映画専門家レビュー一覧
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マネーボーイズ
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文筆業
八幡橙
「ブエノスアイレス」や「スプリング・フィーバー」にも連なる、同性愛を基軸とした孤独と彷徨の物語。全篇を覆う倦怠と虚無の匂い、田舎の慣習や古い倫理観に押しつぶされ、壁に阻まれる閉塞感が、端正で美しい画の内に映し出されてゆく。「あの頃、君を追いかけた」とは正反対の静の魅力を見せるクー・チェンドンの物憂げな佇まいも、いい。複雑に絡まった人間関係がもたらす重い空気をひと時忘れ、刹那の愉楽に浸り踊り狂うラストのフラッシュバックに、幾重もの感情が込み上げた。
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この小さな手
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「育児環境下にある自宅で仕事をしなくてはいけない自営業者」を経験してきた身として自分を棚に上げたくはないのだが、本作の主人公は(原作由来なのだろうが)そもそものスタート時点で何から何まで自覚が足りず、感情移入のきっかけさえ?めなかった。となると、説明台詞の応酬、感情にだらしなく寄り添った凡庸な劇伴と、自分が定義するところの「運転免許試験場の違反者講習ビデオ的映画」のような本作に何らかの魅力を見出すのは難しい。とってつけたラストにも閉口。
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映画評論家
北川れい子
それなりに等身大の男と言うべきなのだろうが、アパートの自宅で仕事をしているイラストレーターが、子育てはすべて妻任せ、なんてことあるのだろうか。妻とは駆け落ちで結ばれたというのに。その妻が事故で意識不明になったことから、男は初めて父親として3歳の娘と向かい合おうとするのだが、児童養護施設に引き取られた娘は男に懐かない。仕事以外は積極性に欠けた自己チュー男の成長劇だとしても、まず脚本が甘すぎる。因みに本作は[文部科学省選定作品(成人向け)]です。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
私も本作同様、生まれてきた子の手の小ささ、その守らねば死にそうな生命の始まりの姿に感動し、頑張らねばと思ったのも束の間、それを忘れて日常や仕事にかまけて苛立ち、子に背を向けるときがある。子の玩具を蹴散らした後、出生時写真を見て泣き崩れる男。他人事ではない。本作には女性が当たり前にやらされている子育てを男が苦労してやると偉いみたいな、いわゆる“ちんちんよしよし”的な部分もあるが、世の夫におまえ独りで子育てできるんかと問う意義はあり、そこは買う。
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最高の花婿 ファイナル
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
飲み屋で女五人が集まって、もうこうなったら飲んだくれましょうと言って、酒を飲み出すのが面白かった。お互いの旦那の悪口で盛り上がる。どんどんアナーキーになっていく。実に楽しそうだ。バンドマンを引き連れた男の人がそれまで影が薄かったのが、歌い始めると急に存在感が出てくる。片腕の男が口を使ったり足を使ったりタコのように必死に熱気球を操縦する。なんかオモロイ。老人たちはみんな元気だ。歳を取っても欲望は減っていかない。むしろますます盛んになるんだ。
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文筆家/俳優
睡蓮みどり
異文化の違いに戸惑いはあったとしても貶すようなことをしないというのは当然の話で、それを“笑い”にしてしまうこと自体に疑問がある。日本のバラエティにも「この国のこんなところがびっくり!」「日本サイコー」的な風潮がいまだにあるが「2023年に?」と疑問だし、移民が多く暮らすフランスで、今作る意義がわからない。親世代の感覚の違いと、子世代の価値観の違いが浮き彫りになるだけでなく結局それを子世代も結局引き継いでいるように見えてしまった。
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映画批評家、都立大助教
須藤健太郎
保守的なカトリックの一家の4人娘がそれぞれマグレブ系、ユダヤ系、アジア系、アフリカ系と結婚。そこから巻き起こる異文化の軋轢をコミカルに描き、人種差別を笑いに変えようとするコメディのシリーズだ。前2作は未見だが、こんなに広い家に住めて、何不自由ない裕福な生活を送っていれば、何があっても楽しいにきまっている。せっかく3作目を作るなら、婿たちの両親を出して文化の違いを強調するより、ジェンダーロールを攪乱するなど、家族像の刷新を図ればよかったのに。
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世界の終わりから
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
ファンタジー的な導入部には身構えたものの、意外にも現代日本を舞台にリアリズム描写で展開するシーンの比率が高く、過去の紀里谷作品のイメージを裏切ってくる。「夢」の階層まで登場する本作の射程には「インセプション」あたりがありそうだが、少なくとも作品のルックにおいて途中で興醒めするようなことがないのはさすが。野心的なSF作品として、岡本喜八「ブルークリスマス」の系譜に置きたくなるようなチャームも。ところで、どうして官房長官の名が「是枝」なのだろう?
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映画評論家
北川れい子
作品は多くはないが、監督デビュー作「CASSHERN」以来、一貫して派手な仕掛けに強烈なキャラ、ビジュアル先行型のエンタテインメント作品を手掛けてきた紀里谷監督に、いったい何が? いや近未来をべースに過去の時代を絡ませたこの作品も、しっかりエンタメ的に作られてはいるが、描かれるのは世界の終末と絶望感で、それも厳しく容赦ない。救世主的な役割を押し付けられた伊東蒼が言う、こんな世界なくなればいい、は監督の本音? “湯婆婆”そっくりの夏木マリが貫禄あり。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
見始めてすぐに、どこに行くのこの話、あらまあ風呂敷広げよった、と思ったが結局面白かった。主人公を演じた伊東蒼が良いし、夏木マリ、北村一輝、毎熊克哉、高橋克典の芝居が作品を支えた。少女の自己不信が人間不信と世界滅亡につながるという厨二病ぽいファンタジーだがフィルターの向こうに貧困、いじめ(援交強制)などの酷薄な世界がある。それをエンデ『はてしない物語』、キング=ストラウブ『タリスマン』のようなクラシカルな並行世界往還譚で見せたのも良かった。
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一晩中
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映画評論家
上島春彦
本作監督には舞台設定不明映画の系譜があり、これはその流れ。ブリュッセルらしいが詮索不要といった感じだ。何組のカップルが現れるのか数えていないと分からなくなる。私は途中で諦めた。それでも画面が見事に映画として成立しているので飽きさせない。特に終盤(翌朝)微かな明かりの中に牛乳瓶と若者が並立する画面が秀逸。これは小津安二郎映画にインスパイアされた物と察せられるが、日本映画にはかえってこういう超モダンな発想は見られない。青山真治に見せたら喜んだはず。
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映画執筆家
児玉美月
多くの時間が固定カメラによる長回しのショットで映され、定点観察的にさまざまな夜の人間たちが描写されてゆく。遅延した時間のなか主婦の家事労働を描くアケルマンにとっての代表作「ジャンヌ・ディエルマン」や、三部からなる構成的な厳格さを携えた「私、あなた、彼、彼女」などと等しく形式を重んじた作品群に連なる。カロリーヌ・シャンプティエの撮影が美しいことはもはや言うまでもなく、人生の大事なモメントがすべて夜にしか起こらないのではないかという幻夢へと誘う。
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映画監督
宮崎大祐
暗い。とにかく暗い。モニター鑑賞に適さないこの圧倒的な画面の暗さは、映画とは暗闇の中で目をこらすことではないのかというアケルマンの問いかけにも思える。のちにペドロ・コスタなどに受け継がれるであろう、闇の中でうごめく人々の一瞬のきらめきをワンシーン・ワンカットでとらえ積み上げていくことで観客の心に真っ黒な建造物を築き上げていくスタイルは本作でも冴えわたっており、運転中のカップルをとらえた前半のショットなどは思わず映画の勝利を叫びたくなる。
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オオカミ狩り
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米文学・文化研究
冨塚亮平
劇的な転調の続く展開と、速さと激しさを限界まで強調した暴力演出は、溜めがほぼないためにサスペンス性には欠けるものの、遊園地のアトラクションのようなサプライズに満ちている。怪人の圧倒的な強さを生かしたゴア描写もパターンが豊富で飽きさせないし、ジャンル映画としての面白さを徹底して追求しようとする細部の工夫は随所に感じられる。ただ、あまりに要素を詰め込みすぎているようにも見える点は、観客が退屈することを過剰に恐れた結果にも思え、賛否が分かれるか。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
多数の凶悪犯と護送官の刑事を乗せた貨物船。極悪犯のなかにも刑事のなかにも、それぞれデキそうな顔をしている人物がいく人もおり、それぞれがキチンと見せ場を作りつつ、しかし意外にあっさり死んでしまったりと、見る側の期待に応えつつも意表をつく展開が良い。また中盤以降、第三陣営が出現すると、「ターミネーター」+「プレデター」+「エイリアン」のような展開になるのは大いに笑える。最終的には力技で押し切った感があるが、踏み込みとパンチは想像以上に重い。
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文筆業
八幡橙
予想を逐一裏切るアグレッシブに過ぎる姿勢や、常軌を逸した血糊の出血大サービスぶりはある種、痛快。海上の「コン・エアー」的滑り出しから、「バイオハザード」風恐怖を盛り込み、さらに「プレデター」、あるいはいっそ「ジュラシック・パーク」をも思わせる強敵との壮絶死闘へ。進行するほどに何でもアリになってゆく、この密室カオス! 最大の難点は、人間を誰一人描き切らない、描く気すら見えないところか。ここまで人物が軽視されては、何が起こっても終盤一切心動かず。
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ジョージア、白い橋のカフェで逢いましょう
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米文学・文化研究
冨塚亮平
校門前で登校する子どもたちを捉えていたカメラが、ホン・サンス映画を思わせる唐突さで急激にズームインし、足元だけが映るなかで男女の出会いが捉えられる冒頭の場面にまずぐっと引き込まれる。恋愛映画という惹句とは裏腹に、野良犬や樹木、橋、川、そして風といった、フレーム内に映るクタイシの風景や生活を構成するあらゆる要素がいずれも人間と等価に捉えられる撮影は、ピッチ上のサッカーボールや散歩の道程のようにふらりと行き先を変える奇妙な物語の流れとも見事に符合。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
一目惚れした男女は、その日、呪いによってそれぞれ顔も能力も別人になり、近くにいながらすれ違い続けるという風変わりな物語。しかし、演出は、そもそも変わる前の顔を観客に認識させる気がないのは明らかだし、男の方は顔よりも髪型の変化が激しく、女の方にいたっては、どこが変わったのかと思うほど前と似た顔に変化しており、物語以上にやってることが風変わり。しかもそれをこれみよがしにアピールすることなく、気づいたらサッカーばかりしている、実に不思議な映画。
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文筆業
八幡橙
筋書らしい筋書も台詞もほぼなく、流れや展開やドラマなどどこ吹く風で自由気ままに綴られる音楽&映像による素描。主役となるのは、紛れもなくジョージアの古都クタイシの街並みだろう。映像学校の卒業制作作品ということで、監督の若さがあらゆる箇所に垣間見られる。美しい街も風が揺らす木々も子供の笑顔も寝そべる犬も、確かに絵にはなるけれども、それだけでは何も届かない。目線は監督の周囲半径数メートルの域を出ず、まだ観客より自身に向いている印象。150分は長すぎる。
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ダークグラス
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米文学・文化研究
冨塚亮平
鮮血描写はやや控え目にも映るものの、無駄を削ぎ落としつつ、強引すぎるサングラス購入場面など時にご都合主義も厭わないソリッドな脚本、マニエリスティックな劇伴、細部まで美意識の行き届いた美術に撮影と、各所で原点回帰と称されていることも納得の充実したジャッロ。近年のポリコレ要請に応えるかのような要素を、単にアリバイとしてではなく、自立した主人公の人物像を強調するとともに、あくまでも自分の撮りたい画に引きつける形で取り入れようとする貪欲な姿勢も嬉しい。
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