映画専門家レビュー一覧
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それはまるで人間のように
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詩人、映画監督
福間健二
超現実のなかの現実、非日常のなかの日常。普通じゃなくしたいのだろうが、そのおもしろさは出そこなって、ただ道具立てが希薄という感じ。でも、とにかくカップルで存在する鈴木とハナ。二人だけの納得で生きてきたところから転じて外に出る。クセある他者との時間。彼は清掃の仕事に就いて同僚たちに心理を揺さぶられ、彼女は公園で会った誘惑者にスキを狙われる。橋本監督、簡単そうに撮りながら、いまの、さびしい時代という側面と人を疲れさせるトゲの要素をつかまえている。
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リスタートはただいまのあとで
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映画評論家
北川れい子
「窮鼠は…」と同様、こちらもゲイとか同性愛とかいうことばは使われていない。プライドの高いUターン男子が、故郷で純朴で働き者の青年と出会い、友情以上の濃密な関係を求めるという、ボーイズラブ系の話。けれども話のチョーシが良すぎる。“BL”映画だからといって世間的な障害物を置く必要がないのは当然だが、どうも浮世離れのご都合主義。ロケ地と2人の周辺の人々の描き方がそれなりにしっかりしているだけに、逆に2人の関係が絶対的なヒミツで進行するように思えたり。
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編集者、ライター
佐野亨
一度は故郷を捨てた若者が、都会の冷たさに疲れて故郷へ舞い戻り、そこでの出逢いと経験を通じて生きる目標を見いだしていく――手垢のついた物語をいかに新鮮に見せるかが肝となる題材だが、パワハラ上司、頑固な家具職人の父親、いずれとの対立もステレオタイプの域を出ず。ゆえに「だめなままでいたくない」と述懐する主人公の苦悩もいまひとつ切実さに欠け、結局周囲を説得してOKという話にしか見えない。その安直さを同性愛要素で糊塗しようとする意図さえ感じてしまった。
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詩人、映画監督
福間健二
提示部で「ダニーボーイ」の音楽が流れ、こんな甘ったれたバカいるだろうかという感じの光臣が故郷に帰り、それを度のすぎるお人好しの大和が迎える。農業をはじめとする故郷にある「仕事」の大変さを本気で描きだせるかどうかも含め、前途に大不安を感じた。いい加減さは解消しないものの、光臣の大和への恋心が見えたところからそれを応援したい気持ちに。古川雄輝と竜星涼。二人の顔がいい。無理しない井上監督、それを活かした。微笑ましい。この日本語が久しぶりに浮かんだ。
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宇宙でいちばんあかるい屋根
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フリーライター
須永貴子
14歳の女の子が、口の悪い不思議な老婆と出会い、人生において大切なものを学ぶ、ビルドゥングスロマン。東京を一人で訪れる主人公の緊張感や、夏休みが始まる瞬間の教室の高揚感など、芝居場ではないちょっとしたシーンが効いている。誰もが共有するあのときの感覚を喚起するから、主人公の変化が鮮やかに伝わってくる。ただ、クラゲバージョンのメリー・ポピンズのようなファンタジー描写や、夜空や、屋根が連なる街並みの、絵本のような質感の映像処理は若干やりすぎか。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
ファンタジーはとかく取っつきにくい。「どうせ嘘話でしょ?」と映画にリアリティを欲しがるおっさんに予め偏見を与えてしまう。現に、「所詮ファンタジーだろうが」という作品の実に多いことか。この映画も最初そう思っていた。が、俳優陣が地に足のついたとても確かな演技をしている。清原果耶のどこか大人びた、だが純に思いつめた顔がいい。桃井かおりのかもす味も健在で、ファンタジーであることを忘れさせてくれる。緻密で誠実な演出が映画の品格を快く高めてもいる。
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映画評論家
吉田広明
家族や元カレとの間に屈託を抱えた中学生の少女が、自分一人だけの空間と思っていたビルの屋上で、魔女のようなおばあさんと出会い、彼女の存在によって人生を前向きにとらえられるようになる定型的成長物語。おばあさん役に桃井かおりは適役過ぎて逆に驚きがないが、主演の中学生二人の瑞々しさが好感度を上げている。血よりも一緒に過ごした時間が重要だと言いたいのか、おばあさんがずっと会えなかった孫と再会してめでたしで、結局血筋を肯定するのか。まあ正直どっちでもいい。
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人数の町
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フリーライター
須永貴子
世界観の完成度の高さに、ディストピア小説の換骨堕胎に成功した原作ものと思ったら、監督のオリジナル脚本と知り感嘆した。主人公がたどり着いた「町」はフェンスで囲まれて自由はないが、衣食住が保障されており、一概にディストピアとは言い切れない。我々観客が暮らすフェンスの外側の過酷さに、なんならフェンスの中がユートピアに見えてくる。フェンスを挟んだ二つの世界を対比し、その様相を変化させながら問題提起し、いつしか観客が主人公として映画の中に存在する。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
作者のイマジネーションの豊かさは称賛に価する。が、映画として何を面白がればいいのかわからないし、見ていて訴えかけてくるものも感じられない。設定はユニークなのだが、そこに蠢く人間たちは、どれもありきたりで興味をそそる人は一人もいない。そんな人間だから、「町」に収容されてしまうんだろうが。人を感心させるために作られているような感があるが、そういう映画に人は心を揺さぶられない。いい映画には良くも悪くもスピリットがあり、それが人の心に震わせるのでは?
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映画評論家
吉田広明
劇場版やら第二弾やら、意気を欠く企画の多い現在、オリジナル勝負は評価。ネカフェ難民や自己破産者、DV逃亡者などに衣食住を与える代わり、身代わり投票、ネット世論の醸成など「人数」として働かされる町。フーコー的生政治の究極的ディストピア。自由だけはない彼らと、自由はあるが生きることすらままならないホモ・サケルの外の世界とどちらがより少なく不幸なのか考えさせられる。結末に文句はないが、ディストピア崩壊を見たいし、その方途を想像する力を我々も持ちたい。
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私たちが生まれた島 OKINAWA2018
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フリーライター
須永貴子
辺野古新基地建設問題を軸に、大学院生、村議会議員、写真家、高校生ら若い世代を追いかける。辺野古で起きている問題とその本質がわかりやすく理解できるし、基地前で座り込みをする市民を排除する警察の映像は、テレビ局が現政権の顔色を伺う昨今において、貴重な記録となるだろう。作り手の真摯な思いを広く伝えるためには、乱暴な言い方をすると、映画としての面白さが必要。編集の工夫をすれば、4人の物語が有機的に絡み合い、もっと短い尺で大きなうねりを生み出せるはず。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
登場するどの人もとても立派で、見ているこっちが恥ずかしくなってくる。彼らがなぜここまで真摯に生きられるのか!? メインキャストの大学院生・元山さんは、辺野古新基地建設の賛否を問う県民投票を実現するための署名活動を始める。が、条例が可決しても県民投票は実施しないという市が出てきて、投票は頓挫。それに対して元山さんはハンストを決行! 行動原理は生まれ育った沖縄に対する愛なのだ。素晴らしい! が、これを「映画」として評価しなければいけないのがつらい。
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映画評論家
吉田広明
冒頭で、生まれた時から基地が日常という若い世代が、既成事実を変えようとする映画だ、と。しかし既成事実を知り、何が問題なのかを認識し、変えるために行動を起こすことは普遍的営為であり若者の専売特許でもあるまい。県民投票を実現させた元山氏の活動開始時の挨拶が、世代間の対話=昔を知ること、島々の対話=他所との交流という映画の方向を示しており、それを構成主軸として編集すれば、コンセプトが明確に見える映画になったはず。題名も弱すぎて何を伝えたいのか不明。
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行き止まりの世界に生まれて
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映画評論家
小野寺系
格差問題の深刻化による貧困層の増加と、セットで悪化する家庭内暴力の問題。90年代のドキュメンタリー「フープ・ドリームス」が映し出した、都市の子どもたちの環境はさらに過酷なものとなり、持たざる者の夢はより遠くなってきている。本作の少年たちは、そんな厳しい現実から目を背けるためにスケートボードに集中し、日々をただやり過ごしているかのよう。この出口の見えない世界の絶望を当事者の側から眺めた本作は、アメリカを撃つ厳しい告発としての意義を持っている。
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映画評論家
きさらぎ尚
成長する三人の姿から、ドキュメンタリーの本物の力強さとドラマ性の、両方を堪能できる。スケボー店のオーナーが言う「スケボーは単なる遊びや仲間作りの道具ではない。これがあれば世界に行ける」のとおり、彼らの感情の動きを捉えた映像、“ここからどこへ行くのか”と問いかけ、行き止まりの世界にいる者たちは、観客の感情をぐいぐいと引っ張る。なかでも被写体であり監督でもあるB・リューの、自身へのカメラの向け方が優れている。もはやアメリカ一国の話では終わらない。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
スケボーを追いかけるカメラの迫力は出色ものなのだが、そのカメラはドキュメント部分では監督の身の回りの友人の人生のうわべを映すばかりで、奥に見え隠れする危険地帯には決して踏み込んでいかず、それでも過去の虐待の悲惨さは伝わってくるとはいえ、今の彼らには気の置けない仲間がいるし、家も車もあり、再三に渡って破壊されているスケートボードだって安いものではないはずで、観ているこちらの疑問は膨れてゆくばかり――果たしてそこは本当に行き止まりなのでしょうか?
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ファナティック ハリウッドの狂愛者
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
古くは「サンセット大通り」、「マルホランド・ドライブ」、最近では「アンダー・ザ・シルバーレイク」などハリウッドという土地固有のメディア亡霊に取り憑かれた男。幻影と現実だけではなく、価値と無価値、善と悪、演者と鑑賞者の境界は消失。鑑賞者の方がドラマティックで映画の題材と化す。自身の身体性も希薄となり誰もが離人症。自分の肉体を引き止める唯一の処方は耳の垢の匂いを嗅ぐこと。そこが唯一のリアリティへの命綱だ。昨今のマスク手放せない習慣も身体的安心か。
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フリーライター
藤木TDC
「ジョーカー」と「Mr.ビーン」を混ぜたら最悪の味になった風のひどい出来。2019年ラジー賞主演男優賞受賞は実にふさわしく、中身はそれ以上に最低だ。トラヴォルタ66歳が演じるナイーヴなB級映画ファン像は私自身同類のオタクとして怒りを覚える意地悪い造形だし、現在の社会規範では容認されない偏見を助長する描写があり、悪質ないじめを戒めも弱者の復権もなく放置する無神経さに胸くそ悪くなる。ドナルド・トランプの頭の中を覗くような不快なアメリカ映画。
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映画評論家
真魚八重子
これは一体なんだろう。もし作り手が客観性を持っていたなら、この登場人物たちの相関関係はコーエン兄弟が描くように奇妙な味を生み出したかもしれない。だが本作は迷惑な人が他の迷惑な人と出会い、物語として都合のいい化学反応が起きて不幸な?末になっただけに見える。そもそも変人が二人という偶然性も、珍奇なストーリーテリングに思える。ストーカーの映画はこれまでにも作られてきたが、このラストは同情できず、しかし陰惨すぎて心の落ちつきどころがない。
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世宗大王 星を追う者たち
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
15世紀の朝鮮王朝という、海外の観客にとってほとんど馴染みのない時代設定の上、序盤でそこから二段階で過去に遡るストーリーテリングの未整理さは気になったが、基本はバストショットの切り返し中心の工夫のない演出による会話劇なので話に置いていかれることはない。しかし、まったく知らない時代と土地の歴史劇でありながら、史実にはあまり忠実ではない(わかっていないことが多いらしい)とのことで、視点をどこに定めたらいいのか最後までわからなかった。
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