映画専門家レビュー一覧

  • おっさんのケーフェイ

    • 映画評論家

      松崎健夫

      幼少期の僕は、某特撮番組の主人公の瞳が父にとても似ていたことから「もしかすると正体はお父さんかも知れない」と妄想を膨らませていた。そこには「番組を放映している時は必ず父が不在」という餓鬼なりの裏付けがあったのだ。虚構と現実の境界線が理解できなかった過日、己の周囲に存在する世界も限られ、目の前にある情報と情報を結びつけることでしか“虚構と現実の境界線が曖昧な現実”を導けなかったのだ。本作ではその境界線としてプロレスを機能させている点が素晴らしい。

  • 金子文子と朴烈(パクヨル)

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      今年一番の衝撃作の登場。戦争で300万人の命が失われた日本では、誰もが戦後に被害者の顔をしてきた。だが戦前の大日本帝国は、アジアへの植民地侵略で2000万以上のアジア人を殺害したといわれる。本作で関東大震災のときの朝鮮人虐殺を訴え、あえて皇太子殺害計画を自白した朴烈や金子文子のいうように、侵略された側からすれば巨悪は日本政府と軍部であり、民族独立のために彼らが戴く王=天皇や皇太子の殺害を願うのは当然なこと。虚をつかれたが、再考に値する主題である。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      映画に描かれる隠蔽のメカニズム。いまだから、主題の主人公ふたりの愛と闘いとは別の、恐怖心が立ちのぼってくる。公文書改ざん・隠蔽に統計不正。民主主義を脅かすこれらの不都合な出来事と、映画のエピソードが重なる。加えて今日の日韓の間には新たな難題も。過去の出来事が現代をも照らし出す場合は少なくないが、この映画は1923年当時の日本と韓国の関係を、宗主国と植民地といった典型的な対立構造で描いてない。その狙いやよし。いま(だから)インパクトが増す映画である。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      金子文子を演じたチェ・ヒソがとにかく魅力的。幼少期に日本に住んでいた経験もあり、日本語のレベルも桁違いだ。それに負けず劣らずの健闘を見せたイ・ジェフンも除隊後の出演作では久しぶりに生き生きとして見える。事実関係をふまえた上で公正な温度を保った人物造形と作劇。日韓関係が絡むだけに敏感になりがちなテーマだが、テレビと映画のいいところを取ったような作風で、ルックはリアルよりも朝ドラや大河ドラマのような清潔さを保っているので、作品として見やすいのでは。

  • 盆唄

      • 評論家

        上野昻志

        双葉町の盆唄から、ハワイはマウイ島のボンダンスへ。歌と踊りが、太平洋を越えて出会うが、それは、ほんの序の口。本作は、盆唄を軸に、〈別れの磯千鳥〉や〈浜辺の歌〉、さらには〈ホレホレ節〉といった歌を招き寄せるばかりではなく、時空を往還して、ハワイの移民から相馬移民まで、さまざまな移民の物語を紡ぎ出していくのだ。それにより、原発崩壊で故郷を追われた人たちはむろん、さしあたって現在地に安住しているわれわれもまた、移民の末裔にほかならぬことに思い到るのである。

      • 映画評論家

        上島春彦

        試写状に福島とハワイの交流、とちらっと記されており最初にその件が描かれてしまって「もつのか、これ?」と危惧したわけだがもった、どころか大満足である。原発被災のせいで離散した集落、その絆を、盆唄と踊りの復活で取り戻す試みにカメラが密着。集落の起源をたどって北陸に舞台が飛んだり紙芝居になったり、意外な広がりを持つ。クライマックス、集落ごとに違う盆唄が立て続けに歌われる展開を聴いていると、赤の他人の私にすら、様々な感慨がこみ上げてくるのを禁じ得ない。

      • 映画評論家

        吉田伊知郎

        声高に叫ばないのがいい。悲惨な状況を殊更に強調したり、無理矢理希望を持たせる作りでは白けるが、避難住民たちの達観した姿に寄り添い、先の長い道のりに少しばかりの明りを灯す。中盤のアニメーションで語られる相馬移民の挿話が、戦前のハワイ移民と現在の避難民に重なりあい、今もまた長い歴史の只中にあることを実感させる。唄で躍動させてきた中江裕司が撮ると俄然盆唄が際立つ。最初は普段のひっそりとした声から抜け出せなかった唄い手が、やがて大きな歌声を響かせる。

    • 笑顔の向こうに

      • 映画評論家

        北川れい子

        製作は日本歯科医師会。が、この作品、いったい何を描きたかったのか。新人の歯科衛生士がデンタルクリニックに初出勤するシーンからスタートするが、入り口は間違えるし、院長やスタッフとも初対面らしく、いったいどんなツテで就職したの?しかも話は若手歯科技工士とその父親との技術を巡る確執に移行、そうか、技工士たちはこんなに頑張ってますよってワケか。?みあわせの悪い義歯を巡る患者のエピソードも凡庸で、とにかくとりとめがない。業界絡みの青春映画としてナットク。

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        ある独自の技術や職能を描く業界もの映画はまず撮るネタが自然とそこにあり、それはそもそも映画となる必然を持っていて、映画として成立しうる道理。歯科技工士の役をやってもその清潔感から観る者に拒否反応を起こさせない高杉真宙が爽やかに懸命にやりきる。彼に関わる年配者、先輩格のキャラクターが皆良い。厚みが出た。特にロマンポルノにも出ていた丹古母鬼馬二、日活ニューアクションのヒロインだった松原智恵子は円熟の存在感。あれ、遡行すれば本作は日活青春ものか。

      • 映画評論家

        松崎健夫

        人間関係の些細なズレは、歯の?み合わせの微妙なバランスにも似ている。それは、人間関係における摩擦が和解を導くように、歯も心も次第に“カド”が取れてゆくからだ。また、?み合わせが人によって異なることは、人の“個性”を描こうとしているようにも見える。歯科を主たる舞台にした映画は数少なく、珍しい題材である。但し、エンドロールの最後が監督名ではなく歯科医師会のクレジットであることの是非は問いたい。映画は誰のものなのか、そして誰に向けて作られているのか。

    • トラさん 僕が猫になったワケ

      • 映画評論家

        北川れい子

        中学生役でも演じられそうな童顔・北山宏光の何とも薄っぺらな父親役に、はなからオママゴトごっこをしている印象がして、シラケてしまう。死んだあと、猫のコスチュームで現れると、更にオママゴト度が加速、幼稚園の仮装劇? 妻と娘はふつうにマジメなリアクションで進行していくだけに、そのバランスのワルさ、子ども騙しもいいところ。いや子どもだって騙されん。昨年の「猫は抱くもの」にもコスプレ猫たちが登場していたが、今回はもっとチープで、北山宏光のファン向け!?

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        失礼だが意外と趣味が良い映画なのに驚かされた。とても楽しく観た。その趣味とは、擬人化された白猫の姿の飯豊まりえがまるで「ハンドラ」の毛皮ブーツのローレン・ランドンのように見えるということではなく、ある泣きの場面で役者が泣くのでなくその顔に窓ガラスを流れ落ちる雨滴の影を投げかけるとか、泣き笑いの状況で人物に指で口角を押し上げさせるあの有名な仕草をさせるとかのこと。クライマックスがひたすら漫画を描くことで、だがそれがちゃんと感動させるのもすごい。

      • 映画評論家

        松崎健夫

        主人公は“売れない漫画家”という設定。賭博に明け暮れているにもかかわらず、生活がさほど荒んでいない。それは、家族で住む部屋が整理整頓され、清潔感が漂っているからだ。つまり、多部未華子演じる妻がしっかりしている由縁を、美術によって表現しているのだ。そのことは、夫を失ったことに対して気丈に振る舞う“強さ”の裏付けにもなっている。本作は漫画原作モノだが「美女缶」(03)や『ロス:タイム:ライフ』で“限られた時間”を描いてきた筧昌也監督に相応しい題材だ。

    • フォルトゥナの瞳

      • 映画評論家

        北川れい子

        百田尚樹の原作は知らないが、映画はライトノベルならぬライトSF系で、つい引っ張られるままにズルズルと最後まで観てしまったが、そんな自分が腹立たしい。“死を目前にした人間が透けて見える”という設定。しかも寿命や自然死ではなく“事故絡みの死”限定。そんな眼力を持ってしまった主人公の戸惑いと責任感が、丁寧というか、くどくどと描かれていくが、飛行機の墜落事故を発端にした死の、そして事故の大盤振舞は、いくら映画の中のことでも気色ワルい。ヒロインのオチも。

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        有村架純は労働者階級のヒロインだと思ってる。坂元裕二脚本のドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』の印象が強いからか。贅沢ではないのに上品で、働き者っぽく、健康的なふくよかさがあって。案外他に人材のいないここにはまる役をやるとものすごい戦闘力を発揮する彼女だが本作もそれであった。加えて近年のアメコミヒーローものが抱える救済しきれぬ罪悪感の話も。ただラストのもうひとつ足したドンデン返し(原作に由来)は変。それを秘密にするなよ! と。

      • 映画評論家

        松崎健夫

        運命の女神の瞳が導く〈運命論〉は「自分さえ良ければそれでいい」という利己的な傾向をよしとする社会に対するアンチテーゼに見える。相手を“慮る”という言葉は、いつの間にか(本来の意味とは異なる用法で)“忖度”なる言葉にすり替わっている。予知能力や世界を救うというレベルではない「個人で出来る範囲のこと」が何であるかを考えさせながら、その均衡を揺らす北村有起哉の演技が出色。彼の発言が正論のようで違和感を覚えることは、観客に“慮る”意味を再考させるのだ。

    • 女王陛下のお気に入り

      • 翻訳家

        篠儀直子

        18世紀初頭のイングランドの宮廷を粉飾なしに映画化したら、現代人の目から見て当然グロテスクなものになるわけで、ましてや監督がランティモスであれば、人物の感情を拡大してそっち方向に振るのは観る前から明らか。実際、意図の染み渡った美術設計、広角レンズで空間の歪みを強調しつつのクイックパン、過剰で複雑なオーバーラップ等が、独自の世界を匂い立たせる。だが真に驚くべきは、展開の速さと人物の運動により、作家性の強いこの作品が、娯楽映画としても成立していること。

      • 映画監督

        内藤誠

        物語を左右するスチュアート朝の最後の君主、アン女王をオリヴィア・コールマンがすさまじい迫力で演じる。権力の頂点に立ちながら、痛風に悩む虚弱体質で、好き嫌いが激しい。内外ともに大変な時代なのに、政治に無知で自己中心主義。そこに、レディ・サラ(レイチェル・ワイズ演でチャーチルの祖先)とアビゲイル(エマ・ストーン演)というやり手の女官が登場し、3人の関係が宮廷絵巻の中で酷薄に描かれる。オーストラリアの脚本家とギリシャの監督だからこそできた物語と演出かも。

      • ライター

        平田裕介

        たとえ広大な宮廷が舞台であろうとも、いいようのない閉塞感と不穏なユーモアを醸すのはヨルゴス・ランティモスならでは。撮影のスタイルや構図、章立てを用いた語り口は「バリー・リンドン」を意識しまくっているが、これがまた彼の持ち味とマッチしていて悪くない。百合炸裂のシーソー・ゲームに固唾を飲む一方で、歴史もなにもかも動かすのは女だと痛感。エルトン・ジョンの『スカイライン・ピジョン』が流れるが、歌詞もチェンバロの調べも内容にドンピシャでお見事!

    • 半世界

      • 映画評論家

        北川れい子

        3人の男たちそれぞれに、妻役の池脇千鶴に、この町の人々やここに流れる時間に、気が付いたらしっかり同化、映画に向かって挨拶したくなった。特にオレたちは正三角形だと言いながら、二等辺三角形の底辺という立場で稲垣吾郎と長谷川博己をさりげなく支えている渋川清彦。渋川と父親役・石橋蓮司とのやりとりなど、もう絶品。阪本映画特有のガムシャラ性が健在なのも嬉しい。タイトルからも伝わってくる、生きるということの羞恥心もみごと。久々に味わう日本映画の秀作だ。

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