映画専門家レビュー一覧
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プレーム兄貴、王になる
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映画評論家
きさらぎ尚
アクションありコメディありラブロマンスあり、そのうえ浮世から離れたおとぎ話の世界で歌って踊っての、てんこ盛り。これを伝統的なインド映画だと言ってしまえばそれまでだが、画面が極限まで賑々しく、かつ色彩にあふれているわりには、響くものが少ない。街の役者が意識不明の王の影武者にされるという、いわゆる替え玉ものはコメディの定番であり、偽の王に仕立て上げる王宮の家来、王位を狙う敵役、婚約中の王女と、定番に必要な駒は揃っているのに。過ぎたるは何とやらの感。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
深刻な格差社会の上に成り立っている王族たちの豪奢を極めた日常や家族愛、恋愛模様を何のエクスキューズもなしに能天気に見せつけてくることに微妙な気持ちになる……なんて野暮は言いっこなしで、歌って踊りまくるインド映画らしさに溢れた娯楽作品として胃もたれしながらもお腹いっぱい堪能したのだけれど、個人的にインド映画に最も感じている不満「尺が長い!」はなんとかしてほしいところで、164分ともなれば気楽に観られる長さじゃないし、普通におしっこ行きたくなった。
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ミッドサマー
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
前作「ヘレディタリー/継承」で彗星の如く出現したアリ・アスター。待望の新作だ。ふたつの異文化同士の差異から生ずる摩擦が、そのまま恐怖や不安という感情に変換される。それは前作も同様で、悪魔主義は悪魔主義者にとっては、もっとも安定した形式である。未体験の文化を受け入れ馴染むこと。上映時間を通してそのエントロピーの安定がなされる。そしてそこから脱落や抹消される者以外、選ばれた主役だけが生き残る。いわば理由なき選民思想で、日本のマンガに近い感覚か。
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フリーライター
藤木TDC
怖かった「ヘレディタリー/継承」の監督による「ウィッカーマン」(73年)によく似た秘祭ホラー。舞台はスウェーデン辺境とされ、白夜の夏至祭をいかにも北欧っぽい天国的、妖精的イメージにこだわり細部まで描くが、どこまで資料調査やフィールドワークをしているか不明。創作なら類型的で偏見まじりの描写に同国の人は怒るかも。現代性を感じさせる家族の悲劇を物語の横軸におき、縦軸の秘祭クライマックスと統合を試みたと思われるラストは多様に解釈できるものの論議を呼びそう。
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映画評論家
真魚八重子
監督のA・アスターは長篇デビュー作「へレディタリー/継承」で、奥の手まで出し切ってしまったのか。本作も決して水準が低いわけではないが、前作で観た手法やラストの構造が焼き直しで使われていたり、基本のストーリーが「ウィッカーマン」すぎたりして新鮮味を感じない。アスターの個性は強烈にあるものの、冒頭での人間関係の歪みや痛々しくも繊細な脆さが持続しないのは、中心となるカルトの形式に囚われすぎゆえか。麻薬と純粋な恐怖の意外な相性の悪さも端々で感じる。
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名もなき生涯
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ライター
石村加奈
鳥のさえずりやバッハやベートーヴェンの音楽に彩られた、名もなき人たちの静かな暮らしの中で、街宣車の物騒な、ヒトラーの声高な、ギロチンの刃が落ちる恐怖の、不協和音が際立つ。働き者の主人公の手は、手錠をかけられた後もなお倒れた傘を拾い上げる、やさしさを持つ。彼の決心は、分別というより、軍事訓練から帰還して、妻を抱きしめ、三人の娘たちとはしゃいだ時の感触を憶えているからだろう。時流に逆らい、血で汚されることのない、主人公の手のような、美しい映画である。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
いくら自国が他の国と揉めようともそれが自分の日常に影響することはない、なんてことはもちろんない。自分の考えを貫く自由すら奪われるのが戦争だ。本作は、ナチスに協力することを拒んだ実在したオーストリアの農夫とその妻の物語。自然光にステディカムの長回し、詩的なモノローグ(今作では夫婦の手紙のやり取りとして表現)というマリック節全開だったが、この実話との相性が良かった。異常な状況下で少数派にされた名もなき夫婦の日常を丹念に体感させられ、涙も出ない。
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スキャンダル(2019)
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ライター
石村加奈
このスピードで、こういう実録映画を作れるのがアメリカの懐深さだ。S・セロン、N・キッドマン、M・ロビー、三世代のヒロインそれぞれの華麗なる結末も見事。女同士で徒党を組む、作中の台詞を借りれば「スポットライトをシェアする」のではなく、自分らしく問題を解決する知的な姿勢にも好感を覚えた(3人がエレベーターで一緒になるシーンのヒリヒリするような緊張感!)。セロンの変貌ぶりも鮮やかだが、グレーなポジションを好演するK・マッキノンが、作品に奥行きを与える。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
16年に起こった実際のFOXニュースのセクハラ事件を映画化した本作。たった3年で実在の人物と架空の人物が交錯する娯楽作として練られた脚本を完成させ、シャロン、キッドマン、ロビーを主演に揃えた、このスピード感。それは、この間に起こったMeToo運動などのムーブメントの凄まじさを物語っている。“スキャンダル”が報道されるまでの3人のキャラクターに焦点を当て、じっくり描いているが、彼女たちが唯一顔を揃えるのが、上下に移動するエレベーターというのが意味深い。
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影裏
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映画評論家
川口敦子
見終えてまず原作を読むこととメモした。怠け者に律儀な決意を促した映画には、もうひとつの「ロング・グッドバイ」ともなり得るのに安易にそこに落ち着くのを拒むといった健やかな頑なさが息づき、そのもやもや感が時と共に不思議な磁力となってくる。原作を読み「ほのめかし」を核としたいかにも映画化は難しそうな一作に挑んだ監督と脚本家の闘志に打たれた。書かれなかったことを見せるのか。言われなかったことを言葉にするのか。小説と映画の間でなされた選択を反芻、吟味したい。
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編集者、ライター
佐野亨
深い陰翳をたたえた芦澤明子の撮影にまずつかまれる。綾野剛、松田龍平、筒井真理子、少ない出番の國村隼も安田顕もただならぬ存在感を発揮。これぞ映画、と讃えて終わらせたいところだが、観ているうちにその隙のなさ、演出の粘りが足枷となってくる。文句をつけられる筋合いなどない丁寧な仕事を成し遂げていることは重々承知しつつ、僅かでも、快い飛躍や「ほつれ」のようなものが見えてほしかった。それこそがこの物語の煮え切らなさを描くうえで重要だったとも思えるのだ。
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詩人、映画監督
福間健二
沼田真佑の小説はいわば純文学の典型。しっかりした文体で淡々と進む。大友監督がそれに挑む。その果敢さをよしとしたい。どうなったか。原作にかなり忠実な内容を濃い目に見せていく。自然の風景から密度ある画をつくるカメラは芦澤明子。緑、羨ましくなるほど。綾野剛の「弱い心」にまだ鮮度があり、松田龍平も役になっている。惜しいのはテンポのなさ。企画的に無理なことをあえて言うと、三・一一もゲイも抜きでやったらと思った。むしろ原作の奥にあるものに踏み込めたのでは。
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グッドバイ 嘘からはじまる人生喜劇
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フリーライター
須永貴子
小池栄子が演じる大食らいで力持ち、そして業突く張りのキヌ子の全身から、生命力が溢れている。大泉洋がいつもとは違う引き算の芝居で演じた田島にも、女たちが放っておけない吸引力がある。契約で結ばれた男女が、くっつきそうでなかなかくっつかないという少女漫画的な展開をもうひと盛り上げするための、「死んだと思ったら実は生きていた」という仕掛けはやや強引だが、大衆的な娯楽作としては及第点。田島の本妻や愛人たちを演じる女優陣も適材適所のキャスティング。衣裳も素敵。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
監督自らの企画と聞く。自分がやりたいものがこうして出来るとはなんと幸せなことなのか。原作は「太宰の絶筆」というより、それを戯曲にしたもの。未見だが評判の舞台のようだ。それを一級の脚本家と監督が料理する。文句はあるまい。が、やはりもとは太宰治。得意の陰湿な情愛ものでないのが救いだが、どうしても偽臭い太宰のフィルターがかかってしまう。映画は面白い。だが、釈然としない。「据え膳食わぬは男の恥」。他に食べたいものがあったのに据え膳だから食べた、ような感じがした。
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映画評論家
吉田広明
優しすぎるがゆえに多数の愛人たちを抱えた男が、偽の妻とともに彼女らとの関係を切る。ブラックでアイロニカルな「黒い十人の女」を期待はしないが、十数人の愛人が入れ替わり立ち替わりのスラプスティックかと思いきや、人情ものに落ち着く展開。太宰の原作自体軽妙なものであるにせよ、倫理的にキワキワ故に新たな人の道を夢想させる無頼派の秩序破壊的な側面だけは令和風に温められたごく微温的作品。敗戦直後を意識した擬古的な画面、小池栄子の若干舞台臭のする演技も微妙。
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屋根裏の殺人鬼フリッツ・ホンカ
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映画評論家
小野寺系
実在の殺人鬼の日常を描きながら、人間の醜さや哀しさを、目を逸らしたくなるところまで克明に描いていく作品なので、万人に薦めづらいところがあるが、それだけに人間の根源的な部分に触れるところがある。そして注意深く見ることで、バーに集まる様々な登場人物と同じ目線に立った、じつは優しいまなざしが存在することにも気づかされる。事件を何らの美化もせずに、しかし美しい寓話のように仕上げた手腕も素晴らしく、闇の名作として後世に残る映画になるだろう。
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映画評論家
きさらぎ尚
生理的な不快感、それも特に前半は視覚と嗅覚の忍耐を強いられる。1970年代に実在した殺人鬼が主人公なのだが、フリッツ・ホンカは言うに及ばず、犠牲になった売春婦、舞台になっている風俗街のバーの常連客は、おそらく第二次世界大戦後の復興の波から置き去りにされ、国からも一顧だにされない人たちであろう。殺人者も犠牲者も、理知を感じさせず、動物的な無様さしかない。せめてカタルシスでもあれば……。特殊メイクの効果も含め、ホンカ役のJ・ダスラーの熱演に★オマケ。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
映画の主人公として登場する猟奇殺人鬼というのは、驚異的な知能の持ち主だったり、独自の哲学を貫いていたりと、何かしらダークヒーローとしての魅力が付加されているのが常だと思うのだが、そういうものが毛の先ほども与えられていないコイツは、ただひたすら自分勝手に人を殺しては「またやってもうたー!」と泣くばかりの正真正銘のゴミクズ人間で、そんな男を徹底的に突き放して描いているこの映画の視座もまたサイコパスのそれに思えてくるに至り、恐怖の果ての笑いが漏れた。
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1917 命をかけた伝令
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
宣伝では全篇ワンカット押し。見る前はどうでも良いことに思われたが、そこが肝だった。それが引き起こすふたつのリアル。全くもってどうやって撮影したのか驚異的テクニカルな点。それから「戦争」を大きな国家間の争いではなく、微細でそれぞれ個人の体験として描くという点だ。前者は臨場感というリアル。後者は歴史を有名人の所有物から換骨奪回する経験のリアル。どちらも「戦争」をリアルに描くことの意味に到達するのが、それらは「生」を最もリアルに描くことだった。
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フリーライター
藤木TDC
無線機の普及がない第一次世界大戦の戦場。緊急命令を最前線へ届ける若い兵士の行動を銃弾・爆弾飛び交う戦地疑似体験アトラクションの趣向でワンシーン・ワンカット風にカメラが追う。しかし暗転や人物のフレームアウトが多く映像のつなぎ目がわかる編集は期待はずれ。対岸に狙撃兵がいそうな川で橋の欄干を平均台歩き、小隊が歩哨も立てず音楽鑑賞、歩兵突撃中の最前線を脱走兵もどきに逆走など戦争映画にそぐわぬ描写も不満、悪臭が伝わってこない塹壕の美術も物足りない。
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