映画専門家レビュー一覧

  • 犬ヶ島

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      多彩なボイスキャストはW・アンダーソンの御威光だろう。凝り性の監督らしく黒澤明作品のこと、日本文化のことを、実によく調べている。だが街の風景や雰囲気、愛犬を捜す少年が下駄履きだったり等々、話との関係が意味不明な箇所も。監督の幻想の中の日本と思えばいいのだが、文化を弄んでいるようでざらざら感が残る。すべての犬をゴミの島に追放する主題に排除の論理がちらり。すると市長が独裁者にも見え、これが20年後の日本かと思うと少々複雑。楽しめないままに終わった。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      近未来設定の舞台はキラキラのテクノロジー系ではなくレトロな荒廃系。そこにウェス・アンダーソンが目指す「日本」の要素が入ったそれは、「ガロ」を思わせるかつてのサブカル系漫画のテイストだった。キャラクター造形はもちろん、音楽や美術にも戦前・戦中のムードが漂い、単なる懐古趣味ではなく時代の行く末に何やら不穏な空気も感じてしまう。チラシ等に載っていない日本人のボイスキャストも豪華なので必聴。個人的には牛乳バーのマスターが気に入っています。

  • SUKITA 刻まれたアーティストたちの一瞬

    • 映画評論家

      北川れい子

      写真家を撮る。これまでにも世界的な写真家を追ったドキュメンタリーは数多く作られているが、写真家・鋤田氏の足跡を振り返るこのドキュは、アーティストたちの豪華な顔ぶれからしてまばゆくもスリリング。そうそう鋤田氏は寺山修司「書を捨てよ町へ出よう」のカメラマン(仙元誠三と共同)でもあるのだ。ご本人が世界各地の思い出の場所に出向いての取材秘話も貴重で、その人柄も親しみ易い。ビジネスや人気に直結するイメージ戦略のプロが10代で撮ったという母親の写真も美しい。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      鋤田正義が表現そのものである写真とコマーシャリズムの一翼を担うイメージという、写真表現の二つの山腹の出合う稜線をロックを道連れに歩いてきたとわかるドキュメンタリー。ロックという商業音楽がどうしても視覚的イメージを必要とすることにも気づかされる。コンセプチュアルなミュージシャン、デイヴィッド・ボウイにはとりわけその力は重要だった。鋤田氏がボウイ生地ブリクストンの「アラジン・セイン」壁画の下に小さく日本語で、有りがとう!と書いたのにはグッときた。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      直に人と会うこと。また、国境や言葉の壁に躊躇せず人と触れ合うこと。そして、それらの体験が若い時代のものであればあるほど、なお良いということを鋤田正義の人生は教える。お互いがお互いを発見し、やがてお互いが成長することで、周囲が自ずとそこに深い絆を見出し評価する。これがいかに重要なことであるかは、本作で鋤田について語る世界的著名人という面子が全てを物語る。彼の人生が“一期一会”の集合体によって形成されていることは、“生きるヒント”にもなっている。

  • モリのいる場所

    • 映画評論家

      北川れい子

      自分が動けば世界も動く。自分が止まれば世界も止まる。誰のことばだったか。つまり、どこに居て何をしていようと自分の居る場所は世界の中心だということ。でも実際は、小さな世界であくせくしているのがせいぜいで、自分の居場所さえ、おぼつかない人も。けれども“モリ”は違う。小さな自然の庭に、無限の広がり、無限の命、無限の自由を感じ取り、草花の前にうずくまりながら、無限の世界と戯れる。美しい映像と自然体のユーモアで老夫婦の日常を切り取った沖田監督に平伏。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      トリクルダウンで低所得層が潤うことの困難を明瞭に予告したのは「マルサの女」の山﨑努演じるラブホテル王が滴る水とグラスの喩えで金の貯め方を語る芝居。あのギラつく俳優山﨑努は近年大御所に位置づけられ置物化していて淋しい。横浜聡子監督作「俳優 亀岡拓次」ではまだ少し動いた。それを大きく超えたのが本作。山﨑努は草木やトカゲや蟻と芝居をする。それは観て心地よい。本作の樹木希林には彼女がナレーションを務めたドキュメンタリー「人生フルーツ」の反映を感じた。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      熊谷守一の絵画に基づいた画面構成が施されている本作は、“もり”という言葉に幾つもの意味を重ねている。例えば、自宅の庭が“森”であるかのように撮影することで、普段目につかないところにも“営み”があることを示唆しながら、尺取り虫の動きが“時間の流れ”のあり方をも論じさせているように見えるのだ。山﨑努は表情の変化を“殺した”役作りを行い、その仮面(人に見える部分)の下(人に見えない部分)を感じさせつつ、本人のパブリックイメージを踏襲している点が秀逸。

  • イカリエ XB1 デジタル・リマスター版

    • ライター

      石村加奈

      犬や花、ロマンス、出産まで宇宙船内で繰り広げられる物語が50年以上も前に作られていたとは! アニメ大国チェコで育まれたフレッシュな想像力に惚れぼれする。幾何学的なSF世界で“◯”のイメージが意味深だ。無限や永遠を表すモチーフが、ダーク・スターに襲われて、めまいを起こした乗組員たちの揺るぎない“根拠”を示しているように感じて、自由化の波が訪れた幸福な黄金時代に思いを馳せる。カレル・ゼマン作品などで有名なズデニェク・リシュカのモダンな電子音楽も◯。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      60年代とはヌーヴェルヴァーグ(NV)の時代である。50年代にフランスで起こった映画運動が、世界各国に伝播していく。また60年代とはSF映画の時代でもある。傍系的、B級的に扱われてきたSFが、すぐれた原作を提供するSF作家の登場、特撮技術・音響の劇的向上と相まって、映画ジャンルの中心的存在にのし上がる。フランスにはゴダールの「アルファヴィル」があった。そしてチェコには本作だ。つまりNVにとってSFとは、同朋的マスコットだったのではないか?

    • 脚本家

      北里宇一郎

      チェコには人形アニメとかファンタジーに面白いものが数多くあるので、この63年製作のSFにも期待。かなり生真面目な作風で、あまり面白味はない。が、それが逆にリアル感を生んでおり、本格派SFの趣。人物描写は「惑星ソラリス」(同じ原作者!)を彷彿。宇宙には人智を超えた何かがいる――てなところは「2001年宇宙の旅」みたいで。いずれにしてもそれらの作品の先駆者的価値があって。核兵器を巡るトラブルとか、未来への希望的観測は、当時の冷戦状況の反映だろうなあ。

  • 29歳問題

    • ライター

      石村加奈

      レスリー・チャンやレオン・ライのヒット曲を叙情的に使った、転調シーンが美しい。例えばクリスティが恋人との出会いを回想するシーン。29歳のヒロインの姿が17歳に変わる仕掛けに、29歳の彼女の中に17歳の彼女が潜んでいるという愉快な事実を観客は発見する。パン監督が05年に発表した舞台劇の映画化とふまえて観れば、不惑を過ぎた女の中に潜む29歳の女という視点が加わって、作品世界がぐんと広がる。過去の自分とどう折り合いをつけるのか? という深いテーマの映画である。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      映画前半では景気づけのためなのか、可変スピードやデジタル加工が多用され、日本でもよくある『東京タラレバ娘』的アラサー女子ドラマに付き合わされるかと気が重くなった。しかし監督は05年初演の自作舞台を精魂込めて映画化に漕ぎつけている。その気迫は主人公の焦燥と相まって画面の隅々に深く沈潜する。しかも深度ばかりでなく、彼女の物語が香港という大都市の歴史であるかのごとく敷衍し、まるで香港とは香港映画のことだと言わんばかり。この強弁ぶりに舌を巻く。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      この主人公って香港の中国返還期の頃が22歳か。そこからバリバリのキャリアとして働き通して30歳を前にして立ち止まったわけね。どこか返還前の香港=青春時代をもう一度というノスタルジーを感じさせる。となると不治の病を抱えながら精一杯人生を楽しもうとするもう一人の女性は、この状況に絶望するなという監督のメッセージだろうか。にしても、これからの生き方を死を目前にした人間に示唆されるという設定が、ちと安直な気がして。それならば、どの年齢でもいいわけで。

  • ダリダ あまい囁き

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      二十代後半までは貪欲に音楽を求めてたのに、昔の音楽ばかり聞いてる今日この頃。知らない音楽に触れるチャンスは映画を観るときくらいだが、フランスの歌姫ダリダの音楽と人生には度肝を抜かれた。国民的なシャンソン歌手がエジプト人というのも、ダイバーシティに富んだフランス社会らしくていい。60年代から70年代の黄金期に、恋あり自殺未遂あり、インドで瞑想したり年下の恋人で苦労したり。なんとなく宇多田ヒカルの人生を思いだすのは同じトップスターだから?

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      無論、稀代の大スターなのだが、ダリダを個人的には、多くの恋をして恋人に次々と自殺され、自らも自死した歌手という印象が強かったので、一番の関心事は彼女がどう描かれているか。ファムファタールではないダリダを、人気スターと一人の女性との、二つの人格を等分にドラマにしたバランスの良いアプローチに○。結果、ダリダの意志の強さと自信のみならず、ヨランダ(本名)の脆さとの拮抗が、心を刺す。ポピュラー音楽史を反映した絢爛な音楽場面と主演女優の美貌にうっとり。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      恋多き女でありながら、交際相手が次々と死を選び、人気者であるがゆえに母親になることも叶わなかったダリダ。偶像を売るスターという職業は、男女ともに受け手の疑似恋愛的な感情に人気が左右される、またその感情を意図的に利用する商売であるだけに、私生活の充実とは根本的に相性が悪い。ダリダ本人のビジュアル然り、本作で彼女を演じたモデル出身のアルヴィティの野生的な美貌は、女性であることとショービジネスの世界で成功することの両立がいかに困難であるかを体現する。

  • サムライと愚か者 オリンパス事件の全貌

    • 評論家

      上野昻志

      インタビュー中心だから、ドキュメンタリー映画としてはダイナミズムに欠けるが、莫大な損失を隠蔽した「オリンパス事件」がテーマだけに、東芝の粉飾決算などにもつながる。そこで明らかになるのは、企業内で不都合な問題が起こると、それを隠蔽し、不正を告発する者を排除する体質だ。そこには、忖度も働けば、組織存続のためという「大義名分」もある。ということは、公文書の書き換えや隠蔽が日常化している日本の国家行政機関の体質そのものを照射する映画でもある。

    • 映画評論家

      上島春彦

      内容は面白く、日本の社会組織のあり方のダメなところもしっかり分かった。オリンパス・スキャンダルの件は全然知らなかったが、恐ろしいのはこの企業がこれだけの事件を起こしてもほとんど反省していないことだ。ただ、損失隠しが犯罪だという認識は、よく考えると日本人一般にはないのではないか。身内の恥は隠して当然という感覚の方が勝っているような気がする。私にしてからがそうだしね。反省します。星が伸びなかったのは、手法があまりに報道番組的で映画っぽさを欠くため。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      オリンパス事件の概略と解任された外国人社長のインタビューで過不足なく構成され、ネットで配信されていれば見入りそうな作り。キャラとしてはかなり面白そうな雰囲気を醸し出すウッドフォード元社長の奇抜な言動がプロダクション・ノートにしか書かれておらず、この膨らみと余白にこそ映画としての可能性があったのではないか。日本人と外国人の根源的な文化の違いにまで視点を伸ばせる題材だけに、欲が出る。奥山和由のクレジットに松竹解任事件のドキュメンタリーも観たくなる。

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