映画専門家レビュー一覧

  • ホテル・ムンバイ

    • 映画監督、脚本家

      城定秀夫

      映画としての完成度は素晴らしく、実話である事の強味を最大限援用した脚本と強靭な演出には全く緩みがない。こんな悲惨な事件をこんなに面白くしちゃっていいの? という思いは拭いきれないが、それは映画というものが予め孕んでいる原罪なのだと思う。自分たちの行為が召命であると盲信し残虐の限りを尽くすテロリストに立ち向かおうとするロシア人の客に「神のご加護を祈ります」とコック長が声を掛けるシーン、彼が返した言葉に肌が粟立った。「祈るな。それがすべての元凶だ」。

  • ハミングバード・プロジェクト 0.001秒の男たち

    • 非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト

      ヴィヴィアン佐藤

      直線光ファイバーを引き、アクセス時間を17ミリ秒から16ミリ秒に短縮し巨大な収益を上げることに命をかける男たちの物語だが、ヴィンセント扮するJ・アイゼンバーグはフェイスブック創始者M・ザッカーバーグ役の奇人ぶりが記憶に残る。ベンチャービジネスの鬼子はどれも人間的で魅力的だ。速度に取り憑かれた男と「速度に意味はない。金は争いを生む」と言うアーミッシュの人々との対比が心に残る。M・ヴィリリオの「速度」「技術」「人間」に関する考察が可視化された作品。

    • フリーライター

      藤木TDC

      株の超高速取引は題材として新鮮。ただ描写の多くは土地買収と土木作業だ。また実質的原作マイケル・ルイス著「フラッシュ・ボーイズ」の接点のない二つのエピソードをひとつの物語に統合したため説明不足が多く、脚本にほころびを感じる。たとえば主人公は直線敷設された光ケーブルの使用権販売だけで利益を出せるからアルゴリズム改良と両立させる必要はない、とか。1か0かのデジタル世界を投影された主人公が中間値のあるアナログ文化へ辿り着くのも安易で説教くさい。

    • 映画評論家

      真魚八重子

      当方が証券取引にうといという事情もあって、理解しづらいセリフが立て板に水の如く羅列されて困惑。光ファイバーを敷設するという計画は一応わかるけれど、映像として具体性が演出されていないので、主人公たちのやろうとしている仕事への認識がついていかない。言葉で聞いただけでも十分疲労感は味わえるけれども。ジェシー・アイゼンバーグの躁的でスピード感のある演技は、いかにも十八番で板についている。ドラマチックな実話とはいえ、視覚的に映画向きではないのでは。

  • ヘルボーイ(2019)

    • アメリカ文学者、映画評論

      畑中佳樹

      男の子を夢中にする映画で、2時間だけ男の子に戻れるならめっぽう面白い。戻れない人はヘヴィメタを子守り歌に気持ちよく眠れ。「美女と野獣」を逆転して、女にもてない醜い怪物のヘルボーイに、あろうことか美しい魔女のミラ・ジョヴォヴィッチが惚れて男根の象徴に発情してしまうが、ヘルボーイはさっさと無視して父親の元へ走っていくという、アメリカ映画に底流するミソジニー(女性嫌悪)の興味深いサンプルとして見れる。一人だけ健全な女子のサッシャ・レインがいい。

    • ライター

      石村加奈

      地獄生まれ地球育ちの悪魔ヘルボーイのさわやかさとは何か? とふしぎに思いながら観ていると、ジャガーに変身する(!)ベン・ダイミョウ少佐の闘い方に、相手の目をしっかり見て闘う彼らには、姑息さがないのだと思い至った。それはヘルボーイ率いる超常現象調査防衛局だけでなく、対する最強の魔女ニムエ率いるモンスター軍然り。バーバ・ヤーガは少し怖いが、愉快犯に比べれば、さすがアメコミ! 子供のトラウマも心配ご無用。ミラ・ジョヴォヴィッチの魔女並みの美貌も堪能。

    • 映像ディレクター/映画監督

      佐々木誠

      デル・トロ&パールマン版が2作とも傑作だったのでそのイメージを覆すのは至難の業だ。アーサー王とエクスカリバー、バラバラにされた魔女の身体を集めて復活させる、など古典的展開は既視感があり、原作のエピソードを色々詰め込みすぎて尺を調整するためか会話説明と細かい回想が多く、どうしても物語への集中力が続かない。とはいえ、クリーチャーの造形は精良で、グロテスク度は抜群。立体的なアクションシーンは世界観を反映しているし、ヴィジュアル的にはかなり満足。

  • 人生をしまう時間(とき)

    • ライター

      須永貴子

      誰もがアクセスできるわけではない世界をカメラに収め、できるだけバイアスをかけずに整理整頓したものを観客に届け、観た人の知見が広がる、正しいドキュメンタリー。しかも、この世に生きるほぼすべての人に関係がある、「死にゆく人」と「看取る人」の在り方を巡るテーマも意義深い。長期間に及ぶ在宅介護を終えたときの、看取った人たちの十人十色の反応と数々の亡骸をじっくりと撮影していることから、取材者が取材相手から信用されていることも伝わってくる。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      在宅の終末期医療の数々を映し出したドキュメンタリー。森?外の孫に当たるという小堀?一郎氏の患者とのユーモラスで暖かい丁々発止が心を打つ。在宅で死んでゆく人々への慈愛に満ちた鎮魂歌。中でも、盲目の娘を一人残して身まかる父親の死に様は崇高とすら思えた。フィクションがどんなに頑張っても絶対に勝てない現実の人々の生き様、死に様がここにある。が、テレビのドキュメンタリーを編集し直したというこの作品を映画というには、少し抵抗がある。

    • 映画評論家

      吉田広明

      在宅医療=在宅での終末期医療に携わる地方の医師二人を中心に、それを選択した患者を描く。手術を職人のようにこなしてきたが、一人一人に関心を向けたいという医師、これまで避けてきた死との向かい合いに取り組む医師。国は医療費抑制のために在宅医療を推進しているというが、そんな損得勘定抜きに、家での看取りは、本人家族共々、ちゃんと死を、死にゆく人を見つめることであり「死」を取り戻すことなのだ。本作が描くのが「日常」だということ、これが重要だ。

  • 葬式の名人

    • 映画評論家

      川口敦子

      ヒロインの背中をみつめる眼差しで幕を上げる一篇はいったいこれはだれの目とぬかりなくそこで思わせて、そういうささやかだけど大事な細部に映画の命は宿るのだといったことを改めてしっくりと思わせる。黒澤の映画みたいなどしゃぶりの雨。アルトマン映画みたいに同時に喋る人々。昨今あまり出会えない映画らしさの瞬間に包まれる。その幸せがもう少し、物語と融け合ってくれればなあと、“同葬会”のもたつきを前に少し呆然とした。坊さんっぷりが板につき過ぎの栗塚旭、声も素敵。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      撮影に中堀正夫、照明アドバイザーに牛場賢二を迎え、いたるところに実相寺昭雄へのオマージュをちりばめている。題材とあいまって、さながら『波の盆』のよう(上野耕路の音楽もどことなく武満徹っぽい)。だが、それ以上の飛躍や昂揚があるかと問われれば、どうにも目配せに終始してしまった感は拭えない。あえて舞台調のダイアローグしかり、大林宣彦作品を思わせる地域性や歴史への言及しかり。そんななかで前田敦子が一人、卓越した個性と存在感で映画を引っ張っている。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      樋口監督と協力者たちが楽しく作っているのが想像できる。その楽しさが作品全体のぎこちなさを上まわる瞬間が訪れただろうか。映画、そんなに簡単じゃないと思わされた。いや、教えられたと言うべきか。巧い下手じゃなく、作品を構成する要素の有機的な連絡への、もっと端的には画の決まり方へのこだわりが感じられない。話の進行としては、川端康成の初期から拾った「体験」を、川端的な味を抜いて前田敦子に担わせているが、事実の隠し方と現れ方に確たる理由が見えない。

  • 見えない目撃者(2019)

    • 映画評論家

      川口敦子

      韓国映画「ブラインド」、その中国でのリメイク「見えない目撃者」、前2作以上に?みごたえある3本目となった。多層的なプロットのからめ方、失くした弟へのヒロインの償いの気持を請け負う年下の男の子の活かし方、はたまた刑事のひとりに定年間際の設定を盛り込み、猟奇趣味も加味してさらには犯人の正体が開巻早々、見えていた前二作にない謎解き要素もと、盛りだくさんのスリルとサスペンスをそれなりに消化して興味を持続させる。ヒロインの成長の物語も紋切型だが悪くはない。

    • 編集者、ライター

      佐野亨

      韓国、中国、日本と三度も映画化されている題材だけに、ベースとなる物語に観客をひきつける推進力があり、この作品も中盤までは一定の緊張感を保っている。盲導犬と見せ場の絡め方や犯人が明かされるまでのディテイルなど、シナリオにも苦心の跡が見える。だが、そうして趣向を凝らした反面、各人物の言動にシチュエーションありきの不自然さが目立つ。とりわけ後半は、どの人物もほぼ自発的に危機的状況にはまり込んでいくため、観客の同調性が削がれてしまう。惜しい力作。

    • 詩人、映画監督

      福間健二

      元警官の、吉岡里帆のヒロイン。不自由な目で「目撃」した犯人に執着することで、前途に希望なしの少年とともに立ち直ろうとするが、警察の出し方、どうだろうか。組織としてはその非を認めず、大事なときに間に合わない。例によってという程度かもしれないが、物語の展開の上で便利な装置にしすぎている。終盤の見せ場は考え抜いてあり、森監督の力を感じさせる。しかし、残虐と凶悪の表現にはとくにこの世界をどう見るか、どう呪うかという思考が必要だ。それが足りない。

  • アイネクライネナハトムジーク

    • ライター

      須永貴子

      伊坂幸太郎で起こりがちな“奇跡”を使わずして、日常生活のなかで好きな人と出会うことが、ましてやその人と人生を歩き続けることがどれだけ奇跡的なことなのかが伝わってくる。10年越しの伏線回収も、別人がたどる道のりの偶然の一致も、奇をてらわずに、丁寧に。ともすると淡々としすぎかねないところで、主人公と真逆の性格の親友を演じる矢本悠馬が、これ以上ないアクセントとして機能する。すべての登場人物が各自の人生の主人公として存在する、美しい群像劇。

    • 脚本家、プロデューサー、大阪芸術大学教授

      山田耕大

      モーツァルトの有名なこのセレナードは、とうとう最後まで流れなかった。仙台に生きる様々な男女の十年越しの恋の物語。宣伝文句にはお約束のごとく“奇跡”という言葉も踊る。イチャモンをつけられる筋合いはどこにもないだろう。基本的に真面目で、そこそこオシャレな人生肯定ドラマ。あえて毒を排除したような世界観のせいなのか、テレビドラマを見ているような感じがした。テレビドラマをくさすつもりは毛頭ないが、映画はやはり映画であってほしいと思ってしまった。

    • 映画評論家

      吉田広明

      相変わらず達者な恋愛群像劇。出会いの偶然性、勘違い、ちょっとした細部によるほのめかし、同じような状況の反復、そして一気に十年飛ぶ構成。原作の出来もあるのだろうが、やはり映画的な時空間の操作、間合いや雰囲気の醸成など微妙なバランスの計算(それが要するに演出なのだが)が巧みで見ていて危なげがない。しかし「愛がなんだ」に比べても美男美女たちばかりで、まるでおとぎ話。ウェルメイドであるだけ、正直「愛がなんだ」に比べると心には残らない。

  • おいしい家族

    • ライター

      須永貴子

      寛容性が足りない主人公が多様な生き方を受け入れて凝り固まった自分から解放される。「好きなように生きればいい」という作り手の想いや志には100%同意。だが、善人しかいない離島で、都会に疲れた主人公が、彼女にとって“普通ではない”大家族に反発しながらも食卓を囲み、多様な愛に触れて、たった数日で意識が変わる理想主義的展開が逆に息苦しい。おいしそうな食事が魅力的な映画なのに、最重要フードのおはぎに限って、作る音も咀嚼音も汚いのはなぜだろうか。

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