映画専門家レビュー一覧

  • アメリカン・アサシン

    • 翻訳家

      篠儀直子

      諜報員は感情的であってはならないという戒めが呪いのように全篇を貫き、やがて、復讐のために組織を利用する双子のような男ふたりが対決する。説明台詞を最少限に抑え、あくまで行動で物語を語っていく点も、物語のスケール感も、「メイズ・ランナー」よりもさらに魅力あふれる主演男優の目ヂカラもとてもいい。見事に演出された長いクライマックスのなかで、「家族に会いたい」という台詞が不意に放たれる瞬間の素晴らしさ(およびその台詞の意味)は、ぜひとも劇場で目撃されたい。

    • 映画監督

      内藤誠

      スペインのイビサ島でテロリストたちが観光客を無差別に乱射するところから映画は派手に始まり、ディラン・オブライエンは恋人を殺されてしまう。その復讐のために彼は、アラビア語を習い、武闘の訓練に励み、イスラム過激派へのコンタクトを計る。それがCIAに眼をつけられ、大活躍する話だから、荒唐無稽すぎるが、マイケル・キートンやサナ・レイサンが脇を固め、ローマなどロケ地が効果的で、アメリカ艦隊の核爆破まで用意されているので、スパイ・アクション好きにはお薦め。

    • ライター

      平田裕介

      「シャドー・チェイサー」や「ミッシングID」など、新進俳優主演の米製スパイ映画は陽性ものが目立つ。核爆発が絡むクライマックスのイージーぶりはいかにもアメリカンといった感じで呆れるものの殺伐とした空気に満ちており、D・オブライエンも終始死んだ目をしていてその濃度をグンと高める。だが、それによって悪役を嬉々として演じるT・キッチュのほうがまぶしく見えてしまったりするのだが。「オンリー・ザ・ブレイブ」でも光っていたキッチュだが、二番手俳優に回って正解。

  • ザ・ビッグハウス

      • ライター

        石村加奈

        ある日のフットボールスタジアムの光景から、人種や格差、教育とビジネスへ現代アメリカの光と影が浮き彫りになってゆくダイナミズム!観察した映像の断片を、編集作業を通して積み重ね、抽象性へと辿り着く、想田監督の唯一無二の手腕が発揮されている。監督率いる総勢17人の映画作家たちが捉える、カメラを回していなければ素通りしてしまいそうな被写体のドラマも、複合的な分、従来の観察映画よりバラエティ豊かな印象だ。神出鬼没の猫のようなスリルが物足りない気もして残念。

      • 映像演出、映画評論

        荻野洋一

        バルセロナのカンプ・ノウなど巨大スタジアムでの撮影に親しむ筆者には、本作の全カットが同僚の撮ってきたラッシュを見る気分だ。このスケールがプロではなく、大学スポーツという点が米国らしい。ただし周辺取材の充実に比べて中心部の画が物足りない。核心の秘境にもっと迫るべきでは? 試合直前のロッカールーム、監督室、審判の控室、ドーピングルームでもいい。そこまで撮るのかという禁断の驚きが欲しいし、それは想田監督の「観察」という概念とも矛盾しないはずだ。

      • 脚本家

        北里宇一郎

        10万人入るスタジアム。その内外で蠢く人々を望遠鏡で覗き、興味を惹いた者をじっと眺めている感覚。伝統と信仰を重んじる土地。それゆえか住民は善人風。その合間をトランプの宣伝カーが縫って走る。フットボール試合のお祭り騒ぎ。その裏に格差や差別を思わせるスケッチもはさんで。アメリカという巨大な国。それを丸ごと呑みこんだような作り。けど目を凝らせば、その国情に対する批評がちらほら。そうかと頭では納得。が、どこか心に響かない。少し計算でこしらえた気がして。

    • 死の谷間

      • 批評家、映像作家

        金子遊

        ツボにはまるSF映画だっただけに、惜しかった点を列挙したい。世界が放射能に汚染され、映画の舞台となる谷だけが奇跡的に助かったのなら、一瞬だけ外の世界を見せたほうが説得力があったのでは。信仰心の篤い白人女性と科学者の黒人男性が生き残り、対立しつつ惹かれあう設定がいい。ベルイマンやタルコフスキーみたいに魂や精神の問題へと掘り下げられなかったか。三人目の闖入者が現れて、男女の三角関係の心理劇になるのは残念。設定をいかしたプロットにできたのでは。

      • 映画評論家

        きさらぎ尚

        チェルノブイリか福島第一原発の事故後のような、人気が絶え荒廃した風景で始まったこの映画、放射能汚染の末に生き残った人間のディストピア系SFと思いきや、女性一人が犬と暮らす谷間にやって来た男性二人、三人のベタな恋愛劇だった。そうか原作で男女二人だった登場人物を三人にした理由はここにあったか。三人の俳優の役柄への誠実な取り組みは評価できる反面、プロットには隔靴掻痒の憾があり、原作を読んでみたくなった。ところで途中で消えた犬はどうなったのだろうか。

      • 映画系文筆業

        奈々村久生

        人里離れた場所にマーゴット・ロビー(ハーレイ・クイン!)のような美女が一人で住んでいて、そこに老人でも子供でもない成人男性が現れたら、何も起きないわけがない。それなのに男が言い訳ばかりしていつまでも煮え切らない態度なのは何とも不可解だ。そんな状態で第三の男(最初の男よりも若くて体格もいい)が登場すればもう悲劇は約束されたようなもの。クリス・パインが気の毒でならない。木材を水車にして発電装置を作ったりするのでDIYが好きなら楽しめるかもしれない。

    • 氷上の王、ジョン・カリー

        • 批評家、映像作家

          金子遊

          以前、渋谷のアップリンクでツール・ド・フランスに関するドキュメンタリーが一挙に3本公開されたことがあった。そこで働く知人に理由をきくと、「東京のミニシアターで映画を観る人数より、ツールのファンの方がパイが大きい」と答えた。なるほど、劇映画に比べて、ドキュメンタリーの動員には社会のファン層と直結しているところがある。伝説的な米国のフィギュアスケーターを描いた本作には、同性愛やエイズの問題も絡んでいて、熱心な観客が押し寄せる状景が目に浮かぶ。

        • 映画評論家

          きさらぎ尚

          フィギュアスケートを見ていて思う。スポーツ競技だろうかと。ジョン・カリーがこの映画で一つの答えを与えてくれた。スケートの技を高める努力にも増して、バレエのメソッドを取り入れて音楽を表現することに注力する彼は、フィギアスケートが芸術であることを認識させる。華麗な滑りの数々に加えて、セクシュアリティの苦悩、HIVとの闘いも語られ、全篇のドラマチックな編集◎。ラストの「美しく青きドナウ」の振り付けと演技に横溢するカリーの思いに胸が熱くなる。

        • 映画系文筆業

          奈々村久生

          フィギュアスケートがスポーツか芸術かは極めてグレーな命題で、身体能力やテクニックだけでなく表現力をも求められる。だがそれこそがスポーツとしてのこの競技の正当な評価を妨げてきたことも確かだ。肉体的な苦しみを絶対に表に出さないのが芸術であり、これがバレエ出身であるカリーの哲学の根底にあるのは間違いない。演技のどの瞬間を切り取っても完璧な美の追求と、ジャンプの着氷にすべてを左右されるスリル。どちらか一方だけでは満足できない我々の強欲をまずは認めよう。

      • 海を駆ける

        • 映画評論家

          北川れい子

          前作の「淵に立つ」がまさにそうだったが、深田監督は異分子を好んで描く。インドネシアを舞台にした今回の異分子は、海から現れた無口で静かな男。男は何もせず、でもじっと何かを待っている。映画はこの異分子を軸にして、日本からやってきた若い娘や地元の青年たちのエピソードを穏やかに描いていくが、天災や運命に対するアジア人特有の受け入れ方などにも触れての終盤は、いささか強引、傲慢で、しかも解釈はご自由に!? 森羅万象ふうな異分子という野心は買うがズルくない?

        • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

          千浦僚

          したたかにしつこく深田晃司監督は「テオレマ」の如き異人来訪をまたも描く。過去作「歓待」「淵に立つ」と本作をくくってそう言うがそうでありつつ違うものをつくり明らかに発展していることが良い。超能力者か(比喩でなく)神か悪魔か、ディーン・フジオカは深田映画最強異人。だが彼と関わる若者たちは自然体で彼に圧倒されない。人物像の成長。奇蹟にすがらずそれを契機程度に捉えることと曖昧さを持続することの強さ(特に太賀)。彼ら自身も奇蹟だと示唆して映画は終わる。

        • 映画評論家

          松崎健夫

          ディーン・フジオカが体現するのは母なる海、つまり大自然だ。彼は何の前触れもなく海の彼方からやって来るが、それは何の前触れもなくやって来る津波にも似ている。自然は人を癒すが、時に人の命を奪うものでもある。そこに意図などないという穏やかさを、ディーンの佇まいが雄弁に語っている。また劇中では、窓や扉、トーチカ、ビデオカメラなどにより画面の中にもうひとつの画面を構成。「捜索者」(56)のような画作りは、“何かを捜す”人たちの佇まいと同期しているのだ。

      • いつだってやめられる 10人の怒れる教授たち

        • ライター

          石村加奈

          三部作の二作目なので、ストーリーについては冷静に言及できないが、耳に楽しい映画だ。イタリア語独特の、巻き舌気味なセリフ回しのテンポと『TAKE BACK THE POWER』や『UNDER DOG』など、パンチの効いた挿入曲との相性がすこぶるいい(音楽はミケーレ・ブラガ)。音のリズムに合わせて、緩急自在なカメラワークも愉快痛快。スローモーションからアニメへとスライドするアクロバチックな展開も面白い。研究員ギャングたちのアジトや車のデザインもユニーク。

        • 映像演出、映画評論

          荻野洋一

          このイタリア笑劇が連作され、支持される背景にあるのは“大学教授は役に立たぬ学問にうつつを抜かして高収入を得る、鼻持ちならぬ特権階級”というルサンチマンだろう。日本でも文系学問が“趣味”だなどと揶揄され、似た状況になりつつある。本作の教授たちが追いつめられ、重い肉体を引きずって悪戦苦闘する姿を観客は眺め、いい気味だと嗤う。だからコメディというよりバラエティに近い。問題は、この騒動が社会風刺としても権力批判としても脆弱な点と、可笑しくない点だ。

        • 脚本家

          北里宇一郎

          専門知識は抜群だけど、いざ実行となると間が抜けている10人の教授たち。このチームが女刑事と手を組んでドラッグ壊滅作戦に。人気映画の続篇のせいか、導入部あたりは人物の設定や関係が分かりにくいのが難点。が、お賑やかなコメディーで、往年の「黄金の七人」を思い出す。ま、あれほどスマートじゃないけど。少し展開がまどろっこしいが、クライマックスが懐かしの列車活劇なのが嬉しい。ここで点数もぐんと上がって。次回作は(巻末の予告を見る限り)派手で面白そう! 期待。

      • ファントム・スレッド

        • 翻訳家

          篠儀直子

          主人公が屋敷のなかで無力化される映画は「レベッカ」とか「ガス燈」とかあるけれど、ここで囚われの身になるのは男性のほう。キャメラは意思を持っているかのような動きで事態を追い、非合理極まりない心理を生々しく映し出す。違う言い方をすると、たったいま目の前で演技が生成しているさまを目撃しているかのような興奮がある。オートクチュールの手仕事の細やかさを愛おしむかのように、細部をクロースアップした画面が素晴らしく、クラシックをちりばめたサントラの響きも新鮮。

        • 映画監督

          内藤誠

          ダニエル・デイ=ルイスが俳優をやめる前に演じた衣裳アーチストは自己中心の完璧主義者で、こういう人間性は思い当たるところもあり、不安をかきたてる。彼の仕事に異常な関心をもち、結婚もしないで見守る姉のレスリー・マンヴィルも優雅でリアルだ。だが、このゴシックロマン風な映画で怖いのは、あどけない顔で登場し、時間の経過とともに男の性格まで変えていくヴィッキー・クリープスだ。1950年代の英国の上流階級のファッションとサスペンスを同時に楽しめた。

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