映画専門家レビュー一覧
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プライベート・ウォー
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映画評論家
真魚八重子
主人公は戦場での経験からトラウマに苛まれ精神的な脆さの瀬戸際に立ちながらも、紛争地に舞い戻らずにいられない。使命感と、恐怖と紙一重の激しさにしか生きている証が感じられない者の行為だ。この複雑な人物をR・パイクが見事に演じきっている。恐怖という感覚を喪失する映画「フィアレス」にもあったように、恐れを失った人間は自由になれるわけではなく、危機意識を感じたくてさらに危うい領域に踏み込んでしまう。戦場だけでなく、その精神的彷徨も豊かだ。
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僕のワンダフル・ジャーニー
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
ペットの犬が人間の声でセリフを喋るのがどうにも頂けない。そこでためしに頭の中でその声を消しながら見てみた。私はどんな映画を見たと思う? もの言わぬわが犬が、もしかしたらあの犬の、そしてあの犬の生まれ変わりではないか、と最後に人間が(観客と共に)発見する、それはそれは感動的な映画であった。ヒロインのCJが小学生から高校生へ一瞬で成長しているギターを結び目にした演出が素晴らしい。犬が喋らなければ、彼女の弾き語りをもっと聞けたのに。
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ライター
石村加奈
4匹の犬それぞれにかわいいが、最初に登場するベイリー(おでこの白いハート模様がかわいい!)の芸達者ぶりには舌を巻いた。イーサンに合わせて伸びをするなど、ナチュラルな魅力で、犬が喋るというファンタジックな作品世界に観客を誘う。しかしながら「人を愛するのが(犬生の)究極の目的」とし、飼い主との約束を守るべく、輪廻転生を繰り返す健気な犬たちに比べて、人間の身勝手さには哀しくなってしまう。安楽死や交通事故など、人間の都合で、犬たちが死を迎える展開は酷い。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
同じ主人に尽くすため、生まれ変わって何度も「犬生」をやり直す健気な犬の冒険。前作を観ておらず、いわゆる動物映画にもほとんど興味がないのだが、最後まで楽しく観られたのは、とにかく語り部を“演じる”犬たちが魅力的だからだろう。彼ら(?)の脚本に沿った動きと自由な行動に合わせて作ったであろうシーンを無理なく混在させた演出、構成が秀逸だった。人間たちのドラマはかなりベタだったが、犬目線で語られると気持ち良くハマる、という発見もあった。
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王様になれ
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映画評論家
川口敦子
バンド結成30周年の記念映画、それもドキュメンタリーや実話ベースの物語ではなく、オリジナルの青春映画――というセールス・ポイントを除外しても何者かになろうとあがく青年の腐臭すれすれの上昇志向のしぶとさは“いまさら感”を徐々に蹴散らし、奇妙な捨て難さに手をかけていく。そのじわじわとした磁力のようなもの。それは背景をとばして人の顔に肉薄する撮影福本淳+照明市川徳充の力に因るところ大だろう。あるいはそれなしではうんざりだけが降り積もった!?
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編集者、ライター
佐野亨
型通りの葛藤、型通りの挫折、型通りの恋愛劇……驚くほど陳腐なストーリーと人物造形のうえに、過度なモノローグはじめ延々と説明的な演出がつづく。the pillowsの歌が好きな人なら、合間に挟まれるコンサート場面や音楽場面で持ち直すのだろうが、そうでない評者のような観客にはひたすら退屈。ファン映画であるとしても、もう少し趣向を凝らしたフックがなければ、あまたある青春映画のなかに埋もれてしまうだけだろう。主演の岡山天音の嫌味のない朴訥さがせめてもの救いか。
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詩人、映画監督
福間健二
カメラマン志望の、ラーメン屋で働く青年。人との関係のなかで助けられ成長していくが、演じる岡山天音が弱い心をいい感じで出していて、身につまされた。ラーメンの葱をまちがえて入れたあとの対応の拙さからの流れなどだが、そこに登場もした原案者山中さわおとオクイ監督の、たぶん人生経験に培われたものが味になっている。写真の出てくる作品にふさわしく、撮影もていねいだ。ただ、せっかくの音楽を活かしきっていなくて、時折まじめさに沈み込む調子になるのが惜しい。
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かぐや様は告らせたい 天才たちの恋愛頭脳戦
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映画評論家
川口敦子
恋のやせがまん合戦は往年の聖林ロマンチック・コメディからM・リングウォルドの学園ロマンスまで、恋愛映画の王道だが、ここではパターンが微妙にずれて、例えば恋の三角形より姫と王子を囲む面々の主従関係が筋を支え、要はハラハラを呼ぶ対立要素が欠落し退屈が蔓延していく。そもそも実写化する意味があるのか。下田淳行Pファンとしては欲求不満が山積した。橋本は下半身の重さが旧時代アイドル(吉永小百合や内藤洋子)の条件を継承していて、そこだけちょっと興味深い。
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編集者、ライター
佐野亨
冒頭いきなり安手のバラエティ番組の説明VTRのような代物が映し出され、暗澹たる気分になったが、平野紫耀と橋本環奈の駆け引きが始まってからは、個性豊かな二人の演技を楽しんだ。ところが演出がいちいち彼らの身体性を封じ込めてしまう。この映画に限らず、近年の漫画原作物は役者の身体性をアニメ的表現に寄せていく傾向が強いが、漫画の映画化だからこそ被写体の身体性をいかに信頼するかが肝なのだ。一方、佐藤二朗のギャグシーンはあまりに野放しでクスリとも笑えない。
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詩人、映画監督
福間健二
平野紫耀と橋本環奈。ファンには申し訳ないけど、ちょっと心配になるキャスティング。なんとかなっているのは河合監督の腕が大きいか。自分からは絶対に告りたくない二人の「頭脳戦」、実は周囲のどんな「低脳」にも二人の恋心はバレている。そういう徒労的努力のミニマル版なら、天才でなくても普通の心理の劇として経験することだろうが、中身らしい中身はこれだけ。この嘘、だれが夢見ているのか。どうせなら、二人の「好き」と無内容をこの世のなにかに対決させたかった。
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影に抱かれて眠れ
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映画評論家
川口敦子
横浜、野毛。川がある街の裏通り、キャッチボールの3人がモノクロにゆらめいて夏が染みるオープニングにはざわりと胸が騒いだ。そこに立ち戻るエンディングではだが、騒いだ心が虚しくどこかに消えてハードボイルドの骸を無理やり抱かされたような後味を?みしめる。形あって心なし――というわけでもないとは思うが、物語の要素をつめ込みすぎて肝心要が見えてこない。やさしすぎる弟分が探していた姉とすれ違う昼下がり、吹き抜ける風等々時々、素敵もあるので余計に惜しい。
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編集者、ライター
佐野亨
全体に説明過多な場面が多いが、和泉聖治の職人的手腕でさほど気にならない。いかにも北方謙三的なキザな主人公と理想化されたヒロインも加藤雅也と中村ゆりの適度な抑制で快く見ていられる。余貴美子、ビートきよし、火野正平(最高!)らベテラン勢に比してヤクザのボス格が弱く、人身売買の恐ろしさを具体的な画で見せることもないので、ハードボイルドが空回っている印象。ただ、ハマの住人としては、映画を観終わってすぐ野毛の町へ繰り出したくなるくらいの吸引力はあった。
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詩人、映画監督
福間健二
北方謙三原作で和泉監督の作るヒーロー像は、裏社会の連中にも動じない画家。腕力ある芸術家なら現実にこれに近い人はいる。でも、そんなに気どってるはずないよと加藤雅也に言いたくなった。どの人物の顔からも生気を奪うような平板な「スタイリッシュ映像」で、物語の運びは犠牲にしてもとにかく雰囲気を出したいのだろうが、どういう涙をこらえてのハードボイルドなのか。B級的楽しさの芽はあっても、後半の刺青のエピソードその他、こんなときに何やってるんだと呆れた。
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いなくなれ、群青
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ライター
須永貴子
テーマに触れるだけでネタバレになるのでここでの言及は避けるが、真相が明らかになったときに「……で?」と思ってしまった自分は、この青春ファンタジーにカタルシスを感じるには大人になりすぎてしまったのだろう。それはさておき、白昼夢のように美しい映像のなかに、タクシー運転手に至るまで美形だらけのキャラクターを配置し、意味深で演劇的なセリフを放たせることで、閉ざされた異世界を作り上げた監督の力量は確か。まったく違う題材の監督作品を見てみたい。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
捨てられた人たちが連れて来られた〈階段島〉という小さな島で少年少女たちが高校生活を送る。その生活はどこにでもあるごく当たり前のもの、そういう島だからこその生活でもない。彼らはなぜ連れて来られたのか、いやそもそも何に誰に捨てられたのかわからない。彼らがどんな人間なのかよくわからないから、悩んで眉間に皺を寄せたり、泣きながら話したりしても単なる顔面の筋肉の動きにしか見えないし、台詞は空虚な言葉の羅列にしか聞こえない。何を狙った映画なんだろう。
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映画評論家
吉田広明
気づくと大人のいない島にいた中高生たち。彼らの正体は、そして何故ここに。ネタばれだから言えないが、その発想自体が中二病なのだ。中二病を扱うに、自虐のユーモアがないとこうも痛々しい。出てくる人物皆典型(委員長女子、熱血少年、トラウマ音楽少女、ヒネた文学少年)で、それに意味はないわけではないが、学芸会でも見せられている気分だ。原作は「心にくさびを打つような美しい文章」だそうだが、カッコつけすぎて(それも中二)日本語としてどうかと思う台詞も多々。
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タロウのバカ
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ライター
須永貴子
日本社会が抱える数多の問題を、劇映画だからできる方法で告発する、見るなら今でなくてはいけない作品。社会から見捨てられた3人の若者が主人公という点で、同監督の「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」と重なるが、社会規範という枠の外や、生きることに向かう矢印が、より大胆に、力強く示されている。技術面は経験により洗練されても、映画作家として丸まらず、より先鋭化する気骨。タロウを演じたYOSHIの、動物のように予測不可能な動きをつい目で追ってしまう。
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脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
はみ出した若者たちの刹那的な生き方を追っている。タロウがシングルマザーの子だけに、四年前の川崎中学生殺人事件に想を得たのかと思ったが、そうではなく、「ゲルマニウムの夜」(05)以前の90年代にデビュー作として書いていた脚本を映画にしたのだという。時代を先取りしたかのようだ。あの被害者の川崎の少年が銃を手にしていたら、どうなっていただろうと思わせた。薄っぺらで嘘っぽくて恥ずかしくなるような若者映画が蔓延する中、掃き溜めの少年たちが鶴のように光っている。
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映画評論家
吉田広明
社会から落ちこぼれ、「意味がない」とされた少年たちが、銃=力を手にしてしまったら何が起こるのか。デビュー作用のシナリオのシンプルな初期設定に、障害者虐待・搾取やネグレクトなど、弱者に一層厳しくなった現在への怒りを載せてアップデート。ただ、その接合は性急な気がしなくもない。それぞれの人物の、どこに行くか分からない不安定さ、揺れ幅が、ただの社会派ドラマに回収させず、タロウが公園のおばさんに「母」を見て話しかけ、豹変してゆく長回しもスリリング。
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ヒンディー・ミディアム
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映画評論家
小野寺系
「平方メートルの恋」や「あなたの名前を呼べたなら」など、ムンバイを舞台に格差問題を描くインド映画を近年目にするようになってきた。お受験事情をコメディ調で扱う本作は、多少図式的ながら分かりやすく貧/富それぞれの生活をシンプルに映し出し、現代インド社会が直面する課題を学ぶきっかけになり得る。二極化が進行するなか、経済格差の是正が困難になり不正が横行しているなど、日本社会も他人ごとじゃない。主人公たちの成金ファッション姿を盛り上げる劇中歌が笑えた。
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