映画専門家レビュー一覧
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アンモナイトの目覚め
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
デビュー作「ゴッズ・オウン・カントリー」でのいきなりの達成にはジョシュア・ジェームズ・リチャーズのカメラが欠かせなかったと思っていただけに、本作におけるフランシス・リーの映画作家としての不変の姿勢とその力量に深く首を垂れた。時代や都市や消費社会に背を向けて、ピンポイントで現代的イシューを射抜くその鮮やかさ。セリーヌ・シアマやアンドリュー・ヘイの諸作品と並べると、現在のヨーロッパ映画で起こっている大きなシフトがより正確に見えてくるのではないか。
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ライター
石村加奈
地質学界も、社交界も、男性社会にうんざりした二人の主人公は、好対照だ。独立独歩の古生物学者メアリーは頑丈そうだが、孤独に弱く、裕福な化石収集家の夫に厄介がられるシャーロットは脆そうで、商売上手なタフさもある。カメラはしばしば二人の手を捕らえるが、メアリーのよく動く働き者の手が次第に鈍くなる反面、シャーロットの手は、メアリーのノートを奪い、刺繍をさし……大胆になっていく。青から赤へ劇的に変わる衣裳も、二人の変化をフェアに物語っていて、面白い。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
19世紀、寂れた海辺の町で二人の孤独な女性が出会い惹かれあっていく、という物語は、どうしても昨年の個人的ベストの某フランス映画を思い出してしまうが、本作は歴史に埋もれた実在の女性古生物学者メアリー・アニングを虚実ないまぜで描くことで彼女の生き様、その背景を“再発掘”する作品だ。展開は淡々としているのにカッティングが細かく、メアリーの行動は情熱的なのに表情は常に硬い。その終始矛盾を孕んだ空気感が彼女の人生の機微をリアルに浮き彫りにしている。
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ザ・バッド・ガイズ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
シレっとオリジナル作品を装って公開されるようだが、実は本作、マ・ドンソクがまだ国際的大スターになる前、2014年のテレビシリーズの映画版。単独作として成立してはいるものの、主人公以外のキャラクターは既知のものとして描かれているので、食い足りなさは残る。撮影と編集の技術水準が高いこともあって随所で入るテレビ的なグラフィカルな処理は気にならないが、豊臣秀吉、日本統治下の人体実験、山口組などの韓国ドメスティックな設定ワードが気になる人は気になるかも。
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ライター
石村加奈
今回マ・ドンソクが扮するのは、収監中の犯罪者、伝説の拳ことパク・ウンチョル。冒頭のミシンとの可憐な格闘シーンから、アクセル全開で魅せる。共に凶悪犯を捕まえる、極秘プロジェクト「特殊犯罪捜査課」メンバーのバランスも良く、アジトとなった廃教会での丁々発止も楽しい。特にアクションの特訓を積んで撮影に臨んだ、チャン・ギヨン演じるコ・ユソンの狂犬ぶりは、マ・ドンソクとはひと味違う迫力が。しかし、韓国での日本人のイメージの原点って豊臣秀吉なのか……。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
登場人物たちの背景や関係を観客があらかじめ知っているかのような描写が続き(なぜか「シン・シティ」を本気でパロディ化したような回想シーンはある)若干違和感を覚えたが、ドラマの映画化ということで納得。見せ場を軸とした構成、シリアスとコメディの切り替えのタイミングなど、全体的にバランスが良くない。お茶目で強すぎる(いつもの)ドンソク兄貴は十分堪能できる。クライマックスの大人数での肉弾戦は熱いが、なぜ悪人が銃を使わないのか最後まで気になってしまった。
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21ブリッジ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
逃亡中の警官殺しの犯人たちを捕えるために、マンハッタンと他の地区を結ぶ21の橋を封鎖。というのがタイトルの由来なのだが、そこに隠れたアイロニーが浮き上がる終盤のNYPD署長のセリフに息を呑んだ。「シビル・ウォー」で周到にレールを敷きながらも「アベンジャーズ」3作目4作目ではおざなりになってしまったブラックパンサーのボーズマンに、ルッソ兄弟が用意したのがドン・シーゲル的な硬質サスペンスという、作品外のストーリーにも痺れずにはいられない。
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ライター
石村加奈
脚本に惚れ込んだチャドウィック・ボーズマンが、主演とプロデューサーを兼任。マンハッタンのロケーションの魅力をいかした画にワクワクする、クラシカルな都市型犯罪アクションだ。シエナ・ミラー、J・K・シモンズら、渋みのある役者陣の、重心の低いアクションも見応えがある。しかし見覚えのある展開のストーリーは、どんなに二転三転しても、ハラハラドキドキはしない。19年越しの主人公の正義がはっきりと見えないので、ラスボス・シモンズとの対峙シーンでも迫力に欠ける。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
限定された地域での一晩の事件というアクションサスペンスでおなじみの設定に加え、途中からだんだんオチが予想できてしまう警察官ものとしてはこれまたおなじみの逆転の展開。だが、最後まで緊張感が途切れなかったのは、名手P・キャメロンによる銃撃戦や追走劇の見せ方の巧みさもあるが、やはり主演チャドウィック・ボーズマンの存在感だろう。フィジカルの強さとアクションの軽やかさ、知的な佇まいと台詞回しは、改めて唯一無二だと実感。彼の主演として最後の雄姿に★+1。
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レッド・スネイク
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
シャルリー・エブド事件については、その後に起こった世界中でのリアクションも含めて、(おそらくは)マジョリティとは異なる見解をずっと抱いてきた。同誌の寄稿者であった監督は、あの事件が本作を撮るきっかけになったという(劇中にニュース映像も出てくる)。可能な限り偏見を排して臨んだが、ISという絶対的な悪を包囲するように、正論をたたみかけていくばかりの展開に映画的奥行きはない。ヨーロッパ側ではなく、迫害下にあるクルド人側に焦点を当てた点は評価できるが。
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ライター
石村加奈
強烈な記憶とは、五感に宿り、いま、ひいては未来に作用する。ザラの記憶は、目の前で父を殺し、自分を奴隷として買ったIS兵士の体臭。後に兵士として、男と再会した時、彼女は仲間に「戦争のせいなら、なぜ私は恥じるの?」と問う(その様子を見守るカメラワークがやさしい)。この難役をジャーナリストのディラン・グウィンがまっすぐに体現する。遂に戦地で弟を見つけた時、ザラは母のよく口ずさんでいた歌を歌い、弟を正気に戻す。彼の記憶が幸せなものでよかったと心から思う。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
監督のC・フレストは以前シャルリー・エブド誌の記者で、6年前にISがその編集部を襲撃、12名を殺害した事件が制作のきっかけになったということだが、本作は彼女の個人的な怒りと恐怖、ジャーナリストとしての俯瞰の視点がうまく融合されている。ISに家族を殺され奴隷として売られたヤジディ教徒の女性、自ら志願して連合軍の女性特殊部隊に参加するフランス人の女性二人、其々の主観と背景を重ねて描くことで、この生き地獄が日常の延長線上にあることをより明確にしている。
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ザ・スイッチ
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
クリストファー・ランドンの根っこにあるのは脚本デビュー作となったラリー・クラーク「アナザー・デイ・イン・パラダイス」なのか、ハリウッドで足場を築くきっかけとなった「パラノーマル・アクティビティ」シリーズなのか。ブレイク作として文句なしの快作「ハッピー・デス・デイ」を経て、蛇足気味の続篇、そして題材だけ変えて構造ほぼそのままの本作に到ったことで、おそらく後者なのだと知る。コスり倒せるだけコスり倒すのがホラー作家の美学なのは心得ているが。
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ライター
石村加奈
ヴィンス・ヴォーンのラブリーな好演で、中年男と女子高生ミリーの入れ替わりが大成功! コメディ度が高まり、楽しい仕上がりに。ヴォーンに比べると、キャスリン・ニュートンの度量不足はやむなしだが、ニュートンの若さをいかしたヘアメイク&衣裳でうまくカバーしている。ミリーの大切な人たちが死なない展開も好み。特にナイラ、ジョジュとの友情はもう少し掘り下げたドラマが見たいくらい魅力的な関係性だった。〈ケ・セラ・セラ〉から〈Suck My Cherry〉まで、音楽もたのしい。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
「殺人鬼もの」と「ボディスイッチ」という特に目新しくない題材を掛け合わせて(「ズーム」もそうだ)斬新なホラーを作り出そうという「ハッピー・デス・デイ」の監督らしい意欲作。殺人描写はかなりグロいが、基本的に主人公の女子高生ミリーを虐めていた嫌な奴しか死なないし、殺人鬼の見た目はミリーなので、残酷であればあるほどスッキリもする、というのはまさに新感覚。ヴィンス・ヴォーンの女子高生っぷりは予想以上にハマっていて、まさかのキスシーンは悶絶しながら爆笑。
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ハウス・イン・ザ・フィールズ
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映画評論家
小野寺系
登場する人物の内面の声をシーンにかぶせるなどの演出があり、劇映画と融合する部分のあるドキュメンタリー。だがシーンの意図は明らかにされないため、観客が映し出される内容を判断していかざるを得ず、鑑賞者の能動性と知識が必要とされる。とはいえ、特定の民族や女性への差別と貧困問題からくる搾取構造が根底に描かれていることは明白。少女の結婚にまつわる詳細は語られないが、自分の生き方を決めることができない人間の声なき叫びが聴こえてくるような怖ろしさがある。
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映画評論家
きさらぎ尚
3本の糸による弦楽器を弾く村人、不思議な文字で書かれた季節、記録されたアマジグ族。楽器も文字も民族も初めて目にする。そしてアトラス山脈が育む自然とともに暮らす彼らのプリミティブな営みに感嘆する。野に命が芽吹き花の満ちる春、収穫の秋、宗教行事。一方、結婚のために学校を辞めて都会に出ることを当たり前に思っている姉に対して、弁護士を目指し学業を続けたい妹。伝統に根ざした生活文化と、姉妹の思い。変わらないものと変わりゆくものが並存し、静かに浮かび上がる。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
モロッコの先住民族、アマジグ人の生活をつぶさに写した本作の主軸を担っている幼い姉妹が語らういくつかの場面で劇映画さながらの恣意的な演出が散見されることからこの作品が純粋な記録映画でないことは明白で、自然と共存し生きてゆくことの美しさと、しかしそれにより奪われている現代人が享受すべき自由とを対比させることで浮かび上がるのは人間にとって、女性にとって幸せとは何かという原初の問いであり、これは先進国に生きる我々にとっても根を同じくした問題ではないか。
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街の上で
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フリーライター
須永貴子
監督は恋愛映画の名手として評価されてきたが、本作を観て、“恋愛にまつわる感情”を通して“時間”を描く、〈ビフォア三部作〉のリチャード・リンクレイター監督に並ぶ存在だと認識した。再開発で激変する下北沢を舞台に、元カノへの未練をポケットに忍ばせて日常を送る主人公を描くことで、時の流れの中で変わりゆく街と、時が流れても変われない主人公がコントラストを生み出している。主人公の心の時計の再始動を示唆するケーキの扱い方も鮮やか。甘い余韻を残す。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
主人公には目的がなければならない。目的があるから行動し、それを阻むものが出てきて、ドラマが生まれる。そんなシナリオ作りの基礎、外してますよねえ。街の住人たちは、何か明確な目的を持って生きているようには見えない。みんな小さな葛藤を抱えているが、青筋を立てるようなことでもない。欲望とか野望とは無縁に生きている人間たちが、「置かれた場所」に綺麗に咲いている。日本人は本来こんな風に生きてきたのではないだろうか。この映画が好きだ。
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