映画専門家レビュー一覧
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旅立つ息子へ
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映画評論家
小野寺系
自閉症スペクトラムの青年と、彼を優しく献身的に見守る父親との社会生活や旅がゆったりと描かれることで、社会における双方の立場の生きづらさが可視化されている。その上で、彼ら二人のそれぞれの課題や成長が、リアリティをともなって具体的に映し出されている。なかでも息子の性の問題は、見ているこちらもどぎまぎしてしまうが、家族の辛い決断を含めて、映画作品として扱いづらい要素を逃げずに撮りあげ、そこから生まれる複雑な感情を観客にも体験させるところが素晴らしい。
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映画評論家
きさらぎ尚
父親と自閉症の息子の二人旅という物語の主筋から、主役の周辺の人物を通して別のストーリーが見えてくることがこの作品の強み。まず母親が主張する「息子を施設に預けるべき」に、歩み寄れない夫婦の別れがある。かといってこの父親は全面的に息子に寄り添っているわけではなく、自分に都合の悪いことから旅を口実に、逃げている。さらに実兄との確執も露呈させる。障碍を抱えた息子に寄り添うことだけを唯一の父性愛とはせず、複眼的な視点でアプローチした父子旅は含蓄がある。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
自閉症の青年を施設に入れようとする母親の意見は中立の目線からは何の間違いもなく、彼女から息子を遠ざけて先のない逃避行を続ける父親は愛情をたてにして子離れできない心の弱さをごまかしているようにも思えてしまうのだが、そんなモヤモヤをひと息で吹き飛ばしてしまうラストの数分がとにかく素晴らしく、大仰な音楽で盛り上げることも感動的なセリフで繕うこともしない、どこまでも慎ましやかで美しいエンディングにぼろぼろ涙を流しながら、映画表現の豊潤さを改めて感じた。
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水を抱く女
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映画評論家
小野寺系
水の精の伝説をドイツで小説化した『ウンディーネ』を基にしているが、舞台を現代に移した本作の主人公ウンディーネは、リアルな生活を営む女性のようでもあり、幻想的な存在でもある。この設定が直感的に理解しにくく、全体に茫漠とした印象を与える。物語の展開自体は伝説に沿いシンプルで、むしろ本作独自の都市論と恋愛を結びつける部分の方が、水の精の要素を扱った部分よりも面白いと感じる。ベルリンの語源である“沼地”を根拠に、都市を水中世界ととらえる感覚は独創的。
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映画評論家
きさらぎ尚
人物の設定、ストーリーの展開が水の精のモチーフをほぼ守っているのでシンプル、かつ分かりやすい。もっかヨーロッパ映画界で才色兼備の輝きを放ち、特にこのところC・ペッツォルト監督にはお気に入りの女優と思しきP・ベーアによる、神話のファンタジーと現代都市のリアリズムの融合が決め手。彼女の美しく不思議な存在感が、監督のロマンチシズムの具現化にとりあえず成功。ドイツの近代史に題材を得て、艶やかなドラマを描きあげる監督だが、今回の神話からの題材もまた良し。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
水を司る精霊であるウンディーネがヒロインの名前になっていることから分かるように、神話をモチーフにした悲恋物語を軸にベルリン分断の歴史なども絡めた一筋縄ではいかない映画に仕上がっており、幻想と現実のあわいを漂う妙なムードがこのラブストーリーを普遍のものに押し上げているようにも思えるが、演出面でややノリきれない部分があり、ことあるごとに律儀に鳴るピアノ劇伴は終盤ではさすがにうんざりしてくるし、死にまつわるリアリティラインのぼかし方にも疑問を覚えた。
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Style Wars
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
1982年はグラフィティの最盛期でもあり、MTVが誕生したのが1981年であることも興味深い。グラフィティは書き言葉によるもので、ラップミュージックは話し言葉。そしてブレイキングはボディランゲージ。これは音楽が視覚表現や身体表現と結びつき連動していることを示している。背景にある社会的文脈から自然発生的に生じた文化は必然的で力強く、アートとしての一表現を超越している。当局との鼬ごっこは微笑ましく、どちらも街をこよなく愛していることが伝わる。
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フリーライター
藤木TDC
83年に製作されたヒップホップ・ドキュメントの古典的名作。05年に日本版DVDが発売され数百円でレンタルできるが、若者がたむろする不道徳にまみれた街の映画館でストリートカルチャーを肌に感じながら観賞するなら入場料の価値はあろう。ただし行儀よく対価を払うのでなく、何らかの海賊的行為を模索しつつ見るほうが絶対に楽しい。紀伊國屋書店の広報誌『scripta』20年夏号の都築響一連載の中に本作の背景に関する優れた解説が載っており必読だ。無料だし、電子書籍版もある。
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映画評論家
真魚八重子
スプレーアートのグラフィティを中心に取り上げたドキュメンタリーで、黎明期の生々しい現場感がある。側面に勢いあるグラフィティが描かれた電車が通り過ぎていく、圧巻の眺め。オリジンでありつつすでにスタイルは出来上がっていて、貴重な映像資料だ。もちろん上手ければ良くて、下手なのは見苦しいからだめ、バンクシーなら高額といった差別化はおかしい。もう本作の時点で画廊が介入し、グラフィティを将来高値になるからと売買を始めている場面は、気まずさを覚えてしまった。
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ロード・オブ・カオス
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
映画史に何も影響しない作品だが、北欧のデスメタルという、ほとんど知られていないカルチャーに光を当てていることで、とても応援したい。青年たちの王国内で暴走する権力闘争やエスカレートする暴力の様は、『蠅の王』を彷彿させる。『蠅の王』では豚の生首を旧約聖書に登場する悪魔ベルゼブブに擬えている。本作にも豚の首が登場するが、そのオマージュか。ロリー・カルキン扮する実際は孤独な主人公。兄が演じた「パーティ・モンスター」とほぼ同型の物語という事実が興味深い。
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フリーライター
藤木TDC
近年では突出した残虐描写とサブカル映画のB級な軽さを併せ持ち、しかも殺人事件実話という希有な構造が魅了する。メタルファンには有名な事件だが、犯人のひとりが存命のため映画化が難しかった題材だ。悪魔崇拝を標榜するバンドが自ら作り出した世界観に追いつめられる様を皮肉な笑いを交え淡々と描き、純粋な動機が邪悪な破壊行動へ一転する文化創造の麻薬性を教える。現実のメイヘムの音楽評価を低く描きすぎメタルの人々に評判が悪く、演奏シーンも確実に足りないのが残念。
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映画評論家
真魚八重子
冒頭でメイヘムの始まりを、編集で処理をしつつ紹介していくあたりのコミカルさが、ムードから浮いていてむず痒い。人の出入りが激しすぎて処理も追いついていないのに対し、本筋になると物語や演出が緩慢で停滞する。自殺や殺人の描写も、その緩慢さのままで演出しているので、非常に丁寧に死の模様をカット割りを重ねて長々と見せる。個人的にはこれらが一番良いシーンだったが、残酷さに抵抗感のある人も多いだろう。見栄や屈辱、憎悪が互いに高まっていく心理模様が興味深い。
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SLEEP マックス・リヒターからの招待状
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
もちろんその才能と才覚があってこそだが、ポストクラシカルという音楽界全体への影響力は別としてマーケット的には「辺境」と言ってもいいジャンルの音楽家であっても、いかに自己ブランディングと企画力が重要かということがわかる作品。リヒターの場合、その極めて優秀な右腕が人生のパートナー(妻)であるというのも心強いことだろう。図らずも、コロナ禍で最も深刻に失われてしまった「ライブ・エンターテインメント」の現在に対する批評にもなっている。
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ライター
石村加奈
真夜中から明け方にかけて約8時間、全204曲を演奏、観客にはそれぞれにベッドが用意されて、寝てもよし! なんて空前絶後なプロジェクト「スリープ」を実現させた、音楽家マックス・リヒターのライブ・ドキュメンタリー。BGMではなく、体験する音楽であるというコンセプトも、企画に込めたリヒター夫婦の情熱も、ドラマチックに伝わってくるが、寝ている人たちが主題の音楽に関する作品は少なくとも批評向きではない。恐らく脳波が合わないのだと思う、とても残念だけど。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
マックス・リヒターによる8時間の楽曲「スリープ」、その“眠る”ライブ企画のドキュメンタリー。一晩の公演を描くと同時に、音と数式の関係など興味深いトピックを組み込み、この〈体験するための音楽〉の構造を紐解いていくので、眠くならない(笑)。映像の美しさを追求し、説明テロップを入れないのも良い。が、リヒターの妻の苦労話がしつこかったり、アジア系とアフリカ系の同性カップルなど参加者を中途半端にフィーチャーしているのは、ちょっとバランス悪く感じた。
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テスラ エジソンが恐れた天才
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「不遇の天才」という題材に多くのクリエイターが惹かれるのは、その「不遇」の部分に自身の境遇を重ねるからだろう。しかし、残念ながらほとんどのクリエイターはニコラ・テスラのような天才ではない。これまでも頻繁に映像作品で取り上げられてきたテスラだが、本作にバイオグラフィー的な役割を期待していると痛い目に遭う。シリアスで重々しいトーンの中に突然挿入される、素っ頓狂な現代的モチーフ。そのアプローチを全面的に否定はしないが、終盤のあるシーンで心が死んだ。
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ライター
石村加奈
ニコラ・テスラと言えば、エジソンとの電流戦争の好敵手として知られるが、本作では重要ではない。エジソンとのあれこれは、アイスクリームやパイを使った甘い空想でお茶を濁される。想像を裏切る、大胆な物語はやがて、テスラがTears For Fearsの〈Everybody Wants to Rule the World〉を歌うシーンへと辿り着く。イーサン・ホークの歌声は、ほろ苦いというより、はかなく切ない。監督が、ホークと2本のシェイクスピア映画を撮ったマイケル・アルメレイダと知って、大いに納得。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
“交流電力の父”テスラの実録映画だが、随所に実験的な演出が目立つ。エジソンが発明ビジネスに邁進していくのと対極にテスラは不器用な芸術家然としていて、彼の発想の先に現代のネット社会もあることが描かれるのだが、それらを反映させたその演出(19世紀に生きる語り部がネットの情報を参考にしたり、書き割りを背景にした虚実ないまぜの回想を挟んだり)は、全篇いまいちハマっていない印象。ホークとマクラクランの派手さがない好演がそのズレた軸を戻し、作品を救っている。
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モンスターハンター
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
製作も監督も脚本も主演も、同じカプコン社の「バイオハザード」シリーズをほぼ完全にトレースした本作。「バイオハザード」1作目はもう20年近く前のことになるわけで、激変する映画界にあっていくらなんでも呑気すぎないかとも思うのだが、さすが手練手管のチームワーク、序盤までの展開は十分に楽しめた。考えてみれば、同じ開発チームでビデオゲームのシリーズを手がけるのは当たり前なわけだから、もはや彼らの作品は映画界における治外法権として考えるべきなのだろう。
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ライター
石村加奈
主人公アルテミスを演じたミラ・ジョヴォヴィッチと、ポール・W・S・アンダーソン監督(脚本も)という「バイオハザート」コンビが誘う世界観は、壮大だ。南アフリカの秘境で撮影された、大パノラマのスケール感に圧倒される。この画力は、劇場で体験されたい。アイルーをはじめ、ファン心をくすぐる仕掛けにも、監督の原作ゲーム愛を感じる。日本語吹き替え版(特に松坂桃李扮する、ハンター〈トニー・ジャー〉のオリジナル言語)が、どんな仕上がりになっているのかも気になった。
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