映画専門家レビュー一覧
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ドンテンタウン
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映画評論家
吉田広明
前住人が置いていったものの中にカセットテープの日記があり、それを聞いて彼の存在を感じているうち、彼が現実に現れる。今描かれるのが、テープで語られた過去なのか、ヒロインの想像なのか、そもそもそのカセットで語られる彼の物語もヒロインが働く喫茶店の常連劇作家が執筆中の話と同じと、現在と過去、現実と虚構が交じり合って、その不確かさは深刻にならず、ファンタジーとしてそつなくまとめられている。トンネル、団地などのロケーションもデザイン的に面白い。
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パブリック 図書館の奇跡
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映画評論家
小野寺系
監督としても俳優としても、久々にエミリオ・エステヴェスの仕事を見ることができた。公共と人命の問題は、いま最も扱うべき意義のあるテーマだといえるし、それをユーモアと善良な人々の描写によって楽しませながら見せていく手腕も確かだ。劇中で表現される「怒りの葡萄」のテキストに託された弱者の悲痛な感情と、それを拾い上げようとする、地味ながら優しい図書館スピリットが胸を打つ。いまの日本も知性が軽視され、自己責任論が蔓延している状態。本作の精神をぜひ学んでほしい。
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映画評論家
きさらぎ尚
図書館員が主人公のこの映画は解りやすい。物語を構成する図書館利用者の権利、貧困、警察のあり方、野心的な検察官、主人公の過去を調べ上げて報道するメディアの姿勢。これらはいま現在の、日本の私たちにも社会問題として、共有可能。80年代にもて囃された青春映画の若手俳優たちブラット・パックの中心にいたE・エステヴェスは、当時話題の「ブレックファスト・クラブ」では図書館で懲罰の課題に取り組み、今回はソーシャルワーカーの役割を果たす。社会の混迷は、より深刻に。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
公共図書館に立て籠るホームレスたち、それを擁護する館員、締め出そうとする警察、民衆を煽るマスコミ……それぞれの立場と正義が拮抗するたった一晩の物語の中に民主主義が抱える問題やキリストの矛盾を突く鋭い視点が詰まっている思考実験的な要素の強いこの作品に真の正解など用意されているはずもなく、さすれば映画としてはどこに落とし込むかが問題になってくるのだが、想像の斜め上をいく着地を決めることで極めて映画的な多幸感を味わえる一級品に仕上げているのは見事だ。
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ブリット=マリーの幸せなひとりだち
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映画評論家
小野寺系
サッカーを知らない63歳の女性が、突然田舎町の子どもたちにサッカーを教えるコーチに就任するという、場違いな展開が面白い作品だが、物語が進むにつれ、だんだん設定に無理が出てくるのは否めない。そこは、フワフワした雰囲気の原作を実写映画化したところにも原因がありそうだ。「スター・ウォーズ」シリーズの役が素晴らしかったペルニラ・アウグストを主演に、自立心の成長を描く試みそのものは共感できるが、今回の役には特別応援したくなるほどの魅力を感じなかった。
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映画評論家
きさらぎ尚
福祉国家スウェーデンでも、結婚してこの方、専業主婦を貫いた63歳ヒロインに、仕事がそう簡単に見つかるはずはあるまい。でも彼女の自立ありきの物語ではない。なので村の寂れた施設の管理人の仕事も、任された少年サッカーチームのコーチも、初期段階でこそ突飛な設定に感じるが、ニュートラルな立ち位置で、守るべき価値観を守りながら変わるべき自分を受容する柔軟さに共感する。その意味で邦題よりも、原作と同じ原題「ブリット=マリーはここにいた」が、主題にしっくりくる。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
折り目正しい生活に誇りを持っている60過ぎの女性が夫の浮気をきっかけに自立し、新しい人生を踏み出すという物語が開始数分ではっきりと輪郭を見せるストーリー捌きはお見事なもので、全篇通して淀むことがないスッキリ観やすい大衆娯楽映画ではあるのだが、このテンポ感を生み出しているモノローグ、モンタージュ、音楽の多用が諸刃の剣となり肝要なところまでもを流してしまっている印象で、終盤の少年サッカーの試合シーンのカタルシス不足の誘因にもなっているように感じた。
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悪人伝
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
最近の韓国映画にしては冒頭からの空撮演出が90年代の日本のノワール風で、多少クリシェで幼稚な印象を受ける。はみ出し刑事と筋を通す任?ヤクザのコンビはヴァイオレンスエンタメとして最後まで振り切っている。脚本はさることながら、熱量や持久力、根底のマンパワーに感心。哲学派殺人鬼は「セブン」さながら人間の原罪を法廷で語る。殺人ドラマはどこまで犯人の動機が強いか。その必然性を逆算していくのだが、現代社会では親からの虐待が一番説得力があるのも不思議。
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フリーライター
藤木TDC
ヤクザ・刑事・猟奇犯と近年の韓国映画の得意要素を絶妙にブレンド、残酷描写を一般客がドン引きしない濃さに調整した仕上がり。ゴリラ可愛いマ・ドンソクは直球ド真ん中の極道組長を演じると思いのほか善人っぽさが前に出る不満はあるものの、狙いは若いカップルのデートにも対応するエンタメノワールだろうし、暴力もマンガ的な「笑える恐さ」レベルにうまく抑えて後に引かない。終盤に至りライバル集団が一丸となり全力捜査する展開は日本のドラマ『下町ロケット』あたりの影響か?
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映画評論家
真魚八重子
ヤクザたちも刑事らも良い顔のオンパレードで、この手の韓国暴力映画が好きな人には無条件でオススメできる。マ・ドンソクは過剰な筋肉に目を奪われがちだが、頭が切れて善悪どちらに転ぶかわからないヤクザ役の、狂暴さと思慮深さを微妙な表情で使い分ける演技力が、複雑な物語を屋台骨となって支えている。苦境に追い込まれた、立場が相対するうえに信用に値しない男たちの駆け引きという主軸に加え、意外にも連続殺人鬼の追跡が大きな要素となってくる設定も新しくて面白い。
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リトル・ジョー
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
アートワークはミニマルからウィリアム・モリスまで、色彩設計も素晴らしい。マヤ・デレンの音楽を担当した故伊藤貞司の楽曲を使用。雅楽のような音源は特に西洋人にとってはミステリアスな効果を生むのであろう。善悪が未分化で、神道や能や狂言にも通じる世界観は光と影ですら相対的な非二元論。一本の映画がこのように鑑賞者の意識を気付かぬうちに変えることもあるだあろう。「柔らかい殻」からの大ファンであるリンジー・ダンカンが重要な精神科医役で出演していて嬉しい。
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フリーライター
藤木TDC
なるほど「ルルドの泉で」の監督10年ぶりの日本公開作か。バイオ操作植物が生存戦略で人体と社会を侵触する導入は中高年の脳内に「怪奇大作戦」のテーマを響かせるも、一筋縄でゆかぬ監督はお約束めいた殺人劇へ進まず、静かな映像とニヒルな構成で観客を作中の花粉のごとく煙に巻き、人間の不可解な深層やウィズコロナ時代の感覚変化へ意識を導く。色彩設計が素晴らしく、オシャレ怖い映画として「ミッドサマー」のように当たるかも。「007」ファンはQの女あしらいに注目。
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映画評論家
真魚八重子
人工的な閉塞感を作り出した数多の映画の一本であり、その系譜としては決して突き抜けた出来ではない。しかし(もっと硬質なニュアンスでいいのに)と思っていたら、非常に内面的な、心理に分け入る内容だったので、演出にどこか漂う柔らかさはテーマとマッチしていたことに驚いた。女性が母性を持っているとは限らず、愛の量が周囲と比べ少ない場合もあるという、男性の夢を壊すようで言いづらい真実を明かしてくれていてありがたさを覚えた。スリラーとしての変容も地味だが秀逸。
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ライド・ライク・ア・ガール
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
女性の監督による「馬」映画といえばクロエ・ジャオの傑作「ザ・ライダー」が記憶に新しいが、本作が長篇監督デビュー作となったレイチェル・グリフィスの関心はあくまでも馬に乗る人間にあって、馬の描写には驚くほど無頓着。もっとも、役者監督ならではの勘所を押さえた手際のいい人物演出は、メジャースタジオ作品でも十分に通用しそう。その際はアドバイザーもついて、有名ポップソングの数々をぶつ切りでたれ流すような時代遅れな音楽の使い方もきっと改められるだろう。
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ライター
石村加奈
一見忍耐の多い人生に映るが、運命の馬プリンスと初めて海辺を駆けるシーンや、伝説のメルボルンカップ・レース直前のミシェルの様子を俯瞰で捉えるカメラ即ち神の眼差しに祝福されたヒロインである。何より馬に愛されている。頭蓋骨骨折後、再び馬に乗るなど想像もしない人間をよそに、馬が迎えに来るシーンにはときめいた。懐かしのCranberries〈Dreams〉や、タイトルを彷彿とさせるWILSN〈Fight Like A Girl〉などの軽快な音楽も、障害の多い半生をなめらかにする。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
メルボルンカップを制した初の女子騎手の実話だが、実在の人物の軌跡を描く作品にありがちなダイジェスト感は否めない。姉の死、父との確執、自身の大事故、そして復活、などドラマチックな展開もいちいち引っかからず、レースの駆け引きをめぐる面白さ、疾走感もあまり感じられない。だが、クライマックスのメルボルンカップ当日、これまでの鬱憤を晴らすかの如く急に全てが繋がり、輝き出す。今までの展開はこのレースを描くための布石、ここに賭けていたんだな、と勝手に納得。
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眉村ちあきのすべて(仮)
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映画評論家
川口敦子
「『天才』と称されるアイドル」(チラシより)を知らなくても、「密着ドキュメント映画、のはずだった――」(同)ものを愉しむことは可能だろう。それができないのは新しい才能や表現に自らを開けない頑なさのせいかと不安に駆られもしたが、いや違う、企画も筋も撮り方も要は退屈なのだと気づく。密着映画のようなものの正体にも、そこにいるアイドル(たち)にも新味を感じ得ないのは、それなりに撮れてしまうことへの甘えが全篇を覆っているからだ。映画をなめないで欲しいと思った。
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編集者、ライター
佐野亨
眉村ちあきさん、お名前は存じ上げていたが、たしかに才気あふれるひとだ。その魅力をさまざまな「大人の男性」が語る導入にやや息苦しさを感じ始めたところで映画は突如、クローンを題材としたSFへと飛躍する。アイドルの偶像性と身体性をめぐるドラマが展開されるかと思いきや、ここからは徳永えりや小川紗良が存在感を発揮するのと対照的に、眉村の身体性が物語の後景にどんどん追いやられてしまう。結果、彼女を取り巻く「大人」の視線にもある種のきな臭さが漂うことに。
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詩人、映画監督
福間健二
アイドル、音楽、表現。「なんでもあり」でやってしまえと思っても、いろんなブレーキがかかる現実がある。「なんでもあり」がそれこそ自粛的に狭い範囲からの取り込みになりかねない。眉村ちあきの「なんでもあり」は大健闘だと思う。その地力、発想力、機転を活かしたい本作。ドキュメンタリーの地平からの、アッと驚く飛躍がある。存在と表現の両面での「個性」を立体化するような、その思い切りのよさに拍手したい。松浦監督、画が「処理」になりすぎているのが惜しい。
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劇場
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映画評論家
川口敦子
人が人を愛することのどうしようもない寂しさ、何者かであろうとすることのどうしようもないみじめさ、無様さ。それを芯に監督、脚本、音楽各氏が鼎の三本足然と“下北沢”感を紡ぐ。その手さばきの確かさに抵抗感山積みで眺めていた究極の半径数メートル的世界にいつしか巻き込まれていた。あくまで狭く小さく閉じた世界の苦しさと背中合わせのちっぽけな涙ぐましさ。終幕、開くことで一層それが痛感される。小劇団ものとして「マリッジ・ストーリー」と見比べても面白そう。
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