映画専門家レビュー一覧
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ヒンディー・ミディアム
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映画評論家
きさらぎ尚
前々号のこの欄ではインドに根深い身分差、男女差を主題にした2本の作品を取り上げたが、今作はインドの教育格差の問題で、ずばりお受験戦争。「あなたの名前を呼べたなら」に主演したティロタマ・ショーム演じる受験予備校の講師がのたまう「皆さん妊娠3カ月の時点で私の指導を予約します」が、血眼になる親の狂乱ぶりを物語る。受験ビジネス、教育制度、経済格差といった社会性をストーリーに盛り込みながら、終始喜劇のハイテンションをキープするカリカチュアの技の妙を堪能。
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映画監督、脚本家
城定秀夫
誇張はあるのだろうけど、インドのお受験事情や格差問題を笑いと涙の一級娯楽作品に昇華させているのは見事としか言いようがない。個人的に少しモヤついた気持ちが残るラストも、教育とは何か? 幸せとは何か? という答えのない問いに対してひとまずこの映画が示さなくてはならない落とし所であり、きわどいバランスで間違っていない。全体的にはベタベタなのに、父親の演説に対して拍手が起きなかったりと、ここぞという時に抑制を効かせる押し付けがましくない演出も良かった。
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帰れない二人
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
賈樟柯の集大成的かつ人間模様を描いた異色作。主人公が携帯しているペットボトル。三峡ダム。雨。泥酔。頭で砕けるティーポットのお茶。人そのものが水のように常に形態や状態が変化し固定され得ない。詩人山尾三省の「水はただ流れているだけで真実に流れることはない。私たちは本当はかつては水であり……」という一節を思い出した。終盤分割されたモニターに映し出される世界は多元的で、真実の在り処がもはや不定で同時にたくさん存在している様を露わにしているようだ。
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フリーライター
藤木TDC
開巻早々、黄飛鴻のテーマ(将軍令)やジョン・ウーの「狼」挿入歌(サリー・イップ歌唱)が高鳴りオオーッと盛り上がるものの当然この監督だと通俗娯楽なわけなく、殺伐さとポストモダン度が驚異的な中国内陸部の景色のもと、出所した極妻が奏でるスローな「女ののど自慢」につきあうことに。中国の田舎やくざの日常、愛人妊娠サギ、UFOオジサンの苦いアフェア(涙)など魅力的挿話もちりばめ、もう帰れない歴史の彼方の高度成長期中国に捧ぐ庶民たちのアダージョ。
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映画評論家
真魚八重子
長回しの技術的な緊張感と、男女の間の張り詰めた空気が一体化する時間。スクリーンから溢れてくるディスコシーンの瑞々しさに打ちのめされてしまった。与太話と、したたかな女のユーモラスで時にしんみりする能動性と、歌謡映画としての楽しさ。ちょいと極妻のようなテイストも、映画のアーティスティックな傾向をうまく中和する効果を果たしている。義理と愛によるメロドラマの合間で、カタギじゃない男たちが部屋で揉めているうねりも、静的ながらダイナミックで目を奪われる。
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フリーソロ
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
完全に高所恐怖症の私には無理(笑)。完成直前の1974年にWTCの間を綱渡りをした男のことを思い出した。しかし昨今のYouTubeなどでの落下事故映像に見慣れた現在、74年の事実的な「出来事」よりも、視覚的な「刺激」を世の中が求めている気がしてならない。撮影監督が「落下事故を撮影してしまうかもしれない」恐怖と潜在的な期待。映像に関わる者であれば悲劇的な大惨事を見たい、収めたいというアンビヴァレントで不謹慎な自分自身の欲望に直面するはずだ。
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フリーライター
藤木TDC
垂直で手掛かりのないフラットな岩盤をTシャツ短パン、素手でひょいひょい登攀する驚愕の身体能力には畏敬の念。その上でフリーソロ本番の絵柄は案外淡泊で物足りなくも。クライマーのメンタルを気遣い撮影班を減らしたせいで素材が少なかったのか。主人公のイケメン、禁欲的、ただ一人の恋人を愛す純粋なキャラにもどこか嫉ましき優等生っぽさ。「幸福な世界にいても何も達成できない」と豪語するくせに家買って彼女とラブラブしてて、心汚れたオッサンは「チッ」と舌打ち。
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映画評論家
真魚八重子
フリーソロ・クライミングを行うアレックス・オノルドの奇人ぶり。それなりの収入を得ながらトレーラーハウス暮らし等々、色々な突飛さに虚を突かれる思いがする。そしてクライミングを写す撮影隊。被写体となるアレックスの集中力を奪う不安と、それでも彼の偉業を捉えたい執着のせめぎ合いが、本作のもうひとつの主役だろう。そのミーティングの様子なども織り込まれているのは正しい構成だと思う。カメラという媒介の存在と被写体への作用の問題が鑑賞中ものしかかる。
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ラスト・ムービースター
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非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
劇中のヴィック・エドワーズとは、ほとんどバート・レイノルズ自身のことのような錯覚に陥る。出演作の中で過去の若い自分と対峙する場面が幾度となく描かれる。過去の自分から逆襲を受けたり、戒めたり。若き日の自分は完全に過ぎ去った過去ではなく、いまも生き続けている。決まり切った因果論ではなく、現在の自分も少し先の未来の自分からの影響があるのだ。輝く夜空の星々は現存しなくとも我々に光は届く。しかし我々が見上げ対峙しなければ存在しないのだ。
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フリーライター
藤木TDC
泣けた。低予算、出オチ、お涙頂戴。本作をくさすフレーズはいくらも思いつく。だがそれゆえに得られるかけがえのない感動もある。老醜を誇張し俳優人生の最終回を演じたB・レイノルズは喜劇として楽しんでいるように見え、その晩年の姿はファンにも幸福を分け与える。70年代以降映画館やビデオテープで男性活劇を大量に見た世代は作中のどこかに自分の存在を感じ、映画愛が報われる瞬間に涙するはず。心優しき予定調和の極み。鑑賞後、バーで献杯を。
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映画評論家
真魚八重子
ヴィック・エドワーズという架空の俳優に託されたバート・レイノルズの肖像。得体のしれない映画祭は実際に存在するので、老いて孤独な俳優が招かれていそいそと出かけてしまう生々しさにひやりとする。レイノルズの出演作の選択ミスなど実像に近い辺りより、虚構のストーリーに面白みがあり、過去を辿る寄り道の物語が静かにドラマチック。ハレとしての祭りを通じて再生し、ささやかな幸福を迎える展開は決して目新しくはないものの、優しさには心をほだされる。
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荒野の誓い
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
まるでジョン・フォードの「捜索者」のように始まり、だが娘は拉致されずに殺される。美しく成長した娘の帰郷で終わる「捜索者」に対し、この映画は最後に生き残った三人の擬似家族の旅立ちを描いて終わる。その間に西部劇のエッセンスの全てがゆっくりとした移動の織りなすこのジャンルならではのリズムで展開する。最後にインディアンと和解する主人公の成長は、異人種への差別、憎悪を少しずつ克服していった西部劇の歴史そのものの縮図のようだ。慟哭すべき傑作。
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ライター
石村加奈
冒頭の「音楽が静かに流れる」という言葉の余韻。作中、マックス・リヒターの音楽は、哀しみに襲われる登場人物たちに、静かに寄り添っていた。音楽だけでなく、行き届いた音の調整が、激しい戦いが繰り広げられる荒野の荒涼感を演出する。ブロッカー大尉のうめき声は、雷の音にかき消されるも、家族を埋葬し、子供のように号泣するロザリーの泣き声は、広野に響きわたる。抑制されたラストシーンも好みだ。死の確実性に惹かれても、人はいくつになっても、慣れない人生を生きていく。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
先住民との抗争が収束しつつある1892年のアメリカを舞台に、その「負の歴史」を「現在の断絶」と重ねた視点から描く西部劇。相変わらずのベールの仏頂面が荒野に映えるのだが、シャラメやプレモンス、フォスターなど若手売れっ子たちが短い出番にも拘らず参加しており、この視点、アプローチへの関心の高さが窺える。こうした「負の歴史」を認め、エンタテインメントとして真っ向から描き、観客に考えを促す映画が公開できるのもまた“アメリカ”だな、とあらためて思った。
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SHADOW 影武者
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
チャン・イーモウは徹底的にやる。土砂降りの雨はついに降り止まず、墨絵の背景はあくまでも黒と白を重ねて一切の色彩のほころびを封じ、太極図はぐるぐると舞うような武術と傘の形の武具となって苛烈な美の波動を貫く。ここまで突き抜けた美学で統一されると、こちらは息苦しくもなるが、それを最後まで貫徹するから舞台が一種抽象化され、人間の感情(影武者をめぐる愛と禁止の葛藤)が言葉となって迸るシェイクスピア劇となった。音楽が時としてライ・クーダーに聞こえる。
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ライター
石村加奈
冒頭から、張り巡らされた緊張感がすこぶる心地よい。高揚感を刺激するのは、マー・コンウィン美術監督による、美しい世界観だ。水墨画のようなグレーを基調とした世界で、白と黒の対比(主人と影武者、光と影、明と暗、陽と陰など、様々なメタファーでもある)が際立つ。モノトーンのスクリーンに、生々しい血の赤、そして、影武者の体に生気が戻る瞬間が印象的だった。傘を使った、やわらかな戦い方も秀逸(傘のデザインも含め)。スン・リーの優雅な舞は、時間を止める魔力を持つ。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
チャン・イーモウが撮る武?映画は総じて美意識が高いが、今作は群を抜いていた。映像の光と影、濃淡を絶妙に濁らせたカラーグレーディング、全カット完璧な構図が素晴らしく、ほとんど水墨画だ。三国志の「荊州争奪戦」を基にはしているが、陽と陰の二項対立を中心としたそのミニマムな物語、展開は、CGで水増しされた大量の兵士が入り乱れるような大仰な戦記ものと違い、対峙する人間関係を真摯に捉え、剛柔併せ持ったアクションによって昇華し、最後まで息を抜けない。
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アス
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アメリカ文学者、映画評論
畑中佳樹
古典的なホラー映画の序破急を排して、いきなり敵が突進してくるいわば破急急の展開に目がさめる。そしてその敵とはもう一人の自分であるというドッペルゲンガー(映画的には一人二役)のテーマ、ゾンビの黙示録的世界、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』、ゴキブリ的スピードの暴発と、思わずなぐり書きしたメモ群の収拾がつかない。要するにとんでもなく知的に興奮させる。終盤の絵解き部分がやや駆け足で詰め込みすぎか。ラストの「チェンジリング」に悲鳴!
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ライター
石村加奈
母が少女時代に大事にしていたぬいぐるみの、娘のTシャツの、ラストシーンで息子が抱いていた、それぞれのウサギは何を暗喩するのか? 恐怖から目を逸らすべく考え続けたが、うまく集中できなかったのは、見事な音楽効果のせいだ。恐怖で固くなった心を激しくかき乱す弦楽器の音色から、ルーニーズの〈I Got 5 on It〉やビーチボーイズの〈グッド・バイブレーション〉などの西海岸系、エンドロールで流れる歌姫ミニー・リパートンの〈レ・フルール〉まで、人を食ったような選曲に震撼。
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映像ディレクター/映画監督
佐々木誠
自分と家族に瓜二つの者たちが襲ってくる、というありそうでなかったドッペルゲンガー映画。笑いと恐怖は紙一重、というのを丁寧に描いた上質なスリラーで、その斬新な恐怖のアイデアから徐々に壮大なトンデモ展開になるのは監督の前作「ゲット・アウト」と同じだが、最終的に奇妙な感動を呼ぶところがポイント。トランプ政権以降加速している露骨な格差問題を組み込んだ構造が秀逸で、お前ら何者だ?という問いに“分身”が返した「答え」が本作の全てを集約している。
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