映画専門家レビュー一覧
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家族にサルーテ!イスキア島は大騒動
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映画評論家
きさらぎ尚
一見、問題がなさそうな家族もひと皮めくれば。こんな当たり前の、それも浮気や介護や借金と、一般人には身近なことばかりを、会話の応酬で展開するこのドラマは、島全体を舞台装置に使った一幕ものの舞台劇のようだ。不満や怒りを爆発させる感情のぶつけ合いは、まるで爆竹の連続破裂音。G・ムッチーノは登場人物に主役・脇役の序列をつけず全員をフラットに描き、かつ相関関係をはっきり解らせる。その技量が素晴らしい。加えて、味わい深い俳優の演技が話を面白くした。
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映画系文筆業
奈々村久生
あるシチュエイションで集まった家族の暴露劇はもはや一つのジャンルだ。悲劇でも喜劇でも、あるいはその両方でも。そこで差別化を決定づけるのはイタリアというお国柄にほかならない。ただでさえ言葉数が多くダイナミックで攻撃的にも聞こえるイタリア語のセリフの応酬はそれだけでパワフル。家族という奇妙な関係が孕む修羅場の普遍性と、その発露の仕方に表われる決定的な違いが面白い。イスキア島の美しくもワイルドなロケーションと同様、その場にいるより見るほうが眼福かも。
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パピヨン(2017)
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批評家、映像作家
金子遊
映画の製作者たちは、なぜ名作のリメイクを思いつくのか。前作から時間を経て、別の視点でつくれると思うのか。デジタル時代の撮影や編集で、よりリアルに戦前の仏領ギニアを描けると思ったのか。ならば、フランス語映画にしても良かったが。本作の成功の理由は、監督が前作のことを考えず、原作小説から映画を再創造したからだろう。さらに植民地での強制労働や脱獄が、独房や悪魔の島が、すべて実話だという事前の了解があるおかげで、観る者の実存に迫ってくるものがあるのだ。
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映画評論家
きさらぎ尚
まずは監督、主演の二人の勇気を讃えたい。リメイクはオリジナルと比較されるうえ、オリジナルを超えた、もしくは匹敵するケースは稀。だがこれは稀なケース。第一の要因はオリジナルにはなかったパリの話を加えることで、冒頭でパピヨンへの理不尽な濡れ衣を強調。それによってリメイクは新たな視点を持ち、結果、脱獄そのものが焦点だったオリジナルとは違い、第二の要因としてパピヨンとドガの人間性を軸にした新たな脱獄映画に。隙のない演出と俳優の実力があってこそだ。
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映画系文筆業
奈々村久生
敢えて極上のエンタテインメントと言いたい。観ているこちらが諦めたくなるような途方もない挑戦を繰り返す男たちの闘いに、アクションと心理スリラーの両面から迫る、手に汗握る脱獄劇。しかもこのリメイク版を支えるのは、美談でも英雄譚でもなく、ただただここから抜け出したいという狂気じみた飽くなき本能的欲求。これがエンタメでなくて何だろうか。チャーリー・ハナムとラミ・マレックの、『BANANA FISH』のアッシュと英二みたいなBL感を匂わせる関係もたまらない。
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ザ・ファブル
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映画評論家
北川れい子
冒頭の血と死体の大盤振舞にアソビを加えた演出が効果的で、以降のヤバイ場面も屈託なく楽しめる。そして岡田准一のおとぼけ演技。いつも楷書で書いたような演技が多いのに、今回はひらがな、カタカナふうの演技で殺しを禁じられた殺し屋を演じ、しかも超ネコ舌という設定、シリーズ化してほしいほど。終盤の数十人のスタントマンが参加しての工場内アクションも、人もカメラもよく動き、感心する。柳楽優弥の「ディストラクション・ベイビーズ」ふうキャラと演技も小気味いい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
南勝久『ナニワトモアレ』は結構熱く読んでた。その主人公グッさんのもっぱら気合いでやりきるケンカ描写はヤンキー世界におけるリアリズムの最長不倒距離をやりきったものだと思うがそこを越えての『ザ・ファブル』、現在も堪能してます。その、暴力のプロがそれを封印して普通を生きる話、実写化するとしてこんなの演じられる人いる? に対して、まったく似てないのにそのキャラを見事に翻案再現した岡田准一がやはり良い。Tシャツ短パン姿のバルクがヤバい。壁虎功もヤバい。
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映画評論家
松崎健夫
大阪には“こなもん”が多い。それは、たこ焼きやお好み焼きなど小麦粉を原料とする食べ物を指すが、水でといた生地を焼くので基本的に熱い。それゆえ「殺し屋が殺しを封印される」という弱点と「猫舌の男が“こなもん”の聖地に渡る」という弱点とが不思議な符合を生み出すのだ。また、大阪は会話のテンポが早い。同様に、岡田准一の身体能力を活かしたアクションは、ワンカットではなく細かいカットを割ることでテンポを生み出している。つまり大阪が舞台であることは必然なのだ。
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さよなら、退屈なレオニー
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ライター
石村加奈
ふわふわの長い髪を風になびかせながら、しかめっ面で街を歩くレオニー。ファッションを含め、観ているだけで幸福を感じさせるパーフェクトなヒロインだ。退屈な場面から抜け出す、少女のささやかな抵抗や、蛍のモチーフなどきれいに整えられた物語で唯一違和感を残すのは、レオニーが惹かれるスティーヴの存在。しかし葬儀から帰宅後のレオニーとの一連の描写(亡母の愛犬との小ネタも秀逸)を観ていたら泣いた。彼は論ずることのできない幸福、あるいは愛を象徴していたのかもしれぬ。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
不機嫌な女子高生である主人公はこの映画の中で二度消え去る。一度目は母と継父との気の進まない会食から。二度目は大事な止まり木から。ピロット監督は「これは青春映画ではない」と明言する。「今日のケベックのポートレイトを撮ったのだ」と。そしてそのポートレイトにはすでに「消失」が織り込まれている。私はいつでも消えられる。私を連れ去るバスはきょうも私の前で停車してくれた。取り巻くすべてが耐えがたい。だからいつも消失態勢の再点検をしておきたいの、と。
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脚本家
北里宇一郎
最近の日本の青春映画は大人が出てこない。けど、あちらのヤツはどんな大人を登場させるかが決め手で。理想と思う父親、嫌悪する継父。彼らとは全く違う男と出会って、少女は家族ではない他者の存在を知っていく。世間と歩調が合わず、淡々と我が道を行く男。この二人の、恋とか性とか超越した関係が良くて。スネたり怒ったりツッパったりの彼女の感情の動き。その繊細な描写が、井手俊郎脚本の少女映画を思わせ、「ゴーストワールド」の影を匂わせる。主演女優がちと美人すぎる気が。
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泣くな赤鬼
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評論家
上野昻志
これ、予告篇を見たとき、なんだ、余命ものを絡めた青春映画かと思い、気乗りしなかったのだが、本篇は、そんな先入観を払拭してあまりある作品だった。まずは、熱血教師の陥りがちな誤りや、努力したってダメなことはあるという生徒のリアルを書き込んだ重松清の原作を、脚本が生かしているのが大きい。そして、病院で赤鬼とゴルゴ夫婦が出会う場面をはじめ、赤鬼の家でも、ゴルゴの家でも、大人三人、ときに抱える赤ん坊も入れれば四人を捉える画面が、的確に決まっているのに感心した。
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映画評論家
上島春彦
原作がこうなの? 何かもやもやした気分が消えない。要するに指導方法を間違えたせいで将来有望なプレイヤーを一人つぶしちゃった、という高校野球の鬼監督の話だとすると、悪いのは監督ではないか。つぶれた方が悪い、という論理も理解できるのだが理解したからどうなんだ、という印象。挫折したかつての少年が再起する話じゃないから納得できないのかも。彼のかつてのライバルがどうしてあそこでグラウンドに現れるのかも不明。原作を読めば分かるのかな。俳優陣は豪華である。
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映画評論家
吉田伊知郎
前作「キセキ」の演出も際立っていた兼重淳だが、本作は本領発揮と言うべき秀作である。挫折者に寄り添う視点を、抑制された描写の積み重ねで見せており、野球場面でも乱れを見せない。不要にカットを割らず、アップも入れずに芝居をじっくり見せることに徹しており、殊に冒頭の病院フロアでの堤、柳楽、川栄のやり取りを引きの画で長く見せるくだりは三者の質の高い演技を早くも実感させ、以降も難病もののパターンを演出と演技で刷新していく。堤にとっては代表作になるだろう。
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柴公園
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映画評論家
北川れい子
ダベリング映画の佳作「セトウツミ」の、柴犬連れのおじさん版という趣向で、ドラマ版は未見だが、人畜無害度100%!! 主役の渋川清彦がコケ(苔)の研究者で、背広にネクタイ姿で大学に通うシーンなどもチラッとあるが、メインはそれぞれの柴犬を連れた渋川ら三人の男たちが公園のベンチに座っての井戸端会議で、世はコトもなし、の他愛なさ。後半は、渋川の柴犬絡みの恋物語が用意されているが、ドロンズ石本と大西信満の節度ある野次馬演技も憎めない。そして愛すべき犬たち。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
何もないとか、駄弁りだけの映画という触れ込みだがそれは韜晦というかであって、相当仕掛けてるし中身はいろいろある。それは渋い野心だ。系譜としてはドラマ・映画の「幼獣マメシバ」シリーズ直系だろうが、発想やスタイルの面では「セトウツミ」(2016年、大森立嗣)を思わせる。ただ、そういう、どれだけ引き算にしていくか、には行かない。ところで犬がこんなに芝居するものなのか、いやもちろん編集の技もあるだろうが、それにしてもこんなにうまくはまるものかと感心。
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映画評論家
松崎健夫
劇中の「苔は自己主張せず人々の生活に密着している」という台詞は、本作の魅力を代弁している。犬は人と人とを媒介する。本作においてもコミュニケーション下手な人間同士を繋ぐコミュニケーションのツールとして、犬が重要な存在になっていることを窺わせる。ドラマの劇場版という立ち位置だが、独立した作品として鑑賞可能な点、さらに“渋川清彦の主演映画”としての価値に対しても評価されるべき点がある。「自分を認めたら楽になる」なる台詞に現代社会の疲れを癒す根源を悟る。
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ハウス・ジャック・ビルト
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翻訳家
篠儀直子
ジャッキ(英語ではジャック)が壊れたところから始まるジャックの崩壊。実在の殺人鬼たちの多くは想像を絶する逸話を残しているのだから、主人公の支離滅裂さも驚くにはあたるまい。しかも何とこの映画は、ブルーノ・ガンツの役がツッコミとして機能しているため、意外にも、少なからぬ人たちがすんなり受け入れてくれそうなコメディとして成立している。作品全体が監督自身による懺悔の気持ちの表われなのだ、という解釈も出てきそう(そうするとまた議論がややこしくなるけど)。
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映画監督
内藤誠
「エレメント・オブ・クライム」についての拙稿を読み直し、トリアーのヨーロッパ的崩壊感覚の一貫性を再確認。マット・ディロン熱演のシリアル・キラーが殺人を犯すごとに強迫神経症が改善されて、病的に潔癖症だという設定も相変わらずだ。大鎌を使って草を刈る農夫たちを見つめる少年の目も独特で怖い。建築とグールドのピアノなど教養ゆたかな引用と偏執ぶりはゴダール「イメージの本」の対極にあるが、ガンツが登場し、ダンテ『神曲・地獄篇』で終わる最後は、あれでいいのか。
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ライター
平田裕介
題名がマザー・グースの積み上げ歌『ジャックの建てた家』から取られているので、殺す人数が多くなって手口も凄惨になると思っていたが死体を用いた最後の大仕事にはしてやられた。陰惨で悪趣味極まりない内容なのは確かだが、これはコメディなんだと頭を切り替えれば観られる。実際、強迫性障害ゆえに何度も現場に戻ってしまう場面を筆頭に笑える場面は少なくない。撲殺、絞殺、刺殺、銃殺と殺り方も多種多彩で、人体破損描写も素晴らしい仕上がり。ただし、繰り返し観たくはない作品。
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