映画専門家レビュー一覧

  • DENKI GROOVE THE MOVIE? 石野卓球とピエール瀧

      • 評論家

        上野昻志

        ミュージシャンの活動を追った映画は色々あるが、あまり面白いものに出会ったことがない。なんか、そのミュージシャンに親しんできた人たちが、頷き合っているような閉ざされた印象が強いのだ。本作が、それらと決定的に違うかは微妙なところだが、一応楽しく見られた。それは、俳優としてのピエール瀧とは、まったく異なる彼のパフォーマンスが見られたこともあるが、それ以上に、これが彼らの活動を通して、一九九〇年代以降の日本のテクノ・ミュージックの歴史になっていたからだ。

      • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

        千浦僚

        電気の伝記。観る前からアガる。楽しく観る。私は九〇年代にファン。ずっと追いかけてたひとや影響されてテクノものを作ってる友人もいていろいろ教えてもらいつつ。『電気ビリビリ』のBPMと歌詞の変遷に並走した世代。だから本作データ面に関して驚きはない。卓球と瀧のインタビューがないのは、どうせやってもムダとか、感動ぽくなってもイヤ、とも思うが、やはり欠落だ。だが現在の卓球による『NO』をトリに配置することで、彼らと或る時代の青春を感じさせたことは良かった。

      • 文筆業

        八幡橙

        電気グルーヴの26年を、彼らの曲に乗せ、元メンバーや関係者へのインタビューとライブ映像をふんだんに織り交ぜつつ振り返る。現在の2人の証言はなく、カメラが捉える近影は今も変わらずくだらないことを言い合い戯れるオフショットで構成され、そのことが石野卓球とピエール瀧の、狂気と同義の(?)異能ぶりと、ある種の円熟を際立たせる。序盤で描かれる92~93年ごろ、彼らが連載していたサブカル誌編集部の末席に在籍していたこともあり、四半世紀の来し方がついつい重なった。

    • 神様なんかくそくらえ

      • 映画・漫画評論家

        小野耕世

        駆けだしているようなせわしない音楽が全篇を流れるこの映画は、泣いて自殺しようとする女とそれを止めようとしない男の街頭の場面から始まる。これは女性を演じるアリエル・ホームズの実体験『ニューヨークの狂った恋』を描いた内容だとは驚くが、この新人女優を見ているだけで最後まで併走させられてしまう魅力の持ち主である。ドラッグにひたって疾走する彼女をとりまく若い男女の青春群像の結末は、まるで嵐の去った後の晴れた空のようなさわやかさを感じてしまうほどだ。

      • 映画ライター

        中西愛子

        ニューヨークの路上で暮らすガール&ボーイの破滅的な生活。う~ん、ピカレスクものは、その破天荒さや痛みの中に、ロマンとは言わないまでも、何かこちらの心を打つものがないとつまらない。映画として魅力がないのだ。ヒロインを演じた女優の過去の実体験が基になっているというが、後日、彼女は映画で日の目を見るほど這い上がったのだから、“よくなりたい”という普通の思いを軸にした再生ドラマにしてもよかったのでは? 社会派的な視点もないし、罵りだけぶつけられても不快。

      • 映画批評

        萩野亮

        評者が一〇代のころ、つまり九〇年代後半にはこんな映画がごろごろあった。この作品はたとえば「KIDS」(95)の焼き直しのようなもので、当時は鮮烈だったテーマも手法も、いまではまるでインパクトをもたない。またタイトルも劇判にあてた既成曲のセレクトもたいへん恥ずかしく、残念ながらセンスがない。監督のサフディ兄弟が評者と同世代であるのは案の定というほかないが、とりあえずこれだけは云っておこう。いいかい兄弟、もうハーモニー・コリンやドグマ95は忘れるんだ!

    • 禁じられた歌声

      • 映画・漫画評論家

        小野耕世

        映画の舞台であるティンブクトゥの名は、私が一九五〇年代に読んだ『ドナルド・ダッグ』のコミックブックに、どこかとんでもなく遠い未知の地を意味することばとして出てきたものだ。それが西アフリカのマリ共和国の砂漠のような街の名であると、美しい実景とともに私を覚醒させてくれたこの映画は、イスラム過激派支配下で日常が侵されていく人びとの〈現実〉を、静かななまなましさと誌的ですらある映像を積み重ねて描いていく。人びとの心の叫びが深く重層的に響いてくる。必見作。

      • 映画ライター

        中西愛子

        西アフリカ、マリ共和国。人々の穏やかな暮らしの中に、イスラム過激派が入り込み、街はいつしか兵士たちの作った法によって恐怖に覆われていく。イスラム世界で起こっている現実を、これだけ繊細に、生活に根づく視点から描いている映画は、珍しいのではないか。報道からは見えない、内側の、土着の風景が切り取られている。また、リアリズムと詩情が柔らかく溶け合う作風とリズムも独特で魅惑的だ。アブデラマン・シサコ監督の名前は憶えておきたい。今の時代を知る上でも必見。

      • 映画批評

        萩野亮

        静かな映画である。ジハード主義者の実質的統治によって、音楽もサッカーも禁じられた生活の重苦しさを、この作品は声を荒げることなく記述している。暴力の恐怖(テロル)をセンセーショナルに描くことは、むしろテロリストの思うつぼであり、そうした表現は慎重に避けられている。それよりも、過激派ひとりひとりを顔と声、さらには良心をもった人物として造形することで、問題の根源へとせまるこの映画のアプローチは重要である。ボールのないサッカーに創発的な抵抗の一端を見た。

    • 消えた声が、その名を呼ぶ

      • 映画監督、映画評論

        筒井武文

        オスマン帝国没落の渦中で起きたアルメニア人へのジェノサイドという、日本の観客として未知な領域が興味深い。喉を切り裂かれる虐殺描写の緊迫感は圧巻。そこで声を失う代わりに生き延びた主人公の娘探しが後半の主題となる。問題は主人公が狂っているのか、理性的に対応しているのか、周りの環境描写との摺合せが不正確なことだ。とりわけキューバへの船旅以降が、説明的な段取りカットが連続し、娘探しの手掛かりが映画の都合に見え、描写される前後の時間への信頼が弱まる。

      • 映画監督

        内藤誠

        サローヤンの翻訳者としてトルコ人によるアルメニア人ジェノサイドの史実はよく読んだが、本作は両親がトルコからハンブルクへ移民した監督によるものなので、主人公ナザレットを救うヒューマンなトルコ人も登場し、微妙な物語構成。たぶん、監督の故国トルコでは撮影不可能な作品だ。主人公が騒乱で行方不明中の娘たちを想い、チャップリンの「キッド」を見て涙する場面やキューバからラムの密輸船でアメリカに渡るルートなど、調査充分に描き出され、国境を越えた時代考証も丁寧だった。

      • 映画系文筆業

        奈々村久生

        トルコの砂漠での残酷で野蛮な光景から、レバノンを経てはるかキューバに渡り、さらにアメリカ大陸を北上する。それぞれの場所と状況に応じて主人公のいでたちや顔つきも変わっていく。彼の声は失われ、表情も喜怒哀楽が前面に出るタイプではない。それでもその旅路に娘を見つけ出す希望を得てからの静かな迫力と求心力たるや。彼の存在がダイナミックなロケーションの移動とドラマの変遷を力強く一本の映画につないでいる。どうしたらこんなロードムービーが撮れるのか。

    • 完全なるチェックメイト

      • 映画監督、映画評論

        筒井武文

        ボビー・フィッシャー対ボリス・スパスキー。20世紀最高の大勝負を映画でどう描くか。第6局の勝負手を観客の脳裏のチェス盤に驚きと共に刻むという、チェス自体の伏線の難しさから、99%失敗するであろう映画の意外手は使われない。セコンドのリアクションに頼るのみだ。ボビーの奇行もチェスの駆け引きとして読むスパスキーを描くことで、東西両陣営のグランドマスターの神経戦としての古典的作劇に徹する。演技は見事だ。残念ながら、「王将」は超えられなかったというべきか。

      • 映画監督

        内藤誠

        冷戦下、ソ連のチェス・チャンピオン、スパスキー(リーヴ・シュレイバー)に挑戦するアメリカのフィッシャー(トビー・マグワイア)。二人のキャラクターが巧く演出されていて、クライマックスはアクション映画のように盛り上がる。キッシンジャーの政治的メッセージやソ連側の反応なども、ニュースリールを交えて的確。ネクラなスティーヴン・ナイトの脚本と知性派エドワード・ズウィック監督の組み合わせもよく、ゲイル・カッツ企画立案の勝利だ。天才のパラノイア性が興味深い。

      • 映画系文筆業

        奈々村久生

        フィッシャーとスパスキーの対極を世紀の一戦としておきながら肝心の対戦はほぼ何も映っていないといっていい。チェスが題材なのにチェスの試合を写すことを放棄したとしか思えない。ではプレイヤーの人物描写に焦点を絞ったのかというとこれもぼんやりしたもので、作り手が彼の何を描きたいのかまるでわからない。さらにラストのシークエンスは映画化そのものの意味を白紙に返すほどの破壊力だ。この人物をフィクションで描くことの困難だけがひたすらうかがえる。

    • 映画ちびまる子ちゃん イタリアから来た少年

      • 映画評論家

        上島春彦

        面白いのだが、さすがに劇場で見るには物足りない。アニメ好きとしてはね。まる子ファンならこれで十分なのか。七〇年代日本が舞台ということで一時期私も原作にのめり込んだクチである。ここでも大阪芸人の場面や電話の扱いがそういう趣向。でもそれ以上じゃない。センスを感じさせるのは音楽で、最初と最後はもちろん中間部のも良い。大原櫻子ファンにはたまらないであろう。懐メロとか他に使えたらもっと良かったのかも。でも外国人が言うほど日本はたいした国じゃない、今も昔も。

      • 映画評論家

        北川れい子

        テレビアニメ版はまったく見ないのに久しぶりという気がしないのが不思議。シンプルな絵とキャラクターが記憶の邪魔にならないからだろう。トゲトゲしたものやイジワルが一切ないのも、ちびまる子ちゃんの世界ならではで、ちょっとゆるめのテンポも心地よい。まる子の友だちや、外国からやってきた子どもたちのキャラの違いも面白く、大阪、京都の旅も楽しくほほえましい。終盤の灯籠流しや花火のシーンが実写以上に情感豊かなのは、絵と脚本が純真だからだ。まる子ちゃん、バンザイ!!

      • 映画評論家

        モルモット吉田

        前作「わたしの好きな歌」は今も繰り返し観る傑作なので期待値が高まりすぎたかも。まる子の大阪観光にお笑い好きの野口さんが帯同するとなれば濃いネタを期待したが、各国から来た同年代の子どもたちとの交流が主だけに、カウスボタン、仁鶴、寛平が登場するも顔見せ程度(芸人たちが登場するまで時代設定を忘れていたが)。この時期は寛平が唄った『ひらけ!チューリップ』がヒットして神代辰巳の同名題のロマンポルノまで作られただけに、あたしゃまる子に歌ってほしかったよ。

    • クリード チャンプを継ぐ男

      • 翻訳家

        篠儀直子

        予想したとおりにことが運ぶ部分が多いし、台詞の書き方もすごくベタだったりするが、ここではそんなことはどうでもよくて、これはもう開巻からしてどう見ても「フルートベール駅で」の監督の作品であり、屋内外の風景を巧みに取りこみながら動き回るキャメラが、実に渋い生活感をにじませる。予想したとおりとは言ったものの、物語全体の構造は(詳しく論じるだけの字数がないのがとても残念なのだが)さまざまな読みを可能にする重層的なものになっており、そこもたいへん面白い。

      • ライター

        平田裕介

        鶏トレーニングに「女は脚にくる」といった場面&台詞のオマージュもさることながら、改めて1作目のテーマを深く描こうとしたR・クーグラーの想いに泣いた。そして、控室~リングまでの移動、国内デビュー戦全ラウンドを長回しで捉えることで生み出される、尋常ならざる臨場感に燃えた。ロッキーからアドニスへ、スライからクーグラーへ。そんな継承の被りもタマらない。誰もが危惧しているだろうが、セコンドにクラバーが付いたドラゴの息子とアドニスが戦うなんて続篇はやめて。

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