映画専門家レビュー一覧

  • 人魚の眠る家

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      そうきたか。子供の死に抗したい母の思いというメロドラマをベースとしつつSF的ホラー的でもあり面白い。生きているとはどういうことか、魂が存在するかということにも触れるネタ、ストーリー。しかし、というか、なおかつというか「エクソシスト」や「震える舌」、「エンティティー 霊体」「ポルターガイスト」にも近い。「デッドリー・フレンド」や「ペット・セメタリー」のほうがもっと近いか。ただ何か撮り方が違う気もする。レンズフレアやハレーション気味の画は必要か?

    • 映画評論家

      松崎健夫

      脳死と呼ばれる状態になった人の手に、僕はぬくもりを感じ“死”という言葉に違和感を覚えたことがある。その感触は今でも憶えていて、娘が脳死状態にあるという現実を受け止められない劇中の夫婦の気持ちを、何となく理解できるのである。脳死に対する考え方は人それぞれなので、当然、映画で描かれていることに対する反応も人それぞれだろう。それでも、助ける命/助かる命をどう優先するのか?ということに対して、時に不気味さを漂わせながら多角的に描いている点は評価したい。

  • バルバラ セーヌの黒いバラ

    • ライター

      石村加奈

      来日時の清潔な笑顔が素敵だった、本作の主演女優ジャンヌ・バリバール。作中で演じたバルバラに憑かれて、次第に映画のなかと現実との境界線が曖昧になってゆく女優ブリジットのはかない姿は、他人の人生を背負う俳優の危うさを色っぽく、斬新に魅せるが、例えば伝説の再現に徹底した伝記ドラマ「ボヘミアン・ラプソディ」と比べると、歌姫バルバラひいては彼女の歌の魅力に迫るという観点からは、蛇足に映ってしまう。監督、脚本、監督役(!)で出演したアマルリックの存在も然り。

    • 映像演出、映画評論

      荻野洋一

      映画なるものの美しき矛盾――いにしえに曰く「ローカルに留まり、普遍を得る」「形式への厳格さがドキュメンタリーに劣らぬ自由を謳歌する」――に、本作は次の教えを追加する。「不躾さが時に最大の表敬となる」。伝記を解体する。人生を、歌を、芸術を解体する。アマルリックは貪欲にバルバラの伝説を、女優バリバールの存在を解体し、自身をも解体する。恭しい表敬は要らない。彼は耳を澄ませて故バルバラに訊ね続ける。こんな偏屈な愛の表明を貴女は笑ってくれますねと。

    • 脚本家

      北里宇一郎

      バルバラの作曲家・歌手としての魅力が描かれる――というより、その人間性を模索する映画で。ピアノを弾く彼女。そこからパンすると撮影クルーが映り、女優が素に戻るという、虚実皮膜のタッチ。最初はこの趣向が面白く、キャメラの見事さもあって、ちと酔わされる。だけどバルバラとの格闘がしだいに混迷。その描写もひとりよがりの感となって。芸術家、そこにあこがれ、裏表さらけだした監督・自演のこの男優。そのナルシズムが少し表に出すぎたような気も。野心作。けど息苦しい。

  • ポルトの恋人たち 時の記憶

    • 映画評論家

      北川れい子

      ただの偶然にすぎないのだが、時空を超えた運命の恋と復讐、という設定は、先般公開されたインド映画「マガディーラ/勇者転生」にそっくり。むろん設定は同じでも本作とは全く別種の作品だけに、引き合いに出しても意味はない。にも拘らず書きたくなったのは、本作の時空の扱いとストーリーが牽強付会にすぎるのと、人物たちがあまりにムリヤリ的なキャラだったから。インド映画ではワクワクした設定が、シリアスな本作では独りよがりの悲劇に沈み……。ポルトガルでのロケは美しい。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      すごい。明らかに変な映画だがその変なことをそう変でもないようなふりで、これしかないのですよという風情でやり抜いたことが面白い。18世紀ポルトガルで展開するエリック・ロメールやジャック・リヴェットの古装片の如き前半から、2020年東京オリンピック後の浜松で輪廻転生した前半の登場人物らが繰り広げる60年代晩年期ヒッチコック的サスペンスフル愛憎劇。そしてラストはまさに「散り椿」以上に散り椿。舩橋淳監督は意味不明な映画的野心による賭けに挑み勝利した。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      柄本佑とアナ・モレイラの交わる“視線”。映画の前半と後半で、同じ“視線”がカットの積み重ねによって反復されている。ところが、国と時代を越えたふたつの場面では、その“視線”が別の意味を持つ点が秀逸。カットの積み重ねがモンタージュを生むが、そこに観客の主観を介在させることでモンタージュを越えた意味を導き出すことを実践しているように見えるのだ。つまり、映画の中で流れる時間を共有する観客の記憶が、18世紀と21世紀の出来事を同等と錯誤させているのである。

  • アンナ・カレーニナ ヴロンスキーの物語

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      冒頭のシーン。日露戦争が進行する満州に日本軍が攻め、駐屯地でロシア兵が混乱するさまを長い移動ショットで撮る、アレクセイ・ゲルマンのような演劇的な演出ぶりに「おお、シャフナザーロフ!」と思わず歓喜の声がもれた。が、その後は『アンナ・カレーニナ』の後日談から、男女3人の関係を回想する心理劇になっていておとなしめの演出。鉄道へ身投げする結末にむけて、アンナを乗せた馬車が猛スピードで走るときの、一連の不吉なショットと荒々しいつなぎには興奮させられる。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      ソ連以外でも何度も映画化されている『アンナ・カレーニナ』だが、日露戦争の話を足し、ヴロンスキーの視点でアンナとの愛人関係を回想させる今回、こんな作り方もあったのかと感心する。同時になぜ今、ソ連で作られたのだろうとも。理由は結末に見たように思う。与謝野晶子が「君死にたまふことなかれ」を発表したこの戦争は、日露間に、今に繋がる政治的な課題を生んだ。ヴロンスキーが中国人の遊牧民少女を気遣うことを含め、現代政治のメタファーと見るのは深読みが過ぎるか。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      帝政時代のロシアにおいて、世間的には「カレーニン伯爵夫人」であったアンナは、皮肉にも「不倫」というスキャンダラスな行為によって、「アンナ・カレーニナ」という一人の女性としての人格を獲得する。かつて結婚後の大人の女性の自我に迫るドラマを語るにあたり、不倫は数少ない有効な手段であったのかもしれないと思えるほど、アンナの脱社会的な振る舞いは魅力的だ。ただし、それを男性である元愛人と息子の視点から描く本作の視点はむしろ男のロマン色が強い。

  • ビリオネア・ボーイズ・クラブ

    • 翻訳家

      篠儀直子

      米国で興行的にコケたのは、K・スペイシーが(「ゲティ家の身代金」のように出演場面を撮り直したりせず、そのまま)出ているので公開規模を抑えざるをえなかったのが大きかったのかなと思うけど、やっぱり作品自体ももう少しどうにかしてほしかった。アンセルとタロンが魅力たっぷりに登場するから一気に期待値が上がるのに、イケイケのはずの時期の描写が、ぐずぐずと焦点定まらなくてまるで爽快にならず、そのあいだに肝心の二人の輝きも、事業の暗転を待たずしてくすんでしまう。

    • 映画監督

      内藤誠

      80年代のロサンゼルスに存在した若者たちの実話に基づくというが、すでにこの素材はテレビ化もされていて、映画ではアンセル・エルゴートとタロン・エガートンが熱演。ウォール街の敏腕トレーダーのケヴィン・スペイシーも参入して世間を騒がせた投資詐欺が描かれるのだが、映画を見ているかぎり、どうしてこんなに幼稚な手口に騙されるのかと投資家の頭のわるさにあきれてしまう。後味はよくないが、金がなければ人間の幸せはあり得ないという、BBC青年の哲学は出ていた。

    • ライター

      平田裕介

      実際に起きた事件が題材で結構なことをやらかしているのだが、犯罪劇としてもスリリングなわけでもなく、中産階級の劣等感が生んだ欲望に駆られて自滅する若者たちを追う青春劇としても弱い。有名なマクセルのカセットテープのCMをパロった冒頭を筆頭に舞台となる80年代の文化や風俗もまぶしているが、それも途中から霧散してしまう。とはいえ主演ふたりが放つキラキラ感は相当なもので、若手スターの顔合わせ映画として観るのが妥当。K・スペイシーの嫌な奴ぶりはここでも見事。

  • 生きてるだけで、愛。

    • 映画評論家

      北川れい子

      以前、大林宣彦監督が「他人ごとの話が自分ごとになるのが映画の素晴らしいところだ」と語るのを耳にしたことがあるが、この作品の趣里が演じたヒロインに関しては、ただただあっちへ行ってほしい。超自己チューの他力本願女。ウツを抱えているのだが、このヒロインには他人までウツをうつしかねない鬱陶しいパワーがあり、しかもブレない。傷つきやすいくせに他者の痛みには鈍感なこの女を、映画はイイコ、イイコするように撮っているが、こちらにはどうでもイイコの映画だった。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      日本文学およびその影響下にある日本映画の宿痾たる病妻もの。これにはもう飽き飽きし、それへの魅力的な反駁をいつも待ち受けている。本作は見事にそれであった。鬱の同棲相手につきあううちにかつて見たことないほどの鬱になる菅田将暉であるが、なぜその相手の趣里を見捨てないのか。愛というよりむしろ彼は彼女が躁鬱の躁のサイクルになるのを待っているのであった(という映画に見える)。これは斬新。走るときのあのアキレス腱、あの裸体、私も趣里演じる寧子に魅せられた。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      部屋から抜け出せないヒロインには“やりたいこと”がない。そして、部屋の外では“やりたいこと”をやれないでいる。人生における“選択肢”が彼女に無いことは、スーパーの場面や弁当を選ぶ場面がメタファーにもなっている。本谷有希子は句点を用いないことによってヒロインの苛立ちを小説で表現していたが、趣里は言葉のテンポとリズムでそれを表現してみせている。赤き衣を纏った激情の女と不器用な物書きの男というふたりが、「ベティ・ブルー」の男女関係を想起させるのも一興。

  • ボヘミアン・ラプソディ

    • 翻訳家

      篠儀直子

      撮影途中で監督交代のドタバタがあったとは信じられない快調な出来映え。場面転換に工夫があり、ありきたりになりがちな切り返しさえ全部非凡に見える。ライヴシーンの撮り方が素敵なのはもちろんだが、クイーンのゴージャスなサウンドが出来上がるまでをたどるレコーディングのシーンも面白い。メアリーの描き方に誠実さがあり、クイーンの各メンバーも魅力的に描き分けられる。フレディ役は外見をあまり重視せずにキャスティングしたみたいだけど、若きブライアン・メイ博士は激似。

    • 映画監督

      内藤誠

      フレディ・マーキュリーの短いが、波瀾万丈の生涯をクイーンのメンバーであるブライアン・メイとロジャー・テイラーが協力しているので、彼の辛く悲しい部分もきめ細かく描かれていた。パキスタン移民の子で、口が出ていることに劣等感をもつフレディを演じるラミ・マリックは見ているうちに本人そっくりになり、ブライアン・シンガーの演出も快調のテンポで、フレディがいかに観客をのせるのが巧かったかが分かる。伝説のチャリティ音楽イベント「ライヴ・エイド」の21分は圧巻。

    • ライター

      平田裕介

      早くから熱狂的ファンを抱えていた日本での場面が皆無なのが寂しいが、バンドの軌跡を実にわかりやすく追った内容。それでいて単なるバンド・ヒストリーには終わらず、フレディが抱えていた性的嗜好や出自に対する苦悩に迫ったドラマにもなっている。実際に短いセットリストだったライヴ・エイドのステージをクライマックスとしてフル再現するのも巧みでアガりっぱなし。終始、『おそ松くん』のイヤミとタメを張る前歯付きでフレディ役に挑んだラミ・マレックのガッツは敬礼もの。

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