映画専門家レビュー一覧

  • ハッパGOGO 大統領極秘指令

    • ライター

      石村加奈

      おおらかな大人の笑顔に救われる。作品全体をほのぼのとしたテンポで包み込む牧歌的な劇伴音楽のような、主人公アルフレドの母タルマ。演じたのは、演技経験ゼロの監督の実母だとか! スカイブルーのブラウスもSMの女王様ルックもよく似合う、堂々とした存在感で、お調子者の息子を見守る、貫祿のおかんを好演する。出色は、マリフアナを合法化したムヒカ前大統領本人の出演だろう。作品を観て「ユーモアは大切。でも時には真面目に働きなさい」なんて、センスのよすぎるコメントには脱帽。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      『どっきりカメラ』を初めて見る視聴者のように動揺すること必至の風刺喜劇で、怪しげな甘味料でコーティングされた猛毒だ。ウルグアイ映画人の辛辣な自己風刺力に舌を巻く。人材/予算不足ゆえ、国家事業をなぜか市井の母子がゲリラ的に進めてなんの疑問も持たない。擬似ドキュメンタリーの白々しさが、コロラド、NY、ワシントンと北米各地を渡り歩くうちにマリフアナの作用もあってか、なおかつ南米仕込みのサッカーテクニックが互恵意識を醸成し、祝祭的人間喜劇へと昇華してゆく。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      マリフアナを合法化した国家の混乱を諷刺したフェイク・ドキュメント。ウルグアイ映画というのが珍しい。薬局の経営者とその母がハッパを求めて米国を珍道中。元麻薬捜査官まで道連れにしてのクスグリの趣向は、かの国の人と感覚が違うのかさほど笑えない。なんだか(公認、密売含めた)米国の大麻販売のリポートを観ている気分。いっそのことウルグアイが大麻を大量栽培・加工して、世界を相手に商売するって設定にしたら、と。もっと話をでっかくして。実物の大統領が演技も含めてご愛敬。

  • トイ・ストーリー4

    • 翻訳家

      篠儀直子

      シリーズを続けて観てきた人なら感激はなおさらだろうが、そうでなくとも、キャラクターの動き、彼らが自然に溶けこむ美術など、すべてが豊かな情感を醸し出す。ウッディとボーが再会する瞬間の見事な演出。そのうえキアヌ・リーヴスが声を当てるスタントマンおもちゃ、凶暴なぬいぐるみコンビ(うち一体の声はジョーダン・ピール)など、新顔キャラが全員可笑しい。とあるフィギュアがウッディとのハイタッチにさりげなく失敗していたことに、ちゃんとオチがつくのもお見逃しなく。

    • 映画監督

      内藤誠

      おもちゃの動きが速いので、話がぎっしり詰まっている。今回の見せ場としては子どもが使い捨て先割れスプーンで作ったおもちゃのフォーキーに大役を振っていることで、自分はなぜこの世に存在するのだろうという呟きは、まるで日本の若者の物語。保安官のカウボーイ人形ウッディがフォーキーを手作りした女の子に会わせようとする過程でのアンティークショップや大観覧車のある移動遊園地の舞台が緻密な仕上がり。久しぶりに会えた羊飼い人形のボーもたくましく魅力的になっていた。

    • ライター

      平田裕介

      もはや磁器人形のボー・ピープが主人公と言っていい。数あるキャラクターのなかでも淑女を極めていた彼女がスカートをパンツに穿き替えて、ウッディをガンガンと引っ張り、誰の所有物にもならないという姿勢を貫く姿は痛快至極だし、まさに当世風でもある。だが、主従とは違った玩具と持ち主となる子供との絆がシリーズの笑いとスリルと涙を生んできたはず。ボーを通して掲げられる“自由”というテーマが大事なのは重々承知しているが、前3作をひっくり返されたようで切なくなった。

  • シンク・オア・スイム イチかバチか俺たちの夢

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      今から22年前。「フル・モンティ」の味わい深さは、自分にはわからないものだと諦めた。その後「高齢者映画」に関する雑誌連載をつづけ、自身も年をとって中年になり、身体は飲んだアルコールの分だけ生成変化を遂げた。主人公を演じるアマルリックは無職でうつ病持ち。他の登場人物たちも家庭や仕事場に居場所がなく、美しいとはいえない体型のおじさんばかり。そんな彼らが、なぜかシンクロチームに夢中になる悲喜劇に、ついにこの私もじんわりと感動してしまう日がきたのか……。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      仕事に家庭に将来に等々。悩ましきこれらは、程度の差こそあれ、おそらく世界中の多くのオジサンたちに共通するのでは? それにつけてもM・アマルリック、G・カネ、J=H・アングラードらのダンディーたちが、実年齢も体型も、どこから見てもオジサンなのが面白い。シチュエーションはコーチにしごかれながら世界選手権を目指すのだが、特訓しても彼らの胴回りはひき締まらなかったのが、映画の残念さをも凝縮。体型も選手権出場に相応しく変化すれば、拍手喝采したのに……。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      見て見ぬふりをしようと努力はしてきたが、いつの間にか紛れもない中年になっていたマチュー・アマルリックの、すっかりお腹の出たオヤジ体型。あのナイーヴなインテリ青年だったマチューが……といささかの郷愁がないわけではないが、その悲哀こそドラマのテーマであるし、一方ではそれがコメディとして機能しているのだからさすがだ。「オジサンを愛でる」というフォーマットでは消費しきれない肉体のリアリティ。フランス映画ならではのポップな色づかいも大いに一役買っている。

  • アイアン・スカイ/第三帝国の逆襲

    • 翻訳家

      篠儀直子

      普通に考えたら褒めたりしちゃいけない映画なのかもしれないが、病みつきになる人たちが間違いなくいるだろう妙な味があるのは確か。「冒険物」の雰囲気がある、アナログ風味を残したメカデザインも楽しい部分だが、何よりも、あれやこれやの有名人をおちょくりながらのさまざまなおふざけを楽しむ映画。アップル社のスマホと、フィンランドが誇るノキアの携帯電話が対決する図式が愉快。アスリート体型のヒロイン、ララ・ロッシは、歩く姿と走る姿に力強い魅力があって目を奪われる。

    • 映画監督

      内藤誠

      ある雑誌でポカーン映画のベストテンを選んで、楽しんでいたことがあるのだけれど、この作品は確実にその仲間に入り、笑いながら、語る対象になったはず。作者たちは地球空洞説や、歴史上危険な人物はみな、ヒト型爬虫類だというカルトな説を物語にしていく。月面の基地にいた危険な一味のヒトラーが恐竜を従えて未来の人類を襲うのだ。ジョブス教会をはじめ、ビンラディンからマーガレット・サッチャーまでヒト型爬虫類として登場してくるにおよび、ここまでやっていいのかと心配にも。

    • ライター

      平田裕介

      ヒロインは前作のナチス美女と黒人モデルの間に出来た娘、話の核となっているのはナチスが解明に執心したといわれる地球空洞説。というわけでまさに続篇なのだが、持ち味であった毒ある笑いがなんとも薄味に。前作ではサラ・ペイリン風大統領を引っ張り出して恐ろしくも痛々しいアメリカの覇権主義を笑い飛ばしたわけで、ならば今回はトランプを出してとことんやるべきだと思うのだが……。正直なところユルいアドベンチャー・コメディという仕上がりだが、VFXはなかなか見せる。

  • こはく

    • 評論家

      上野昻志

      ゆるいなぁ。こういう話だから緩い、というのではない。冒頭の海を撮ったショットを皮切りに、一つ一つのショットが長すぎるのだ。長回しが生きるのはそこに動きがあるからだが、こちらは静止した画面がただ長い。典型的なのは、新が机の前に座っているのを横から撮ったショット。作り手はそこに思い入れをしているのかもしれないが、それをただ眺める観客のことも考えてほしい、というのは半分冗談だが、各ショットを少しづつ縮めて、全体で15分ほど短くすれば締まったろうに。

    • 映画評論家

      上島春彦

      長崎の御当地映画、ずっと昔に消えた父を今さら探すことになった兄弟の話で、兄弟それぞれの事情と温度差が鍵となる。微妙にネタバレ厳禁なので書ける範囲で書くと、これは人ではなくむしろ土地や路地へのこだわりの方が面白い。ふと入った道に突然記憶が蘇る、その至福、というのは誰にも覚えがあるだろう。ロケーションが効いており、これが御当地映画の良さ。行ったことはないが、ここは海を見下ろす坂道の街なんだね。エンクミちゃんと井浦新の一人二役も興味深い趣向であった。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      監督の個人的体験に基づいた内向きの企画かつ、淡々とした描写が続くだけにノレないと辛いところだが、未知数の大橋を抜擢したことで刺激をもたらす。新井浩文にも似た相貌を持つ大橋は、芸人を漫才人間と役者人間に分類する香川登志緒に倣えば後者のタイプに当たり、舞台でいつもキョドっているのとは別人の様に奥行きのある存在感を見せる。井浦が憎しみを抱く父の若い頃を二役で演じているのも終盤の展開を思えば意外だが、異物を混入させる演出が普遍性をもたらすようだ。

  • 田園の守り人(もりびと)たち

    • ライター

      石村加奈

      フランシーヌがオルタンスの家を初めて訪れた時、楽器の女王フルートの際立つ、美しい音楽が、シーンにそよ風を起こす。孤独なフランシーヌの人生は、歌と共にある。周囲の人々の不安を和らげたその歌声はやがて、いとしい息子に向けた子守歌ではなく、「愛なんてはかない」と、彼方を見つめて歌うようになる。息子を育てるためと想像しても、その姿は哀しい。オルタンスが田園で長男の訃報を受け取った時の、カメラワークと音楽も、母親の深い哀しみを切り取る。こちらは嵐のような。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      第一次世界大戦を農村の女性視点から観測する試みは、19世紀/20世紀の消長を現代的な距離で見据えるためだ。ナタリー・バイ演じる農園の毅然とした女主人が最後にしくじった際の呆然自失ぶりは素晴らしい。そして新人イリス・ブリーの存在は、「嵐の孤児」(21)のリリアン&ドロシー・ギッシュ姉妹の同時代人そのものだ。実はギッシュ姉妹に隠し三女がいて、フランスの田舎でしぶとく生き延び、百年後に解凍され、活き活きと動き回っているかのような錯覚を覚える。

    • 脚本家。51年生まれ

      北里宇一郎

      第一次大戦を背景にして反戦を謳わない。戦場よりも銃後。戦闘よりも労働。女たちの農作業画面が淡々と。そのミレー的映像に見惚れる。この家族を揺るがしたのがアメリカ兵と米国産トラクター。それよりも奉公女という流れ者が、この一家を支え、息づかせる。たとえシングルマザーになろうとも、きりりと生き抜くこのヒロイン像に、監督の限りない女性憧憬がうかがえて。幕切れ、芝居どころを排して、さらり歌で通したこと。それとルグランの音楽が絶妙のタイミングで入ること。感嘆。

  • サマーフィーリング

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      現代文学の短篇を読んだあとのようなふしぎな余韻が残る作品。ベルリン、パリ、NYを舞台に、恋人を失った青年と恋人の面影をもつ妹とのあいだの、互いに惹かれながらも恋愛未満にとどまる関係をナイーブに描く。ふたりが一線を越えられないのは、亡くなった人についての記憶が、彼らの感情や行動を規定しているから。夏の光に満たされた都会の開放感のなかで、死者の存在が目には見えない潜勢力として登場人物を駆動する、そんな映像演出に今までにないフィーリングをおぼえた。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      「アマンダと僕」の監督の前作だが、両作品にはいくつかの共通点がある。最大のそれは、愛する人を突然亡くした人が主人公であり、起きてしまったことを受容せざるを得ない状況。この映画の構成はベルリン、パリ、ニューヨークの三都物語で、生命力が最も輝く季節の夏に、三つのドラマをつづるセンスが好ましい。同じ夏でも三都市の微妙に違う光景や空気感と、察するに余りある主人公の喪失感を絶妙に絡める作風は、優れてユニーク。悲しみを重すぎずに描いて人を再生させる。

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