映画専門家レビュー一覧
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オンリー・ザ・ブレイブ
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映画監督
内藤誠
森林火災消防隊のエリート「ホットショット」が2013年のアリゾナで、巨大な山火事に立ち向かったときの実話に基づき、まじめでキメのこまかい演出。スペクタクルな最終場面までは、隊員の地味で苛酷な訓練を丁寧に見せる。隊長のジョシュ・ブローリンと妻ジェニファー・コネリーの日常生活の描き方が巧く、「セッション」「ビニー 信じる男」のマイルズ・テラーが困難に挑む若者を熱演。隊員たちの冗談まじりの消防士生活に感情移入してしまい、空からの消火ミスがうらめしい。
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ライター
平田裕介
実録ものとはいえ、森林消防隊の物語。ゆえに凄まじい火災描写が待ち受けるのだろうと思ったら、規模は大きいものの火炎はおとなしいものばかり。森林消防隊の働きや山林火災がいかなるものかを真摯に捉えようとしているのだが、一番派手な場面が火だるまになって突っ走る熊を見たというJ・ブローリンの思い出話なのは寂しすぎる。主人公の成長や仲間との絆をめぐるドラマも、森林消防隊のわりには弱火チョロチョロという感じで終始盛り上がらず。面子が面子だけにもったいない。
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ゆずりは
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評論家
上野昻志
「おくりびと」や「おみおくり」と異なり、こちらは葬儀社の話。という次第で、次々と葬儀が出てくるが、それにバラエティがあるのがいい。とくに、柾木玲弥の新人が司会をする貧しい葬儀。最低ランクの棺なんて、身につまされる! ただ、説明不足というかわからないところがある。とくに社長の死因。救急車で運ばれて即、死ぬのだが、病因は何か? 心臓発作か何かかもしれぬが、遺書も含め、それらしい予兆や情報が皆無なので、まさか自殺じゃあるまいな、などと勘ぐらせるのはマズい!
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映画評論家
上島春彦
これからの世の中、葬式ばっかりになるわけだから、葬儀屋さんの仕事をちゃんと描く企画は望ましいが、常識が通じない物語では評価しようがない。どうして葬儀屋さんの新入社員が見も知らぬ故人のためのスピーチを引き受けるのでしょうか。それに主人公とこのチャラ青年の因縁話も取ってつけた感が強い。怒りに任せて葬儀をぶち壊しかねない振る舞いに及ぶのも困ったもの。主人公の家庭事情も支離滅裂で、奥さんの一件も説得力なし。困った時に人を殺す脚本(原作かな)にも大弱り。
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映画評論家
吉田伊知郎
コロッケが持ち味の表情も動きも止めてシリアスな演技派に転向するなんて森繁病かと心配になるが、感情を露わにできない抑圧が役と合致して好演。元々皺一つから自在に動かせる芸達者な存在だけに、動きを制限されるとその中で目一杯見せようとするだけに演技が引き立つ。「おくりびと」以降の葬儀屋映画のパターンに収まった作りとはいえ、過剰に挿話を盛り込もうとせず、主人公自身の抱える問題と上手く対比させながら型破りの新人社員との因縁も絡ませる作劇も無駄なく好感。
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ゲッベルスと私
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ライター
石村加奈
103歳の老女の顔を、右から左から上に下にと嘗め回すような、執念深い冒頭のカメラワークに「(ゲッベルスと)一緒に働いたという言い方はしたくない」という彼女の言葉の真偽に迫ろうという4人の監督の気迫が溢れる。ナチス党入党時のことを振り返る彼女の顔を、下から煽るように捕らえた挑戦的なカメラは「神は存在しない。だけど悪魔は存在するわ」と遠い目をして呟く彼女には優しい。ドイツ国民としての責任を率直に認める彼女の罪は、プロパガンダ相と同等ではないと思う。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
103歳老女の無数に刻まれた皺を強調するかのように、作り手はコントラストを上げたやや作為的な画調を選択する。ナチ中枢で秘書を務めた女性の述懐を聴いた筆者がこの話者に激しい軽蔑の念を抱いたとしたら、それは過剰反応だろうか。彼女は「自分は何も知らない小娘だった」と度々弁解するが、「知ろうとしなかったのは浅はかだった」とも認める。本作の存在意義は、この無自覚な加担者の浅はかさを、未来への教訓として記憶することに尽きる。私たちがこの老女にならぬために。
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脚本家
北里宇一郎
こういう映画を観ると、日本でもと思ってしまう。戦争の時代、軍人以外の国民はみな被害者だったって映画が多くて。「この世界の片隅で」みたいな。ポムゼルさんにとってあの時代は日常で仕事で生活だった。当たり前に生きていて、無意識にナチスに加担していた。戦争ってそういうことで、だから怖いってことを、彼女のシワだらけの顔が語って。独国民は終戦時に強制収容所の映像を義務的に見せられたのか。加害者として自覚させられたんだ。じゃ、日本は? といろいろ考えさせられて。
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母という名の女
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ライター
石村加奈
「父の秘密」「或る終焉」に続き本作でも監督のまなざしは、少女と呼ぶには十分女の、しかし女と言うには些か可憐な娘たちの生命力に注がれる(ゆえに原題も「アブリルの娘」なのだろう)。それは、ある物事に対して、物語を牽引するほど執着するわりに、対象への興味を失った後の、実にはかない大人たちとは対照的だ。過去2作から引きずってきた蟠りが、本作のラストシーンで晴らされた気分。どんな理不尽に晒されても生きていくことを、フランコ監督は描いているのではないだろうか。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
前作「或る終焉」のショッキングなラストは、あまりにもこれ見よがしで品に欠けていた。今回もまた、娘たちよりも肉体的魅力を備える母親の欲望の暴走で、見る者を?然とさせるが、リアリティショーのように極端な展開ゆえ、単に凄ネタとして消費されかねない。個々のシーンの強度から見て、M・フランコ監督のたぐい稀な才能は間違いない。ただこの大器が真の傑作を撮るのは、まだこれからのことかもしれない。それは、観客を脅かしてやろうという野心から卒業した時だ。
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脚本家
北里宇一郎
いやはやこの頃、未成熟な母親が登場の映画が多くて。ここにも邦題通りのお母さんが。実の娘から赤ん坊と夫を奪うんだから凄まじい。この女主人公をサスペンスとかホラーで描かず、普通のドラマ感覚で演出したところ、そこが面白い。けど、この女の性格にもう少しニュアンスとか、裏打ちもほしく……待てよ。母親がこんな無茶をしたから、娘が自立できたんだ。ひょっとしたら、すべては彼女の作戦? 「或る終焉」の監督だからなあ。そんな裏の企みがあってもおかしくない。はたして。
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夜の浜辺でひとり
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ライター
石村加奈
ハンブルクでリフレッシュして、帰国したヒロイン・ヨンヒが訪れる、港町カンヌンの街角にて。喫茶店の外で煙草を吸いながら「見えますか? 私の心が」と口ずさむヨンヒに堪らず、エモーショナルに寄っていくカメラ。あるいはまた。恋人たちの甘やかなケンカに居たたまれずひとり外に出たヨンヒが、戯れに葉牡丹に口づける時、カメラもそっと彼女に近づくのだ、キスするように。やさしいカメラワークは監督の愛そのもの。ホン・サンスのキム・ミニ愛に溢れた一作は冬の海も穏やかだ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
不倫愛を堂々と宣言し、韓国内で顰蹙を買ったホン・サンスとキム・ミニだが、愛の真っ最中に早くもこんな破局後の残滓を見つめた映画を作っている。進んで孤独の中に引きこもり、悲しみをもてあそぶ甘美さよ……。ひとけのない水辺がこの甘美な自虐を包み込む。地獄行の熱狂もなく、復活の胎動もなく。いや、わずかな胎動はある。男との再会と口論は昔の仲間たちの立ち会う中で起こる。この大っぴらさにはむしろ胎動を覆い隠す効果がある。騒ぎの陰で彼女の未来が生まれている。
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脚本家
北里宇一郎
ハンブルクの街をユーウツそうな面持ちでぶらぶら。カンスンの横丁では旧友たちと取りとめもないお喋り。いきなり怒りだしてみんなをたじろがせる。そんなヒロインを見つめるキャメラの乾いた視線。例によってのホン・サンス・スタイル。海辺のホテル。その一室。意味もなく窓を拭いている男がいて、誰もそれに気づかぬ不思議な画面が妙に残って。やがて映画監督の登場。ヒロインとの不倫の愛、その意義を滔々と語る。なんだ結局、ホン監督の自己弁明映画だったのかとちと鼻白んで。
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ALONE アローン
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翻訳家
篠儀直子
花婿とその父の狙撃を主人公がためらうところから物語が始まるのが予言的。やがて彼の回想や彼が見る幻のみならず、身の周りでの現実の出来事までが、彼の内面の実体化のように見えはじめる。実際、登場する人や物すべてが何かの象徴として解釈可能なように脚本が書かれていて、解読しながら観るとまた別の物語が立ち上がる仕掛け。これは知的作業としては非常に面白いけれど、やればやるほど「映画」から遠ざかるように思う。あと、この内容なら尺はもう少し短いほうがよかったろう。
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映画監督
内藤誠
レジナーロ&グアリョーネ監督の長篇デビュー作は砂漠を舞台に地雷を踏んで、一歩も動けない米人兵士、アーミー・ハマーのサバイバル・サスペンス劇として始まる。だがベルベル人が登場し、「前に進め。自由になれ」と言うあたりから、広大な砂漠がブニュエルの「皆殺しの天使」の一室と化し、夜空に浮かぶ満月が「アンダルシアの犬」の月のように無気味に見えてくる。ベルベル人のジグザグ歩きや謎めいた子どもの登場、現実と幻想が入り乱れる意図もいいのだが、図式的にまとめすぎた。
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ライター
平田裕介
言ってしまえば、地雷版「127時間」。こちらも砂漠で地雷を踏んでしまったというまったく動けない状況に主人公が身を置くことで、自身の生き方や抱える闇と対峙するという展開になって回想&幻覚シーンが続く。だが、それらが「127時間」と違って、ことごとくハッとしてグッとくるものではないのでダレてくる。他人の思い出話や戯言は、ただ単に聞かされても(or見せられても)まったく面白くないなと改めて痛感。こうしたワン・シチュエーションな内省ドラマは活劇好きには辛い。
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V.I.P. 修羅の獣たち
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翻訳家
篠儀直子
元VIPの息子である脱北連続殺人犯を、自由であるはずの南では罰することができないという逆説に虚をつかれ、情報機関と警察の攻防に俄然興奮するが、やがて勧善懲悪の復讐劇に収斂しそうな気配がしてくると、いささか尻すぼみに思えるのは否めない。どんな美少年好きでもどん引きしそうなイ・ジョンソクのウルトラサイコパスぶりを含め、猛烈に凄惨な描写が多いが、チャン・ドンゴンは眼鏡スーツ萌え女子のあらゆるツボを突きまくるかっこよさ。パク・ヒスン再登場シーンに痺れる。
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映画監督
内藤誠
米CIAと韓国の国家情報院が北朝鮮からの「企画亡命者」として、VIP待遇で扱っている青年が猟奇的連続殺人の容疑者であるというのが物語の骨子だが、企画亡命者などという耳なれない役柄の冷酷な富裕青年をイ・ジョンソクが不気味に演じて、話をさらっていく。リアリティからいけば、富裕層の傲慢な態度が現在もテレビのニュースとなっているので、わりあい自然な設定として見ていられる。男優の競演で、北の工作員パク・ヒスン、国家情報院所属のチャン・ドンゴンらも適役だ。
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ライター
平田裕介
権力を笠に着て、殺りたい放題である連続殺人鬼が見せつける目を覆いたくなる凶行。序盤にそれを見せられてこちらも彼を倒したくなるし、エスピオナージとサイコ・スリラーの融合は新鮮だし、国家やその体制によって正義が追いやられて悪が栄える展開も悪くないし、複数の組織や人物の思惑が交差する物語をキチッとまとめたパク・フンジョンの手際も見事。従って一気に観てしまうが、組織や国を越えて男たちが育む絆までもがサクッと描かれており、どこかズシンと響かないのも確か。
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