映画専門家レビュー一覧
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ちいさな独裁者
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批評家、映像作家
金子遊
終戦直前、ひとりの脱走兵が軍服を手に入れたことから、ナチスの将校になりすます。この作品を見ながら、映画の登場人物に対する観客の共感能力について考えていた。主人公が画面の中心におかれ、彼の物語が展開するなかで、脱走兵を取り締まる憲兵に出くわしたり、彼の素性がバレそうになったりする度に、あろうことか、わたしは唾棄すべき主人公にその場の窮地をのがれてほしいと祈っていたのである。このことは、権威を笠に着て虐殺にまで走る主人公以上に危険なことではないか。
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映画評論家
きさらぎ尚
権力と無縁の人間が権力の味を知ったらどうなるか。脱走兵ヘロルトを見れば一目瞭然。彼の[なりすまし]は救い難い反面、映画を面白くもする。この男の正体に気づかず、疑いもしない警備隊長、処刑に反対するも残虐行為を阻止できない収容所長。いずれも権力の前に無力。挙句、権力の快楽の行き着く先を遊興としていることで、猛毒入りの人間喜劇にも見える。1945年のドイツの実話が現代に重なり、監督の言葉「彼らは私たちだ。私たちは彼らだ」が痛い。いつの時代も人間というものは……。
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映画系文筆業
奈々村久生
第二次大戦末期、秩序の失われた世界で増長していく負の連鎖。たった一人のニセ者将校の誕生は「まぼろしの市街戦」や「小人の饗宴」を思わせるような倒錯した狂乱をエスカレートさせていく。彼もまた戦争の被害者だ、というのはあまりにも安直で、被害者と加害者は常に表裏一体だ。モノクロの陰影の効いた映像が写し出す深夜の集団射殺シーンは恐怖と虚無の極み。「フライトプラン」「RED/レッド」などでアクションとサスペンスの実績を持つロベルト・シュヴェンケ監督の真骨頂。
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アクアマン
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翻訳家
篠儀直子
さまざまな映画や伝説の楽しいパッチワーク。海底版スター・ウォーズが展開されるだけでなく、半神ヘラクレスにも似た境遇の青年アーサーが、ヘラクレスのように各地を冒険し、やがてエクスカリバーならぬ三つ叉の槍の引き抜きに挑む。こんなに何でもCGで作れてしまっていいのかという気もするが、ここぞというタイミングで必ず決めポーズみたいに投入される、圧倒的イメージの魅力に抗するのは難しい。活劇的には、シチリア島でのアクション・シークエンスの、空間の使い方が白眉。
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映画監督
内藤誠
地上と海底とにわたるアドヴェンチャー活劇なので、海底の動きがいかに撮影されているかが最大の興味。自然に見ることができたから、映像技術の進歩にまずは感動。配役もアクアマンとしては打ってつけのタフさをもつジェイソン・モモアと赤い髪を海中になびかせて動き回るメラ、アンバー・ハードのコンビは絶妙。冒頭からアトランティス王国の元女王としてニコール・キッドマンが妖しく登場するのも作品を面白くした。ウィレム・デフォーが主人公を賢人として見守り、映画は成長物語風に。
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ライター
平田裕介
『アーサー王の伝説』と「マイティ・ソー」をブレンドしたプロットだが、鱗を模したタトゥーに長髪というワイルドな風貌、言動すべてが不遜極まりないアクアマンのキャラに惹かれて気にはならない。それでもハリウッドスター版『浦島太郎』でも見ている気になるが、奥にヒロイン、手前にアクアマンを配したレイヤー的構図で斜面状の街を戦いながら駆け下りる長回しのパルクール的アクションを繰り出したりするので気は抜けない。イルカやシャチに乗って賢人ぶるウィレム・デフォーも◎。
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ファースト・マン
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翻訳家
篠儀直子
チャゼル監督の過去作はどれも、成否はともかく「俺はこれが撮りたかったんだ!」という声が聞こえてくるかのようだったのだが、今回は、「俺はこういうのも撮れるんだ!」と熱弁されているような気分。観客をエモーショナルに巻きこむ明確なストーリーラインが不在であることと、あたかも即興撮影であるかのような画面は、この映画をまるでドキュメンタリーのように見せている。接写の多さから来る閉所恐怖症的な感覚が強烈。一カ所だけワルツが流れるのは「2001年」オマージュ?
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映画監督
内藤誠
ニール・アームストロングの月面着陸については夢中になってテレビを見た記憶があるが、チャゼル監督のリアルな演出によりその舞台裏を知り、おどろいた。現代から見ればお粗末な設備で犠牲者も出しながら、宇宙飛行士たちは危険なミッションに挑む。ニール役のライアン・ゴズリングと妻を演じるクレア・フォイのコンビが説得力のある芝居で彼らの人間関係もよく分かった。クライマックスの月面着陸は光と影を巧く使って臨場感たっぷり。宇宙飛行の果たした意味は何か考えさせる作品。
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ライター
平田裕介
アポロ11号の月面着陸は、人類の誰もが知っている話。だからなのだろう、デイミアン・チャゼルはアームストロングの目にしか映らなかったもの、頭に浮かんだものだけをとことん再現して見せようする。従って臨場感はあるが、スペーシー全開といった高揚感のある画はなるたけ排除。それゆえに月面から地球を見上げるアームストロングといった「これぞ!」というキメた画に思いっきり鳥肌が出てしまうのだ。IMAXもいいだろうが、できるなら4DXでガタガタ揺らされて鑑賞したい。
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がんになる前に知っておくこと
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評論家
上野昻志
映画を期待して見る映画ではない。ただし、タイトルが示している内容を学ぶには、格好のテキストになっている。同じことを書籍の形で出されても、それほど訴求力はないように思う。という点では、一応映画というメディアを使ったのは正解だろう。とすれば、劇場での期限付きの上映もさることながら、各地の自治体の予防医療関係の機関にでも働きかけて、全国の公民館等で上映をするのが、いまだ知識を持たない人々への、がんに対する啓発として大いに役立つのではないか。
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映画評論家
上島春彦
最近盛んに二人に一人がガンになる、と保険のCMで脅かされ、多くの人がそれなりに考えているようだ。この映画のナビゲーターも脅かされたクチで、それが説得力を増している。細かい内容は書かないものの、個人が病気と共に生きる選択をしやすい社会実現に向けて、効果的な情報宣伝になった。特に自身も現在ガンであるという女医さんの生き方が良い模範である。病気を楽しめとは絶対言えない道理だが、にもかかわらず、なったらそれを楽しむしかない。それが病という生の本質である。
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映画評論家
吉田伊知郎
フィクションもドキュメンタリーも、がんとなると情感過多か、さもなくば胡散臭い話になりがち。基本的な知識を教えてくれる教育映画は少ないだけに押しつけがましくない提示には好感。最近も余命1年と宣告されて財産も処分したら5年経っても死ぬ気配がないという話があったが、個々の優先事項に応じたクオリティ・オブ・ライフの話は一聴の価値あり。執筆業も例に挙げられていたが、確かに書くことが出来れば気力は維持できそうな気が。女性の視点を多く取り入れているのが良い。
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眠る村
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評論家
上野昻志
このタイトルが、実に象徴的。というのも、まずは、「名張毒ぶどう酒事件」があった葛尾村が、奥西勝を犯人とする検察及び裁判所の決定に従い、以後57年、沈黙のうちに忘れたように眠っていること。そして、自供だけに頼った嫌疑を否定し、無罪判決を出した一審以外は、新しい証拠にも目をつぶり、自供を理由に死刑判決を下したばかりか、十度に及ぶ再審請求をことごとく棄却した日本の裁判所もまた、眠る村にほかならないのだ。この事件を執拗に追い続けた東海テレビに脱帽する。
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映画評論家
上島春彦
このテーマ、ドキュメント・ドラマ形式で製作された版を見ており、特に今回のものを高く評価する理由はない。ただ日本のムラ社会の闇と、警察組織の不正をたっぷり見せつけられて圧倒されることに変わりはない。気がかりなのは「真犯人は誰か」という点にあり、最初、冤罪で逮捕された男の亡くなった妻を被疑者としていたと判明する。警察は、犯人を生きた者の中から出すことに面子を懸けていたのかもしれない。そういう考えの人達が我々をいつでも逮捕出来る社会、それが日本なのだ。
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映画評論家
吉田伊知郎
東海テレビは繰り返し本事件を取りあげているが、今回は山を越えて村に入っていく冒頭から不穏な雰囲気が漂い、まるで「八つ墓村」。村人たちの心を開いて対話を重ねていくことで冤罪の背景を静かに浮かび上がらせ、ここが特別な村ではなく日本のどこでも起こり得ることを実感させる。地元局だけに豊富なアーカイブ映像を活用し、同じ村人のインタビューを過去と今を対比させながら自在に編集できてしまうのが強い。奥西さんの妹が半世紀ぶりに村を訪れる光景に胸を打たれた。
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誰がための日々
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批評家、映像作家
金子遊
ときどき、日本社会で生きていくこと自体に絶望感をおぼえる。「ここではない場所」ばかりが輝かしく見えるのだが、人びとがうわべの豊かさに飛びつき、互いに監視しあって心を病み、家族や友人関係が内側から崩壊しているのは、香港でも同じかもしれない。父と躁鬱病を病んだ息子が暮らす、ひとつのフロアを区切って貸しだす?房のせまい部屋と二段ベッドには驚かされる。だが古くはドヤ街、近年ではネットカフェと比べてみれば、その閉塞感は私たちと無関係ではないのだ。
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映画評論家
きさらぎ尚
母親の介護離職、孤立、母の死、躁鬱病、差別等々。いまや世界の多くの国に共通する社会問題を網羅したこの映画、見ていて苦しくなる。個人の努力ではどうにも出来ないいくつもの難事を抱えた主人公を、完治させる処方箋を安易に提示するのではないから。かといって、周囲の無理解を非難しているのでもない。ショーン・ユーとエリック・ツァン。息子と父親の演技は素晴らしいし、母や婚約者、アパートの住人のキャラの立て方もうまく、監督の新人らしからぬ終始冷静な演出を評価。
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映画系文筆業
奈々村久生
独立派の政党に圧力がかかり、大陸の影響下で自由が脅かされている昨今の香港。そんな気配の迫る片隅に生きる父子の物語。母親の介護に疲れ躁うつ病になり、社会のレールから脱落した主人公トンを取り巻く状況は、決して他人ごとではない。再就職も恋人との復縁も上手くいかず、病気を再発するトンに救いの手を差し伸べたい気持ちと、彼に関わる人々への同情は、まったく等価だ。そのとき家族はいかに機能すべきなのか。香港の町の底をどろりとたゆたうような波多野裕介の音楽がいい。
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ともしび(2017)
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批評家、映像作家
金子遊
本作を見ながら、70歳過ぎの老母のことを考えていた。両親は40年以上連れ添っているが、ある日、入院や死や収監で夫を奪われたら、このような生活ではないだろうか、と。監督はわかりやすい会話や物語を捨てて、シャーロット・ランプリングの存在感と映像によって語ることを選んだのだと思う。主人公がパートに行って、演劇教室やプールに行くだけの日常を描いているのに、キレのいいカット割と周囲の光景を巻きこむカメラワークが、言葉にならない彼女の感情の襞を表現している。
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映画評論家
きさらぎ尚
S・ランプリングの新作とくれば、“どんな女性を演じているか”の期待が募る。今回は孤独の闇を知覚した高齢の女性。つましい一人暮らしで、息子にきっぱり拒絶され、まるでカメラに感情をぶつけるように、号泣するシーンは衝撃的。説明のセリフも描写も最小限に止めたこのドラマで、ランプリングは若くない肉体を晒して、一人で生きる冷え冷えとした孤立感、そして生き直す強さを創造した。気配から闇へと、グラデーションのように濃くなる孤独感。女優と監督の信頼感が画面に溢れる。
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