映画専門家レビュー一覧
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レ・ミゼラブル(2019)
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
単純な善悪は存在しない。人は歪な多面体で、集団や社会となるとさらに複雑で歪な多面体となる。劇中登場するスマホでの撮影やSNS投稿、そして要となるドローン。それらの出現により社会はさらに複雑化し、それによって社会が善い方向へ進むのか、悪い方向へ進むのか。どちらにせよ極端化するだろう。救済は決して訪れないし、奇蹟も起きない。ただ現実がそこにあるのみ。ユゴーの物語の根底には愛や改心があった。ロマンスや愛を見つけられないほど、この物語はリアルなのだ。
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フリーライター
藤木TDC
とても面白い。多様な民族、宗教、ルーツの人々のコミュニティと化したパリ郊外の古びた団地を人種による分断の場と描くのではなく、折り合いながら共棲するアジール内の新たな対立に目を向けたのが画期的。肌色の違う彼らがフランスに同化済みなのは冒頭のシーンに明快で、私には理想の世界に見えたが、憎悪ではなく些細な人間的失敗から悲劇は生まれ衝撃的報復に至る。実話ベースなのに驚かされ、凱旋門に重ねたタイトル「レ・ミゼラブル」=“愚か者たち”に込めた思いが伝わる。
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映画評論家
真魚八重子
スパイク・リーが絶賛というのがよくわかる傾向の作品だ。移民や貧困、宗教という問題を多角的に捉え得る中で、精神が摩耗する小競り合いや暴力のみを通して日常描写を行っていく。それぞれの立場に言い分があり平行線を辿るしかない多様さの軋轢を、どこに比重を置くでもなくありのまま活写する鋭利さ。クライマックスの、あるトリガーから自然に蠢き出す生き物のような暴動の派生は息が詰まる。社会に翻弄されながらも、そこには常に個人の判断があるというメッセージは重い。
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黒い司法 0%からの奇跡
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ライター
石村加奈
死刑囚監房内で、死ではなく、生きることを考えるのと同じく、司法制度に逆らって正義を貫くことは過酷である。しかし、M・B・ジョーダン扮する本作の主人公ブライアンはあかるい。彼の陽気さには、原作(ブライアン本人が綴った奮闘記)に因れば、母に連れられて通った教会音楽の力が大きかったのだろう。本作でも、聖歌隊の思い出や〈The Old Rugged Cross〉をはじめ、神々しい賛美歌が、ブライアンに希望を贈り、死刑囚ウォルター(J・フォックス!)を創造的に変えてゆく。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
無実の罪で死刑宣告をされた平凡な黒人の男の実話。証拠が一切ない、明白な冤罪がなぜ立証されないのか、というもどかしさ。彼の弁護を黒人の若き弁護士が引き受ける。ほとんど勝ち目のない理不尽な戦い、その裁判のためのやり取りの中で、弁護する側される側を超えた関係が確立していく過程が熱い。最終判決のあっけなさのリアリティ、そしてこの事件が今も続く黒人死刑囚の冤罪のほんの一部の例、という事実。それらが法廷劇のカタルシスを超えた余韻を残す。
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スケアリーストーリーズ 怖い本
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ライター
石村加奈
なるほど、子供の頃に読んでいたら、間違いなくトラウマになっていたであろう“怖い本”をG・d・トロ監督原案&プロデュースで完全映画化。特殊メイク業界最高のスタッフが集結し、再現されたモンスターの数々(いちばん怖かったのはルースのエピソード)、ベローズ家の荘厳な幽霊屋敷等、視覚的に“おどろおどろしい”世界を完成させた。実世界に居場所がなく、物語世界に迷い込んでゆく(しか術のない)少女ステラの切実さも、シックスティーズのなつかしい世界観に合っている。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
映画好きであれば誰でも子供の頃観てトラウマになっているホラー映画のシーンがあると思うが、私の場合は「ポルターガイスト」の顔を洗っていたら皮膚が?がれていく場面がそれ。本作は、児童文学の映画化ということで、そういった子供心に忘れられない恐怖シーンがてんこ盛りだ。もういい大人なので、そこまで怖がることはなかったが、後半、プロデューサーのデルトロらしい恐怖と笑いが一体となった悪夢のようなシチュエーションがあり、それだけでも観る価値はある。
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現在地はいづくなりや 映画監督東陽一
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映画評論家
川口敦子
昔、日本映画は暗くて重くてなどと脳天気に広言していた大学生の頃、新藤兼人の「ある映画監督の生涯 溝口健二の記録」と出会い蒙を啓かれた。溝口は無論、彼を語った面々に、彼を撮ろうとした新藤に、そうして日本映画に少しでも近づきたいと興味をかき立てられた。同様のそそのかしの力をこの誠意に満ちた一作も感じさせる。しかも監督東自身の言葉でその“現在地”を確かめさせてもくれる。ギターの少女を章ごとに挿む趣向への疑問は最後の「知らん顔」の清新さにやや薄らいだ。
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編集者、ライター
佐野亨
学生時代に「日本妖怪伝 サトリ」を観て以来、東陽一という監督が気になっていた。日本映画史において、きわめて重要な作品を撮ってきたひとである。にもかかわらず、つねに真ん中にはいない。キャリア的には巨匠といわれてよいが、どうもその呼称が似合わない。そんな東陽一のドキュメンタリーができたと聞いて意外の感があったが、観て、腑に落ちた。真ん中にいない、ということが、つまり東陽一の「現在地」なのだ。いや、ずれているのは、この日本社会のほうかもしれない。
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詩人、映画監督
福間健二
東陽一とは何か。気さくに語る姿を見て、作家論的なことだけでなく、自分がなにかを取り逃がしてきた気がした。映画で「言いたいことなどない」。変化する社会のなかの、一作ごとの出会いと工夫があるだけなのだ。作品の断片の挿入が決まり、異なる質の聡明さをもつ三人の女優との対話が楽しい。小玉監督、愛があるのだ。安藤紘平による解説以降のまとめ方がややくどいが、半世紀以上の奮闘の持続からすれば当然とはいえ、これだけのものを作ってもらえる監督は滅多にいないだろう。
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ソン・ランの響き
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映画評論家
小野寺系
芸道ものやヤクザの哀愁といった古めかしい内容にブロマンス要素を掛け合わせたことで、現代的な文脈で見られる映画になっている。写真家として活躍する監督ということで、画面の色や、とりわけ静止画としての映像の美しさが際立っているところが肝か。その反面、脚本にはひねりがなく予定調和的で起伏に乏しい。ファミコンソフト「魂斗羅」二人同時プレイで、主人公たちの友情が深まる描写は、同じゲームを当時友達とプレイしている者としては嬉しくなってしまった。
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映画評論家
きさらぎ尚
ベトナムの伝統的な歌劇を組み込んだ友情のドラマは、主人公の陰影に富むキャラクターと、ストーリーの運びがポイント。借金の取り立てが生業のユンが見せる、非情で暴力的な表向きの面と穏やかな内面がよぎる、一瞬の演技が素晴らしい。もう一人の主人公リン・フンが開演前に化粧をする時の陶然とした表情は、どこかウォン・カーウァイ監督作におけるトニー・レオンを思わせる。これを男性の友情とするには、二人の感情が発する微熱に、心が騒ぐ。結末に至る手際の良い展開が秀逸。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
画の質感、フレーミング、カッティングのどれもが映画的としか言いようがないもので、開始早々から傑作の予感に胸膨らませ、事実、中盤までの流れは素晴らしく、今の時代にこういう古典的でありながらも力強い映画作りを実践しているこの監督に全幅の信頼を寄せながら観ていたのだが、二人の男が心を通わせ始めるあたりから、どういうわけか映画が急激に失速した感触になり、終盤に至っては劇中歌劇に尺を割きすぎて、本線の方がいささか陳腐な着地をしてしまっているように感じた。
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COMPLY+-ANCE(コンプライアンス)
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映画評論家
川口敦子
20年1月24日の試写の時点で、未完ゆえ公開時には別のものとなっている可能性もといった前口上があり、それでは見ても評しても空しくはないかしらとちょっとムッとし、しかし鑑賞後にはぜひ別のものになってと切望した。同じく斎藤工が企画・製作した「MANRIKI」の時にも感じたことだが、思いつきだけ、仲間内の盛り上がりだけで形にした何かを映画とは断固、認めたくない。自己規制に縛られた世界の今を撃つ志を伝える術を練って欲しい。ノーといえる仲間をみつけて欲しい。
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編集者、ライター
佐野亨
岩切一空監督のパート。「聖なるもの」でも瞠目させられたワンショットの吸引力、今回も健在。このパートが最後にきていたら、全体の印象はもっとよくなったような気がする。それくらい残りの時間は苦痛だった。とくに齊藤工監督のラストパートは、このテーマに対して、考えうるかぎりもっとも凡庸なアプローチをしているとしか思えない。これなら80年代のコントビデオにはるかに斬新なものがいくつもあったし、それこそ影響を与えたらしいスネークマンショーの洗練とは程遠い。
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詩人、映画監督
福間健二
七〇分。キズ入りフィルムを装うなどのイメージ部分を除くと正味どのくらいか。この短さで、構成が雑だ。齊藤工は総監督、一部を撮っただけで、ゲスト監督がオムニバス的に仕事している。監督ってどういうものだと思っているのか。自主規制のアホらしさがテーマ。それを笑う前にすべきことが多々ありそうだ。メディアと現在にぶつかって風刺や抗議を成立させるための、この世界への愛がなさすぎる。相対的に、インタビューされるタレントを演じる秋山ゆずきに「経験」を感じた。
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スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼
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フリーライター
須永貴子
前作が大ヒットしたという情報だけを入れて鑑賞。導入から、前作を知らなくてもついていける親切設計。言い換えると、キャラクター造形、芝居、BGMのすべてがデジタルで紋切り型。お笑い芸人の使い方は特に雑で、アキラ100%が扮する警察署員が、脱獄犯に制服を奪われて裸で倒れている横に銀色の丸盆が転がっている光景には目を疑った。ずん飯尾とアルコ&ピース平子への演出も残念の一言。観客を欺くことを目的にミスリードするオープニングの演出も反則!
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
「ボヴァリー夫人」を書いたフロベールは言う、「神は細部に宿る」。ヒッチコック曰く、「ディテールがしっかりした映画ほど年月に耐えうる力を持っているものだ」。あんなにナイフで刺しているのに、ぜんぜん返り血を浴びないなんて、あり得ないでしょう? いくら飴を尖らせて吹いたって、目に刺さるわけがない。制服・制帽で扮してたって銀髪頭は隠せない。誰も怪しまないって、変じゃね? そんなディテールの不可解が目立って仕方ない。名監督にも「筆の誤り」なんだろうか?
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映画評論家
吉田広明
前作の刑事と獄中の殺人鬼が協力して新たな敵に挑む。「羊たちの沈黙」みたいな展開で確かに見ている時点では次々生じる展開に最後まで面白く見せられるのだが、冷静になって考えてみると疑問点が多々(結局なぜ白石が狙われねばならなかったのか、ハッカーが自分のPCのカメラは封じていないのか等)。ネタバレサイトを見て、不覚だった設定の深さに改めて感嘆する場合もあるが、これは意外な展開先行で穴が埋め切れていない感じ。殺人鬼も強烈ではあるが惹きつける魅力はない。
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プレーム兄貴、王になる
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映画評論家
小野寺系
あえて“王道”、“インド娯楽映画”らしい映画を提供するという試みが清々しく、ダイナミックな映像や演出が楽しい作品だし、そういった時代錯誤的な要素を自虐的に指摘してみせる描写もあるが、それでもさすがにストーリー展開が型にはまり過ぎなのでは……。古典的な内容が、いまの時代や社会の問題につながりを見せる瞬間がこないままに終わってしまうので、どうしても空疎な映画に感じられてしまう。王女役のソーナム・カプールの神々しいまでの美貌には圧倒された。
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