映画専門家レビュー一覧

  • あの頃エッフェル塔の下で

    • 映画監督

      内藤誠

      あとから考えるとどうしてあんなことになったのだろうと思うのが青春だが、デプレシャンはそのニュアンスをよくとらえて演出。青春を生きる者の生意気さ、憧れ、読んだ書物、聴いたレコード、ダンスと暴力沙汰。すべてが懐かしく感情移入できるのは監督みずからの記憶が作品に投影されているからだろう。そうでなければ、かくも唐突で興味深い構成はできないはずだ。ドルメールとルコリネをはじめ、登場する新人たちが瑞々しく、現在の主人公アマルリックとその人類学教師が印象的。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      裸やセックスが映画に出てくるとき、それらがテーマの作品もあるが、人として当たり前の行為だから特に過激なことをしているつもりはありませんという体で撮られていたり、それを口言する監督もいる。そういう映画で実際に裸やセックスが「普通」に写っていることは稀である。だがデプレシャンの映画では、裸やセックスが本当にごはんを食べたり洗濯をするような感覚で写っている。これが俳優との信頼関係や繊細な演出の賜物であるとわかっていても、毎回のように驚かずにはいられない。

  • はなちゃんのみそ汁

    • 映画評論家

      上島春彦

      コメディー風味にして正解。滝藤は「はしゃぎすぎ」だが、こうじゃなきゃ映画じゃない、という気がやがてしてくるから偉い。乳がん患者(始まりは)であるお母さん広末が、病気をいわば同伴者にしながら家族と共にしぶとく生きた数年間を、笑いをまじえて描く。クライマックス、オリジナル主題歌を広末が熱唱するコンサートがとてもお得感あり。実話の映画化で、注目の脚本家(監督兼任)が旦那さんに取材して念入りに構成を整える、その最上の成果がコンサート場面に良く出た、と感心。

    • 映画評論家

      北川れい子

      ブログに書かれた、がん、出産、闘病記の映画化といえば、先般「夫婦フーフー日記」が公開されたばかり、きっとこういったブログを読んで励まされる人も多いのだろうが、それをまた映画化とはイージーな気もしないではない。ま、「夫婦フーフー日記」にしろ、本作にしろ、お涙チョーダイ映画とは一線を画しているが、リスクを承知しての出産、子育て、女性の方がキモが座っているのも共通する。食に関するこだわりや情報が宗教のように押しつけがましいのにはヘキエキ。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      直球世代としては、ヒロスエが歌うシーンがあるだけで満足。死を殊更に強調しないという当たり前の映画作法が守られていることに安心してしまう。だが、コメディシーンが弾けない。結婚に難色を示す夫側の母の過剰な演技も引っかかるが、がんの再発リスクが高まる出産を悩む妻を後押しするのが夫、実父、男性医師と男ばかりなのが釈然としない。女たちは彼女の出産をどう受け止めたのか。食をめぐる映画でもあるはずだが、画面から味、匂い、みそ汁の熱さが伝わってきたとは思えず。

  • ひつじ村の兄弟

    • 映画・漫画評論家

      小野耕世

      アイスランド映画では、しばしば小さなコミュニティが舞台となる。村の人たちは互いに親しいが、逆に仲がこじれると長く反目する関係にもなりやすいらしい。ここでは伝染病にかかった羊をめぐり、女のいない男たちふたりの兄弟の確執が描かれる。いつもながら風土と人間のいとなみが、世界の縮図のように感じられてくる。多くの羊が出てくるが、最後のクレジットにsheep in chief(羊のチーフ)として五頭の羊の名が出る。つまり、映画俳優と羊たちが同等のあつかいなのに感心した。

    • 映画ライター

      中西愛子

      アイスランドの村に暮らす、羊飼いの老兄弟。隣同士に住みながら、40年間絶縁していた彼らが、羊の運命を左右する事件を機に大きな秘密を共有する。なぜこの兄弟が仲違いしているのか、はっきりとはわからない。だが、どうにも疎遠であるという距離感が、些細な、かつユーモラスな描写から少しずつ伝わり、緩やかにこの映画の世界観が育まれていく。性格は異なるが、やはり似ている血の濃さが、クライマックスに向けて切なく迫る。山を駆ける羊の群れの画に無垢な美しさを感じた。

    • 映画批評

      萩野亮

      エクソダス、という語がおもわずうかんだ。もっとも愚鈍な動物とされる羊たちの、山をはるかにめざして踏みしめる一歩に胸を衝かれた。思わぬレッテルを貼られて迫害をうけ、移動を余儀なくされる羊たちの物語は、人類史のあらゆる悲劇のメタファーではないのか。血統の延命に奔走する兄弟が、彼ら自身の血の存在に気づかされてゆくのは、だからすこしもふしぎではない。「Rams(羊たち)」という簡潔な英題に同時に示されているのは、まさにこの迷える老年の兄弟のことであるだろう。

  • マイ・ファニー・レディ

    • 映画・漫画評論家

      小野耕世

      往年のハリウッド映画へのノスタルジアに満ちたボグダノヴィッチ節健在のこのコメディーが気分よく見られるのは、悪人がひとりも登場せず、ひょんなはずみで舞台にひっぱられるコールガール(新人のイモージェン・プーツが出色)以外は、浮気性の舞台演出家にしろ脚本家などすべてが裕福な連中で、高級ホテルやレストランでおなじみの鉢あわせで散財しても痛くもかゆくもないからだ。映画マニアがうんちくを語りやすいようなおまけ映像まで最後に出る。ニューヨークの街頭描写がいい。

    • 映画ライター

      中西愛子

      コールガールからハリウッドスターに上りつめた若い女優。彼女の成功譚を彩る舞台人らユニークな人々の恋と執着を洒落たタッチで描いたコメディーだ。70年代の匂いがしつつ、携帯もパソコンも登場する現代が舞台。恋のドタバタは、ウディ・アレンを思わせるが、アレンは良くも悪くも軽薄さが魅力で、こちらピーター・ボグダノヴィッチは情が深そう。惚れっぽさが生む創造力。映画はこういう色気がなくなるとおしまいかもしれない。この遺産を受けとめた中年世代の俳優・製作陣にも拍手。

    • 映画批評

      萩野亮

      女と男と電話だけでできた映画である。洗練されたシーンの数かずにおもわずうなる(電話といえばフリッツ・ラングだが、ボグダノヴィッチはさすがラングに取材して一冊上梓しているだけある)。どこまでもウェルメイドに徹する姿勢は、スタジオ時代を知る映画人の矜持さえ感じさせてくれる。どんなに込み入った話も90分で語り終える技術こそが、古典映画の遺産であることをそうしてたしかめた。ウェス・アンダーソンが紹介したというオーウェン・ウィルソンがたいへんはまっている。

  • リザとキツネと恋する死者たち

    • 翻訳家

      篠儀直子

      コメディー演出の「間」の難しさを痛感。この脚本だったらもっと面白くできるのに、せめてアップビートかオフビートか、どちらかに演出を寄せてくれればよかったのにと思う。だからなかなかノリ方がわからないのだけれど、意外な人物がヒロインの相手役として浮上してからは結構盛り上がる。何より日本のカルチャーを吸収したことが、このような想像力の表われにつながるというのがいちばん面白い。トミー谷役には及川光博という俳優がぴったりだよと、監督に教えて差し上げたかった。

    • ライター

      平田裕介

      中盤までは「幽霊と未亡人」ならぬ“幽霊とアラサー処女”的なノリなのかと思っていたが、意外としっかり不気味で怖い話。そこに、あえて日本×デンマークのハーフ演じるトミー谷と彼が熱唱する日本曲を筆頭とする“ズレていて上等”ともいわんばかりのジャポネスクが上手く絡み、かなりインパクトある仕上がりに。間の取り方や全体を包み込むユーモアも、よくあるといえばよくあるが悪くない。本作が初長篇というウッイ・メーサーロシュ・カーロイ(名前もイイ)の今後に期待したい。

    • TVプロデューサー

      山口剛

      大阪の映画祭で観た友人が、ポップでオフビートな傑作と絶賛していたが、公開されないのかと諦めていた。トミー谷という日本の昭和歌謡ふうの歌を歌いまくる歌手の幽霊が、ヒロインの恋する相手を次々に殺していくという奇想天外な傑作コメディー。自由奔放に撮っているように見えるが、古典的幽霊映画の伝統や喜劇のセオリーをキチンと踏まえているので、安心して観ていられる。原案は那須に伝わる九尾の狐伝説とか。この監督の日本びいきは本物だ。下手な日本語も御愛嬌。

  • ハッピーアワー

    • 映画評論家

      上島春彦

      彼女たち四人はもの欲しげに幸せを求めているのではない、とは思うが、基本これは幸せなんか求めるヤツには地獄が待っている、というコンセプト。それを自覚したり、あるいは体験したりするのが、実は「振りまわされる」男たちの方だというのも興味深い。路上で泣き崩れる人の姿を見て、いたたまれない気分になってしまった。話が脇にそれるが、人生の本当の智者はちょっとしか出てこないお姑さんなのに、その知恵を若夫婦はきちんと受け止めようとはしていないようだ。勿体ないねえ。

    • 映画評論家

      北川れい子

      確かに30代後半の女性は、家庭があっても独身でも何かと生きづらい。いやそれを言えば、世代や性別に関係なく、誰もがどこかで無理しているのが現代人だと思う。そんな女性グループに焦点を当て、虚実皮膜ふうにたっぷり時間を費やした本作、演じる彼女たちの自然体の言動は実に大したものだと思う。けれどその言動の一方的な被害者ぶりや弁護人気どりは鼻持ちならない。彼女たちが連れ立って参加するさまざまなワークショップの場面もムダに長く、こっちの時間のことも考えてよ。

    • 映画評論家

      モルモット吉田

      土着でも旅行者でもない長期逗留者的視点とでも言おうか、こんな神戸を映画で見たのは初めてだ。ワークショップや打ち上げ、朗読会のシーンになるとドキュメンタリー的に長々と撮られるが、客席とスクリーンに流れる時間が均等化され、映画の中に引きこまれそうになる。新緑の山から心地良い風が街に吹き込み、ぶっきらぼうな彼女たちの演技がみるみる輝く前半に惹かれる。助手席の女性が降りた後の座席を映し続けるだけで残存感に胸が締め付けられる映画が今、他にあるだろうか。

  • 森のカフェ

    • 評論家

      上野昻志

      榎本監督、これは、エチュードのつもりで作ったのでしょうね? これで小手調べをして、改めて本格的に映画に取り組むと。論文に悩む哲学青年が、森の中でカフェを名乗る女と出会うというシーンが二度繰り返され、ご丁寧にその種明かしもされ、結果、書いたのが、デカルト批判って、緩すぎない! 唯一面白かったのが、論文審査の場で、志賀廣太郎の教授が、かつて東大総長についた某映画評論家そっくりの演技を披露するところぐらい。全篇に流れる音楽と歌は良かったけどね。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      きみはどうなの?、という詞の歌が歌われるが珈琲に関して言うとスターバックスとタリーズを嫌う私は最近メキシコのサパティスタが作った豆を家で自分で挽いて飲む。んなこと聞いてないか。本作が問うのはそういう政治的な趣味ではなく現代の物心の乖離。精神を病むほど悩む哲学者は森で出くわした女子大生のギター弾き語りに啓示を得る。これにかつて中沢新一や浅田彰が詩的な表現で思想をやったのを連想。ささやかに見えて射程は大きく、観る甲斐のある映画。画面も良い。

    • 文筆業

      八幡橙

      色づく秋の風景。森の中に現れる不思議なカフェ。その画はとても美しく、昔愛読した『りぼん』にも通じる少女漫画的な世界。となると、ターゲットは女子なのか? それとも夢見るおじさまなのか? そのあたりが最後まで不可解だった。哲学をちりばめた会話の妙をギャグに昇華させてくれていたら、もう少し印象が違ったのでは。論文の書けない哲学者と、コーヒーを持って現れる不思議な女。雰囲気以上に、2人のキャラクターの持つ魅力や面白味に、より重きを置いてほしかった気が。

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