映画専門家レビュー一覧
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グリーンブック
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映画監督
内藤誠
音楽史に残る黒人ピアニスト、ドン・シャーリー(マハーシャラ・アリ)と彼に運転手として雇われて、アメリカ南部を旅するトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)のコンビが絶妙だ。ニューヨークのコパカバーナに始まり、行く先々のクラブで音楽がたのしめ、ロードムービー独特の風物もいい。トニーの息子、ニック・ヴァレロンガが父から聞いた実話を脚本化したもので、こまかいエピソードが面白くて笑わせる。しかし1962年の南部の黒人たちの姿は哀しすぎて、怒りをおぼえる。
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ライター
平田裕介
主人公ふたりが車で回るのは米南部だが、その片方は黒人。時代は60年代初頭。どうしたって辛いシチュエーションが続くわけだが、その合間に同国ならではの国土だけではない懐の広さ、風景だけではない美しさも映し出す。実際に足を運んで目にしないとわからないアレコレを彼らの旅を通じて教えてくれる、ロードムービーとして極上の作品。黒人の大好物=フライドチキンのエピソードを筆頭に、差別や偏見の芽となる先入観を笑いと涙の双方で活かすP・ファレリーの手腕はお見事。
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空の瞳とカタツムリ
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評論家
上野昻志
自宅のドアノブにも直には触れられず、執拗に手を洗い、浴室の床もまずシャワーで洗わずにはいられない潔癖症の女と、男となら誰とでも寝るが、それも一回限りという女との微妙な関係は、女性脚本家ならではの繊細さで描かれているが、三浦貴大演じる男との関係が、いまひとつわかりにくい。元は、三者が一体の関係だったというのだが、画面からは読み取れず、そのわりに、ベッドシーンなど妙に説明的なショットがあって、関係の解体=解放に向かう時間の流れを停滞させている。
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映画評論家
上島春彦
過度の潔癖症というのが脚本アイデアの出発点らしいが、そこからむしろ逆の極に跳躍して、不思議な関係の女二人の奇想を紡ぎ出した脚本家の手腕に舌を巻く。タイトルにあるようにカタツムリの恋矢もヒントになっている。傑作「風たちの午後」とは異なり、ヘンな二人を中心にして、周囲の人がまともなのも救い。それにしても、アトピーの美少年が金井勝や藤田敏八の映画で活躍したむささび童子を連想させたのも不思議。ピンク映画館のたたずまいが撮影や雰囲気含め絶妙なのも嬉しい。
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映画評論家
吉田伊知郎
企画に名前を連ねる荒井晴彦の名を意識せずにはいられないが、お得意のグチャグチャした三角関係の世界が屈折することなく荒井美早に継承されていることに驚く。硬質な台詞といいロマンポルノ時代よりも、最初期の脚本協力作「噴出祈願 15歳の売春婦」を思い出すが、空疎な台詞があふれる時代には、この観念的な台詞が良くも悪くも際立つ。潔癖症のディテール、3人の関係性の変化が飽きさせず、濃密な時間を堪能する。「21世紀の女の子」の監督たちなら、どう撮るだろうか。
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母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。
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評論家
上野昻志
倍賞美津子さんを、久し振りにスクリーンで見られたのが、なによりも嬉しかった。それに対して、中心になる安田顕がなあ……。決して下手な役者じゃないと思うのだが、ここでは、初めから終わりまで変化が感じられないのだ。役柄もあるけれど、妻を亡くした石橋蓮司が、とりわけ何かをするわけではないのに、その悲しみを微妙な表情で見せるのに較べて、なんとも単調で。松下奈緒にしても、決して上手ではないが、安田を励ましたりしているところは、それらしく出来ていたのに、惜しいね。
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映画評論家
上島春彦
ショッキングなタイトルだが中身はまともなのでご安心下さい。まともすぎるというかストレートな母親賛歌になっている。子供から見た母親像の変化は年齢と病気によるもので、心情自体は変わらない。要するに甘えん坊。それでナレーションが多く説明的になり、星を控える結果となったものの基本的には満足。昔、授業で「遺骨を食べるのは法律的には犯罪だが民俗学的にはそんなことはない」と教わった。息子さんもちゃんと実践している。オチがあまりに意外だが得した気分だから良し。
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映画評論家
吉田伊知郎
脚本の手習いをしていた時、ト書きに〈思った〉と書いて怒られたことがある。思いは撮れないと。本作ではそれを1本の映画を通して描くことで納得させてしまう。大森立嗣だけあってベタなマザコン映画にしかならないような話を抑制した演出で見せきる。配役を見れば感情過多な演技に辟易させられることはないと察することが出来るが、安田や石橋が妻や母を亡くした悲しみをどう見せるかを期待していると、大森らしい少々破天荒な形で描き、それに役者たちも見事に応えている。
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ねことじいちゃん
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映画評論家
北川れい子
「岩合光昭の世界ネコ歩き」は、見逃したくないテレビ番組の一つ。ネコ目線の低いカメラワークと“いいコだね”というネコへの声かけが妙に心地よく、いつまでも観ていたくなる。その岩合さんの初映画、やはりというか、人間たちの話はどうでもいいように思えて。いや、大した話があるわけではなく、ネコと暮らすじいちゃんの日常と、ご近所さんのあれこれのエピソードがスケッチ風に描かれるだけなのだが。妻が遺したレシピの再現とか、小ジャレたカフェの話もネコの邪魔、邪魔……。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
身近な愛玩動物でも猫のほうが犬よりも目鼻口の配置が人間に近く、さらに自発的な行動をすることが認められていて、擬人化だったり人間的な感情の仮託をなしうるところが猫の魅力かなと思われるが本作もそういう猫の可能性が炸裂。老年期生活問題をも扱うがそこで浮上するのは猫の去り方だったり。と、同時に長年猫を撮ってらした方が監督をしてるせいか、そこに還元されない小さな野性動物としての猫アクションのダイナミズムもあった。猫アングル、猫パン、猫移動撮影が多数。
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映画評論家
松崎健夫
“ねこ”は自由奔放だ。そのことを視覚的に表現するように、ドローン、ドリー、手持ちといった手法を駆使。また、“ねこ”の目高や人間の目高にカメラ位置を自由に据え、猫のPOVを実践するなど、撮影手法や構図も自由なのだ。同時に本作は、“ねこ”や“食”を題材にした類いの映画のフリをした社会派作品でもある。コミュニティ機能と長閑な自然が残る離島を舞台にすることで、社会の過疎化、高齢化、医療のあり方などの現実の社会問題を物語の中へ巧妙に滑り込ませているのだ。
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凜 りん
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映画評論家
北川れい子
“神かくし”伝説が残る地方が舞台の青春群像劇で、サスペンスふうな仕掛けがあるところなど、さしずめ又吉直樹版の「スタンド・バイ・ミー」。けれども中学生の話ならまだしも、彼ら5人は高校生で、それにしてはキャラクターもエピソードも幼稚。語り手役の佐野勇斗以外はみな、自分や家族のことで悩んでいるのだが、その悩みも手垢がいっぱい。ある事件が起きての真相もいきなり感が残る。でもでも一番不可解なのは「凛」というタイトルで、又吉サン、何を気張ってんだか。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
またも青春探偵だが嫌いではない。ティーンにとっては人生がそもそも謎だから。これはラノベ文化がなかった頃は赤川次郎の多作さのなかに紛れて現れたりしていたものだった。本作に関していえばそれにプラス、その少年たちが幾分か容疑者らしかったり、いわゆる信頼できぬ語り手だったりするところがある。全体的に粗いが暗い青春ものは許せる。また吉本興業の映画製作レーベルはもうかなり本数を重ねて成果を生みつつある。それは次回の本欄、二本の女性映画に即して述べたい。
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映画評論家
松崎健夫
須賀健太が演じる大仏は、仲間たちに対して時折“なぞなぞ”を投げかける。その“なぞなぞ”の答えには、設問の中に解答を導く“言葉”が隠されている。表面的には謎に思えるようなことも、実は「答えは既にそこにある」という構造。これは、本作に登場する少年たちの知られざる家庭事情や内面、村に残る“神隠し”伝説の真相のあり方にも似ている。つまり、相手をよく観察し、真摯に向き合ってみれば、〈謎〉などないのだと、最後に投げかける“なぞなぞ”で結実させているのだ。
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サムライマラソン
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評論家
上野昻志
見終わったとき、思わず、この監督、ヘタッピー、と呟いてしまった。だって、そうでしょ。話は一応、ちゃんと出来ているし、キャスト陣は豪華で金もかけているのに、サスペンスも緊張感もほとんど皆無で、間延びしているのだもの。それを端的に示しているのが、江戸からの刺客の一群を片付けたあと、森山未來や佐藤健たちが、危機が迫る城を目指して一団となって走るところを正面からのスローモーションで延々と繰り返す画面だ。まるで城に行きたくなくて足踏みしているみたいなのだ。
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映画評論家
上島春彦
大映の旧「まらそん侍」リメイクかと思ったら違った。本邦最初のマラソンという実話にインスパイアされた原作からの映画化で大作路線。地方の小藩と、それを潰し飲み込もうとする幕府の駆け引きが根底にあり、賢い藩主の権謀術策が効いている。ネタバレなので多くは書かないが、潜入している幕府のスパイをあぶりだす、という目的故のイヴェントと分かる。出発地点でのキャラクターが走っているうちに(良くも悪くも)変化していく、これが見どころ。小松菜奈のお姫様もキュート也。
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映画評論家
吉田伊知郎
空転・失笑・豪華キャストの無駄遣い。原作未読だが「超高速!参勤交代」の作者だけに軽妙な語り口が相応しいと思われる題材を「ラストサムライ」風に描き、ペリーが少し顔を出す以外は日本人しか出ない話を英国人監督に撮らせて脚本や演出面でも好き勝手にさせては、破綻するのは必然。監督がアドリブを奨励したらしく、てんでバラバラの演技が散乱しまくり、竹中直人の悪ノリがとどめを刺す。同時期に同じ庄内映画村で撮影したのが「斬、」だと思うと、映画ってコワイですねぇ。
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ビール・ストリートの恋人たち
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ライター
石村加奈
なんにも解決しないまま「FIN」を迎えるストーリーに、やるせない気持ちが残る。「人間の違いは母親が違うだけだ」という台詞があったが、子供のために颯爽とプエルトリコに乗り込んでいく、偉大なる母の愛と、盗品を売り捌いて、金(母の旅費も含む)を工面する、せせこましくもリアルな父の愛の対比にも、もやっとさせられる。ファニーと母親の断絶についても気になるところだ(原作未読で反省)。“一人前の女”になっていくティッシュの変化をファッションが巧く表現している。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
撮影監督J・ラクストンがNYハーレムの街頭をスタイリッシュに切り取り、N・ブリテルが心揺さぶるムーディな吹奏楽を用意する。ここには映画を傑作たらしめる要素が充満しているぞ。いやちょっと待て。もう一人の筆者が注意を喚起する。トランプ政権下、黒人抑圧を告発する物語は意義深い。しかし無垢を絵に描いた可憐な主人公カップルのキャスティングをはじめとして、ここには、目を瞑ってはいけないクリシェも充満していないか。あえてそこを問いつつ鑑賞してほしい。
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脚本家
北里宇一郎
無実の罪で黒人男性が収監される。恋人と家族が留置所から出すために奔走する。そういう映画かと思った。が、映画は彼と彼女が愛を深める描写がかなりの分量でカットバックされて。そうか、これはラヴ・ストーリーなのか。それゆえ二人の受難が際立つんだと頭では受け止めても、どうも納得できず。嘘の証言をした女を母親が異国まで行って探し当てる。そのために双方の父親たちが苦労して金を稼ぐ。そこが断片の挿話にしか見えない。この監督、前作もそうだったけど、脚本が弱い気が。
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