映画専門家レビュー一覧

  • クリード チャンプを継ぐ男

    • TVプロデューサー

      山口剛

      前作「フルートベール駅にて」では警官による黒人青年射殺事件を取り上げたライアン・クーグラー監督なので、社会性の強い黒人映画かとの予測に反して、「ロッキー」のファンを満足させるウェルメイドなボクシング映画になっている。勿論、黒人の視点はしっかりと貫かれており、シリーズのやや古いスポ根的ヒロイズムに現代感覚が付与されている。ここ数年、スタローンが選ぶ役どころには違和感を感じるものが多かったが、脇に回りアクションシーンの一切無い今回はなかなか魅力的だ。

  • きみといた2日間

    • 映画監督、映画評論

      筒井武文

      デプレシャンとかち合ったのが不運。ネットの恋愛サイトで出会った二人だが、まったく魅力が演出されないので(要は馬鹿に見える)、前半で席を立ちたくなる。喧嘩別れしたのに、NYの大雪で、もう一夜一緒に過ごすしかなくなり、お互いの「ハウ・トゥー・セックス」を批評した後に再演するのだが、演出に残酷さが不足し、輝かず。二人は別々の日常に戻るが、相変らず脚本の台詞をしゃべるだけなので(叫べよ!)、お互いを求め合うエモーションは起きようもない。マイクが懐かしい。

    • 映画監督

      内藤誠

      「キャロル」で50年代の古いニューヨーカーを見たあと、ネットで相手を探す現代の男女の物語に接し、いかにも貧しいものに思えたのだが、話が進むにつれ、彼らの悩みがそれなりに伝わってきた。パートナーがいない状態にコンプレックスを持ち、孤独に耐えられないのだ。さいわい、一夜の関係をもったあとでも、やれ服の脱ぎ方が早すぎたなどと体験を分析し、そのディテールはリアルで面白い。ニューヨークが最先端の街だと思っているひとは、主人公たちの保守性にあきれるかもしれない。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      「ジョンとメリー」や「アパートの鍵貸します」のようなクラシックなラブコメの真髄に、それっぽいルックでアプローチするのではなく、映像もテーマも現代のものにアップデートしながら迫っている。大半が室内で展開する若者の会話劇は、限られた空間をアクロバティックに使いつつ、丁寧な演出と的確なカット割りで、テンポはいいのにじっくり観られる。マイルズ・テラーが上手い。「セッション」とは全然違う役柄だが、彼が演じるとその役がどこかで見た誰かではない新しい人物になる。

  • 友だちのパパが好き

    • 評論家

      上野昻志

      タイトルから、また、ガキの恋愛ものかと思ったら、まったく違って、かなり楽しめた。街角で待ち伏せして、吹越満扮するパパに迫る安藤輪子の暴走ぶりもさることながら、周囲の人物の相関関係が面白く描かれているからだ。とりわけ安藤の告白に呆れた岸井ゆきのの家庭、つまり母の石橋けいと吹越の三人が囲む食卓での離婚を巡るやりとりや、石橋と岸井の母子が、スーパーで夫及び父の愛人と出会うくだりなど大いに笑える。ただ、腹を刺した安藤が頭に包帯を巻いているのは、どうして?

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      思わず何度も笑わされたがその可笑しさはおまけであって、うーん、そうなのかあ、とジワジワ驚かされるような、明るく澄んだ淵が予想以上にかなり深いことの、ヤバイ感。彼の画像を表示したスマホで自慰するほどに友だちの父親が好きだというメガネ娘を演じた安藤輪子が良かった。情けなくも怖いストーカー殺人者の金子岳憲ほか、役者が皆良い。ワンカットが長めなのも良い。もっと自分が若ければ気持ち悪さが先に立ったろう。今はこのイマドキでありながらの狂恋を楽しんだ。

    • 文筆業

      八幡橙

      一見シュールだが、その実、妙にリアルな市井の群像劇。不倫、愛人の妊娠、妻の病気、震災と離婚、娘の同棲に介護問題……。友だちのパパに恋する暴走娘のみならず、親も子も、どっちの世代もこの時代、生きてゆくのはなんとも大変。のほほんと描かれる、じっくり考えたら相当へヴィな修羅場の数々。抜き差しならない状況を、ギリギリの笑いですり抜ける山内ケンジの技量に感服。監督の語る、「若い女性と中年男のロミオとジュリエット」の意味が明かされるラストに愕然&ちょっと戦慄。

  • 広河隆一 人間の戦場

    • 映画評論家

      上島春彦

      広河の仕事も生き方も立派なのはよく分かった。それにしちゃ星が伸びないのは「仕事も生き方」も監督の客観視の範疇から一歩も出てこない気がするからだ。ずっと広河に語らせているのに不思議な感想だが。広河の家族の件が限定的にしか話題にならないせいかな。まあそういうテーマの企画じゃないか。広河のキャリアの基盤が中東情勢におけるジャーナリストの果たすべき役割の認識であったこと。その意味は現在こそ重要視されている。私たちは、彼らのことを今でも何も知らないから。

    • 映画評論家

      北川れい子

      撮る人、を撮る。近年、よく見かける。当然、撮る人を撮ることによって、その撮られた作品と撮る人の関係が一体化、記録映画を撮る側としては一石二鳥的効果があるってワケになる。中でも記憶に残るのは、2015年9月に亡くなった報道写真家・福島菊次郎のドキュメンタリー。そのドキュの監督だけに、本作も世界の実情を撮り続ける広河隆一の姿勢や活動はしっかり伝わってくるが、ゴメンナサイ、戦場カメラマンと聞くと、危険な仕事と背中合わせの功名心を感じてしまったり。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      「早く来てれば息子は助かったのに」とパレスチナで詰られたという広河。時として暴力に例えられるカメラは、こういう場でこそ役に立つ。チェルノブイリ、福島などへも目を向け救援活動を行う広河の行動力に驚かされるが、それを饒舌に語るわけでもない。その分、彼が撮った写真が問題を語りかけてくる。言葉と写真の配分が絶妙だ。こんな強烈な男をどう映画として撮ったのかと思っていると、撮影が山崎裕なので納得。互いに感応し合うようなカメラを持つ男たちの息づかいを感じた。

  • ヴィオレット ある作家の肖像

    • 映画・漫画評論家

      小野耕世

      映画で小説のような章だてで語られていくこの作家の著書は、60年代にややきわもの的あつかいで邦訳が出ていたようだが私は読んでいない。このような骨身を削って自伝的小説を書いていた人だったとは。彼女をずっと支えてきた作家ボーヴォワールのこれまで知られていなかった側面、出版社のガリマールなどフランス文壇をめぐる人間模様も活写されるなど、多くを学んだ。主人公の人生に南仏の風景が重要な役割を果たしたことにはこの映画ならではの描写が生きる。主演女優ふたりが出色。

    • 映画ライター

      中西愛子

      書くことで自分を見つめ、書くことで人生をまっとうしたフランスの女性作家ヴィオレット・ルデュック。1907年、私生児として生まれた彼女は、この事実をコンプレックスに生きていたが、やがて自らの生い立ちや性を小説に綴ることに目覚めていく。ボーヴォワールとの出会いが、彼女を人として、作家として鍛え上げる。このふたりの、ある意味壮絶な関係性が厳しく深く感動的。自分に向き合うことから逃げなかったヴィオレットの泥臭い強さに圧倒される。E・ドゥヴォスが好演。

    • 映画批評

      萩野亮

      サルトルは知識人の政治参加を説いたが、女たちにとって書くことは実存を懸けた闘いだった。赤いカーディガン、手いっぱいの花束、膝上に抱えたノート。わたしはこんなふうにしか生きられないのよ、とあらゆる細部が告げている。奥行きのある画面に注意ぶかく人物を配置するイヴ・カープのカメラがすばらしく、ふたりの女性作家の対比をあざやかに浮かびあがらせている。エマニュエル・ドゥヴォスは、いつも作品のなかでほんとうに生きて、呼吸をしているようである。

  • ストレイト・アウタ・コンプトン

    • 翻訳家

      篠儀直子

      ギャングスタ・ラップの生い立ちがよくわかる映画だが、そういう興味がなくとも、尋常ならざるリアリティと迫力にぐいぐい惹きつけられる。ドクター・ドレーやアイス・キューブ、イージー・E役の俳優たちが「一見ほかの若者と違わないようだけれど、やがてスター街道を駆け上がっていく」雰囲気を初登場時からただよわせているのをはじめとして、キャスティングがみな素晴らしく、怒りや欺瞞、幻滅、簡単には語れない愛情など、あらゆる感情が生々しくスクリーンに叩きつけられる。

    • ライター

      平田裕介

      いいように使われた果てに猛るアイス・キューブは広能、のらりくらりとN.W.A.を利用するマネージャーは山守など、なんだか「仁義なき戦い」を観ているような気に。それゆえに、まったくヒップホップに明るくないのに楽しめた。人気グループの興亡劇ではあるが、ストリートで生きてきた者たちの激情もガツンと描いて感傷的に終わらせていないのも良いし、F・ゲイリー・グレイならではの緩急自在なタッチも冴えに冴えている。ドープでイルなサグたちの姿にトノップした147分!

    • TVプロデューサー

      山口剛

      くれぐれもヒップホップやラップ・ミュージシャンの伝記映画だと思って敬遠なさらないよう。これは音楽映画、黒人映画といったジャンル映画ではなく、80年代のL.A.の街を、いやアメリカを描いた映画だ。窺い知ることの出来ないアメリカの中の民族社会が眼前に露になる。あらゆるシーンに緊張感が漲っている。身体に震えを覚えるのはラップのリズムのせいではない。この種の音楽に不案内で、アイス・キューブを特異な風貌の脇役としてしか知らなかった私も、襟を正し息を呑んだ。

  • ディーン、君がいた瞬間(とき)

    • 翻訳家

      篠儀直子

      D・デハーンの容貌はそんなにジミーに似ているわけではないが、視線の使い方やしゃべり方など、やり過ぎなくらい似せている。で、ジミーの人物像は、これまでの映画や書籍で語られている範囲を出ていない(これはこれで問題だが)から不明な点はないのだけれど、問題はデニス・ストックのほう。彼が自分の才能をどう考えていたのか、自分にいら立っていたのか環境にいら立っていたのかがわからないので、ジミーとの衝突も盛り上がらず、二人がお互いをどう変えたのかわたしはわからず。

    • ライター

      平田裕介

      普段から、若返ったサム・ニールだと思っているデイン・デハーン。そのせいか、ジェームズ・ディーンには見えない。カメラマンで映画監督でもあるA・コービンが、後に不世出の俳優と名写真家となるふたりの邂逅に憧憬を抱いているのは強く伝わるし、その瞬間を俗っぽくせずピュアに完全再現したいのも理解できる。だが、ほんとに切り取っただけなので両者を知らぬ者には、この2週間がどれだけ凄いのかはわからない。だからといって変にBLっぽくされても困るし、難しいところ。

    • TVプロデューサー

      山口剛

      「エデンの東」を撮り終えたばかりの未だ無名のディーンが、ニコラス・レイのパーティで、写真家デニスと出会うシーンから始る。アメリカ映画のファンには、まさにたまらない瞬間だ。ピア・アンジェリ、ナタリー・ウッド、アーサー・キット、カザン、ワーナー社長、周囲を彩る人物には事欠かない。早世の天才が故郷イリノイでデニスと過したわずか数日の至福の時間がこの映画の全てだ。なんとも切ない。デハーンは芸術家の繊細さとカントリーボーイの不器用さを巧みに演じた。

  • あの頃エッフェル塔の下で

    • 映画監督、映画評論

      筒井武文

      現在、「ドワネル」ものをやるなら、これほどの情報量が必要との認識が凄い。20年前なら、5時間かけていたであろう題材を、編集のアクロバットで2時間に圧縮する。ソ連での緊迫のスパイ事件から、都市と田舎に引き裂かれる恋愛と、ジャンルまで越境する。エステルを再登場させるときの美。女優の演出に、技という技を繰り出す。エピローグの強烈な挿話は、取り返しのつかない時間を失った悲痛さに溢れ、「ドワネル」番外篇としての「恋のエチュード」を超えようとする素晴らしさだ。

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