映画専門家レビュー一覧

  • サンドラの小さな家

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      映画冒頭の、母が父からDVを受ける様子を隠れた場所から目撃した娘と同じ恐怖心が、見ている間中ずっと気持ちを支配する。そうした中で描かれる主人公の恐怖心や怒りや無力感、羞恥心は事態に立ち向かうシングルマザーのリアルな苦しみそのもの。そこから見える個々人のニーズに寄り添えない福祉や社会サービスは痛烈なメッセージ。その一方、物語の軸をなす皆が集まって助け合うアイルランドの「メハル」の精神に救いも。世界中の大勢のサンドラと娘たちの幸せを願う気持ち沸々。

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      タイトルとポスタービジュアルからは想像できない壮絶な物語であり、家庭内暴力、シビアな親権裁判、劣悪な住宅事情など、シングルマザーが抱える苦難のフルコースで、時に目を覆いたくなるような暴力描写に加え、終盤のある事件に至っては意地悪も大概にしてほしいと観ているこっちが創造主に恨みごとを言いたくなってくるのだが、それらから逃げずに立ち向かうヒロインの姿と家作りを無償で手伝う仲間たちの温かさ、そしてすべての支えになっている子どもたちの笑顔に心打たれた。

  • 僕が跳びはねる理由

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      東田直樹の著作を中心に世界各国の自閉症の人々とその家族が登場するが、人間一般の間主観性のテーマを本作は自己言及的に提起する。名付けられた病を患っていようとなかろうと、固有の肉体と精神を有したそれぞれの個体は、その感受性や世界の見え方、関わりが同一だとは誰も証明できない。自身の内なる宇宙に耳を傾け自らを尊重することは、同時に他人に対しても寛容になることだ。この相互理解で世界は高次に到達するはずだ。存在することは恩寵を受けていることの証明となる。

    • フリーライター

      藤木TDC

      知的障がい者が内面を詳述した驚きの名著が原作なのに、映画はその一部を朗読するのみで視覚再現を試みず、健常者の常識的視点で描かれつまらない。アウトサイダー・アート展で当事者の斬新で繊細な才能を直接目にする衝撃は本作になく、小奇麗でありきたりな障がい者の記録に終わっている。とくに後半は家族の苦労話を並べテレビの福祉番組と変わりなく凡庸。もっと当事者の心に踏み込む冒険的ドキュメントにできたのでは。未読なら映画を先に見ず、まず原作を読むほうが良い。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      本作のポエティックな映像は、自閉症の内的世界を表現しているのかと思ったが、どうも映画内で語られる話からすると無関係のようだ。記憶の甦り方について、自閉症患者特有の、時系列ではない鮮烈な思い出し方についてのくだりは、軽く衝撃を受け精神が疲弊した。ゆえに、それっぽいがどうも乖離している凝った映像表現は、純粋に芸術系ドキュメントというべきかも。文字表現での思考の伝達は、もっと詳細で科学的な解説がほしい。アートと表明の共存が面白そうなだけにもどかしい。

  • 狼をさがして

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      60年代の安保闘争などの学生運動から70年代は世界的に政治の季節となり、より過激化していった。しかし世界中のその活動家はほぼ消滅。現在は政治的な大義のための運動というより市民レベルの差別や嫌悪が顕在化している。世界中のアナキストたちはもはや過去の遺物なのだろうか。国家の在り方も変わり、中東以外のいわゆる国家間戦争の形も変遷し、国家より国際企業の存在感が増大している。そろそろその様な国際企業に対して異議を唱える市民活動家が出てきてもおかしくない。

    • フリーライター

      藤木TDC

      韓国人監督は取材成果と自国の歴史を顧み、もっと強く日帝侵略を糾弾をすべきだったのでは。これでは何を言いたいか分からない。東アジア反日武装戦線の爆弾闘争に関する言及は『腹腹時計』など文献の朗読と新聞画像のみで当時の報道映像はない。大部分は大道寺将司らの足取りを追う詩的風景映像や支援者たちの穏やかな語りで抽象的な内容だ。現在も指名手配犯が逃亡中の「狼」らの理念は服役囚支援者により反原発運動などへ拡散し、今なお総括段階にはないと知ったのは収穫だが。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      いま、政治的思想について語るのはことさら慎重を期し、日本だけでも異なる考えがぶつかり合っていて非常に危うい中、この映画は東アジア反日武装戦線側からの、一方的なまとめと現状の様子をある意味、撮りっぱなしで提出する。緩慢だろうと時間の流れはあるはずなのに、縦の流れではなく平面を見ているような進み方。キム・ミレ監督が「狼」の存在をピックアップした時点で、なんらかのメッセージ性は発生しているが、思想に対し解釈や介入を避けるのは物足りない接し方だ。

  • きまじめ楽隊のぼんやり戦争

    • 映画評論家

      北川れい子

      シュールでクール、しかもとんでもなく皮肉が利いた不条理コメディの秀作である。判で押したような日常を繰り返すだけの、何も考えないこの町の住人たち。隣り町相手の、いつ始まったか誰も覚えていない戦争は、既に習慣、伝統行事化し、誰も不審に思わない。俳優陣を台詞を喋るロボットのように動かす演出と、横移動の多いカメラも効果的。ニンゲンも戦争もきまじめ、かつぼんやりとミニチュア化したことで、逆に世界が俯瞰可能となり、そう、人間はこんな世界に生きているのね。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      根岸吉太郎が「カウリスマキに観せたい」とコメントしているが、オフビートな喜劇性の背後に世界の不条理に対する辛辣な視線がのぞくあたり、カウリスマキはもちろん、岡本喜八をも思わせる。虚構に虚構を重ねるか、現実に現実を重ねていくやり方が主流を占める現在の日本映画界にあって、池田暁のこの虚構と現実に対するソフィスティケートされた距離感はじつに貴重だ。片桐はいり、きたろう、竹中直人ら下手に使えば台無しのベテラン個性派勢も存分に魅力を引き出されている。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      笑えなかった。川を挟む二つの町がたがいの実態を知ることなく戦争をつづけているのも、人々がとくに何を生産することもなく曖昧な権力と制度に対して従順に暮らしているのも、一昔も二昔も前の、古典的な悪夢だ。オフビートでも泥くさい滑稽味を狙ったタッチでそれを包み、役者たちは人間の愚かさのさまざまのタイプを窮屈な芸で見せる。この「きまじめ」は現在にたどりついていない。池田ワールド。そういうテイストの徹底ぶりは認めたいが、頻出する食べ物の扱い方が気色わるい。

  • ノマドランド

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      いまもっとも話題作。古来から人類は移動を繰り返してきた。土地や家屋を所有する意味とは。土地に価値がつけられ値段が決定されるが、国債や金融商品のように変動し流動する。「資本」主義そのものが固定を拒み続ける制度だ。企業は商品ではなくシステムを開発し、その権利を所有する。そして自らを食い尽くしていく。そのとき人類は希望や幸福をどこに見出すことが可能なのか。時代を超越した美しい映像によって迷子になった我々は、初めて生きる価値について直面させられる。

    • フリーライター

      藤木TDC

      コロナ後の未来像を予感させる興味深いライフスタイルを提示。しかし原作本にあるワーキャンパーの過酷さや困窮を自由や心地良さと曲解させる優雅な演出には違和感。金持ち向けの映画祭映画になり、快適なシネコンでゆったり見ても観光気分以外に得るものはない。似た題材の作でどこかに仕込まれることの多い暴力や極限状況の描写がなく、映画を平和な物語にしている反面、起伏に欠ける不満も。終盤は風景描写ばかりで息切れ。格差を訴える映画では貧しき民はいつも耐えるのみだ。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      家を失いさすらう者となりつつ、自己憐憫に陥らず尊厳をもって生きる女性。その生活の身体的、経済的に苦しい現実に迫りながらも、大自然は厳しさだけでなく神秘的な姿も現す。やはり自らさすらう女を描いたA・ヴァルダの「冬の旅」と比較して、本作は主人公に対し他者も自然も優しい。女である弱みにもつけ込まれず、救いは毎回あって、悲愴な域には踏み込まずに車上生活者の暮らしを描く。ノマドたちの交流会もヒッピーの理想形でちょっと口当たりが良すぎやしないかとも思う。

  • 騙し絵の牙

    • フリーライター

      須永貴子

      大手出版社内での、保守派と改革派の内部抗争物語。キャラクター間での騙し合いと、観客を驚かせる仕掛けを、無理なく成立させている脚本がスマートだ。無駄にトリッキーな編集をしなくても、ミステリ映画を作れることも証明している。現代日本を批判し、まさかのジャイアントキリングで希望を願う、映画的なラストも良い。残念なのは、「この俳優がこの役ということは……」という、捻くれた予感が裏切られなかったこと。有名俳優を並べてミステリを作るのって難しい。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      本屋で大泉洋の写真が表紙の原作本をよく見かけたが、なるほど大泉あてがきの小説だったらしい。原作がいいのか、脚本が良かったのか、文句なく楽しめる映画だ。演出のキレもいいし、心地よいテンポが何よりいい。人に見せるということを片時も忘れず、隅々に至るまで目が配られている。日本の映画ではコンゲームものは難しいと思っていたが、その考えを安々と裏切ってくれた。大泉が取り組んでいる雑誌の編集を見ていると、日本映画もこんな風ならいいのにと思った。

    • 映画評論家

      吉田広明

      老舗出版社内部で起こる権力闘争のシーソーゲームだが、その主な舞台は社の看板である由緒正しき文芸雑誌と、新興カルチャー誌。後者がいかにアイデアで戦ってゆくかが見どころとなる。権力闘争とは言え、主演の大泉、松岡のキャラのおかげもあり、『半沢直樹』などと違ってネチネチしておらず、陽性なのが救い。闘争は、出版不況における出版社の在り方にまで拡大、ただこれは問題提起的ではあるが深くはない。敵役文芸誌側が伝統に依りかかるだけ、敵としてもう少し強くても。

  • 迷子になった拳

      • フリーライター

        須永貴子

        会社をクビになった40歳の監督の惑いと、23歳の格闘家の自分探しが、シンクロしながら進んでいく。事前に設定したテーマはなく、ラウェイという格闘技に魅せられた人々や、魑魅魍魎が跋扈する興行の世界にこわごわ迫った結果、最初は一人だった主人公が、出口では二人に増えている。被写体も作品も、迷子になっている姿を取り繕おうとしない青臭さが、完成度という尺度を突っぱね、私小説のような魅力を放つ。監督に被写体を利用する意図がないドキュメンタリーは清々しい。

      • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

        山田耕大

        格闘技オンチの僕は、“ラウェイ”というミャンマーの伝統格闘技のことはまったく知らなかった。拳にはグローブをつけずバンデージのみを着けて殴り合う。蹴り、頭突き、金的もOK。「世界で一番残酷な格闘技」。ほとんど喧嘩、いや下手をすると殺し合いである。このラウェイになぜ日本の若者が挑むのか、わからない。が、観ているうちにわかってくる。金や名誉のためじゃない。かれらは己と闘っているのだ。だから、「大切なのは勝ち負けではなく、続けること」なのだ。

      • 映画評論家

        吉田広明

        KO以外の判定勝ちがない、ランキングも、チャンピオンの防衛戦もない。最後までリングに立っていれば両者とも勇者として称えられるというミャンマーの格闘技ラウェイは、ルールの上に立っての勝ち負けが問題となるスポーツという以上に、ルールなき人生の方に一層近いように見える。神聖な競技とされるのはそのためなのだろうが、それに懸けた日本人競技者を「迷子」とするタイトルは、ラウェイをルール無用の過激さゆえにいかがわしいものと見なすバイアスに準じるかに見えて残念。

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