映画専門家レビュー一覧
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ソークト・イン・ブリーチ カート・コバーン 死の疑惑
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TVプロデューサー
山口剛
ニルヴァーナのカート・コバーンの衝撃的な死は自殺か他殺か? 悪女の典型のような妻コートニー・ラヴに雇われるが、いつしか彼女に疑惑を抱き最後まで真相究明につとめる私立探偵が面白い。元警官の実在した人物で、ぶっきらぼうで頑固な中年男だが、ボガートの演じたマーローやスペードの原型はこんな人物かと思わせるリアリティがある。ドキュメンタリーと称しているが、アーカイブ映像以外は役者が演じている。完全なフィクションにした方が面白かったような気もする。
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COMET コメット
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映画監督、映画評論
筒井武文
冒頭の行列(やがて、お墓に行く人々の列だと分かるのだが)のなかで、男と女は出会い、男はあわや車に轢かれそうになるのだが、この演出、編集の下手さに思わず仰け反りそうになる。この稚拙さに何か狙いがあるとしか思えないではないか。「ある男女の6年にわたる物語が交錯するパラレルワールドの中で進行する」と宣言されているのだが、しかし口説き文句のオンパレードにへきえきさせられ、単に出鱈目にシーンを交錯させているだけじゃないかと疑いたくなる。そしてあの結末。
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映画監督
内藤誠
出会ったときから6年間にわたり、男(ジャスティン・ロング)は知的で魅力的な女(エミー・ロッサム)の心がつかめず、苛立った日々を過ごす。時間と空間をとばす手法は最近の流行だけれど、全篇がコマ切れで、男女の愛と性の表現がもの足りない。終盤に近く、ロッサムが鮮やかな赤い服に着かえ、はっと思わせたので、何かが始まると期待したのだが、それも不発。コメットをめぐるポップな感覚はいいとしても、男女の関係をもっと追いつめて、狂気をはらむ展開にしてほしかった。
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映画系文筆業
奈々村久生
幼い恋の苦い思い出と言ってしまえばそれまでだが、男性のキャラクターは最初から最後まで自分の好きという気持ちを独り語り的に相手にぶつけるだけで、彼女の話を聞いてもいない。彼は出会い頭からずっと喋りすぎている。自分が理想とする彼女の姿しか見ていないし、彼女自身のことは見ようともしていない。相手の顔の見えない電話の向こうで一人激昂するシーンは象徴的だ。監督は「エターナル・サンシャイン」や「ブルーバレンタイン」のようなことがしたかったのだろうか。
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ベテラン
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翻訳家
篠儀直子
悪役ボンボンの極悪非道ぶりも、香港映画のように賑やかな刑事チームによって相殺され、映画全体は決して重くならない。アクションがフィジカルなギャグにつながっているのも楽しい。その楽しさのせいで(たぶん意図的に)わかりにくくされているけれど、主人公も悪役も「暴力を愛する男」という点で変わらない。無駄に思えたシーンがあとですべて効いてくるかっちりした脚本。クライマックスは、監視映像のない密室で行われた暴力に端を発する事件の結着として、まさにふさわしい。
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ライター
平田裕介
悪役はどこまでも悪く、熱血刑事もひたすら熱い。妙なヒネリなど入れないシンプルを極めた人物設定と対立構図によって、観る者のハートを燃やす熱伝導率がエライことに。おかげで、序盤からクライマックス並みのアゲ感が押し寄せてくる。庶民の野次馬根性と必携アイテムであるスマホが巨悪を追い詰める決定打になるのも痛快だ。ただし、ファン・ジョンミンとオ・ダルスをのぞく捜査チーム各メンバーの個性と活躍を打ち出せていないのが残念。オ・ダルスは主人公以上に輝く瞬間がある。
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TVプロデューサー
山口剛
大韓航空のナッツ姫事件を始め続出する大企業の世襲による腐敗は韓国民の怨嗟の的だ。それを思い切り戯画化、笑いと憎悪の対象に仕立てあげて粉砕してみせる。大ヒットも頷ける。サディストで異常者としか思えない大企業御曹司、その不始末の尻ぬぐいが仕事の常務、想像を絶する悪役コンビをユ・アインとユ・ヘンジが面白おかしく演じている。対するファン・ジョンミンたち広域捜査隊も紅一点を交え、破天荒な人物揃いで、アクション、笑い、スピーディな展開もなかなか快調。
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わたしはマララ
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映画監督、映画評論
筒井武文
もともと劇映画にする予定が、プロデューサーが少女本人と会って、ドキュメンタリーになったものだという。もちろん本人を記録した方が、彼女を演じる俳優の演技を見るより貴重なものとなるはずだ。しかし、撮っているつもりで、撮らされているかもしれない。撮るとは、撮る側の姿も垣間見せるものである。要は撮る側が彼女の何を撮りたかったのか見えてこないのである。映画のなかで、彼女とカメラの距離がまったく変化しない。つまり彼女のイメージは揺らがないのだ。
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映画監督
内藤誠
グッゲンハイムの「不都合な真実」は分かりやすい啓蒙的な作品だったが、この作品もノスタルジックな手描きアニメまで使い、充分に時間と金をかけた、ストーリー性のあるドキュメンタリーに仕上がっている。彼女をこよなく愛する父親にパソコンを教え、ブラッド・ピットが好きだと言うマララを等身大に映しているところも好感がもてる。だが、隣人たちの「彼女は有名になりたいだけさ」という批判まで録画しているのに、タリバンがなぜ、女子教育を憎むのかは分からないまま終わる。
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映画系文筆業
奈々村久生
思いのほか啓蒙的な作り。今の世相的に否定的なコメントも出てきづらいだろう。彼女は立派だ。それは大前提の上で、誰もが彼女のように声をあげられるわけではないという事実を強く感じる。力強く弁をふるうその姿が、彼女が代弁している少女たちやその現状と重なるかどうか。読み書きのできない母はなぜ今もできないままでいるのか。啓蒙色は特に音楽の力による印象が強い。ドキュメンタリーにおける音楽のつけ方はフィクション以上にデリケートに考えなければならない。
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杉原千畝 スギハラチウネ
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評論家
上野昻志
これも大作なんだけどねぇ……と溜息が出るのは、それに見合うだけのパワーが感じられないからだ。実際の杉原千畝がしたことは凄いし、それは外国でもよく知られているのだが、この映画の印象は、ひどく稀薄なのだ。別段、唐沢寿明が悪いというわけじゃないが。確かに、「海難」みたいに派手な事件があるわけじゃないから、難しかったとは思うけど、迫力が感じられたのは、ヒトラー万歳で、ドイツとの同盟を推し進める大島大使を演じた小日向文世ぐらい、というのでは、寂しい限り。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
柳広司原作、入江悠監督「ジョーカー・ゲーム」みたいなものに期待する、というか好き。戦時体制の日本を描く娯楽映画、史実を題材に感動や主義よりも娯楽性や活劇性を優先させてつくられる映画を求む。本作は意外と、結構それをやってた。満州で暗躍するスパイ杉原千畝というネタの良さ。杉原が特異な存在で、当時の日本政府と意見を異にしていたことが出ているのはいいが、それでもやはりナチスドイツと同盟国だった日本の言い訳というかユダヤ人への恩の押し売り感は否めない。
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文筆業
八幡橙
2時間19分。結構な時間(とお金)をかけて描かれる「日本のシンドラー」の半生。だが、見終わった直後に「杉原千畝とはどんな人物か」と誰かに尋ねられたとしても、明確に答えられる自信がない。ユダヤ難民にビザを発給し、多くの人の命を救った、という事実以外には。実在した人物の名を冠した映画であるにも拘らず、この作品からは杉原千畝という人間の血や肉が感じられず、惹きつけられる魅力に乏しい。爆撃音が響く中で対峙する小日向vs唐沢の場面には臨場感があったけれども。
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春子超常現象研究所
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評論家
上野昻志
この、どこが超常現象なのよ、といいたくなるが、最後にその看板を捨てるからいいか。ただ、寝転がって文句ばかり垂れている女に、アタマにきたテレビが人間になるのはいいが、今頃、箱形テレビというのは、どうよ。そのほうが、箱をアタマにかぶるだけだから簡単だし、わかりやすいというのでは安易過ぎない?これを薄型テレビにして、身体もそれに合わせて薄型にしたら、マメ山田だけでなく、見世物にしたいと思うけれど。まあ、テレビ人間が水に溶け、箱に戻るのは悪くない。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
若い娘のテレビへの話しかけが一万回を超え、そのテレビが若い男になり恋人になる。アイデア、観念が素晴らしい。お前らテレビとヤッてんだろそれがいいんだろ(テレビ男はチンコがデカい)、とか、家族や家庭を捨てたような気でいてもそこに戻っちゃう(主人公も、脇役の家出人妻も)という皮肉が生じている。受信料徴収者が味方だとか、主人公はUFOよりテレビを選ぶなど、大きな否定や変革を拒むコンサバな世界観だし、私はテレビが嫌いだが、この可愛い映画を嫌いにはなれない!
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文筆業
八幡橙
ポップでサイケでまるで先の読めない、「見る漫画」とも呼びたい超絶ドタバタ・ラブコメディー。小日向文世の毒を吐きまくる父親をはじめ、ヒロインとTV男の恋を巡る、細々したギャグの一つ一つが結構ツボで笑ってしまった。「さまよう小指」で世間の度肝を抜いた竹葉リサ監督。広くわかりやすく、なんとなく意味がありそうで最後はすごく泣けました、みたいな映画をよしとする風潮に風穴を開ける自由な感性。この突き抜けたバカバカしさと痛快さは貴重では。今後の期待も込めて★を!
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アンジェリカの微笑み
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映画監督、映画評論
筒井武文
死者が微笑む。この一瞬の悪戯を起点に、オリヴェイラは映画史を脚本執筆時の1952年を中心に折り畳んでしまう。メリエスというよりポーター的な二重焼き付けまで遡りつつ、死者と生者(労働者)の写真が窓辺に並んで吊るされるように、ドウロ河の葡萄畑の斜面が青年写真家のモチーフになる。窓から見える対岸の情景が素晴らしい。21世紀の映画でありながら、同時に20世紀史が凝縮される。その一例は下宿屋の朝食の会話となる。これだけ簡潔な映画文体は継承されうるものだろうか。
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映画監督
内藤誠
ポルトガルのドウロ河流域の小さな町を舞台にした瑞々しく、端正な作品である。カメラを趣味とするユダヤの青年が下宿のおばさんから富豪の美しい娘の遺体写真を撮ることを頼まれるのが発端だが、以下、この土地のカトリック教とユダヤ文化の関係なども丁寧に演出されながら、物語は幻想シーンに進んでいく。死者との恋といえば、日本では『牡丹灯籠』や、泉鏡花の作品があるけれど、ここでは風景同様、暗い湿気はなく、軽やかな感じ。主人公の住む下宿の人間関係がリアルで興味深い。
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映画系文筆業
奈々村久生
クラシックな怪奇映画の様相と手法に酔いしれる。写真という、時間の流れに逆らったメディアの原点に立ち返る題材、恐怖の対象は美しいアンジェリカの奇行よりも、盲目的に彼女の幻影を追い求める青年に重なっていく。このクラシックな趣きはまさに現代に生まれた人間や技術では再現不可能、長く「現役最高齢監督」の座をつとめてきたオリヴェイラだからこそ成せる業である。観ているうちにオリヴェイラが亡くなったのかどうかも曖昧になり、まだ生きていているような気がしてきた。
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海難1890
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評論家
上野昻志
トルコ共和国の独立は、第一次世界大戦後の一九二二年のことだから、一八九〇年のエルトゥールル号の遭難は、オスマン帝国下の事件ということなのだが……そのへんは、映画だからいい、ということなのか? 合作成立には、問題含みの日本、トルコ双方の政治的思惑が働いた匂いがする。が、ともあれ、和歌山県樫野崎沖でのエルトゥールル号の遭難場面や、救助や治療のシーンは迫力がある。対して、後半のテヘラン邦人脱出劇は、俳優もパワー不足、サスペンスも欠いて尻すぼみ。
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