戦の争点にもなった「基地問題」の本質や根深い「差別の構造」、さらにはネット社会が助長した悪質なヘイト、膨大なデマゴギーなどについて考え抜くことを意味した。 祭りには、政(まつりごと)は欠かせない。だから彼らは時事、政治から目を背けず、積極的に発言する。そんな二人をプロデューサーとしてバックアップしているのは、「なぜ君は総理大臣になれないのか」(20)、「香川1区」(21)、そしてもうすぐ監督最新作「国葬の日」が公開される大島新だ(「国葬の日」は9月16日から東京・ポレポレ東中野ほか全国順次)。 個々にスロットル全開! 3人のトークセッションをお届けする。 「シン・ちむどんどん」 沖縄知事選と基地問題と現在の日本の姿 プチ鹿島(以下、鹿島) 1作目の「センキョナンデス」のエンディングで、マーべル映画的な予告篇として沖縄で撮っていた素材をちらっと入れていたので、2作目への方向付けはできていたんですよ。あとは「いつ作れるのか」という時期の問題だけだったんですよね。 ダースレイダー(以下、ダース) そうそう。どのタイミングで大島さんに切りだそうかと。ただ、素人としては「センキョナンデス」の興行状態がどうなのか、正確には摑めず、なかなか言い出せなかった。 大島新(以下、大島) 最初から、手応えはかなりありましたよ。 鹿島 あれは今年の3月ぐらいでしたっけ。大阪のシネマート心斎橋に舞台挨拶で伺って、昼御飯を控え室で食べながら……。 ダース 漠然と展望を話しましたよね。 大島 上映が始まって一カ月も経っていない時期。好調だけれど、むろん最終的な数字はわからない。その大阪での舞台挨拶の控え室、お二人が沖縄の話でめちゃくちゃ盛り上がっていて、これはもう、やるしかないという気持ちになったんです。で、僕のほうから提案したのは、全世界配信のこと。劇場公開を前提に宣伝を重ねていくと、どうしても時間がかかってしまうので、「今度はいきなり配信メインにする考え方は採用できませんか」って。 鹿島 普段、週に1度、YouTubeで『ヒルカラナンデス(仮)』を配信しているので“僕ららしいな”とすぐに思いましたね。劇場が見つかれば、そちらでも上映してもらうという二段構えの案もありがたかったです。 ダース 発表の時期は「今年の夏頃」だと聞いて、それからは突貫作業でした。とにかくスピード感が大事。できるだけ沖縄県知事選の記憶があるうちに世に出したほうがいい。宣伝という映画の常識作業をすっ飛ばすことも、どうなるかはやってみないとわからないワクワク感がありました(笑)。 鹿島 まあ、そもそも観客層のマーケティングなんかは度外視していましたからね。自分たちの原動力は「格別にパワフルな沖縄の“お祭り選挙”を見たい」という野次馬精神でしたから。 ダース 好奇心ですよね。それで「こんなことがあったよ」と、YouTubeでも毎週時事ネタを話しているわけで。 大島 これね、面白いのはドキュメンタリーの作り手のタイプには共通事項があって、昨日あったことを友だちにうまく話せるんです。それってけっこうキモとなる要素で、そう考えるとダースさんも鹿島さんも“喋りとプレゼン”のプロですから見事に合致する。生々しい映像とお二人固有の言葉のマッチングがドキュメンタリー映画に新しさを生んでいる。「シン・ちむどんどん」の前半で言えば鹿島さんが候補者全員に、朝ドラ『ちむどんどん』(22)に関する質問で攻めていくところ。そういう切り口ができるのは、「お二人ならでは」です。 ──昨年の沖縄県知事選は承知のとおり、現職の玉城デニー氏、自公政権が推した佐喜真淳氏、そして元日本維新の会で無所属の下地幹郎氏の三すくみで行われた。3人は皆、地元紙のアンケートで当時放送中だったNHKの連続テレビ小説『ちむどんどん』推しだったが、プチ鹿島は「本当に見ているのか? ひとつ嘘をついたら、他の公約、政策も信用できない」と各候補にアタックしてゆく。ここがとりわけ前半の「ちむ(胸)がどんどん(ドキドキ)する」ポイントだ。 「シン・ちむどんどん」は 本当にふざけたタイトルか ──ところでこのキーとなったドラマの、タイトルへの応用はどのようになされたのだろうか。 大島 提案したもう一点に、YouTube番組も含め、これまでの「〜ナンデス」風タイトルから離れてみる気はありますかと尋ねたんです。するとこれがまたお二人らしいんですけど「沖縄だから『ちむどんどん』かなあ」とダースさんが言ったら、鹿島さんがいきなりデカい声でそこに『シン・ちむどんどん』と被せてきた(笑)。僕はその叫び声を聞いて即座に「それで行きましょう!」と速攻で決めていました。タイトルには著作権がない、という冷静さも頭の片隅にありながら。 鹿島 僕はね、あの瞬間は、大喜利感覚で叫んでましたよ。 大島 まさに大喜利のノリでした。 鹿島 思い出したけど、あのとき差し入れでもらったタコ焼きを食べ、しかも大島さんの提言に「そうか、沖縄篇が作れるのか、いいぞ」と気分が盛り上がってしまったんですよ。まさか「それだ!」なんて声が返ってくるとは思わなかった。目を引くタイトルになったけれど、バカバカしいと感じる人もいるでしょうね。 ダース でもね、「こんなタイトルの作品は、ふざけていて価値なし」というリアクションは織り込み済みで、中身のほうは全く「ふざけたもの」ではないですから。要は映画を観た上でそれを言っているかがバレてしまうんです。 大島 なるほど。僕は今年の4月、お二人が桜坂劇場に前作「センキョナンデス」の舞台挨拶に行くことが決まり、そのタイミングでもう一度、沖縄取材を望まれたのが印象的で。本気で取り組んでいるのが伝わってきました。県知事選のルポに加え、その素材も入れ込んだ映画が公開できたら最高だなあって思いましたね。 基地問題や沖縄の歴史は 現地に行かないと何もわからない ──劇中には、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で抗議の座り込みを続ける一市民であり、「オール沖縄会議」共同代表の高里鈴代さんや沖縄平和運動センター顧問の山城博治さん、それから2004年、構内に米軍普天間基地所属の大型輸送ヘリが墜落した沖縄国際大学の前泊博盛教授、2019年の「辺野古沖の埋め立ての賛否」を問う住民投票を牽引した元山仁士郎さんらが登場、ウチナーンチュ(沖縄の人)に直接学び、対話をしてゆく。 大島 お二人は冗談で「今回はドキュメンタリーぽくなった」とおっしゃっていますが、後半の再取材のパートは本当にそうです。 鹿島 いやあ、ドキュメンタリーを作っちゃいましたね。再取材というのは初めての試みでした。 ダース あれは県知事選のあと、ひろゆき(西村博之)さんの“辺野古基地座り込み”への揶揄や冷笑に端を発する騒動というのがあって、あのことについて僕ら、現地で生の声を聞きたいと思ったんですよ。高里さんとは騒動前にもお会いしてお話を聞いていたので、騒動の直後に誰でも見られるようにインタビューを公開しました。ご本人も含めて座り込みを続けている方々は想像を絶するツラさだったはずなんだけど、ハートが強いんですよ。その姿勢がまた考えさせられるというか。 鹿島 僕ら二人とも沖縄について、それなりに知っているつもりだったんですけど、とにかく現地に行って話を聞こうって。「知らないこと」を知るべきだと。そこは徹底していましたよね。 ダース ええ。エンディング曲に《月桃》を使わせてもらった那覇生まれの伊舎堂百花さんが試写をご覧になり、「良かったです」と言ってくれて、何とか一歩目を踏み出せたと安堵しましたよ。 大島 今回、推薦コメントを多方面の方からいただきましたけど、実際暮らしてらっしゃる方々にどう受け止められるかが重要でしたよね。芸人のまーちゃん(小波津正光)さんと、沖縄に関する著書も出されている琉球大学教育学研究科教授の上間陽子さんがコメントを寄せてくださって、これはとても嬉しかった。 鹿島 まーちゃんは、もともとは東京でお笑いコンビ(=ぽってかすー)をやっていたんです。僕が若手時代、よく一緒にライブに出ていた仲で、拠点を故郷に戻し、基地問題など沖縄の現状をコントで繰り広げる『基地を笑え!お笑い米軍基地』を毎年主宰、上演しているのを新聞で知って。沖縄で時事ネタで勝負していてスゴいなとずっと思っていたんですよね。 ダース メディアのコメンテーターなんかはともすると、「座り込みと主張するならば、こうすべき」なんて軽々しく語りがちなんだけど、僕らは基地問題や沖縄の歴史について現地に実際に行ってみないと何もわからないという立場。鹿島さんの言うように、まず知ったようなことを言うのはやめようと。現地の皆さんは、本当に温かくて優しかったです。 沖縄と本土、アメリカ、そして民主主義…… 辺野古ゲート前で披露するダースレイダーのラップの意味 ──映画の後半の白眉は、辺野古ゲート前にて抗議の座り込みを続ける人々(と、ズラリと並んだ警備員)に向けたダースレイダーのフリースタイルラップだ。 鹿島 高里さんはスゴいチャーミングな方なんですが、あの突然の「ラップ、してもらえます?」は無茶ぶりでしたね。 ダース (笑)。映画には映ってませんが高里さんに1時間ほどお話を伺って、「これから座り込みをするので見ていってね」と言われて、連れていってもらったら開口一番に。けれども「ラッパー」と名乗っている身としては、あの状況でやらないという選択肢はなかったです。高里さんに沖縄のことや座り込みをしている方々の様々な思いを教えてもらったあとだけに、その人たちが聴いている場でラップをするのはすごくシビれる体験で。即興だから下手なことを言っちゃう可能性も含めて出たとこ勝負でした。やっているときは無我夢中でしたね。完成作を観てみると5分近くあるんですよ。そんなアカペラのラップが入っているのは映画として大丈夫なのかと感じたし……僕はあそこの評価は自分では難しい。自分から「ああだった、こうだった」とは言えなくて、だから観て、聴いてくれた方が何かを感じてくれればそれで十分です。 大島 ちなみに鹿島さんはダースさんのあと、お得意の自民党の重鎮、二階(俊博)さんの真似を披露されてましたよね。 鹿島 やりました。ややウケで、うすら笑いが広がった。だから監督としては思いっきってカットしました(笑)。これはやはり、ダースさんのインパクトと感動で終わらせたほうがいいと。 ダース そのあとに、僕のラップへのレスポンスとして高里さんたちがレジスタンスの歌を返してくれているんですが、エール交換みたいな形になっていて、その歌がまたいいんですよ。あのゲート前のシーンに関しては、「あっ、受け入れてもらえている」っていうのが自然発生的にわかるようになっている。 鹿島 歌の力っていうのはつくづく感じましたね、沖縄にとって特に大切な文化なんですよ。 大島 沖縄を描いた映画にはいろんな作品がありますが、私の父、大島渚は「夏の妹」(1972年)という劇映画を撮っていまして。返還された直後に現地でオールロケ撮影をした作品です。ヒロイン(栗田ひろみ)のひと夏の旅を追った、しかもどこかしらブラックユーモアに近い作風で、本土と沖縄、沖縄とアメリカ、それから日本とアメリカとの関係を暗示している。この構図は沖縄を題材とした映画は避けては通れず、そういう意味では「シン・ちむどんどん」にもその要素は入っており、つまり沖縄を扱った映画としてテーマ的には王道なんですね。しかしながらダースさんと鹿島さんなので表現が新しい。前半の「『ちむどんどん』を本当に観ていますか?」という質問、それは監督兼出演者の才能を機能させているからで、後半で言えばダースさんのラップですよね。あれがドキュメンタリー映画としても超新しく、圧巻のパフォーマンスであのラップも沖縄と本土、アメリカ、そして民主主義のことを表現していた。テーマ的には王道を歩んでいるけれども、めちゃくちゃ新しいなあって思っています。 取材・文=轟夕起夫 制作=キネマ旬報社 ▶後編:「国葬の日」へ続く   「シン・ちむどんどん」 2023年/日本/98分 監督・出演:ダースレイダー、プチ鹿島 エグゼクティブプロデューサー:平野悠、加藤梅造 プロデューサー:大島新、前田亜紀 音楽:The Bassons(ベーソンズ) 監督補:宮原塁 撮影:LOFT PROJECT 編集:船木光 音響効果:中嶋尊史 配給:ネツゲン ■復帰50年の節目となった昨年9月の 沖縄県知事選を追いかけるダースレイダーとプチ鹿島。当時放送中だった沖縄を舞台にしているNHK連続テレビ小説『ちむどんどん』を推す全候補者に、その答えから人間性がわかると質問攻めにし、SNS 上に溢れる「沖縄と選挙」を取り巻く膨大なデマを問題視し候補者に直撃。そして二人は「基地問題」を知るべく、座り込み抗議がおよそ3000日続く辺野古の現場を訪れる──。 ©「シン・ちむどんどん」製作委員会 ◎8月11日(金)より那覇・桜坂劇場にて上映中 & 全世界同時配信中(配信チケット、トークライブ会場チケットは<ロフトプロジェクト>にて販売中) 8月19日(土)より東京・ポレポレ東中野、シネマ・チュプキ・タバタ、京都みなみ会館にて上映中、ほか全国順次公開   大島新(おおしま・あらた)ドキュメンタリー監督、プロデューサー 1969年生まれ、神奈川県出身。95年大学卒業後、フジテレビに入社し、ドキュメンタリー番組『NONFIX』『ザ・ノンフィクション』などのディレクターを務める。1999年フジテレビを退社、フリーランスでの活動を経て、2009年映像製作会社ネツゲンを設立。主な監督作品に、「シアトリカル 唐十郎と劇団唐組の記録」(07)、「園子温という生きもの」(16) 、「なぜ君は総理大臣になれないのか」(20/キネマ旬報ベスト・テン文化映画作品賞受賞)、「香川1区」(21)。プロデュース作品に「カレーライスを一から作る」(16)、「ぼけますから、よろしくお願いします。」(18)、「私のはなし 部落のはなし」(22)、「劇場版 センキョナンデス」(23)など。   ダースレイダー ラッパー/ミュージシャン (写真左) 1977年生まれ、フランス・パリに生まれ、イギリス・ロンドン育ち。幼少期をロンドンで過ごす。ジャーナリストの和田俊を父に、日活出身の映画プロデューサー大塚和を祖父に持つ。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビュー。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業など様々な分野で活動。2023年2月、監督・出演を務めた「劇場版 センキョナンデス」が公開。 ブチ鹿島(ぷち・かしま)時事芸人 (写真右) 1970年生まれ、長野県出身。新聞14紙を読み比べ、スポーツ、文化、政治と幅広いジャンルからニュースを読み解く。2019年に「ニュース時事能力検定」1級に合格。朝日新聞デジタル『コメントプラス』のコメンテーター、ラジオ『東京ポッド許可局』、『プチ鹿島の火曜キックス』、『プチ鹿島のラジオ19××』、などに出演。最新著書『ヤラセと情熱 -川口浩探検隊の「真実」-』。2023年2月、監督・出演を務めた「劇場版 センキョナンデス」が公開。
  •   『イカゲーム』で主人公を演じたイ・ジョンジェが初監督を務めるとともに、盟友チョン・ウソンとダブル主演し、“北” のスパイを探す男たちの諜報戦を描いた「ハント」が、9月29日(金)より新宿バルト9ほかで全国公開。イ・ジョンジェ来日とジャパンプレミア開催が決定し、緊迫のアクションシーンの映像が到着した。     第75回カンヌ国際映画祭ミッドナイトスクリーニング部門をはじめ各国映画祭で上映され、第43回青龍映画賞や第31回釜日映画賞などで新人監督賞を受賞、そして韓国で初登場1位を記録した本作。脚本に4年を費やしたイ・ジョンジェは「観客が今この映画を見るべき理由を考えるとともに、共感してもらえるようにたくさん悩んだ」と明かす。   〈ジャパンプレミア詳細〉 日時:2023年8月31日(木)19:20の回上映前 場所:T・ジョイ PRINCE 品川 シアター3 登壇者:イ・ジョンジェ(予定) ※ゲストは予告なく変更する場合あり 料金:2,200円均一(税込)     1983年、米韓首脳会談が行われるワシントンDCの会場周辺で、大統領退陣を求める韓国系移民のデモが展開。安全企画部(旧KCIA)のパク・ピョンホ次長(イ・ジョンジェ)率いる海外チームと、キム・ジョンド次長(チョン・ウソン)率いる国内チームが警護に当たっていた。そんな中、CIAが大統領の命を狙ったテロの動きを察知したと連絡が入り、一同は犯人グループが潜む劇場へ急行、激しい銃撃戦が勃発する──。パク次長は暗殺を阻止できるか?   Story 1980年代、安全企画部の海外次長パクと国内次長キムは、組織に潜んだ “北” のスパイを探し出す任務を負い、それぞれ捜査を始める。見つけなければ自分たちが疑われるかもしれない。そんな緊迫した状況で大統領暗殺計画を知り、巨大な陰謀に巻き込まれていく……。   「ハント」 脚本・監督:イ・ジョンジェ 出演:イ・ジョンジェ、チョン・ウソン、チョン・ヘジン、ホ・ソンテ、コ・ユンジョン、キム・ジョンス、チョン・マンシク 2022年/韓国/DCP5.1ch/シネマスコープ/韓国語・英語・日本語/125分/PG12/헌트(原題)HUNT(英題)/字幕翻訳:福留友子・字幕監修:秋月望 配給:クロックワークス © 2022 MEGABOXJOONGANG PLUS M, ARTIST STUDIO & SANAI PICTURES ALL RIGHTS RESERVED. klockworx.com/huntmoviejp
  •   「4ヶ月、3週と2日」の巨星クリスティアン・ムンジウが、トランシルヴァニア地方の村を舞台に不穏な群像劇を紡ぎ、第75回カンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品された「ヨーロッパ新世紀」が、10月14日(土)よりユーロスペースほかで全国順次公開。場面写真と予告編、監督コメントが到着した。       出稼ぎ先のドイツで暴力沙汰を起こし、経済の冷え込んだトランシルヴァニアの村に戻ったマティアス。妻との関係は冷え切り、森での出来事をきっかけに口がきけなくなった息子のルディ、ならびに衰弱した父との接し方に迷う彼は、元恋人のシーラに安らぎを求める。 ところがシーラが責任者を務めるパン工場が、アジア人労働者を迎え入れたばかりに、彼らを異端視する村人たちは不穏なムードに。SNSに過激なコメントがあふれ、外国人追放に向けた署名運動に発展する。そんな中、ルディが姿を消し──。     火炎瓶の投入、熊の格好をして行進する伝統行事、さらに17分間のロングテイクで捉えた緊急集会など、緊張を孕んだシーンが次々と現れる。       クリスティアン・ムンジウ監督のコメント 本作は連帯対個人主義、寛容対利己主義、ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)対真摯さといった現代社会が抱えるジレンマに疑問を投げかけている。また、自分の民族や部族に帰属し、他の民族、宗教、性別、社会階層を問わず他者を遠慮や疑惑の目で見るという、根源的な欲求にも疑問を投げかける。これは古き良きと思われている昔の時代と、混沌としていると思われている現在の時代の話であり、実行性よりも批判に価値が置かれるヨーロッパの裏側と偽りについての話でもある。不寛容と差別、偏見、固定観念、権威、そして自由についての物語。臆病と勇気、個人と大衆、個人的な運命と集団的な運命についての物語。また生存、貧困、恐怖と険しい未来についての物語でもある。 本作は世俗的な伝統に根ざした小さなコミュニティで、グローバル化がもたらした影響について描いている。情報・モラルが混沌とした現代において、真実と自分の意見を区別することの難しさを背負うことになった。 この物語は、「政治的に正しくない」意見を特定の民族や集団に結びつけている訳ではない。意見や行動は常に個人的なものであるため、集団のアイデンティティに依存するのではなく、もっと複雑な要因に依存するのだ。社会的な意味合いを超えて、もっと根源的な人間そのものに根ざしている。信念がいかに選択を形成するか、本能、不合理な衝動、恐怖について、人間の中に埋もれた動物的な部分について、感情や行動の曖昧さとそれを完全に理解することの不可能性について、この物語は語っている。映画の中で最も好きなのは、言葉にはできない何かだ。     ©Mobra Films-Why Not Productions-FilmGate Films-Film I Vest-France 3 Cinema 2022 配給:活弁シネマ倶楽部、インターフィルム ▶︎ 巨星クリスティアン・ムンジウが描く、現代ヨーロッパの怖れと狂気「ヨーロッパ新世紀」
  •   半世紀にわたり地球規模で撮り続けた写真家の長倉洋海。アフガニスタンでソ連軍と戦った抵抗運動の指導者マスードと絆を育んだ彼は、自爆テロに倒れたマスードの教育への思いを共有し、パンシール渓谷の山の学校を支援し続けている。その模様を綴ったフォト・ドキュメンタリー「鉛筆と銃 長倉洋海の眸(め)」が、9月12日(火)より東京都写真美術館ホールほかで全国順次公開。特報映像、場面写真、長倉のコメントが到着した。     大学で探検部に属していた長倉洋海は、ベトナム戦争の報道写真に憧れ報道カメラマンを目指す。「目の前で現代史が動きその1ページがめくられていく。自分自身がその現場に立ち感動したい」と通信社に入ったが、希望が叶わず、3年が経った1980年に退社してフリーに。 1982年、中南米エルサルバドルで3歳の少女ヘスースと出会い、「出来事を取材するニュース写真ではなく、現場に何年も通い一人の人間を見続ける」という長倉のスタイルが生まれる。 1983年、侵攻したソ連軍への抗戦が続くアフガニスタンで、若き司令官マスードの撮影を決意。100日間イスラム戦士(ムジャヒディン)と共に行動し、二人は強い信頼関係を築く。 アメリカ同時多発テロの2日前の2001年9月9日、マスードはイスラム過激派に暗殺される。1周忌に初めてパンシール渓谷の山の学校を訪れた長倉は、マスードが資材を提供し、村をあげて小さな学校を守り続けていると聞き、心を動かされる。長倉は、マスードの教育への思いを受け継ぎたいとNGO〈アフガニスタン山の学校支援の会〉を設立。まず手元にあった寄付金で、机や椅子などを提供する。その後も長倉は、イスラムでは珍しい男女共学の学校へ毎年のように通い、子どもたちの成長を撮り続ける。     〈長倉洋海コメント〉 「とてもカッコ悪い映画だ」と思った。私の野心も、それに賭ける赤裸々な思いもはっきり映っているからだ。でも、それでもいい。なぜなら、マスードが私の中で生き続けていること、そして、山の子どもたちの心に脈々と受け継がれていることが伝わってくるからだ。 河邑監督は「ハードボイルドだ」と謳っているが、どこが、と私は思う。もっとカッコ良く描いてほしかったからだ。でも、それもいいだろう。映画『鉛筆と銃』が、マスード、私、そして子どもたちへと連なる大きな流れ、そして峰々が連なる山脈のようなものが映画をしっかりと貫いているからだ。 そんな私だが、いつしか、映画に引き込まれていた。写真の効果的で迫力ある構成、シーンのひとつひとつに寄り添う音楽が、この映画を高みに押し上げてくれた。この映画が観る者にどのくらい感動を与えるかはわからない。でも、『鉛筆と銃』には、私が見たもの、伝えたいと思ったものが確実に映し込まれている。是非、劇場の大スクリーンで、マスードの表情に出会い、未来を見つめる子どもたちの姿に出会ってほしい。           「鉛筆と銃 長倉洋海の眸」 監督・撮影:河邑厚徳 製作・著作:アフガニスタン山の学校支援の会、ルミエール・プラス 配給宣伝:アルミード ©2023 アフガニスタン山の学校支援の会 ルミエール・プラス 公式サイト:https://enpitsutojyuu.com/

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