映画専門家レビュー一覧

  • ブレイン・ゲーム

    • ライター

      平田裕介

      画面に提示される状況がA・ホプキンスの脳裏に浮かんだ予知なのか、現実に起きていることなのか惑わされてハラハラする瞬間もあるが、随所に挟み込まれるその他の予知イメージが“しょぼいターセム”といった感じのものが目立ってなんだか萎えてしまうことが多い。といいつつもホプキンスとC・ファレルが放つ圧はさすがだし、それにつられて最後まで見入ってはしまう。とにもかくにも2018年に観るには時代錯誤に感じられてしまう、90年代サイコ・サスペンス風味の作品だ。

  • LBJ ケネディの意志を継いだ男

    • 翻訳家

      篠儀直子

      そこがいちばん見たいのにという部分が、最後にあっさりテロップで処理される。言い換えればこの映画は、すでにおなじみの話の前日譚なのだ。描かれるのは、有能で人情もあるけど俗物である男が、愛されない恐怖と戦い、欠けていた理想を手に入れるまでの物語。教養はあるが洗練からはほど遠いLBJを演じるW・ハレルソンがいちいち面白く、後半神妙になるのがむしろ残念なくらい。ケネディ兄弟の造形も興味深く、こうした人物描写の味わいは、アメリカ映画ならではという気がする。

    • 映画監督

      内藤誠

      日本でもベトナム戦争を泥沼化したとして人気のなかったLBJだが、ロブ・ライナー演出の映画を見ると、価値観が一変してしまう。ケネディの暗殺で即刻、重職を担う運命のジョンソンが抱いた不安感をウディ・ハレルソンがみごとに演じている。さらにロバート・ケネディたち都会的エリート集団が、テキサス出身の「田舎者政治家」をことあるごとにいじめ抜く構図やそれを乗り越えて公民権法を成立させていくジョンソンの政治力もジョーイ・ハートストーンの脚本はよく書きこんでいた。

    • ライター

      平田裕介

      実に教科書的というか、まっとうな伝記映画としかいいようがない作り。しかし、激動にも程がある時期に副大統領になり、ありえない状況下で大統領になったジョンソンのあれこれがスルッと学べてしまうのは確かだ。ただ、これといったフックがドラマにあるわけではなく、それになりそうなゴリゴリの保守派で反公民権派であった彼がリベラル寄りになったという点は、そういう世の動きだったからとしか感じさせるだけで終了してしまう。まぁ、そういう部分も大きかったとは思うが。

  • シャルロット すさび

    • 評論家

      上野昻志

      全篇にわたって、さまざまなイメージが散乱する。その意味では、アート映画といってもいいのだが、一応、物語もある。パリ在住の舞踏家が、ガラス店の女主人と親しくなり、彼女を追って東京に行く。そこで、彼の亡くなった恋人の夢を追って二人で旅をし、東北を思わせる土地で奇妙な老人と孫娘に出会う、というような。途中、大道寺将司の句が出てきたりして、オッと思わせるのだが、パリの部分が冗長なのと、散乱するイメージ相互の運動が、いまひとつ見えてこないのが残念。

    • 映画評論家

      上島春彦

      昔「フリークス」という映画を見たら上半身だけの人間が出てきた。この映画に出てくるシャルロットもそう。実際は違うけど。芸人の彼女が何故「黒いオルフェ」の主題歌を歌うのか、とか微妙に分からないことも多いが、東アジア反日武装戦線のメンバーで昨年獄中死した大道寺将司の俳句が詠まれるのは何となく納得。主人公にからむ二人の日本人女性の顔が途中からごっちゃになってしまい苦しんだのだが、意図的な処理だった。要するに我々はフリークスとして生きよ、という主題だね。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      武智鉄二から吉田喜重に寺山などを次々に想起しつつ、作者自身の血肉となった表現だけに古めかしさや気恥ずかしさを感じず。73歳の岩名監督による〈ノスタルの映画〉は大林・佐々木昭一郎の近作にも通じる美しい暴走だ。パリの日本人パフォーマーと日本女性の挿話は和洋折衷の魅力と、カット尻に余韻を残さずに次の画を繋げていく居心地の悪さが奇妙に惹かれる。演技と声の異物的活用も良い。後半の日本篇は福島への観念的な捉え方や万引きなど既視感が強まりすぎて乗り切れず。

  • モルゲン、明日

    • 評論家

      上野昻志

      2011年3月11日の震災で福島第一原発は破壊され、放射性物質が流出した。それを知ったドイツでは、日本と異なり、政策として脱原発に舵を切る一方、市民レベルで、自然エネルギーへの転換を実現する活動が進められてきた。本作は、その市民による活動を当事者のインタビューを通じて紹介していく。それは、日本でも、市民の自立的な活動によってエネルギー転換が可能であることを訴えているという意味で、きわめて教育的なドキュメンタリーなのだが、映画としての力は些か弱い。

    • 映画評論家

      上島春彦

      広告代理店主導のキャンペーンが功を奏し、原子力が未来志向のクリーンなエネルギーだと刷り込まれている我が国。原子力に罪はなく、使う人の能力次第だと思わされている。本当にそうか。福島の原発事故についても、天災がらみだから仕方がないということになってしまったようだが、定期的に津波が襲ってくる場所に平気で原発を置くずさんさは、過去を学ばなかった「未来志向」の成せる業としか言いようがない。実は私はドイツが嫌いなのだが、そういう人にこそ見せたい映画になった。

    • 映画評論家

      吉田伊知郎

      日独の脱原発をめぐる歩みが大きな差異を生じさせた点に着目し、ドイツ戦後史と原発政策を追う。日本戦後史を脳裏に浮かべながら観ていたが、ナチ残党が政府中枢に残る戦後の歩みは、A級戦犯被疑者が長らく首相をやっていた我が国と大差ない。決定的な差異は68年が〈学生運動と原発の年〉だったことだろう。真面目な作りで見入ったものの、九電が太陽光発電の供給過多で停止請求をしようかという日本の均衡の悪い現実を目の前にすると、高い理想の先の現実を観たくなる。

  • あのコの、トリコ。

    • 映画評論家

      北川れい子

      吉沢亮も新木優子も20代半ば、もう高校生役は賞味期限ギリギリだと思うが(あ、こういう言いかたはもしかしてセクハラ&パワハラ!?)、需要に応じるのも俳優の仕事、せいぜいお気張り下さいな。と、どーでもいいことを書いてしまうのは、高校生たちが学業そっち退けで、恋と芸能活動でキラキラと張り合うという、少女漫画ファンご用達の夢物語だからで、夢物語にイチャモンをつけてもはじまらない。演出もロケ場所も夢を壊さないよう全てが絵空ごと。これはこれでいいのだ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      どれだけキラキラ映画を観るのか、わしら。私の上下にいるお二方から一ページ前のお三方まで皆、どうしても行間に、観終えたハナから忘れてやるぜというか忘れていくぜ、この架空すぎる青春どもを! という思いが立ちのぼっているが、しばしば何かはあり、それを観ているとは思う。本作は吉沢亮がマゾッホ的な位置に置かれている演劇・タレント業界版スーパーマンとしてヒロインに関わるのが面白かった。ちょっとだけ新機軸、可能性ある良いネタ。いつまでこれを覚えていられるか。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      “ひとときのきらめき”は、本作の根幹。例えば、代役を演じる主人公、そして、マジックアワー時に電話をかける主人公の姿。彼にとって“代役”も“マジックアワー”も“限りあるひととき”なのである。同時に、叶わぬ恋が成就する予兆として「夜が明け、朝がやってくる」ことが幾度も描かれている。例えば、劇中劇として採用されている『ロミオとジュリエット』。そこでピックアップされているのは、“夜明け”のくだりだ。どんな困難があっても「明けない夜はない」のである。

  • あの頃、君を追いかけた(2018)

    • 映画評論家

      北川れい子

      台湾のオリジナル版あっての成果だと思うが、主人公たちの会話のリズム、演出のテンポ、カメラの切り取り方も絶妙で、空いっぱいの地方都市の風景も実に心地良い。現代から10年前に戻っての主人公とその仲間たちの青春群像劇で、ここでは青春ドラマにありがちないじめや孤独といった“負”の側面がほとんどない。それでも将来への不安など、みな抱えているのだが、仲間とジャレ合ってのアンサンブル演技などもみごと。表裏のない山田裕貴の演技も好ましく、素直に青春を楽しむ。

    • 映画文筆系フリーライター、退役映写技師

      千浦僚

      かなり原作映画より殺菌されてるが現在邦画界に氾濫する漫画原作キラキラ映画より確実に登場人物たちが生きる世界が広く、心理に綾があり、本作が出た意義は感じる。しかし先日米映画「50回目のファースト・キス」の日本版リメイクを観たときに似た、オリジナルを超え得ない方向性のリメイクと、原典が知られてないことに期待するガラパゴス精神により、釈然としない気分を味わう。役者は好演で、飽かず観たが。“レ・ミゼラブル”が「巨人傳」になるようなことをこそ観たい。

    • 映画評論家

      松崎健夫

      台湾版のギデンズ・コー監督にとって、ヒロインを演じたミシェル・チェンは理想の女性だった。彼はミシェルの大ファンだったからだ。自己体験が基であるがゆえ「自分が本当に大好きな女性でなければない、それが一番のポイントだった」と述懐。つまり“Apple of my eye”という恋慕は、カメラのレンズを通して彼女の姿を見る監督の視線でもあったというわけだ。ちなみに監督は「日本の漫画に大きな影響を受けた」とも述懐。齋藤飛鳥は魅力的だが、本作には、このふたつが存在しない。

  • 赤毛のアン 初恋

    • 批評家、映像作家

      金子遊

      この場で告白するが『赤毛のアン』の小説もテレビ版もアニメ版も食わず嫌いできた。健気な孤児の少女が善良な人たちに囲まれて育ち、自分らしさを伸ばしていく「児童文学」という偏見があった。だが、アンには赤毛を緑に染めるほどのコンプレックスがあるし、学校には優等生や美少女などスクールカーストの問題もある。不公平な先生に反抗し、好きな男の子に素直になれない人間臭さもある。と、誰もが自分の内側にアンをもっていることを確認した上で、次作「卒業」の評に備えたい。

    • 映画評論家

      きさらぎ尚

      もともと子ども向けに書かれた小説ではないこの文学を、原作のテイストを生かした脚本と手堅い演出で、危なげない家族映画に。元気のいいアン役、その元気を受け止める形の厳格な養母役と年齢的には祖父みたいなマシュウを演じるマーティン・シーン。3人の俳優のバランスが絶妙だ。終盤の、原作にもあるアーサー王の伝説を野外劇で演じるエピソードで、アンをはじめ子どもたちが見せる伸びやかな活力が微笑ましい。プリンス・エドワード島の美しい四季が存分に堪能できるのも嬉しい。

    • 映画系文筆業

      奈々村久生

      オーディションで選ばれたというアン役のエラ・バレンタインは、朝ドラのヒロインのように眩しく天真爛漫なオーラを放っているが、それがアン・シャーリーという少女の特異なキャラクターを、実際よりも単純なものに見せてしまったかもしれない。アンの自意識の暴走や癇癪は単なるおてんばや思春期の反抗ではなく、求められる少女像と自分らしさ、理想と現実との間で葛藤する生きづらさと結びついたものだ。少なくとも現代においてこの原作を映像化するならばそういう要素も欲しかった。

  • 私の奴隷になりなさい第2章 ご主人様と呼ばせてください

    • 評論家

      上野昻志

      ヒロインを演じる行平あい佳がいい。黙って横を向いているときは硬い印象を受けるが、相手に向かってなに? と問うように開かれた目つきが無防備な感じでエロティックだ。毎熊克哉演じる男は、そこにつけ込んで、彼女を調教していくわけだが、その実、彼女の無防備な眼差しに引き込まれて、彼女の欲望の虜になったのではないか。そんな男に社会的制裁の代わりに、さらに妻を調教するよう命じた夫(三浦誠己)にしても、自分一人では到底彼女を制御しきれないが故にそうしたと見える。

7481 - 7500件表示/全11455件

今日は映画何の日?

注目記事