映画専門家レビュー一覧
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累 かさね
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映画評論家
松崎健夫
〈外見〉と〈内面〉は其々に影響を与えるのか? という命題をもとに、「偽物が本物を超える瞬間」を本作は描いている。トリッキーなアイディアに惑わされがちだが、“ふたりでひとり”を演じ分けた土屋太鳳と芳根京子は、「フェイス/オフ」のジョン・トラヴォルタとニコラス・ケイジに匹敵するアプローチを感じさせる。『かもめ』や『サロメ』の物語自体を作品に取り込みながら、登場人物の人生にもなぞらせてゆくという構成もまた、劇中の「虚構が現実を超える瞬間」を導くのだ。
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500ページの夢の束
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ライター
石村加奈
「スター・トレック」オタクの主人公が、数百キロ先のハリウッドへオリジナル脚本を届けに行くロードムービーのゆるさ、「宇宙人ポール」を彷彿とさせるロケーションの懐かしさなど大好物! 映画会社での一悶着で、到着までの苦労ではなく、物語を紡ぎ出す苦労を訴えた主人公の表情が澄んでいてきれいだった(本懐を遂げた後の会心の笑みも)。エンディングに流れるラベンダー・ダイアモンドの『オープン・ユア・ハート』がナイス。主人公の人生の幕開けを象徴したポップなナンバーだ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
自閉症のD・ファニングが書いてハリウッドのパラマウント社に届けようと悪戦苦闘する原稿は、「スター・トレック」の新作コンペ応募らしいが、部分的に抜粋もされる彼女の労作はシナリオと言えるのだろうか。映画の専門家が一人として登場しないから、主人公の才能の有無は正直なところ観客には判然としない。だがこの妄想の連鎖こそが美しいのだ。それはシナリオというより私小説であり散文詩であり、その息吹と共にD・ファニングという女優の最も美しい季節が刻まれている。
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脚本家
北里宇一郎
自閉症の女性の初めての旅。目的は期日までに自作の「スター・トレック」脚本をパラマウントに届けること。映画ファンならそそる設定だ。この旅を経て彼女は少し逞しくなる。姉とも和解する。申し分ない結末だ。だけどもうひとつ響かない。この映画、どうも少しドラマチックに面白く作りすぎの感がして。撮影所でまくしたてる彼女の主張はこの映画の脚本家のものでは? 淡々と旅の模様をスケッチする。彼女自身は変わらない。それを見て変わるのは私たちの意識で。それだけでいいのでは。
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ブレス しあわせの呼吸
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批評家、映像作家
金子遊
俳優にほとんど興味がなく、名前もほとんど覚えられない。だが「ハクソー・リッジ」と本作、そして「アンダー・ザ・シルバーレイク」の3本の出演作を観てアンドリュー・ガーフィルドの名は脳内に定着した。少し髪型と衣裳を変えたことを契機に、完全に別人格を演じ切るところに驚いてしまう。実話の映画化なので、最後に本人たちが少し紹介される。顔かたちはそれほど似ていないが、表情やそこから醸しだされる空気感を、若き名優が模倣していたのだと気づくと戦慄すら覚えた。
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映画評論家
きさらぎ尚
美男美女が結婚。が、首から下が麻痺し人工呼吸器なしでは生きられない夫を、医師の反対を押し切り退院させ、幼子の世話をしながら、自宅で介護をする妻。善き人々による完璧に美しく楽しいエピソードにリアリティは感じないのに、作品には不思議と素直に好感を抱く。製作者キャヴェンディッシュの両親の実話なので美化はあるにせよ、心から愛し合う両親の元で成長した子は、人生に生きる喜びを見出せるはず。映画が発するそんなメッセージを当の製作者が実証しているからであろう。
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映画系文筆業
奈々村久生
在宅介護のスーパーハードな現実がほぼ無視されているのが気になる。娯楽作品であることを差し引いても。介護をしながら家事も育児も完璧にこなすキラキラママのインスタを見せられているようだ。アンドリュー・ガーフィールドの佇まいにはどうにもデリカシーのなさそうなところがあり、しかもそのことを全く意に介していないような悪びれない雰囲気(決して無邪気さや愛すべき不器用さにはつながらない)にいつもイラッとさせられるのだが、本作ではその鈍感力を存分に発揮している。
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MEG ザ・モンスター
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翻訳家
篠儀直子
玉石混淆で珍品も存在するサメ映画界にあって、これはいいサメ映画。だが、海底の通路が開いて太古の生物が出現するという設定が「パシフィック・リム」を思わせることを指摘するまでもなく、開巻の雰囲気からしても、仰角や俯瞰の画面の巧みな使い方からしても、これはむしろ怪獣映画なのだった。大役に配されたクールビューティーのリー・ビンビンを、命がけで助けに行くJ・ステイサムが男前。タートルトーブがきびきびした爽快なタッチで話を運ぶ。撮影がなぜかトム・スターン!
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映画監督
内藤誠
海底調査船の窓から見える美しい風景を楽しんでいると、突然の轟音。「ジョーズ」のホオジロザメの何倍もある巨大なサメの登場となるわけだが、この夏は、生物の巨大化競争映画のラッシュである。ジェイソン・ステイサムと中国出身のリー・ビンビンのアクションには気合いが入り、二人が交わす会話にも独特のユーモアがある。しかし脇役が次々にサメに殺されていくのに、あっけらかんとして物語が進んでいくセンスはラストシーンの強引さも含め、娯楽映画として、もう一考してもらいたい。
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ライター
平田裕介
ジェイソン・ステイサム対メガロドン。どうしたって期待してしまう対戦カードだが、深海、海中施設、海上、ビーチと舞台をコロコロと変えるので落ち着きがなく、それに従ってスリルや緊張感も散漫になってしまっている。多種多彩な見せ場を繰り出してやろうという心意気は買いたいのだが、元妻がいる場所で子連れ美女とときめき合うステイサムみたいなものまで放り込んでくるので心は作品から離れていく一方。アサイラム社製のサメ映画をブロウアップした感じといったところ。
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寝ても覚めても
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評論家
上野昻志
爆竹の音に驚いて振り返った二人が見つめ合い、恋に陥るという、映画にのみ許された一目惚れという特権的な瞬間から始まる本作は、恋愛という病にも似たパッションの理不尽さを果敢に追求する。これは原作由来でもあるが、多くの映画が、恋愛を描くのに、ライバルをはじめ、家族や会社のしがらみや病気といった障害を設定することで、ドラマを盛り上げようとするのに対して、ここでは、それら一切を排し、ヒロインの感情の動きのみに沿って描いた、日本ではごく稀な恋愛映画なのだ。
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映画評論家
上島春彦
最後の展開を「雨降って地固まる」みたいに解釈してしまうと価値が減じる。むしろ夫婦は初めて不安を共有したのだ。幸福感でなく。増水する川に山田太一脚本『岸辺のアルバム』を想起する人もいるのではないか。同じルックスの二人の男という設定はドゥニ・ヴィルヌーヴの「複製された男」に通ずる部分もあるが、あそこまで神経症的な感触じゃないのは、演ずる東出君の人徳のなせる業であろうか。というのは冗談。本人達はその件をよく分かってないからだ。唐田えりかも地味に好演。
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映画評論家
吉田伊知郎
「ハッピーアワー」にまで至ると、職業俳優を配した2時間の商業映画という枠が濱口に今さら必要なのかと思わせたが、十年に一本と言うべき傑作を撮りきった。偶然の出会いが繰り返され、理不尽とも思える言動をヒロインがやってのけるが、それを演出と演者の力で成立させてしまう。後は川から海、また川へと全篇をつなぐ水のイメージと共に、観客はその流れに心地よく身を任せきればいい。ラストカットは成瀬巳喜男の夫婦三部作に匹敵する虚無的な男女の姿を浮かび上がらせて慄然。
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妻の愛、娘の時
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批評家、映像作家
金子遊
女優として監督として堂々たるキャリアをもつシルヴィア・チャンの監督・主演作。物語と登場人物の配置がすばらしい。父親の墓を移そうとする都会の女性教師と、それを阻止しようとする田舎の結婚証明書をもたない父の第一夫人による諍い。それをテレビ局で働く若い娘が引いた位置から相対化する。テレビ番組など大げさすぎる道具立てと、俳優への演劇的な演出に作為がほの見えて、リアリティが感じられず、感動したい場面でも微妙に感情移入できなかった。映画って本当に難しい。
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映画評論家
きさらぎ尚
三世代の女性による家族のごたごたから見えてくるのは、彼女たちの〈愛されたい〉〈愛したい〉と思う気持ち。題材のお墓問題はさておき、面白いのは強い女性陣と、男性との関係性。真面目だが勝気で口うるさく、時に突飛な行動に走るにS・チャン演じる妻に対して、物静かで辛抱強い夫(演じている田壮壮◎)。自分を見失わず逃げもしない娘の彼氏。情感とカラッとした爽やかさ。その調合が絶妙な、味わい深いファミリードラマだ。ドラマをうまくまとめた自作自演のチャンを称賛する。
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映画系文筆業
奈々村久生
亡き夫が眠る土の上に身を投げ出して墓の移転を阻止しようとする老妻。その強烈な画だけでもこの映画は勝ったようなものだ。最初の妻を置いて家を出たきり生きて戻らなかった男は、別の土地で違う女性と結婚生活を送ったが、どちらも法的な婚姻関係を証明するものは行方不明。親娘三代のドラマに中国社会の仕組みや歴史がさりげなく織り交ぜられ、田壮壮監督の渋い演技も味がある。シルヴィア・チャン恐るべし。女たちのエゴ、業、愛を艶やかに映し出すリー・ピンビンの映像が美しい。
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きみの鳥はうたえる
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映画評論家
北川れい子
いささか大袈裟になるかもしれないが、トリュフォー監督「突然炎のごとく(ジュールとジム)」に匹敵する恋愛映画の傑作だ。と言っても恋だの愛だのが表だって描かれるわけではない。同居生活を送る“僕”と静雄の日常の中にサラッと入り込んできた佐知子。僕と佐知子は同じ書店で働いていて、最初は佐知子が僕にコナをかけてきたのだが。3人が共有する遊びの時間の丁寧な描写が危なっかしいほど屈託がなく、演出を一切感じさせない動きや台詞も素晴らしい。そして函館の空気感。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
F・ラング作品を上映している映画館で四宮秀俊氏に遭遇したので、おめーのロビー・ミューラーごっこで近藤龍人キャメラマンが築いてきたものが台無し、と言ってやったがそれはあまりにもよかったことへの照れ隠し。また新しい佐藤泰志映画。画も音もディープ、同時に澄んでいる。素晴しいスタッフだ。柄本佑の帽子はポルトガル土産だそうだが、なぜ行った? オリヴェイラが好きだからだろう。そんな映画バカにして実力ある映画人たちの心地よい集まりが現代日本映画を進めている。
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映画評論家
松崎健夫
「突然炎のごとく」や「はなればなれに」がそうであったように、“ドリカム編成”の男女は、やがてひとりが溢れる運命にある。ビリヤードやピンポンという遊戯の人数構成は、その運命を暗示させている。映画はフレーム内の事象を観客に提示するが、本作ではフレームの外側を〈音〉で感じさせることによって空間を演出。そして、画面上では決して交わることのない“視線”のやりとりを実践した書店内のシーン。唐突に切り替わる“接吻”を裏付けるカット割は、もはや神懸かっている。
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SPL 狼たちの処刑台
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翻訳家
篠儀直子
ルイス・クーの捜査への同行がなぜあっさり認められるのかとか、ツッコミどころも結構あるけれど、善玉を演じていてもどこか狂っているように見えるクーの個性が、市政と警察の腐敗を背景としたこの物語のノワール色をがぜん強化する。アクションシーンが見どころなのは言うまでもないが、その過程で、タイの生活や自然などの風景が、色彩豊かに取り入れられるのもいい。タイの警官といえばこの人、と世界的におなじみの、ヴィタヤ・パンスリンガム(「オンリー・ゴッド」)も出演。
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