映画専門家レビュー一覧
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おいしい家族
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
この映画のもとになった30分の短篇を偶然見ていた。それを一時間半強の長篇にしている。短篇では描き切れてなかった、亡き妻の衣服を身につけて母親になろうとする父親とは何者なのか、そんな父親に幻滅する娘はいかに気持ちを整理してゆくのか。それが納得のいく形で見られると思って期待したが外された。奇異な設定は腑に落ちてこそ意味があるが、そのままほったらかしてしまっている。笑いを取ることに気を散らさず、この父と娘を穴のあくほど見つめさせてほしかった。
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映画評論家
吉田広明
「一見奇矯だが、実はまっとうな実家家族の在りようを通して、ヒロインが家族の多様な在り方に気づく映画」。それ以上ではない。愛さえあればどんな形であれ、それでいいのだ、というメッセージ自体は素晴らしいが、コメディとして笑えないためにメッセージまでうまく伝わらなくなっている。ワンピースのおっさんという見た目のインパクトに頼りすぎで、間合いや雰囲気の醸成など微妙なバランスの計算(それが要するに演出なのだが)が今一つ。生硬で未熟という印象。
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3人の信長
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ライター
須永貴子
明暗のコントラストが強い、時代劇というよりはアクション映画のようにギラギラザラザラした画質。イラストを使った時代背景のわかりやすい説明。史実に「あったかもしれない」という自由な発想の物語と、すぐに本題に入るスピーディーな展開。さりげなくモダンな衣裳。キャスティングはもちろん、時代劇に慣れていない層を楽しませたいという意欲が溢れた作品。気軽に観られるライトなエンタメ時代劇としてアリだが、俳優の“白すぎる歯問題”はどうにかしてほしい。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
信長に敗れた今川の元家臣たちに、3人の信長が捕まる。家臣たちは信長の首を斬って、亡き主君の墓前に捧げなければならない。だが、3人のうち誰が本物なのかわからない。家臣たちは本物の信長が誰なのかを巡って悪戦苦闘を強いられる。だが、本物の信長が誰だかわかったとして、それがなんだと思ってしまう。史実でもなんでもないトンデモ設定なら、トンデモもないカラクリやトンデモない結末がほしいのに、実に無難にまとめている。この映画をどう面白がればいいのか僕にはわからない。
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映画評論家
吉田広明
信長が三人、誰が本物か。人里離れた廃村に舞台を限定したのは予算の制限もあるのかもしれないが、その分、脚本のハードルは確実に上がる。この作戦が功を奏しているかといえば正直微妙だ。アイデア勝負になってくるが、そのアイデアがいささかしょぼいのだ。彼らを捕らえた側の根拠は復讐だが、彼らが信長に負けたことでいかに悲惨な目に遭ったかが感じられないので動機が弱いし、そもそも全員斬ってしまえばいいではないかと思わせる時点で負けだろう。
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帰ってきたムッソリーニ
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映画評論家
小野寺系
「帰ってきたヒトラー」の内容を、ムッソリーニに移し替えただけなので、物語上の差はほぼない。しかし、いま世界で起きているシリアスな問題を照射する、よくできた話には違いなく、映画化の意義は十分にあると思う。同時に、かつて同じ枢軸国だった日本が、これら独裁者コメディを受けて何が作れるのだろうと考えこんでしまった。ヒトラーに比べ女性の口説きに執心する描写が特徴的で、悪しき典型としてのイタリア男とマッチョ思想、ファシズムを同一線上に並べる試みにも納得できる。
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映画評論家
きさらぎ尚
「帰ってきたヒトラー」と設定が同じでも、お国柄の違いがくっきり。「?ムッソリーニ」は、新聞店で独裁者の突然の生きかえりに仰天したのは店員ではなく、ムッソリーニの方。店員が男性同士のカップルだったから。また主人公の恋愛を後押し、エキストラとして出演している市民も眉間をシワを寄せる者はいない等々、最後まで面白可笑しく通すところが、意外にも楽しい(イタリア気質か)。加えて、結末には独裁者よりもマスメディアの権力の恐ろしさを示唆する現代への警鐘もきっちり。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
元ネタであるヒトラーの方は未見につき比較は出来ないとはいえ、今の日本では作れないであろうタイプのなかなかにけしからん映画なのだが、喜劇としての質は高く、明るくスケベで大らかなイタリアらしいノリで細かいことを気にせずポンポン進んでいく楽しい展開に、ムッソリーニいいヤツじゃん、なんて思っていたらジリジリとダークになっていき、それまでの能天気さが意味を変容させてゆく仕掛けに気付くに至り、彼にとっては現代人の方がちょろいのかも知れないと思い怖くなった。
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シンクロ・ダンディーズ
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映画評論家
小野寺系
実在のシンクロチームの成功譚に合わせて設定を作り込み、シンプルな娯楽作に手堅くまとめあげていて、それなりに楽しめる一作。モデルにしたスウェーデンへのリスペクトが払われているなど、全体的にそつなく気をつかっているが、それ以上の何かがあるわけではなく、いまいち印象の薄い作品にとどまっている。同じ出来事を本作と近い時期にフランスで映画化した「シンク・オア・スイム」は対照的に、情緒的で実験的だが不器用な部分もあり、一長一短で仲良く引き分けかなという感じ。
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映画評論家
きさらぎ尚
同じシチュエイションの「シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢」と見比べてしまう。ミッド・クライシスのど真ん中にいる設定の、チームのメンバー8人のうち、会計士の抱えている問題は具体的に描かれているが、他はさらっとしか触れられない分、ドラマとしての弱さも。であっても、世界選手権の成績はお約束の結果として、やっぱり……なのだが、練習風景はカメラが水中での(下手な)動きを捉えているので、頑張ってる感が大。愛嬌たっぷりのグランド・フィナーレ○。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
出てくるのはシワシワのおっさんばっかだし、主人公も割と本当に情けなくて、そりゃ嫁にも嫌われるわって感じで、「ウォーターボーイズ」のような華はないのだけれど、そのショボくれ感が堪らなくいい。シンクロシーンが見所かと言われればそうでもなく、パフォーマンス自体はかなり微妙なのだが、その生々しい完成度におっさん達のリアルな頑張りを感じる事ができるし、8人のキャラ分けも程良い塩梅で、熟年男性ならではのペーソス特盛りな人生賛歌に、気が付けば涙を流していた。
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レディ・マエストロ
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映画評論家
小野寺系
女性指揮者への偏見を通して、人々の無意識的な差別をあぶり出し、現在の問題へとつなげていく内容と、根性と音楽への愛情で固定観念をぶっ飛ばしていく主人公の姿が小気味よい。それだけに、シーンの数が多過ぎて、メインテーマにまつわる部分や、生い立ちの物語などのエピソードが、あまりに細切れになってしまっているのが残念。ゆえに展開が唐突に感じられる箇所が多く、重厚な見せ場も作れていない。シーンを減らして、一つの場面に要素を統合していく工夫が必要ではないか。
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映画評論家
きさらぎ尚
「音楽に性別はない」をテーマに女性指揮者アントニア・ブリコの半生を描いたこの映画は、女性が指揮者になりたいなどと言っても相手にもされなかった時代に、どうやって彼女が自分を棄てないで夢を叶えたかを描く展開が好ましい。そして、実在の人物かは不明だが、彼女を陰に日向にサポートするロビンのキャラとエピソードが、女性初のといった伝記ものにありがちな硬質な話に柔らかな膨らみを出し、テーマを支える。ロビンが言う「人間は裸で生まれ、後はすべて仮装」が心強い。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
140分によくぞここまでエピソードをぶち込んだなあという感じで見応えがある反面、流石に詰め込みすぎ感もあり、出生の秘密云々のくだりや肝心の演奏シーンが若干中途半端になってしまっている気もしたが、音楽のためなら全てを犠牲にするモーレツキャラと見せかけて色恋ごとには未練タラタラだったりする人間臭さや、ナイトクラブのバンマスとの距離感などが良く、女性差別がはびこっていた時代に女性らしくあることを棄てずに情熱を貫き通したヒロインの姿には心を動かされた。
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エイス・グレード 世界でいちばんクールな私へ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
特殊で際立った実例や選民思想を描くことが、大衆小説や物語では常套手段のひとつ。この作品はどこにでもいるような等身大の女の子とその変哲もない周囲を描いた。SNSは誰もが自分を発信し客体化できるメディアで、集団無意識的な理想像を映し出してしまう。その中では自身が監督でありプロデューサーでありタレントでもある。世界の中心は自分自身であり主役は自分。その理想像からはみ出し、人が最も見せたくはない無防備で余剰な現実をユーモラスに描いて見せた。
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フリーライター
藤木TDC
ネット世代の中二病女子が性体験のさざ波に足をさらわれ悶々。大昔の「ポーキーズ」などに較べ萌芽年齢も若いし淡い。昭和37年生れの筆者はアクチュアルな中二世界は知らないことばかり。主人公の父親の視点があって感情移入できたのは救いだった。ひと夏の経験はさして過激なグレードまで発展せず父親世代は安心して見られる。娘との和解は中年男性客の泣きどころ。サービス的でやや鼻白むが。にしてもバツイチ親父、娘ばかりに執心してないで外に女作れとエールを送った。
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映画評論家
真魚八重子
日本でいう中2の時期の波乱は緻密に描かれている。ネットに密着して自己顕示欲が増し、しかしそれを制御する客観性や抑止力は未熟で、なおかつ性的な視線には容赦なくさらされ始める。そんな危うさを確かに描きつつも、映画の世界観は少女ケイラの小さな世界でこぢんまりと終始してしまっている。対象が少女なだけで、平凡な大人の日常を描く映画の退屈さと大差ない。ケイラと父親との関係は繊細だが、彼女が自信なく背を丸めた演出なども誇張が過ぎて引っかかる。
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アナベル 死霊博物館
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
人形、鏡、鍵盤、ブラウン管といったホラー・マニア垂涎の小道具がひしめく「死霊博物館」を地下に備えた一軒家で、親が留守の一夜、人物は大人未満の男女4人のみ、という構成は古典的な美しさをたたえ、まさにホラーの教科書というべき一篇だ。ただし、因縁話や精神分析といった怖さの理由の説きおこしを一切取っ払って、怖がらせる仕掛けだけがタガの外れた機械のように暴走している面はあって、それを退廃と見るか、テーマパークみたいに楽しんでしまうかは、あなた次第。
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ライター
石村加奈
「アナベル」「IT/イット」の人気ホラーシリーズの脚本を手がけてきたゲイリー・ドーベルマンがメガホンをとったシリーズ第3弾。音やスモークで恐怖を煽る古典的な演出は、呪われた人形・アナベルの物語にふさわしいが、カメラワークにもう少し工夫があれば、おどろおどろしさが増しただろうにと思う。アナベルに恐怖の世界へ引きずり込まれるウォーレン夫妻の娘ジュディをはじめ、メアリー、ダニエラはみな、ホラーの似合う美少女だが、善良なボブ少年も、意外とホラーキャラで面白い。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
ひたすら怖かった。満席の試写室で観たのだが、中盤からずっと右隣の若い女性が「ひゃっ」左隣の初老の紳士が「おぅ」と声を漏らす。そういう私も声が出ないように口を開けっぱなしにしていて、その場内の一体感たるやハンパなかった。展開はありきたりなのだが、音の緩急、余白を絶妙に残すカット割りの巧さで「体感させる」ことに成功している。やや間の抜けたラストシークエンスの最終カット、その「真実」(シリーズのファンにはおなじみなのかもしれないが)にとどめを刺された。
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