映画専門家レビュー一覧

  • バーニング 劇場版

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      ポン・ジュノ、パク・チャヌクからホン・サンスまで、現代韓国映画界は重軽硬軟と豊かな人材を抱えるが、なかんずくイ・チャンドンの圧倒的な存在感が、本作の登場によって改めて浮き彫りとなった。持てる者と持たざる者の対照性を際立たせつつ、それを単純な憎悪描写で終わらせず、マゾ的な蠱惑が満ちる。ソウル江南区の高級住宅街と、南北分断線の農村を往来し、途上の遺失物をひとつずつ吟味していくような、執拗にして茫漠たる演出。これはテン年代の「?嶺街少年殺人事件」だ。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      父親の怒りはボヤ。息子のそれは烈火だった。不条理な怖さがぼんやりと描かれた原作が、ひじょうに具体的になって。その背景には経済優先、格差社会という韓国の社会事情が。ヒロインが魅力的。マイルスのあの曲をバックに彼女がアフリカの踊りを舞う。その画面の哀しく美しいこと。小説家志望の青年の繊細。ビニールハウスを焼くのが趣味という金持ち男。その能面の不気味さ。男の2回目のアクビが青年の殺意を喚起した――この脚本・演出が見事。映画全体が官能に包まれて。感服。

  • 転がるビー玉

    • 映画評論家

      川口敦子

      渋谷が変わる――と、これは歩道橋の架け替え、井の頭線から遠くなった銀座線、新しいPARCOと、皮相的部分だけでも日々、実感しているけれど、この絶好のタイミングを映画に活かし切れていないのがもどかしい。変わる渋谷をまざまざと描いてこそ変われない青春が鮮烈に迫ってきたのではないか。それがないから3人の女の子の泣き笑いの日々は、青春映画の陳腐なパターン、花火、すいか割り、転がるビー玉と形骸化した夢の欠片の感傷に呑み込まれ、澱んでいる。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      この作品にかぎったことではないが、近年の少なからぬ日本映画では、役者の身体性を信頼せず、物語のカタにはめ込もうとする傾向が目立つように思う。この映画では、再開発によって変わりゆく渋谷という街と人物、およびそのなかにあるやがて壊されゆく部屋と人物との関係そのものが物語を転がしていくのだが、用意された空間のなかに人物を配置して動かしている、という以上の身体性が浮上してこない。役者陣(とくに萩原みのり)はよい表情をしているだけに残念だ。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      渋谷の試写室で見て、渋谷をよく撮っていると感心した。スタイリッシュ+なにかあるという期待どおりに、取り壊しを待つマンションで共同生活する三人の若い女性を見つめ、追いつめるところは追いつめる。宇賀那監督、「描く」だけでなく「言う」がもっと欲しい気もするが、ビー玉の出し方と逆ロードムービーの発想は買える。大昔の三人娘映画から明らかに進んでいるものがある。でも、まだヌーヴェルヴァーグに追いついてないという感じ。宣伝、「ささやかな」を強調しすぎかな。

  • デイアンドナイト(2019)

    • 映画評論家

      北川れい子

      聞けば脚本が完成するまでに4年ほどかかったそうだが、結果として「万引き家族」の二番煎じに近い、“窃盗家族”になっている。いや、たとえ「万引き家族」が先行しなかったとしても、設定や背景、人物にムリヤリ感があり、ストーリーにおけるその方便が観ているこちらにストンと落ちてこない。家族のため、弱者のためなら犯罪も、というのだが、社会の不条理や不公正さを俎上に乗せるのなら、頭ごなしではなくもっと足元から描くべきだ。ガランとした田舎町が舞台なのも実感を欠く。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      流麗な映像と陰鬱な出来事、泥臭く愚直な世界認識の主人公たち。一貫してそういう映画をつくっている監督藤井道人をひそかに応援しているが、本作、これはいったんじゃないか。昨年の話題作のひとつ「空飛ぶタイヤ」と同様の自動車の欠陥告発、リコール隠し、大企業対町の小さな会社(ほとんど個人)というネタがあるが、本作のほうの弱者が犯罪で抗しようとすることのヒリヒリ感と毒と狂気、“蟷螂の斧”感は苦い。敗残に甘えるのでなくそれは観客に渡される。広く観られてほしい。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      人間の二面性ともいえる善と悪の境界性が曖昧であることを、復讐の是非を問うことによって描いた本作は、あえて明確な答えを提示しない。ここで描かれているのは、醜聞に対する好奇の視線や血縁に依らない家族関係のあり方、あるいは格差社会の現実や現行法の限界など多岐にわたる。さらには、印象的に登場する風力発電の巨大な風車がエネルギー問題をも感じさせ、風車の回転の有無は物語とも同期させている。そして企画の背景は、役者にとって望ましい企画が少ない現状をも物語る。

  • 500年の航海

    • ライター

      石村加奈

      制作期間35年の大作らしく、ラストシーンが2度ある(!)という複雑怪奇な構成。頭を柔らかくして、拝見すべし(「幸福な国に歴史はない」というフィリピン人の言葉を引用した、本多勝一の名著『マゼランが来た』を読むのも効果的かと)。木彫りのイノシシをヨーヨーで撃退する寸劇があれば「世界はまるでヨーヨーだ」という格言もあり、ジュークボックスの前で陽気に踊る監督の母とエンドロールの歌がリンクしたりと、宇宙に委ねられた自由な世界の帳尻がピタリと合うから不思議。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      今年77歳となるタヒミックの映画作法はいよいよ無手勝流の極意に達し、本作の製作期間が35年間に及んだのも、本人曰く「宇宙の声を聞いたから」である。500年前のマゼランの世界旅行とタヒミック家の家族史が重なり合い、相異なる時空間が無秩序に(いや「宇宙の声」の秩序どおりに)乱反射する。だから現状の本作とて完成品とは限るまい。O・ウェルズ作品に未完成が多いのは映画史の悲劇だが、タヒミック映画が完成しないのは、愉悦と豊饒に満ちた生命の猶予なのである。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      恥ずかしながらタヒミック初見参。マゼランと世界一周航海をともにしたフィリピン人奴隷が主人公。さぞかしスケールの大きい画面が展開されると思ったが、裏庭で何やらゴチョゴチョやってる印象。そのかみの8ミリ作品を思い出す。が、そこに映画作りの原点を感じさせ。この監督、愉しみながら映画を撮ってるなあと嬉しくなる。なんか愛嬌があって。一方で欧米の世界観(と映画の作り方)に抗する反骨精神も感じさせ。ただし2時間半超えは長すぎ。時々休憩しつつのんびり眺めたらと。

  • 天才作家の妻 40年目の真実

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      文学の世界に限らず「権威」は虚構である。1901年から始まったノーベル文学賞だが、最初の10年は知らない書き手ばかり。それが、いつからか著名人が受賞するようになり、多額の賞金を支払う後ろ盾があらわれ、誰もがほしい賞になっていった。本作ではアメリカ人の小説家の受賞が決まり、妻や息子を連れてストックホルムへ行き、想像通りの授賞式が行われるが、不穏な影がつきまとう。去年が選考委員にまつわる疑惑のため不開催に終わったことを考えると、タイムリーな作品である。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      夫がノーベル文学賞を獲ったとなると、この上なくめでたい。だが、妻のゴーストライティングだったら……。内助の功は確かに愛情であり、主題はずばり愛と献身。出版界や文壇が男性社会だった過去も描いた物語から見えるのは、女性はややもすると結婚で才能や機会を、自ら諦めてしまいかねないということ。達者な俳優の共演でドラマの安定感に申し分はなく、祝福の声をかけられるたびに見せるクローズの複雑微妙な表情が主題を象徴。そして妻の決断は無論、単に過去の否定ではない。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      18年末に邦訳が出版された『82年生まれ、キム・ジヨン』は、女性が生きることの困難さを極めて冷静な筆致で掬い上げ、韓国では映画化も決定している。47年生まれのグレン・クローズが演じた本作のヒロインから事態は今でもほとんど変わっていない。劇中でクローズが幾度となく見せる、怒りと悲しみを理性でくるんだような複雑な表情がすべてを物語る。タイトルは原題のほうがいい。これは特殊な夫婦のケースではなく、すべての女性、そして「妻」という存在についての映画だからだ。

  • 二階堂家物語

    • 評論家

      上野昻志

      平成31年の春に、旧家の跡取りは男子に限る、なんて映画が登場したのに呆れた。昭和30年頃ならまだ通用したろうが、当時でも、まともな監督なら喜劇にしたはず。それを大真面目にやってる。極めつきはラスト。加藤雅也演じる当主は、惹かれて関係を持った秘書の沙羅(陽月華)が子供を産めないからと彼との結婚を断ると、それまで遠ざけていた美紀(伊勢佳世)を抱くのだ。これじゃ女は子供を産むための道具という話じゃないか。それを女性製作者のもと女性監督が撮ったのに絶句!

    • 映画評論家

      上島春彦

      これは絶品。跡継ぎを失った名家の家長とその母親の悪あがきを、あくまで正攻法、真正面から描く。昨今の風潮だと喜劇っぽくなりそうだがそうじゃない。見どころは多いが、とりわけ経営者一家と先代からの部下一家の関係が懐深くていいですね。愛憎関係と言ってしまうと愛より憎の方が強い感じ。これは愛情の方が中心。根は善人だが酷薄な加藤雅也社長が腹心の部下田中要次を左遷したことから起こるいざこざとか。日本映画らしからぬ繊細さで描かれる再婚候補者二人のてん末も優秀だ。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      クレジットを見なければ外国人監督が撮ったとは気づくまい。イラン映画との親和性を思えば納得するが、ニッポンを誇張するカットもなく、描写力の厚みが突出する。親族と地元の人々が勤める中小のファミリー企業を舞台にしているのが良い。社内の上下関係と、私生活での親子、隣人の二重関係がドラマを膨らませる。ただし、天皇制への目配せとは言わないが、跡取り問題はそれほど格式高い旧家に思えず、大仰に見えてしまう。石橋静河だからと不必要に踊らせるのもイタダケない。

  • ジュリアン(2017)

    • ライター

      石村加奈

      「シャイニング」からインスピレーションを得たというプレスの説明に納得。親権問題なぞぶっ飛ばすホラー映画だ。大柄なDV父親と車中という密室で何度も二人きりにされるなど11歳のジュリアンが置かれた恐怖のシチュエーションは震撼必至。自身の存在が息子を脅かすことに気づかぬ父とその状況を甘んじて受け容れる母(哀しい程自己中な両親)、恋に夢(逃避)中の姉、少年は孤立無援である。ラストシーンの、危機を救ってくれた隣人に投げた母親の鋭い一瞥まで、ただただおそろしい。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      冒頭は家庭裁判所の女性判事のバックショットから始まる。窓外を眺めるその姿から、「太陽のめざめ」(15)のような判事目線の社会派映画と思いきや、冒頭の判事はその後まったく登場せず、人を食ったフェイントだ。シリアスな内容を遊戯的に扱いたいらしい。離婚した父親のDV問題を、虚飾を排したリアリズムで淡々と撮っていると思ったら、徐々にサスペンスタッチとなり、あげくにはホラーのようになる。スタイルの変化を楽しめる人とそうでない人で評価が分かれるだろう。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      父が猟銃をもって母子を襲う。そこを、逃げ追っかけの鬼ごっこにしなかったこの演出。静けさの中にじわじわと怖さが滲みてくる。父親の役者が凄く巧くて、孤独の切なさをちらりちらりと匂わせる。ただのサスペンスではない。追いつめられた少年、それを誰にも明かさない孤独。母も娘も、どこか自己を抱えて生きている。そのみんなの孤独が積もり積もって爆発したようなクライマックス。止めは隣人の老女の寂しさ。人間同士のどうしようもない気持ちのズレ。それが滓のように残って。

7021 - 7040件表示/全11455件

今日は映画何の日?

注目記事