映画専門家レビュー一覧
-
海難1890
-
映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
国策映画が今もあるのだと驚く。日本とトルコの友好をうたうなら、イラン・イラク戦争の際に当時の在イランのトルコ人が日本人に飛行機を譲ってくれたという話でいいはずなのに、それは1890年に日本人が和歌山沖で遭難したトルコ人を助けたから、という構成と企画で映画をつくるということは、たとえそれが美談であったということがあるにしても、もはや十分すぎるほどに醜悪ではないだろうか。役者や美術がいくら良かろうが根本が変だ。あと、日本はトルコに原発売るな。
-
文筆業
八幡橙
トルコが親日国であることは知っていたが、「エルトゥールル号海難事故」の詳細は知らなかったので、事故の内容と、トルコの人々の抱き続けた恩義について興味深く見た。映画の脚色は多分にあるだろうものの。いくらでも感動を煽れそうなテーマだが、抑制の効いた丁寧な演出が印象的。暴風雨のさなか沈みゆく船と、遊郭の乱痴気騒ぎを交互に見せる映像も美しい。「真心」が鍵となる作品だけに、映画への真摯な姿勢に好感が持てた。二役を演じた忽那汐里の、多くを語らず目で訴える表情がいい。
-
-
SAINT LAURENT サンローラン
-
映画監督、映画評論
筒井武文
マティスに憧れる描写があるが、映画全体が豪奢な目の快楽。衣裳、美術の貢献が大。それは天才とその無茶な要求に応えるお針子たちの関係をまず描いたことで、映画本体とのアナロジーが生じ、その後の描写が断片的に切り刻まれても、かえって観客の想像力を刺激し、単なる伝記映画から飛躍する。一つひとつのシーンに意味があり、サンローランを取り巻く芸術性、経済性、同性、異性との関係性を掘り起こしていくが、決して説明的にはならない。そして何というキャスティング。
-
映画監督
内藤誠
サンローランがいきなりシャネルのモデルに向かい、「自分のモデルになってほしい」としつこく口説くところからして、ギャスパー・ウリエルはいかにもファッション界に君臨することになる男らしくて適役。晩年はヘルムート・バーガーが演じるのだが、ヴィスコンティ映画へのオマージュまであって、ファッションの細部がしっかりしている。脚本構成もいわゆる伝記映画ではなく、虚実皮膜のバランスがいい。黄金の70年代に関心のある者には、登場する固有名詞も含めてたまらない。
-
映画系文筆業
奈々村久生
ギャスパー・ウリエルもジェレミー・レニエもルイ・ガレルも自分の中ではまだ若々しい青年のイメージのままだったのに、みんな揃ってすっかりおじさんになっていて衝撃だった。時の流れを感じる。が、この三者がディープに絡む絵面には、描かれている人間関係かそれ以上の濃厚な気配が漂い、サンローランのデザイナーとしての才能にあふれた姿、ナルシスティックでときに冷酷な処置も辞さない姿、愛する者におぼれる姿といった異なる顔を引き出す。死亡説を逆手にとった見せ方は技あり。
-
-
解放区
-
映画評論家
川口敦子
友人の自殺を直視したドキュメンタリーに続く監督初の長篇劇映画とプレスにあって劇映画、え!? との肩すかし感とそうよねというまぬけな安堵を共に抱え込んだ。前作にも確信犯的に演出を持ち込んでいたという監督は新作でも迷いなく虚実の境い目に身を置いて、けれどもその狭間は名づけ難く人を食った感触をつきつける。記録であり記憶であると自ら位置づける一作は常にそこにいるキャメラ/嘘を意識させ観客を醒め返らせつつ巻き込むストーリーテラーぶり。正に一見の価値あり。
-
編集者、ライター
佐野亨
ここまで擁護のしようがないダメダメ男をみずから演じる監督の潔さに感心。その徹底ぶりがあればこそ、最後にテープだけは死守しようとする主人公の意地(というか精一杯の虚勢)と逃走がどこか清々しく映える。土地の一面しかとらえられていない、という批判もあろうが、監督が企図したのはダークな観光映画ではなく、なすすべをなくした人間どもの点描であると考えれば合点がいく。ましてこれを「西成への偏見」などを理由に上映中止に追い込んだ大阪市の行政は恥を知るがいい。
-
詩人、映画監督
福間健二
安全とクォリティーの神話を追いだしながら、ふしぎに始末がいい。挿話ごとにぎりぎり危うさを切り抜ける語り方で、人物のいやな部分は先で文句を食らうようになっており、後半の「釜ヶ崎」への踏み込みにはその表裏の要所を粗く撫でるにとどまらない臨場感がある。自演の主人公の愚かさを描くのではなく生きてしまう太田監督の居直り的才覚は何ものかだ。しぶとく、そうではあるが、私的な野心と窮状の辻褄合わせをこえるべき「解放区」への思い、画に僅かでも出ていただろうか。
-
-
WEEKEND ウィークエンド(2011)
-
映画評論家
小野寺系
たった2日間の出会いなのに、一生思い返すことになるだろう恋……。少なくない数の人々に覚えのある経験や感情を、圧倒的なリアリティで主観的に切り取っている。だが最も感情が盛り上がる場面で周囲から水を差されるという状況を描くことで、この作品はシンプルな恋愛映画でいられない悲しみと緊張を常に背負い、ゲイを嘲りの対象としてきた無理解な社会を告発する意味合いをも持つことになる。表現が押しつけがましくないので、見る者次第で感想が異なるだろう、鏡のような作品だ。
-
映画評論家
きさらぎ尚
このアンドリュー・ヘイという監督、人の心の内を描くのがうまい。実力のほどは前作で証明済みだが、それら以前に撮ったこの作品に才能の片鱗を見て取れるのが嬉しい。主人公の二人はゲイなのだが、差別や偏見をテーマにしていないところが斬新。自分のセクシュアリティーと自分自身がどう折り合って生きるかの問題を、二人が交わす偽りのない濃密な会話で、週末の数日間に凝縮するのだ。アパートから帰っていく相手を見送るショットが美しい。ラストの駅のエピソードは忘れがたい。
-
映画監督、脚本家
城定秀夫
ゲイバーで出会った男二人がセックスして、マリファナ吸って、お喋りして、またセックスして、コカインやって、酒飲んで、またまたセックスしてお別れする二日間の物語は、退屈といえば退屈なんだけど、空気感の抽出や画の切り取り方が至極的確ゆえに心地よく観ていられるし、行為の直接描写にさほど尺を割いていないにもかかわらずセックスシーンの生々しさは特筆もので、毛むくじゃらの腹に発射された精液を気だるく拭き取る事後の仕草などには妙にゾワゾワさせられてしまった。
-
-
私の20世紀
-
ライター
石村加奈
1900年の大晦日、生き別れた双子の姉妹が、オリエント急行に乗り合わせた運命的瞬間を、食堂車の飾り窓越しに映る華やかなドーラの顔から、暗がりのホームに立つ、不安そうなリリの姿へ。ティボル・マーテーの立体的な映像をマーリア・リゴーが美しい物語につなぐ。謎の男Zをめぐるリリとドーラの展開も痛快だ。見世物小屋の鏡の迷宮に誘い込んだZに、二人が別人だと知らしめて、ヴァイニンガーの二分法を巧みに遠ざける。夢落ちだとしても、30年前の作品とはかなりの野心作。
-
映像演出、映画評論
荻野洋一
90年の初公開時は感動に咽せったわけではない。リヴェットやカサヴェテス、ガレルやドワイヨンの日本公開が本格化しつつあった当時、ヒリヒリとした生のリアリティが上位にあり、本作の醸すメカニックなファンタズムを若干アナクロに感じたフシがある。しかし現在、本作をきちんと再評価すべき時が来たように思う。なぜなら、当時こそ作者固有のファンタズムに収束していた20世紀が、もはや誰にとっても手の届かぬ距離へと遠ざかり、異質かつ不吉な回路に変質したからだ。
-
脚本家
北里宇一郎
「心と体と」の鹿の夢が、ここでは映画全体の夢となって。双子姉妹のマッチの炎。それがエジソンの電球の光となって、ヘルメットにライトを点した男たちのパレードとなる。20世紀のはじまり。その混沌の西欧世界をヴァンプとなった、アナーキストとなった姉妹が駆け抜け、一人の男を翻弄する。20世紀とは、機械文明とは、男とは、そして女とは。時に無声映画の懐かしさを見せて、次から次へと奔放なイメージを連ねたこの作品。面白い。けど、その若さが、ちと独りよがりに走りすぎて。
-
-
劇場版 緊急取調室 THE FINAL
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
民放ドラマの映画化は、設定の風呂敷だけが広がり、普段の絶叫演技がさらに強調されて目も当てられない代物になりがちだが、本作は一味も二味も違う。取調室という限定された空間でのクライマックスに向けて、上質なサスペンスが持続し、その過程でドラマ未見者に向けても過不足なく各登場人物の背景が描かれていく。本作が長篇初演出となったテレビ朝日の常廣丈太には映画を撮り続けてほしい。総理大臣役の市川猿之助、本筋には絡まない杉咲花、両者への演出が特に見事だった。
-
映画評論家
北川れい子
現実に起こる政治家、権力者、時代の寵児や著名人などの犯罪、及びスキャンダルは、こちらは痛くも痒くもない最高の気張らしである。このドラマシリーズを観るのはこの劇場版が初めてなのだが、取り調べチームが関わる疑惑が、かなり現実の事件や騒動と重なるところがあるのも娯楽映画として楽しめる。チームのメンバーの個性や役割が分かりやすいのも安心して観ていられるし。証拠を積み上げた上での最後の難関、天海祐希と市川猿之助の対決は、両者、さすが余裕のいい勝負。
-
映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
ドラマ「緊急取調室」だろうがドラマ「めんたいぴりり」だろうがマーベルコミック原作映画だろうが、そこに一本の映画として出てくるなら変にご存知ですよねという雑さを見せてほしくない。その傲慢さは与党と同じで面白くない。だが人物や作品世界の構築、背景の蓄積の良さもたしかにある。最大の取調べ相手をもってきてファイナルとしたのも良いし、首相が人殺しだったのも面白い。首相襲撃犯有理というのも。だが罪を問いきれず、強権による武器使用を是としたのはダメだった。
-
-
新喜劇王
-
非建築家、美術家、映画評論、ドラァグクイーン、アーティスト
ヴィヴィアン佐藤
チャウ・シンチーの作品は初体験。夢を諦めず何度も何度も立ち上がり屈しない。痛さを通り越し、いい加減呆れる。全篇にちりばめられているナンセンスな笑いには付いていけず、更に痛さを増す。成功や夢とは一体何なのか? 主演を勝ち取ったり、賞を受賞することだけが成功ではない。繰り返す失敗や挫折に呆れながらも、しかしいつの間にか応援している自分に気付く。その報われない主人公の姿はまるで私自身。感じた嫌悪感はまるで自分を見ている居心地の悪さからだった。笑。
-
フリーライター
藤木TDC
近年CG多用のファンタジーばかり撮っていたチャウ・シンチーが原点回帰しベタなアナログギャグで構成したナンセンス喜劇。前作そのまま大時代な映画撮影所を舞台に、例によって美人女優を汚しまくる監督の趣味が炸裂。新人のエ・ジンウェンは用意されたヨゴレ芝居をなりふり構わず演じるものの、華のなさが役に重なりすぎて笑いにならない。ハーマン・ヤウ共同監督のクレジットからも古い香港映画的な何らかのワケアリ感が漂い、星爺迷には楽しめても一般人には受けないだろう。
-
映画評論家
真魚八重子
デ・パルマの「ドミノ 復讐の咆哮」同様に、本作もチャウ・シンチーの映画を好きでずっと観てきたファンには面白いけれど、シンチー初見の鑑賞者には持ち味が伝わりづらい気がする。シンチー自身が主演しなくなって以降の作風なので、強く魅了されるインパクトがあるわけではないが、小品ながら癖のあるシュールな毒気とベタな笑いが共存する。世界観は相変わらずで、ちゃんと助演の登場人物たちのその後を拾う丁寧なカットもあり、きっちり落ち度のない娯楽作に仕上がっている。
-