映画専門家レビュー一覧
-
いのちの深呼吸
-
ライター
石村加奈
撮影に3年半かけられたと聞くが、自殺防止活動家(僧侶)への敬意を多分に払った上での撮影と想像する。望みもしないのに生まれてから、死へと向かっていく理不尽さに対抗するべく、踊りやアートなどの表現から感動を見出し、実践する僧侶のダンスははかなげでセクシーだ。やがて体を壊した後、それまでの価値観が間違えていたと思い至ってからの、僧侶の変化が生々しい。死が旅立ちだとするならば、生きるとはそこで踏ん張ることだと体現するような。寺の橙色の灯が、幻想的で温かい。
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
自殺予防運動にひとり勤しむ日本人僧侶の日常を追うが、総じて重苦しい。こうした運動は一度始めたら途中で投げさせまい。米国人監督がこうしてドキュメンタリーまで作ることで、彼の立場は別のフェーズに行ってしまう。自殺を思いとどまった人の誰でもいいから主人公に感謝を表してほしいが、それは皆無。当の主人公もかなり消耗し病的に見える。彼を有識者として祭り上げるのではなく、「蟻の街のマリア」のような素朴な報いの恍惚がなければ映画として厳しいのではないか。
-
脚本家
北里宇一郎
自殺のサインを出す人間がいれば、いつどこにでも駆けつける。そんな僧侶がいて、キャメラは彼に密着する。一見、自殺防止メッセージ映画。が、それだけじゃない気がする。僧侶自身、“死”にとり憑かれた人間に見える。だからこそ“生”に縋りついているのではと思う。自分の肉体、家族、生活を犠牲にしたその活動に、どこか異常なものも感じる。一人の人間の執念、その凄みを作り手はじっと見つめる。そこに観察の冷たさはない。人間の強さ、弱さをともに呑みこんだ深さと温もりが。
-
-
ペギー・グッゲンハイム アートに恋した大富豪
-
ライター
石村加奈
名家の生まれでありながら、その自由さは「グレイ・ガーデンズ」のビッグ&リトル・イディ母娘に通じる。ジャクソン・ポロックの才能を600ドルで見出す目利きぶりに目を見張り、サミュエル・ベケットはじめ、アーティストたちとの奔放かつ赤裸々なセックス・ライフに目を白黒させ、彼女の愛したラサ・アプソ犬たちがケモノと間違えて唸りそうな、上等の毛皮に目を丸くしているうちに、あっという間の96分だ。人生の哀しみより、楽しさに焦点をあてた、痛快なドキュメンタリー。
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
40年前に亡くなった人を偲ぶ記録映画にカメラは不在だ。あってもせいぜい関係者や有識者へのインタビューのみ。労力の大半は素材の検索と編集に費やされる。撮影行為による世界の再構築を欠いた作品を映画と呼んでよいものか、考えあぐねてしまう。しかしペギーの華麗な生涯が、激増の一途をたどるアートドキュメンタリーのジャンルに格好の霊感を注入したのは確かだ。オリジナリティの桎梏から解放され、副次的効果を厭わぬことも、映画に与えられた新たな役割かもしれない。
-
脚本家
北里宇一郎
向こうでは著名な女性かもしれない。その人がこういう生き方をした、あんな発言をした、たくさんのアーティストと親交があった――てなことが綴られていく。だけど彼女に初お目見えのこちらにはまったく響いてこない。なんだただのお金持ちのお嬢さんの道楽の記録じゃないかと。これ、知ってる人にしか向かっていない閉ざされた映画じゃないかとも。最近、この種のドキュメンタリーが増えてる気がして。蒐集した美術品を映像で丁寧に見せていく、ただそれだけでよかったんじゃないの?
-
-
いつも月夜に米の飯
-
評論家
上野昻志
男に弱い母親を許せない娘を演じた山田愛奈の、どこか不貞腐れたような顔つき、佇まいがいい。そんな彼女でも、温かそうなのっぺい汁に、大ぶりのおにぎりを見れば、黙って手が出るだろうし、食べれば旨いに決まってる。そこから始まった料理人と二人での店の切り盛りが、突然、帰ってきた母親によって破られる。圧巻は、料理人と母親の結婚披露の場で、娘らしく盛装した彼女が、白無垢に身を包んだ母親と取っ組み合いの喧嘩をする場面だ。彼女は、そうして初めて独り立ちする。
-
映画評論家
上島春彦
御当地映画というのは普通そこを無批判的に良く描くものだがこれは割と容赦なし。さすがに驚く。監督のエキセントリックな持ち味が出たな。しかし悪い印象ではない。逆に「最低。」に続きダメ母に苦労する娘を演じた山田愛奈の低体温的キュートさが好印象だ。とりわけ、母親の再婚結婚式に「贈る言葉」から話がねじれてわけ分からなくなるのが圧巻。でもエンド・クレジットの後まで見れば、納まるように納まる仕掛け、ご心配なく。母親が男と寝てしまうのを見る娘の嫉妬の視線が最高だ。
-
映画評論家
吉田伊知郎
まず、登場する食べ物が美味しそうに見えたことに安堵する。こんな当然のことすら覚束ない食の映画が増えたのだが、「おんなのこきらい」でも食を映像で見せることに才気を見せた加藤綾佳だけに地方映画+食の不自由さを感じさせない。ヒロインの憂いを帯びた不機嫌な表情が良く、食と物語の配分も良い。一方、性描写や母と男を取り合うようになると途端に稚拙になり、軽妙さの欠片もない略奪劇と化し、〈いつも月夜に親子丼〉とでも改題した方が良かったのではと思ってしまう。
-
-
ヒトラーと戦った22日間
-
ライター
石村加奈
ソビボル絶滅収容所に運ばれたユダヤ人たちは、優雅なクラシック曲で歓迎される。以後収容所内でのナチス親衛隊による蛮行のBGMには、弦楽器が奏でる朗々とした調べを。対して、規則的な金属製のリズムの響きがユダヤ人収容者の恐怖を表現する。下品な対比にうんざりしていたら、物語の転換点となる下劣な宴で、ヴァイオリン奏者の涙に気づく。鞭で打たれて走り回り、戯れに銃で撃たれて死にゆく同胞の無惨な姿を前にした時、弦の音色は哀しみと怒りに、ドラマティックに変調する。
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
「サウルの息子」の緊張感には瞠目させられたが、本作はいかがなものか。今夏に死去したC・ランズマン監督も描いたソビボル収容所を舞台とするが、故ランズマンがもし本作を見たら何と言うのだろうか。ナチスの蛮行とユダヤ人の苦境を感動型のスペクタクル巨篇にパッケージ化してしまっている。監督&主演を務めたロシアのスター、K・ハベンスキーは高倉健ばりの力演だ。だが「実話」の名のもと、ラストの噴飯ものの大スローモーションによって喪失したものも大きいのでは。
-
脚本家
北里宇一郎
ナチスのユダヤ人捕虜収容所もの。珍しいのは主人公がソ連の軍人というところ。彼の指揮で反乱を起こすという史実が基だが、これまでにない趣向で眼を引く。その経緯を、日数のカウントダウンで盛り上げていって。捕虜の人間模様はもう一歩の物足りなさ。ナチス軍人の描写はちと悪どい。いざ本番となって、将校を一人ずつ暗殺――の場面は手に汗握る。が、修羅場となってからの演出は荒っぽく、最後に男が恋人を抱えて収容所を出る画面など感傷的すぎ。これ、ロシアの国威発揚映画?
-
-
1987、ある闘いの真実
-
翻訳家
篠儀直子
「ファイ 悪魔に育てられた少年」も面白かったチャン・ジュナン監督が凄い映画を撮り上げた。全体に強めの演技を採用して、膨大な数の登場人物の人物像を観客の頭に次々叩きこみ、ひとりふたりにフォーカスするというよりは、各人物をリレーするかたちで事態を多角的に語っていく。そのスピード感は「ペンタゴン・ペーパーズ」にも匹敵、どのシーンの演出にも天才的なひらめきがある。実力派若手スターふたりの純愛もからめ、ラストシークエンスでは怒濤のエモーションが押し寄せる!
-
映画監督
内藤誠
ソウルオリンピック前の韓国は、日本人旅行客にとっても緊張を強いる国であったが、この映画はチョン・ドゥファン政権下の時代の雰囲気を説得力をもってとらえている。ソウル大学生の拷問死に発する韓国民主化の動きを検事、看守、新聞記者、学生、聖職者と、幅広い人物を登場させて彼らをテンポよく動かす演出はみごと。ターゲットとなるキム・ユンソク演じるパク所長が典型的な悪役とはいえ、脱北者で富裕層に生まれながら家族を殺され、反共思想の鬼となったという設定も興味深い。
-
ライター
平田裕介
本作とも関係の深い光州事件を題材にした「タクシー運転手」は、同事件をサバイバル・スリラー風味に活写。こちらは「パリは燃えているか」的なグランド・ホテル形式で韓国民主化運動を追いかけていくわけだが、パク・ヒスンやらユ・ヘジンやら要所々々でイイ俳優をぶつけてくるので引き込まれるし、その経緯についてもスルッと頭に入ってくる。それでいて、しっかり哀号なムードも漂わせるあたりも流石。「哀しき獣」までとはいかぬが、キム・ユンソク対ハ・ジョンウの画には燃えた。
-
-
泣き虫しょったんの奇跡
-
映画評論家
北川れい子
主人公のしょったんは、天才ではなく執念の人。年齢制限という壁に阻まれても何としてもプロの棋士になりたいという執念。実話の映画化だけに主人公は、紆余曲折を経てその夢を実現するが、その紆余曲折がゆるいエピソードばかりで、場面はあってもドラマがない。思うに将棋が好きというよりもプロになるということへの執着が勝っているようで、周囲もいい人ばかり。豊田監督は主人公の執念を格別謳い上げているわけではないが、キャスティングが贅沢なだけに話の薄さがもの足りない。
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
又吉直樹原作の「花火」の映画化を観て、悪くなかったけれど夢破れることがこんなに甘やかでいいのかとも思った。本作は実話である敗者復活物語だが、まず訪れる敗退はまったく苦く、痛い。その直前の、自分は選ばれし者なのかどうか、という焦燥の日々も気が狂いそうなものとしてきちんと描かれていた。勝敗のある生というコースに入ったひとの物語という普遍性。弱さ、敗北、挫折をよく知るがゆえに本作は「3月のライオン」「聖の青春」より強い将棋映画となっているようだ。
-
映画評論家
松崎健夫
この映画は誰かの人生を傍観しているようである。誰かが突然いなくなったり、いつの間にか会う機会がなくなったり、あるいは、自分の人生に関わらなくなったり。そんな些細な人の往来がリアルに描かれているからだ。人の成長は周囲の人によって構成されていることを、登場人物の去来によって表現しようとしているように見える。そのことと共鳴するように、これまで豊田組を去来してきた役者たちが続々と出演。その邂逅と思慕もまた、この物語と監督の人生とを共鳴させるのである。
-
-
累 かさね
-
映画評論家
北川れい子
ムチャ振りとしか言いようがない設定のホラーふうサスペンスだが、あり得ない話を実写化するスタッフ、キャストの意欲は買いたい。魔力を持つ1本の口紅。女はもともと口紅の色を変えただけで気分まで変化することがあるが、その口紅を塗ってキスをすると相手の顔をチェンジ、物理的には不可能でも心理的には無きにしも非ず。ただ美醜の交換をする2人の顔の違いがいまいち曖昧で、演技的な区別もメリハリ不足。舞台女優というその舞台がアングラふうなのは、話がアングラ的だから?
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
主演女優ふたりはやりがいがあっただろう。基本的な設定に、演技者として明確な仕事が用意されている。これはこの欄で度々出会う、よく読まれ、その面白さが認められている漫画を原作とする映画のほぼすべてが持っている、根本的な構想やキャラクターの強さだ。容貌の美醜、演劇の肉体性など、そもそも実写化されることに向かうような要素もあった。おもしろい映画になっていた。ただやはりまだ原作漫画の幅や徹底に負けてはいないか。原作漫画に実写映画化が勝つことはないのか。
-