映画専門家レビュー一覧
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サイド バイ サイド 隣にいる人
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脚本家、映画監督
井上淳一
長い。とにかく長い。描写の一つ一つが全体にどう寄与しているか分からない。無駄に見える描写が最後まで観ると無駄ではなかったというのが本来のあり方のはず。しかし霊が見えるという設定を含め、すべて分からない。エブエブはちゃんと分かったのに。風呂敷の広げ方は同じなのに。役者が誰一人として魅力的に見えない。鍵であるはずの画も弱い。音も貧弱。この手の映画にはこの手の映画のやり方があるはず。脚本では成立していたのか。映画を早送りで観る人の気持ちがわかった。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
そこに思いを残す人の姿や、強く思っている人の姿を透視する能力をもつ主人公(坂口健太郎)が、自身に起因する幻視に悩まされる。自分探しという主題はこの監督の前作「ひとりぼっちじゃない」から一貫しているし、視覚的イメージが物語を転がしていく点も共通する。幻覚が実際に画面に現れるという点で、この作品ははっきりマジックリアリズムといえるし、監督の資質はそこらにあるのだろう。現実と幻想が混在するふわふわした世界に、市川実日子が重力を与えている。
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映画評論家
服部香穂里
本題に入る前のやたらと長い前振りが、結局は伏線といえるほどの機能も果たさず終わる徒労感。スピリチュアルなものにでさえすがりたくなる鬱屈した現代の気分を具現化するがごとく、ミステリアスな雰囲気を漂わせる青年の過去の一部が、なかなかのクズっぷりを印象づけるのも災いし、生と死、現実と記憶などが混然一体となったアピチャッポンもどきの世界観も、男女の痴情が絡んで濁って見えてくる。美的感覚を注ぎ、意味ありげな映像をつなぐだけでは、映画の神は舞い降りない。
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ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい
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脚本家、映画監督
井上淳一
喋ることで相手を傷つけたくない。だからぬいぐるみと話すと主人公は語る。何かを発することは人を傷つけることだと覚悟して本欄を書いている身としては、それって自分が傷つきたくないだけじゃんと思わなくもない。しかしそんな僕にもこの映画は響く。傷つきたくないと思いながらも登場人物は傷つく。「健全に病んでいる」(?金子修介)ではなく、これこそ病んだ現代の健全なんじゃないか。ラスト、ぬいぐるみと喋らないと言う新谷ゆづみに震えた。冷めた客観視。したたかで侮れない。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
題名通りの映画で、登場人物はみな傷つきやすく、ぬいぐるみとしゃべることでなんとか生きている。それを極端なキャラクターではなく、どこにでもいるような自然な人物として描き出したところに好感をもった。男らしさや女らしさという観念になじめない七森にしても、七森とは仲良くなれたのに引きこもってしまう麦戸にしても。彼と彼女にのしかかる社会的抑圧を声高に告発するのでなく、無言でそっと寄り添う。そういう表現に映画は向いていることをこの監督は知っている。
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映画評論家
服部香穂里
ひとは存在する限り、無意識に誰かを傷つけているかもしれない危険性と、無関係ではいられない。そんな残酷な宿命に気づいてしまった生きづらさが、ますます助長されたかたちで蔓延しているようにも思える今、個性豊かなぬいぐるみが、他者との衝突を恐れるあまり対話を諦める“やさしい”面々の罪悪感の受け皿や、彼らの弱さを映す鏡の役割も担う。両極のサークルを掛け持ちし、歪な世の中を達観しながらサバイブする白城が、何気なくも地に足ついた寓話へとリアルに引き締める。
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幻滅
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映画評論家
上島春彦
話を知らずに見るほうがいい。余計なことは書かない。しかし参考図書として?實重?『帝国の陰謀』を挙げておく。印刷技術の発展のおかげで、出版メディアが突然活気を帯びたフランス史のある時代をまさに「画面」で見せ、楽しませてくれる逸品。原作は群像劇だが、映画のポイントは才能ある三人の作家志望者。挫折し記者になった者。やがて小説家としてこの物語を世に出す者(ナレーション担当)。主人公はどっちつかず。彼が筆名にこだわらなかったらどうなったのか、と考えてしまう。
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映画執筆家
児玉美月
まったく時代は異なりながらもバルザック流の聖と俗が入り混じる、きわめてアクチュアリティのある作品に仕上がっている。グザヴィエ・ドランは登場人物であると同時に語り手でもあり、彼の目線を通して物語が進行してゆく。ドランは映画作家のかたわら俳優としての活動でもゲイ男性の役が大半を占めているが、そうして構築されたスターペルソナが本作のホモエロティックなムードを掻き立てるのに一役買っている。上品でそつがない逸品であるものの、綺麗におさまりすぎた印象も。
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映画監督
宮崎大祐
文豪バルザックの最高傑作ともいわれる『幻滅』の映画化。バルザックの名の下に集まったであろう著名俳優陣はゴージャスで、制作の技術的にもフランス映画史の豊かさを見せつけるような内容となっている。なかでもC・ボーカルヌによる撮影は実に美しく、フレームの四隅に張り出したビネットが我々の禁じられた欲望を引き出しているようだ。またこうしたフランス文化界隈の貴族的なノリが当時から今日に至るまで数百年間固定されたままだということを再認する良い機会にもなった。
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ハロウィン THE END
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映画評論家
上島春彦
最終解決篇なので観客を飽きさせることはない。この機会にシリーズ全部見ようね、という魂胆です。ラストで矢つぎ早に出現する過去作品の映像は楽しいものの、星が伸びないのは怖さのポイントがばらばらなせいだ。モンスターよりも人間のほうが邪悪、という話なのだが、モンスターと化す若者に同情しちゃうしかない展開はどうなんでしょう。それとジェイミー・リー・カーティスが偉くなり過ぎた。自伝なんて執筆してないで、孫娘の恋の行方をもっと心配するほうが人として正しいぞ。
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映画執筆家
児玉美月
他シリーズ作品は未見。おそらくは終盤のほうがよりファンへの目配せがあるのだろうが、プロローグの演出が冴え渡っていて一気に引き込まれた。ジェイミー・リー・カーティスの体を張ったアクションシーンももちろん見応えがあり、真新しい単体のホラー映画としては十分楽しい。ただ、登場人物たちの行動原理がいまいち不可解な描写が多々あり、決着の付け方がこれでいいのかどうかも意見が割れそうなところで、シリーズ最終作(?)の終わり方は難しいものだと改めて感じさせる。
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映画監督
宮崎大祐
前作が過酷な出来であったためにあまり期待していなかったものの、タイトルまでのシャープなカッティングと階段を上下に使った演出を見ていたら一気に引きこまれた。そこからは、カーペンター版のハロウィンファンとしては笑うしかないようなタッグ・バトルが繰り広げられたり、論理もへったくれもない超展開が連発されるわけだが、「お話やキャラクター造形なんて知ったこっちゃねえよ」と世の脚本至上主義者たちをアクションだけでもってねじ伏せていく潔い姿勢には好感を持った。
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未来は裏切りの彼方に
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映画評論家
上島春彦
東欧の戦場が舞台。冒頭では時代も場所も分からないのが効く。しかし総括すると、いかにも才気煥発な若者が頭でこしらえたみたいな印象が強い。キャラを作りこんで、それを動かすという感覚だが、人物造形が操り人形みたいになっている。カタストロフもカタルシスもあり、褒めやすい。褒める人もいるだろうが予想を超える瞬間がなく、予定調和的な説話構成なので感動は薄い。ただ最後に生き残る人が意外である。多国籍キャストのため英語劇にしたのも悪いほうに働いた。
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映画執筆家
児玉美月
恋愛譚が主軸になったメロドラマを想像していたが、あくまでもそれはひとつのエピソードにすぎず、複雑に絡み合う政治状況と人間模様によって映画はテンポよく進んでゆく。したがって、説明台詞があまりない故に物語はときに難解さを帯びるものの、かと思えば説明的な回想が不意に差し込まれる辺りにはやや作劇にブレを感じる。これだけのドラマが90分台の尺に詰め込まれているのが信じがたく、近年の映画における長尺化の風潮の中にあって、この重厚感と満足感には有り難みを覚える。
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映画監督
宮崎大祐
どうして戦中のスロバキアを舞台にした低予算映画の登場人物がそれぞれにてんでんバラバラな訛りの英語を話すのかがわからない。そしてその英語を用いた芝居があまりにも酷い。そうした配慮のバランスの悪さは作品全体に広がっている。どれだけ説明的なショットを積み重ねようが構わない。だが、物語の背骨である主人公とヒロインたちの関係性すらまともに演出できていないのはさすがにまずい。これではアングロサクソンによる悲劇の歴史検証風偽善経済活動の誹りを免れないのでは。
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聖地には蜘蛛が巣を張る
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米文学・文化研究
冨塚亮平
実話ベースのフェミサイド告発映画としての重要性もさることながら、イランの映画、社会におけるタブーを徹底的に盛り込んだハリウッド的なジャンル映画として仕上げたことで、極めて斬新な一本となっている。有害な男性性に支配された犯人の被害者性にも注目した演出と、微細な表情の変化が恐ろしいホアキン・フェニックスを思わせるメフディ・バジェスタニの怪演が、殉死しそびれた帰還兵サイードを怪物ではなく血肉を備えた人物像へと昇華させ、より複雑で厭な傑作を誕生させた。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
16人もの娼婦を殺害した連続殺人犯と、犯人を追う女性ジャーナリストという個人を通して、女性蔑視が蔓延する宗教や社会の闇を描きだす。しかし、すでに私たちは、社会に問題があることなど十分に承知だ。だから本作も、闇を暴き出す気など、さらさらないようだ。当然のように問題があり、闇がある。暴かれることなど、どうということもないあっけらかんとした闇の存在。それらとどう対決していくかが、現代のクライム・サスペンスには問われているのかもしれない。
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文筆業
八幡橙
主題は共通するが「ボーダー 二つの世界」とは手触りが異なるのは、事実に基づいているゆえか。娼婦ばかりを狙う連続殺人を、事件を追う女性記者の姿と共に犯人を明かした上で描いてゆく中盤までの流れも非常にスリリングで興味深い。が、この映画の真の怖ろしさはその先。聖地における娼婦の殺害を“街の浄化”とし、神に捧げる善行であるとする狂った正義や信仰と、家族含めそこに賛同する特殊かつ強烈な価値観に言葉を失った。いまだ消せない差別の根深さと理不尽を改めて痛感。
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マネーボーイズ
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米文学・文化研究
冨塚亮平
貧困や家族・親戚らの偏見といった要素を交えながらも、ハネケの弟子とは思えないストレートな恋愛映画の要素をもあわせ持つ物語、主人公の多彩な衣裳などは決して悪くないのだが、とにかく撮影と演技が冴えない。やや引いた位置のカメラが正面から人物を画面中央に捉える、単調なワンシーンワンカットの連続はメリハリに欠け、長回しの利点を生かすような感情の高まりがシーン内の演出や俳優の演技によって十分に表現されている箇所も皆無。橋口亮輔の爪の垢を煎じて飲んでほしい。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
異性愛が前提の旧態依然とした家族の在り方や結婚観がいまだに根強く残る社会の中で、男娼として生きる人々の物語を描くことは非常に意義深い。本作はそんな物語を過度にセンセーショナルに煽ることもなく、静かにただしっかりとした痛みを伴いながら映し出している。皮肉なのは、家族や社会から閉め出されてもなお、彼ら彼女らが求めるものは家族であるということだ。そこで見出されるのは、家族的な価値観の解体か、再構成か。決定的な結論を出せぬまま、映画は終わる。
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