映画専門家レビュー一覧
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アルキメデスの大戦
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映画評論家
松崎健夫
「数学で戦争を止めようとする男」が主人公ゆえ難解な数式が数多登場する。しかし、実際の数式や数値自体は、この映画にとって然程重要ではない。数式が導く数値によって生まれる、登場人物の“感情”が重要なのだ。以前から感じていたことだが、菅田将暉の台詞は“入ってくる”。それは、頭に入って来たものが胸の辺りまで下りて来る感じなのだ。彼の言葉には独特の抑揚やスピード、言葉を強調するポイントがある。そのコントロールが、数式や数値を超えた感情を引き出している。
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よこがお
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映画評論家
北川れい子
おや、池松壮亮がまた美容師役?「だれかの木琴」で、常盤貴子の静かな狂気の対象になってしまう美容師を演じていた。しかも今回も年上の筒井真理子に見張られ、つきまとわれる美容師。むろん深田監督が二番煎じふうの設定や人物を描くはずはないと思いつつ、でもやはり、またァ!? それにしても名前と髪型、表情まで変えて、ある行動に出る筒井真理子の“落とし前”のつけ方のユニークさ。一種の巻き込まれ型のサスペンスだが、通俗性と不条理劇の組み合わせが面白く、後を引く。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
筒井真理子がすごい。観甲斐のある存在。応えた市川実日子も。男が刺身のツマ程度の扱いでそのツマ池松壮亮、吹越満は適役、的確。密度ある芝居がシャープな画面に収まる。ワイドショー的感性への批判もあるがもっと大きなドラマ。成瀬「乱れ雲」のごとく被害側と加害側にある者に通う想いを描くが優れた人間観察でもっと繊細な揺らめくものを表現。被害加害も気持ち次第で想いもその濃さと傾斜を移すが、傷つけあうことは不可避で悲劇は完成する。そしてその後の一歩がある映画。
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映画評論家
松崎健夫
映画冒頭で髪を切る姿が“変化”を、タイトルに重なる煙が“姿を消す”ことを、そして、作りかけのパズルが“記憶の断片”を暗喩しているように、劇中に登場するモチーフの数々には意図がある。“横顔”には“もう片側の顔”、つまり“見えない部分”があり、タイトルもまた現代社会に氾濫する情報の危うさを暗喩している。これまでも深田晃司監督は“窓”を画面内に忍ばせることで、フレーム内フレームを実践してきた。本作では敬愛するヒッチコックの「裏窓」構図である点も一興。
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モデル 雅子 を追う旅
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映画評論家
北川れい子
ウへッ、まいった、逃げ出したくなった。モデルだった亡き妻の活躍ぶりを、映像資料等でこれでもかと“ひけらかし”、加えて写真家や映画人など40人ほどに、夫である監督がインタビューしての“雅子賛歌”。そういえば以前、年輩の方から、亡き妻の想い出を綴ったという自費出版本が届いたことがあるが、このドキュもまんまそれで、女房自慢のプライベート・ビデオとしか言いようがない。終盤の妻を偲んで監督本人がパリを歩く映像の臆面の無さ。反面、“夫婦関係”には一切触れず。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
その映像をつくることによる喪、という意味で本作によく似ているのは平野勝之・林由美香の「監督失格」だろう。さらけだしてナンボの「監督失格」と、装うこと美しいことが人生の眼目であったひとの伝記を並べるのも妙だがつくり手の悼む想いのテンションは近い。それにうたれる。外国語題名はMasako, mon ange。ファッションに興味薄い私も彼女の姿を同時代的に無数の点景として見、「リング」における呪いのビデオの女性として認識していた。そのangeっぽさ、天使的偏在を感じた。合掌。
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映画評論家
松崎健夫
製作のスタートが、あくまでも妻の死後であることが本作の重要なポイント。闘病の妻に何もできなかったという監督自身の“自責の念”が、映画製作の原動力にもなっているからだ。夫が亡き妻の足跡を追いかける、という非常にプライベートな内容ながら、残された者として雅子の人生を引き受けようという姿勢。「ドキュメンタリーは取材対象者の人生まで引き受けることはできない」ことを前提としながら、引き受けられなかった部分を「何とか引き受けてみる」と抗ってみせているのだ。
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暁闇
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評論家
上野昻志
たぶんに文学的ではあるけれど、このタイトルは悪くない。暗さと明るさが重なり合う微妙な均衡のなかにある束の間の時間。確かに、中学生というのは、それと自覚することもなく、そのような時間のなかに身を置いているのかもしれないとも思う。それ故、作り手も、下手に彼ら一人ひとりの内面に立ち入ることなく、むしろ淡々と、それぞれの状況を描きだしているところに説得力がある。接点は音楽か。だからといって繋がるわけでもない。ただ、一つの場を共にすることにほのかな光が射す。
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映画評論家
上島春彦
日本には何故かビルの屋上映画というジャンルがある。例えば「ゆけゆけ二度目の処女」とか。屋上とは逃げ場所だったり居心地のいい場所だったり、この映画では両方だ。赤の他人同士の三人がとある事情で、廃ビルのてっぺんに集う。ロケが素晴らしい。また、場所がどこか分からなくなる趣向が効いている。それにしても私には、この映画で興味を覚えるのは主人公の父親の水橋研二だけなので、評価のしようがない。私に見られたのが本作の不幸であった。ごめんなさい。評価は保留とする。
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映画評論
吉田伊知郎
古典的な悩み多き青春映画だが、新宿の軍艦マンション屋上という舞台装置が良く、開かれた密室である都市の屋上に寄り添う若者たちが醸し出す気怠さが、「ゆけゆけ二度目の処女」とまでは言わないにしても惹かれるものがある。屋上から見えるラブホテルの一室へと都市の密室から密室へと移動する終盤の展開も好みだが、一瞬外から眼にしただけで正確に部屋の場所を割り出して辿り着き、踏み込むことが出来るものかしらと思ってしまう。如何にもという陰鬱な雰囲気が全篇を覆う。
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五億円のじんせい
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評論家
上野昻志
きっちりエンタメしている。他人の善意によって救われた命というのは、当人にとっては相当な重荷になるだろう、まして、それが5億円に相当するしたら、というのが出発点。かくて期待される人間像からの逃避プラス5億円という枷も背負った主人公の旅が始まるのだが、親切なホームレスに出会い、あやしい風俗店で働き、得体の知れぬ契約仕事を受け……と、それぞれのエピソードは、それなりに面白く出来ている。全体に都合よくいき過ぎてないと言いたくなるのはグッと堪えて。
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映画評論家
上島春彦
自分の「生きる」価値は五億円。というので「清算する」ため、それを稼ぐ旅に出る少年の話。稼げば降りられる(人生から)、という理屈である。中二病っぽいコンセプトだが、そこを免れているのは風俗で男を買うお嬢さん(実際には失敗する)とか、謎の便利屋とか、過剰に世間を気にするお母さんとか、脇キャラの喜劇的部分が楽しめるからだ。寓話的な雰囲気は「サリヴァンの旅」を思わせる。藤子不二雄の漫画「フータくん」という線でもあるな。何かと(世間に)感謝疲れの少年も好演。
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映画評論
吉田伊知郎
重大事故で助かった若者もそうだが救命関係へ進むことが多く、本人の意志なら兎も角、定期的にマスコミへ晒されることから社会貢献の出来る仕事を選ばざるを得ない面もあるのではないか。災害や基金にしても匿名の第三者があたかも債権者の如く出しゃばってくる現代に相応しい企画だ。もっとも家出した主人公が労働を重ねて社会の実情を知るという展開はありきたり。海外での超高額医療を基金で行う問題にも踏み込んで欲しかったと思うのはないものねだりか。望月歩が出色の演技。
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存在のない子供たち
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ライター
石村加奈
妹の初潮の面倒まで見られるゼイン少年は立派な「大人」だ。待てよ、敬愛する大人・田辺聖子先生は「大人の資格」を「お茶目で自分を嗤えること」と語っていたかも。そういう意味では、彼はまだ「大人」ではない。遊園地の観覧車に乗って、夕日を見た彼の大人びた横顔の、もう片方の表情に思いを馳せる。「何か食べものをくれない?」と、ラヒルには言えた少年の素直さを大切にしなくては、この世界から希望は消えてしまう。ゼインの訴えに「大人」の裁判長が下す判決が知りたかった。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
一時も気の抜けない苦難がこれでもかと主人公少年を襲い続け、見る側は思わず苦笑してしまうほどだ。この極端さに動揺する間にも状況は悪化の一途を辿るが、最後で非常にメロドラマ的な偶然事が起こり、事態は一変する。人道支援プログラム的な切迫感と共に持続していたはずのリアルな一本道が、ここでググッと映画学校のシナリオ教室の光景へ、あるいは溜めて我慢していっきに吐き出す任?映画の説話システムへと行き着いてしまうのだ。リアリズムの難しさを再考させる一作。
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脚本家
北里宇一郎
12才の少年が家出する。その原因は父母への怒りだ。生きる場所はスラム。ぎりぎりのその日暮らし。こちらの胸もきりきり痛む。やがて少年は赤ん坊の面倒を見るように。それも肌の色が違う移民の子を。食べると食べさせる、両方をやらなければ。親を捨てた少年が、今度は子供の保護者となった。そこには弱き者への(無意識の)慈愛が窺えて。この映画、ここが一番の生命線だと思った。貧困と混沌で汚濁した水溜りを掬ったら、ひとしずく、清らかなものが掌に残った。そんな感覚が。
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東京喰種 トーキョーグール【S】
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映画評論家
北川れい子
別に“喰種(グール)”族でなくても、一般社会は喰うか喰われるかだ、などと利いたような口を利くつもりはないが、“グール”絡みで“グルメ”と呼ばれる美食家喰種が登場したのにはカンシンした。人間界もグルメ気取りの手が掛かる人種がいる。今回の見せ場は半喰種の金木と美食家喰種の激突で、これはかなり迫力がある。友情や純愛も盛り込まれ、出演者たちが若いだけに特殊な青春映画としてもワルくない。が、観ている時は引っ張られるが、消化がいいのか、観終わると何も残らず……。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
結構人気漫画を追って読むがいまいちノレない漫画のひとつが『東京喰種』。この作品の世界観が設定に逆接した、主人公の食いたくない思いから始まることにノレてない、体質的に合わないのかも。私は食に関して綾のない退屈な健啖家。申し訳ない。想像だが本作とその世界(メディアミックス諸作)を好む人たちは偏食過食拒食の感覚がわかる人なのか。しかし美食=悪者の月山(松田翔太)というキャラはわかった。ところで本作はアクションが良くない。吊り過ぎ。窪田正孝無駄遣い。
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映画評論家
松崎健夫
本作には〈怪奇食材制作〉なるクレジットを発見できる。人間の目にはグロテスクであっても、喰種たちには美味であろうことを“食材”に感じさせなければならないため、視覚的なデザインと聴覚を刺激する〈音響効果〉によって、重要なアイテムに説得力を与えているのだ。そして、前作では喰種と人間の闘いを描くことで“相互理解”のあり方を暗喩させていたが、続篇では喰種同士の内部分裂を更に際立たせることで、支配階級が生まれる“社会構造”のメカニズムを解体してみせている。
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天気の子
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評論家
上野昻志
世界が、降り続く雨に覆われているという物語の基本構図が、まず良い。そこには、すでに天変地異が日常化した日本列島の明日が見える。しかも豪雨が集中するのが東京、というのも楽しい。そこで、故郷を棄ててきたものの、東京は怖いというイノセントな少年と、親代わりに弟を養う少女が出会う。少女が祈るときに起きる奇跡とそれがもたらす代償。新宿や池袋、田端あたりの風景の、実写では感じられぬ肌触りにアニメの力を感じると同時に、最後の東京の姿に、これで良いのだと納得!
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