映画専門家レビュー一覧

  • ワンダーランド北朝鮮

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      サダム・フセイン時代のバグダッドで短篇映画を撮ったことがあるが、どこに行くにも情報省の役人がついてきて困った。多少の無理をしないとドキュメンタリーは撮れないが、本作の女性監督は国籍を韓国からドイツに変えてまで北朝鮮に入ったという。イラクもそうだったが、マス・メディアが流す独裁国家のイメージは偏っている。そこには必ず普通の日常があり一般庶民がいる。北の庶民が行う自給自足的で資源を循環させる生活は、私たちがなりたい未来の姿そのものであり、驚いた。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ベールに包まれた北朝鮮。普通の暮らしとその人々を取材したとするこの記録映画から何が見えるか。惹句の[これはプロパガンダか? それとも現実か?]が、言い得て妙。実はそこが不思議な国を記録したこの作品で知りたかったことだが、判断は難しい。全員ではないが、どこか演技じみた人も。部屋は整理整頓されて暮らしの匂いは希薄。それでも、経済制裁の影響や夢を語る繊維工場の女性リーダーと工員には素の人間性がにじむ。惹句が判断の難しさをストレートに指摘している。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      北朝鮮を取り巻く情勢が日々変化しつつある昨今、従来のイメージをベースに彼の国を描こうとすればかなりのリスクを伴う。しかし同国が圧倒的にマイノリティであることは依然変わらない。逆に言えば国土も人口もわずかな一国が国際情勢の一角を脅かしている。その中でさらにもう一つのマイノリティが女性という性だ。韓国出身の女性監督と北朝鮮の女性たちの対話は女性というカテゴリーにおいて普遍性を獲得している。かつて分断を克服したドイツ経由の制作であることも意義深い。

  • ハン・ソロ/スター・ウォーズ・ストーリー

    • 翻訳家

      篠儀直子

      状況説明もそこそこに始まる大活劇。明らかに第一次世界大戦映画を模している戦場シーンをはじめ、特に前半は、娯楽映画名場面集が超高速で展開されているかのよう。特撮にアナログ感を残しているのが嬉しく、虐げられた人々の闘いの物語になっているのもアツいけど、H・フォードじゃない人が演じていることを受け入れられるかどうか次第であるとはいえ、ハン・ソロが初めてミレニアム・ファルコン号の操縦席に座り、あの音楽が流れはじめたところから、やはり猛烈に感動してしまう。

    • 映画監督

      内藤誠

      ジョージ・ルーカス監督の「アメリカン・グラフィティ」に高校生として出演していたロン・ハワードがハン・ソロの青春物語を監督するというのだから感無量。オールデン・エアエンライク演じるハン・ソロはパイロット志望で銀河系を飛び廻っているが、恋人との間には第三の男が邪魔に入り、屈折も多い。チューバッカが支えてくれて、両者のやりとりがおかしい。映像と音楽、音響、美術が派手でスピード感のある演出だけれど、挿入される宴会や賭博の場面が銀河系の新風俗として楽しい。

    • ライター

      平田裕介

      出だしが監督の初期傑作「バニシング IN TURBO」していてアガるし、シリーズの西部劇精神を担う存在でもあるソロが主人公ゆえウエスタン的ムードも濃厚で◎。スピンオフこそ良い意味で壊れたものが観たいのだが、本線の「~最後のジェダイ」が本気で壊れていたので、そつなく仕上げるR・ハワードの起用は結果的に正解か。ただ、ヒロインが3年という空白に味わったらしい壮絶な日々、組織から足抜けできぬ状況などの描きが薄く、彼女をめぐるドラマが盛り上がらないのが残念。

  • 猫は抱くもの

    • 映画評論家

      北川れい子

      人間と擬人化した猫の話といえば、アニメ化された大島弓子原作の「綿の国星」があるが、今回は似た設定を実写化、これがどうにも歯が浮くような作品で、途中で逃げ出したくなった。擬人化した猫たちが集まって、自分たちを振り回す人間たちにあれこれ言うくだりなど、舞台劇ならまだしも、文化祭のイベントが紛れ込んだよう。落ち目のヒロイン役の沢尻エリカもプラスチック人形並みにツルンとしていて、その猫撫で声もシラジラしい。脚本、演出の変化球がスッポ抜けしたような作品だ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      これからの日本は戦後すぐの社会における復員兵やアメリカの退役軍人のような元アイドルという存在を世の中に大量に抱え込むだろう。自意識の戦場のヴェテランのPTSDは坂下雄一郎監督「ピンカートンに会いにいく」でも描かれた題材。本作は大九明子監督「勝手にふるえてろ」に匹敵、あるいは様々な仕掛けという意味ではそれを凌駕する面白い語り口の女性映画だがスタイルの突出がやや切実さを減じている気がする。水曜日のカンパネラコムアイが素晴しい。もっと映画出るべし。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      「心中天網島」や「ドッグヴィル」など“舞台的なもの”を映画に変換してきたという歴史は確かに古今東西ある。そして終幕に至るストーリーの?末を考察すれば、なぜこのような構成にしたのかも理解できる。だが、劇中番組やアニメ表現などによっても織りなされる実験性が、2010年代の映画として適ったものであるかは議論すべき点だと思える。沢尻エリカはかつてERIKA名義やAmane Kaoru名義でCDを出していたが、その確かな歌唱力を何気ない場面で確認できる。

  • ガザの美容室

    • ライター

      石村加奈

      「マグノリアの花たち」(89)や「パーマネント野ばら」(10)のような可愛いドラマにならないのは、クリスティンの美容院がガザにあるから。男を愛しく想いながら、オシャレに精を出す彼女たちがのどかに見えないのは、女たちの生活がすっかり戦火に巻き込まれているからだろう。「政治的な映画を作りたくなかった」という監督の思いとは裏腹に、小さな閉鎖空間に充満する戦争の匂いに息が詰まるリアル。新鮮なアプローチの戦争映画だと思う。女たちの映画として、続篇を強く希望。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      ここはパレスチナの美容室、外は銃声と爆発音。詰めかけた女性客の誰一人として終わらない。丁寧な仕事ぶりに定評ある店とはいえ、さすがにこれは微笑ましい。停電やら妊婦の陣痛やらが起きて混乱する店内から誰も外に出られない。カメラでさえも。ただしパレスチナ国家の、女性たちの閉塞性の表象が過度にシンボリックであり、ブニュエル「皆殺しの天使」のように大きな映画的逸脱はない。あくまで単純な図式性に収まってはいるものの、切羽詰まった迫真性には手に汗握る。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      パレスチナは対イスラエルの視点で語られることが多いが、内情も混乱していることが分かって。美容室、その一場の女たち。舞台劇と思わせて、カメラは自在に動き、編集が映画の呼吸を見せる。脚本は、やや典型。だけどそれが外国の私たちにも、一人一人の事情を分かりやすく伝える。政治、宗教、結婚、家庭、何もかもが男性主導で息苦しい。それに加えての紛争、内乱。もう我慢できない。その怒りと嘆きと哀しみ。言いたいことを吐きだした女たちの呻き。それがひりひりと肌に刺さって。

  • 告白小説、その結末

    • ライター

      石村加奈

      ヒロインが、クローゼットや地下室に閉じ込められるのでは? と勝手に身構えたことも含め(無論ポランスキーは原作以上にダイナミックに期待に応えてくれる!)、孤独な極限状態下の緊張を鮮烈に描く。同じ毒を盛るでも「ファントム・スレッド」ならば甘美な愛の行為だが、本作のそれは、かまいたち現象の如きあやしさである。オープニングとラストシーンのサイン会の対比が面白い。第三者用にサインを求める客が目立つ冒頭から、自分のために列をなすラストへ、と洗練された構成。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      O・アサイヤスの緻密な脚本(彼自身の監督作ではまず書かない類の緻密さだ)を得て、名匠監督が楽しそうにサイコサスペンスを演出している。「ゴーストライター」「おとなのけんか」「毛皮のヴィーナス」と近年のポランスキー作品はいずれも、小振りながら熟成された芳醇なワインのようだ。今作もそれに連なる好篇だが、気になるのが結末主義。それはこのクラスでは決して上等な話法でもないが、衝撃的結末で観客の度肝を抜くのも映画の一魅力として、まぁ良しとせねば。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      ごひいき、ポランスキーの新作。「反撥」「テナント」の系列で、しかも脚本がアサイヤス。両者お好みの不条理サスペンス。人気作家、同居人、ゴーストライター、入れ替わり、殺意の匂い。じわじわと女主人公を追いつめていく、その手つき、息遣いにこの監督の熟練の巧さを感じて、ぞくぞくする面白さが。だけどこの種の映画に付きもののモヤモヤした感覚。それが観念すぎというか胸にこない。少し型にはまった物足りなさもあって。どうもこの監督、奥方が主演だとひと味落ちるようで。

  • ブリグズビー・ベア

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      本作を周囲に口コミで薦めているが「子供の監禁ものはネットフリックスに多い」とか「80年代のSF番組を扱うのは最近の流行」といわれ、なかなか魅力が伝わらない。でも本当に泣けるのは、マーク・ハミル扮する誘拐犯が手づくりで教育番組をつくっていたり、洗脳された主人公が自ら映画版「ブリグズビー・ベア」を撮ったり、SFファンの想いがリレーされるところ。子どもの頃、チープでもいいから自分でSFを撮ってみたい、と誰もが思ったことがあるはず。心に沁みる作品だ。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      突飛な設定もさることながら、本当の両親と妹との生活が始まる中・後半にかけて、面白さがじわじわ盛り上がる。特に劇中番組『ブリグズビー・ベア』の制作を思い立ち完成させるまでの映画同好会風なノリは楽しい。事実、監督・脚本・主演が中学の同級生だそうで、なるほど、作品にどこかなごやか空気感があるのはそのためだったか。感動を押しつけずに、人や事との新しい出会いをちょっといい話として締めくくる清々しい結末まで、一貫してその空気感を保てたのがこの映画の値打ち。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      子供が自分の意思で教育を選ぶ自由や選択肢は限られている。にもかかわらず、受けた教育はその人がどんな人間になるかを決定づける。本作では地下室に幽閉された特殊なシチュエイションになっているが、生まれた国、住む場所、家庭環境、経済状況、親の方針などによって無数のバリエーションがある問題だ。だから私たちはみんな大人になったとき、ジェームズのように、自分の受けた教育を自ら疑い咀嚼し直す必要があるのかもしれない。そして家族の形にも正解などないということを。

  • 女と男の観覧車

    • 翻訳家

      篠儀直子

      ジニーの家のなかで展開される各シーンは、人物の動かし方も台詞の書き方も、まるで舞台劇を観ているかのようだ。実際、演劇の意匠や約束事がそこにはちりばめられているし、観覧車のイルミネーションは舞台照明のような効果を上げる。けれどもほかの場所で展開されるシーンには演劇性がまったく感じられない。このアンバランスさは意図してのことだろうか。一方で、ジニーが若さへの嫉妬と焦りをむき出しにするシーンでは、映画ならではの武器であるクロースアップが断然効果を発揮。

    • 映画監督

      内藤誠

      小説や映画を通じていまや我々にも懐かしい50年代のコニーアイランドが舞台。「ミッドナイト・イン・パリ」の郷愁はなく、冷たい現実が前面に。遊園地のレストランで働くケイト・ウィンスレットや回転木馬の操縦士を勤める夫のジム・ベルーシ、ビーチのアルバイト監視員で劇作家志望の恋人ジャスティン・ティンバーレイクたちがそろって挫折感を抱えた人間で、それがウディ・アレン独特のリアルさで執拗に表現されているからだ。とりわけウィンスレットは適役で、男が引いてしまう熱演。

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