映画専門家レビュー一覧
-
サウナのあるところ
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
フィンランドのサウナは憩いの場、告解の場、会議室でもある。この映画では、画面には映らない物語が生まれ語られ伝えられていく場であり、劇場そのものである。居合わせた人々は自分事として耳を傾ける。そして我々鑑賞者も一糸纏わずそのサウナに一緒に入っている錯覚に陥る。マスコミが描く平均的な幸福論ではなく、唯一無二の等身大の幸福論がそこでは展開される。フィンランドではオンカロという最終核処理施設が話題となったが、オンカロもサウナで語られたのだろうか。
-
フリーライター
藤木TDC
全篇オッサン全裸、具まる出しの自分語りを入場料相応とするか。ストレートの男性客には高いハードルだ。似た光景は近所の銭湯にもあるし。むろん中年男の裸身に美術性を感じたり、無害で悠長な映像詩に対価を認める価値観を否定はしない。作意の底に右傾化や徴兵への反発を感じたりもできる。だがサウナでクヨクヨ湿っぽい話ばかりするのが本場の流儀でもなかろう。オッサン世界標準のスポーツ話エロ話を排除し泣き言に絞り込む監督の美意識に共感できるか否かが満足度の指針。
-
映画評論家
真魚八重子
説明などの無駄を省いた構成によって、様々な語りに引き込まれる。登場する人物たちの取り繕っていない裸体は迫力があり、劇映画の美しい俳優に見慣れている目にはとても新鮮に映る。そして会話の重さ。特に苛烈な人生を送ってきたわけでもない人々にも、生きる上ではつらく苦しいことがある。誰にでも何かしら問題はあるけれど、「つらいのはお前だけじゃない」という言葉では切り捨てられない個々の痛みへのまなざし。フィンランドのサウナは汗とともに打ち明け話を吐き出させる。
-
-
今さら言えない小さな秘密
-
アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
自転車に乗れない、という秘密を抱えて生きた男の、本人的には重い十字架を背負った、ハタから見たら滑稽でしかない人生を、絵本のようなタッチで描き、よく出来た脚本を読了した感じがする。と思わせてしまうのがこの映画の残念なところで、つまり映画化(身体化)される前に頭の中で完成されすぎてしまっている。タチの「のんき大将」やトリュフォーの「あこがれ」に横溢していた、自転車に乗れる、という気持ち良さ、風を切った記憶がもっともっと欲しい。
-
ライター
石村加奈
本作の主人公ラウル・タビュランの深刻な秘密は、ラウル以外の人にはサンペが描くパステル調の淡さにしか見えない。作家・荻野アンナ氏は、サンペの魅力を「読んだ後は心がしんと静まって、ものの翳が深く見えます」と評したが、苦悩とはひとりで引き受けるものであるというほろ苦いリアルを、南仏ヴァントロルの桃源郷のような大自然を背景に、甘やかに描いた本作は、サンペの真髄を見事に捉えている。脚本は「アメリ」や(01)「天才スピヴェット」(13)などのギヨーム・ローラン。
-
映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
村の名物自転車修理屋は、実は自転車が乗れなかった、というマジで「小さな秘密」をどうやって物語として展開していくのかと思ったが、これがなかなか愉快だった。ちょっとしたコンプレックスが自意識によって己の中で肥大していく様は他者から見たら滑稽だ。その滑稽な葛藤をめぐるドタバタ悲喜劇を、三段階の回想を交えて丁寧に紡いでいる。原作の絵本が持つ温かみと実写で描くことで浮き彫りになる人生の非情さのバランスが絶妙で、自分の苦い記憶を思い出したりもした。
-
-
ある船頭の話
-
映画評論家
川口敦子
変わりゆく時代の中で「本当に人間らしい生き方」を問うオリジナル脚本の意図は面白いし、単に無欲の善人だったりはしない船頭、そういう主人公を描こうとしたことも興味深い。ただ、その物語の語り方、撮り方が意図や人物設定と齟齬を来して居心地悪さが募ってくる。時代や場所を敢えて曖昧にして語り撮るのなら船頭の過去、その記憶の生々しさよりもっと寓話性を研いでみて欲しかった。自然、特に川のスケールもこの生の物語と拮抗させるなら大き過ぎない方がよくはなかったか。
-
編集者、ライター
佐野亨
達者な俳優たちと最高峰のスタッフが集結。とくに、遺体をはこぶ夜のシーンやラストのロングショットなど、クリストファー・ドイルの撮影は息をのむほど美しい。しかし、端正な画面とは裏腹に、いや、端正であるがゆえに、すべてが「それっぽさ」のうちに完結してしまっている。不穏さを醸し出す場面での映像処理や音声エフェクト、アンビエントな音楽演出のスタイリッシュな凡庸さも鼻につく。オダギリ監督の強い意志は十分に感じられるため、気取りの抜けた次回作に期待したい。
-
詩人、映画監督
福間健二
現代俳優図鑑と言いたくなりそうなほど、いろんな役者が出る。カメラのドイルを筆頭にスタッフも相当の贅沢さ。一方、逃げだしたくなるような、きびしい現場の条件も見えてくる。そういうなかで柄本明と新人川島鈴遥、しっかり立っていると思った。オダギリ監督、オリジナル脚本。やりたいことをやり、言うべきことを言っている。ユニークで好感度大であるが、言葉が練られていないのは惜しい。とくに急ぐ必要もないと言いたげな長さ。これが映画だと唸らせるショット、あった。
-
-
人間失格 太宰治と3人の女たち
-
映画評論家
川口敦子
なんだか外国人監督、例えば乱調の美学のK・ラッセルが撮った太宰の伝記映画みたいな世界の徹底的に自分流の創り上げ方、そのくせ津軽の寺の地獄絵のおどろおどろしさも射抜くような意匠はいっそありかもと違和感が蹴散らされる。という意味で監督蜷川の力は無視し難い。おまけにラッセルの伝記映画同様、押さえるべき事実は疎かにしていない。脚本早船の力もここで感知される。が、女性像となると比べる科を自認しつつもやはり田中陽造版「ヴィヨンの妻」の悲しさを懐かしんだ。
-
編集者、ライター
佐野亨
最後にクレジットされるとおり、これは太宰の実人生に想を得たフィクションなのだが、『人間失格』を到達点にさだめると、紋切り型の「無頼」「破滅」「ナルシシズム」が前景化するばかりで、陳腐な話にしかならない(この作品に限らないが、なぜ『グッド・バイ』を軽んじるのか)。「女性から見た太宰を描く」というねらいのわりに、三人の女性もまた物語上の要請に従って動くだけの空疎な存在になってしまっている。極めつけは三島由紀夫との対面シーン。あれじゃただの駄々っ子だ。
-
詩人、映画監督
福間健二
男性一人対女性二人ではもう劇が成立しにくいのは方々で気づかれているが、では対三人はどうなのか。実は時代の変化以前のところで、三人の女優が十分に力を発揮しきれないということがある。これはそうだ。他の面でも飽食的に余る感じのものが。そのひとつである色彩表現を別にすれば、「さくらん」以来、蜷川監督は半世紀前の優秀な男性監督のやりたがったことをやっていると思う。そのことも、軽みと甘さよりもシリアスさが勝つ気配の小栗旬の太宰治も、新味があるかは微妙だ。
-
-
記憶にございません!
-
ライター
須永貴子
悪行三昧だった嫌われ者の総理大臣が記憶を失くしたことをきっかけに(生来の?)おどおどキャラに生まれ変わり、周りを困惑させ、敵が味方に味方が敵に。その混乱と、ベテラン俳優たちの芝居が醸し出すヒューマニズムに由来するユーモアだけで十分成立するのに、なぜか投入される小手先の笑いが蛇足。チューリップハット&丸いサングラス&付け髭の変装や、特殊メイクの福耳、口が臭いハゲキャラなど、わかりやすい武器ほど慎重に扱わなければすべてが台無しになる。
-
脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授
山田耕大
このタイトルと来れば、どうしてもロッキード事件に連想が飛び、日本の政治風土をブラックに笑い飛ばすものかと思ったが、違った。記憶喪失に陥った総理大臣が硬直した日本政治を刷新して行こうという話。人を笑わせる三谷氏の力量は健在である。小難しい問題には首を突っ込まないで、人をくすぐり倒すことに徹したのはアッパレ。が、映画は料理でいうフルコース。クライマックスのメインデッシュにどうしても期待をかけるが、それを食べないで終わったような不満が残った。
-
映画評論家
吉田広明
権力志向の総理が記憶喪失、初心に帰ってしがらみのない政治をやり直す(現実ならいいのに)。身内への利益誘導建設計画の破棄、米大統領に農産物関税引き下げを拒否、率直な物言いが却って好感持たれるなど(現状への皮肉はよく分かるが)、政策変更簡単にでき過ぎ。過去の総理を全否定するのでなく、それなりの理想持っていたのが挫折を経てああなっていた、という方が、同様の設定のディーン・フジオカの翻意も容易にするし、人物造形、政治への意欲も説得力持ったのではないか。
-
-
お料理帖 息子に遺す記憶のレシピ
-
映画評論家
小野寺系
監督の実体験に基づいているということで、ときおり性格が意地悪になる母親の認知症の進行描写にリアリティがある。その反面、娯楽映画の定型に収めようとすることで、ウェットでありきたりな感動場面が多くなってしまっているのもたしか。現代の話なのに、いかにも儒教的な親孝行を至上のものとする内容や、あくまで母親を、“母親”という役割のなかに収めてしまう視点ばかりなのには違和感。いたたまれないシーンが多いなかで、母親の激しい毒舌が的を射ていて笑える部分もあった。
-
映画評論家
きさらぎ尚
テーマを設定してストーリーを作り、脚本を書き配役を決めて、撮影に入り……。作品によって順番が前後しても、映画制作の大まかな流れはこうだろう。けれどこの映画は終始、こうした人為的に作られたドラマを感じさせずに展開する。まるである家族の、ある時期の姿をあるがままに撮影したような自然さが画面に溢れる。料理が題材の映画は、そのレシピにも増して、料理を作る人の心情がたっぷりに詰め込まれているので、国にとらわれず、見るのが楽しい。この映画もそんな一本。
-
映画監督、脚本家
城定秀夫
認知症の母親を中心とした感動話と飯モノ要素の食い合わせは悪くないはずなのに、家族愛パートがやたら湿っぽい上に長くて、その分お料理パートが手薄になってしまったのか、食べるシーンが意外なほど少なかったのは残念だったし、料理自体のシズル感ももうちょいちゃんと描出してほしかった、というのは韓国料理好きな自分の勝手な希望なわけだが、息子と嫁の関係が物語的に着地していないのもどうかと思ってしまったし、3分おきくらいに律儀に鳴る感傷的な劇伴にも興を削がれた。
-
-
プライベート・ウォー
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
「歴史」とは教科書の年表に掲載されているような有名人や政治的出来事だけを指すのではない。アナール学派のように、無名の民衆や社会の集団的記憶こそが重要なのだ。明るく輝く恒星だけで星座は構成されているが、その恒星間には必ず無数の星の存在がある。また人物や出来事は歪な多面体。ジャーナリズムとは多くの真実のうち、正確なたったひとつをいかに伝えるか。そして固有名を持たない人間はこの世でひとりもおらず、個々の出来事を他人事ではなく伝えようとする姿勢を見た。
-
フリーライター
藤木TDC
ロザムンド・パイクの怪演は★5。戦地をノーヘル革ジャンで突進する百戦錬磨の女性ジャーナリストは英雄的すぎると萎えるが、戦争ジャンキーで酒とSEXの依存症、使命感でなく狂気で動いてる感じが好き。しかも男性客に大サービスまで! 一流紙記者のスノッブな日常と陰惨な戦場の落差も意地悪で上手い演出。ただ癇癪型主人公の視点を戦場の真実と提示するのは無理筋では。市民を巻き込む戦闘は悲惨だが攻撃側にも理由はあり、複眼的視座がないとプロパガンダの匂いが……。
-