映画専門家レビュー一覧
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サマーフィーリング
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映画系文筆業
奈々村久生
同じ痛みを共有する者たちの関係は実に切ない。お互いが次のページへ進むために、ある時期には絶対に必要なものではあるが、結局はそれぞれ一人で乗り越えなければならない。一度踏み出したらむしろ二度と戻るべきではない間柄であるがゆえに、そこに恋愛めいたものが絡んでくると、事態はさらに厄介だ。パートナーを失った青年を演じるアンデルシュ・ダニエルセン・リーが、ロメール的な男のナイーブさやズルさを絶妙ににじませていて、ハッピーエンドなのにほろ苦い後味が効く。
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いちごの唄
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評論家
上野昻志
主人公・コウタの饒舌に、胃もたれを起こした。いまどき珍しく純情で楽天的な青年という設定にしても、10年ぶりに会った憧れの人に向かって、あんなにベラベラ喋りまくるか。夕方出会った二人が別れるときは、夜もとっぷり暮れていたが、それまで、ラーメン屋にいたわけ? 彼の家族の和気藹々ぶりを示すためか、父親役の光石研までが、やたらボルテージの高い演技で暑苦しい。石橋静河演じるヒロインの不幸な生い立ちと対照させるためにしても、全体にもう少し抑えられないものか。
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映画評論家
上島春彦
映画に描かれる若者があまりに子どもじみていて面食らうことがある。この主人公のキャラも意図的にそう。一緒に出てくる弟とその恋人の方がずっと大人である。だがその造形の意図が分からないのだ。こういうヒトがいてもいい、という感覚なのかな。彼のピュアネスが、頑ななもう一人の主人公の心をほぐす、という線で展開されるものの、普通につきあえば彼女もこんなに硬直的な反応にはならなかったのではないか。様々な謎が立て続けに解かれる作りだが謎の提示の仕方が上手くない。
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映画評論家
吉田伊知郎
かつて野方のアパート暮らしで高円寺を徘徊していた身としては、よくぞこの道をと思うような細かな路地まで丹念にロケしていることに驚く。男の勝手な女性像の崇拝が気味悪かった「アイデン&ティティ」から15年以上経つと、同じ高円寺映画でも石橋静河は“私は女神じゃない”と否定するので溜飲を下げる。主人公のキャラに最初は戸惑うが、いつまでも子供っぽい男子と、実年齢以上に大人に見える女子の組み合わせとしては絶妙。優しさの押し売りになっていない作劇も心地いい。
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Diner ダイナー
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評論家
上野昻志
タイトル前の玉城ティナ扮するオオバカナコ(大馬鹿な子?)のカワイソーな身の上を語るシーンが長すぎる。そのわりに、よくわかんないんだけどね。本筋は、藤原竜也演じるボンベロの派手派手しいレストランでのお話だが、そこに登場する役者の扮装や衣裳も、内装に負けない華やかさで眼を捉えるものの、厚塗りのイメージを押し並べるわりに、画面の躍動感が乏しい。最後のドンパチも、往時の香港映画の飛翔する力動感には遠く及ばない。玉城ティナが次第に可愛くなるのはいいが。
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映画評論家
上島春彦
ティナのダイナー・コスチューム、その腰のくびれにひたすら感動。50センチちょっとだろう。人間一生のうちで、こういう「絶景」を撮ってもらえる機会というのはそうはない。SFXでちっちゃく加工された奏多もやけに可笑しい。これが殺し屋たる彼のいわば武器だというのだが。実話怪談でおなじみ、平山夢明のフィクションがスタイリッシュに変身を遂げた。監督は、自分の父親の写真を食堂の関係者として紛れ込ませたり芸が細かいが、原作の偏執的な感じが薄らいでそこは残念かも。
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Girl/ガール
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批評家、映像作家
金子遊
男性器をつけた美しき主演女優という意味では、「クライング・ゲーム」以来の衝撃。そういえば当時はモザイクやぼかしが入っていたが、いつから芸術映画における性器の描写は解禁になったのか。撮影時16歳だったバレエ学校の学生が、トランスジェンダーのヒロイン役を見事に演じる。その男性化も女性化もしきれていない過渡期の身体が、ホルモン剤を投与中という役柄に説得力をもたせる。未熟な身体の美しさを鑑賞するという残酷さが、実はバレエの中核にもあるのかもしれない。
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映画評論家
きさらぎ尚
よくぞこの俳優(V・ポルスター)を見つけた!? バレリーナの体つきになりたい一心で、二次性徴を抑えるための療法を受けながらレッスンに励む15歳の少年の、痛々しいまでの努力に衝撃を受けつつ、身体の変化に敏感な年頃に特有の表情や仕草の演技に息をのむ。外に理解を求めるのではなく、あくまで自分の内面の葛藤を描いた点が決め手。父親のトランスジェンダーへの理解に救われる。加えて、例えばバイオリンの鋭い音色や照明の色味で主人公の心情を表現した監督に才気を見る。
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映画系文筆業
奈々村久生
自らの肉体が最大の武器であるバレエのパフォーマンスでは、練習でも舞台でも常に体の形を露わにすることが必然であり、自身のそれと日々向き合わなければならない。トランスジェンダーにとって最も過酷な環境の一つであると言える。だが本作におけるその描写は決してマイノリティ特有の体験に終始せず、肉体の変化に直面する思春期の少年少女たちが経験するであろう戸惑いや不安、葛藤、痛みを繊細に掬い上げる。性別を超越したヴィクトール・ポルスターの存在感に驚くばかり。
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ワイルドライフ(2018)
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批評家、映像作家
金子遊
14歳のジョーを演じる俳優の雰囲気が、どこかポール・ダノに似ている。監督ダノは視点人物の少年に自分を仮託することで、原作小説を映像化できると直感したのだろう。物をつくる時ってそういうものだ。壊れゆく夫婦をキャリー・マリガンとJ・ギレンホールが演じ、撮影はレイガダスやアピチャッポン作品で知られるディエゴ・ガルシア。完璧な布陣。でも映画って最後は演出家のものだ。父の不在によって母がなぜ奇異な行動にでるのか、そこが腑に落ちる演出ならベターだったかも。
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映画評論家
きさらぎ尚
いつ崩壊しても不思議はない家族を描いて、展開に抑揚があるわけではないのに、見ごたえがある。誰も悪くはないが、ただ両親には「何をやってるのよ、大人は」と小言の一つも言いたくなるのがミソ。今さら変われない大人に対して、14歳の少年の変化と成長は逞しく、安心する。穿った見方を承知の上で、アメリカは積み上げてきた秩序を壊す大統領が意気軒昂だが、モンタナの60年代の風景と家族と暮らしに、本来のアメリカ力を垣間見る思い。地味な話だが手堅い演出で深いドラマに。
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映画系文筆業
奈々村久生
作家性の強い作品への出演で知られる俳優のポール・ダノが、エリア・カザンの孫娘であり自身のパートナーでもあるゾーイ・カザンとの共同脚本で監督デビュー。ギレンホールとマリガンの起用を含め、題材の選び方、映画との向き合い方など、どこを取っても申し分のない座組みでまさに死角なしと言ったところ。あまりにツッコミどころがなさすぎてある種の物足りなさや退屈さまで装備しているほどだ。ラストで家族のポートレート撮影を試みる少年が、自ら家族を再構築するシーンが象徴的。
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ペトラは静かに対峙する
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ライター
石村加奈
ヒロイン・ペトラに、父親が誰かを明かさぬまま死んだ母は、昔からずっと娘の顔が好きだったと笑顔を見せた。血でも性格でもなく、顔が好きだという親<人としての愛すなわち真実。最終章で、鏡の中の自分の顔をまじまじと見つめていたペトラにも、漸くその愛は伝わったのだろう(この時遂に、表題の境地に至る)。偽りの連鎖で繋がった悲劇は、希望の結末を迎える。ここまで徹底的な悪キャラ=ジャウマは久しぶりで痛快。ジャウマ役のJ・ボテイ、77歳の俳優デビュー作とは驚きだ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
信用のおける登場人物をどうやら一人も見出せぬ本作で、観客は何を信じたらよいのか。最も興味深い人物は諸悪の根源たるジャウマなる売れっ子美術作家だが、彼とて周囲からの俗物扱いを覆す奥の手を持ち合わせているわけではない。イジワル根性が肥大化した領地で、アートが単なるスノビズムとして断罪されることによって、私たち観客は侮辱を受ける――私たち自身の美への愛が、依存が。時系列を狂わせた脚本の工夫も、思わせぶりなカメラワークもその屈辱感を晴らしはしない。
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脚本家。51年生まれ
北里宇一郎
第2章からはじまって、3章、1章と映画は時制を交錯させて展開。どこかパズルを解いていくような。演出はしっかりしていて見ごたえがある。スペインの田園地帯、その乾いた空気。ミステリー的雰囲気も良くて。だけどこの物語、まともに語れば、よくある話とも思える。結末まで分かって、もう一章、前に返したとき、これまで見てきた人物像なり事象がまったく違って見えた。そこに人間の謎が隠されていた。そんな“決め”技がほしかった。なんか話法だけで安心している映画の気が。
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ニューヨーク 最高の訳あり物件
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ライター
石村加奈
夫の写真を抱きしめて、ソファで泣き寝入りした夜をやり過ごしても、新しい朝が来れば、エレベーターの金銀きらめく輝きにも負けず着飾り、職場に向かうジェイド。何て知的!と感心したのは束の間……。ジェイドに追い打ちをかけるべく突如現れた前妻マリアの長閑な暮らしぶりに、すわ真打ち登場か!? と思うも……。それぞれの弱点を突くイタい展開からの大団円を爽快とはとても思えず。マリアの「彼が変わると思った?」という問いに、率直にジェイドが答える、夕食のシーンが好きだった。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
米国で活躍したドイツ人のコメディ映画作家というと、E・ルビッチやB・ワイルダーなど錚々たる偉人の名前が浮かぶ。ユダヤ側に立ってホロコースト再総括を試みた「ハンナ・アーレント」で健在ぶりを示したM・フォン・トロッタが、偉大な先達に倣ってNY流喜劇に挑んだものの、最高度の熟達と洗練が必要とされるこの分野に手を出すには、この監督は生真面目に過ぎる。映画は時間を追うごとに手詰まり感を露呈し、苦しくなっていった。やはり彼女にはシリアスな映画を求めたい。
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脚本家
北里宇一郎
マンハッタンの高級マンションに元妻と愛人が同居して。おまけに性格も正反対。当然、波乱も騒動も。このコメディ、ただちにルビッチ、ワイルダー、N・サイモンの名が浮かぶ。これを「ハンナ・アーレント」の監督が手がけた。やはり少し重い。だけどソフィスティケイテッド料理に、丸ごとごろんとじゃが芋や人参が入った不思議な味わいがあって。金儲けとか名声とか成功とか、そんなアメリカの夢に釘を刺し、それがどうしたというトロッタ監督の心意気が丸ごとごろんじゃないのかと。
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ホットギミック ガールミーツボーイ
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映画評論家
北川れい子
「溺れるナイフ」の舞台となった自然がいっぱいの風土は、若い主人公たちの無自覚な欲望といらだちを、痛みと共に解放していたが、今回は海はあっても無機質なコンクリートの世界、その上、閉鎖的で限りなくミニマムな空間での初恋の絡み合い、観ているだけでかなり息苦しい。何度も出てくる高層マンションの外階段でのおしゃべりは、宙ぶらりんの主人公たちの宙ぶらりんの関係の場としてイミがあるのだろうが、結論を出さないと前に進めないという現代っ子の短急さを見せられてもね。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
他にないものを見せようという作り手の熱と野心に圧倒された。実際それを実現してることにも。執拗なインサートカットや音楽の貼り付けが的確な効果かどうかは不明だが映像表現を新たに行なおうという意志がある。ベッドでスマホテレビ電話のテレフォンペッティングをするときの正しい編集、切り返しを知ってるか。本作はそれを知ってる。そういうものをもこの映画は作り出す。反=安全牌的な姿勢の横溢。それは生の激動極まりない不可逆な一季、青春を過ごす者の物語に相応しい。
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