映画専門家レビュー一覧
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パパはわるものチャンピオン
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映画評論家
吉田伊知郎
悪役レスラーと息子の関係を軸に描くにあたってプロレスのプロレスたる面をどう処理するかと思ったが、リングとリング裏のドラマを一体化させる一方で、プロレスという職場と家庭と学校を上手く描き分けている。親も教師も子供の世界に無関心すぎるのは気になるが、クライマックスの戦いに個々の視点が結びつき、一体感を生みだす。寺田のあまりにも子役然とした演技を放置しているのは疑問だが、プロレスオタの編集者・仲里依紗は出色。脇に回ると奔放な演技を楽しませてくれる。
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食べる女
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映画評論家
北川れい子
確かにおいしそうな料理が出てくるが、8人の女たちのどのキャラも“色”が異なるだけで実に薄っぺら、トッピングだけが目立つ上げ底の映画を観ているようで、観終ったとたん、腹ペコに。小泉今日子が住む昭和ふうの日本家屋を梁山泊に見立て、ここに集まってくる年齢もキャリアも違う女たちのエピソードを拾っていくのだが、すでにそれぞれみんな好き勝手に生きていて、それ以上、何をどーしたいの? 男たちを後方に置いての女たちの怪気炎、食欲も性欲もお好きにどうぞ。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
女性と食の関係とはディープにしてコア。野郎が腹減って何か食うとかとは違うレベルの話。人間を含む哺乳類の母子はすごい。乳児は母乳しか飲んでないのに何ヶ月も生きて育つ。母親にはそれをつくりだす機能が備わっている。食事し自ら食餌になる。伊丹十三の食についての映画「タンポポ」は授乳の場面で終わる。しかしその文脈に女性を縛りつけてしまうことの問題。本作の沢尻エリカの摂取する感覚、広瀬アリスの食べさせる快感はそこを超えた。あと、小泉今日子の新たな美しさ!
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映画評論家
松崎健夫
料理を盛りつけた皿を撮影するとき、なぜ真上から撮影するのか? それは、皿の形状が丸いことに起因しているからではないかと本作は思わせる。雑貨屋へ行くと、食器は円形に限らないことがわかる。洒落た食事を嗜む女性たちの姿を描いたこの映画では、ユニークなデザインや個性の強いデザインの食器は登場しない。逆に質素でありながら“料理を際立たせるための皿”であることが窺える。そして、丸という形状は〈和〉を感じさせ、劇中の満月が女性たちの〈和〉を象徴させているのだ。
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スカイスクレイパー
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翻訳家
篠儀直子
「セントラル・インテリジェンス」の監督はこういうものも撮れるのかと、最後まで口あんぐり状態で観た。実際にこんな火災に装備なしで飛びこんだら、熱さと有毒ガスでどうにもならないと思うが、そんな考えはいったん忘れるのが吉。人物設定はまるで違うが、「タワーリング・インフェルノ」の勇敢なジェニファー・ジョーンズの姿がおおいにだぶるネーヴ・キャンベルが、予想以上の大活躍。序盤で予想されるとおり「鏡の間」で展開されるクライマックスも、予想を超える壮麗な演出。
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映画監督
内藤誠
ことしは「ジュマンジ」「ランペイジ」とドウェイン・ジョンソンの当たり年で、この作品も彼のアクション場面の連続だが、期待するのはやはり彼の活躍する超高層ビル「ザ・パール」が香港の街の空高く出現する瞬間である。異様な建築物を目にすると、内部はどうなっているかと細かく知りたくなるが、物語はその建物の権益をめぐる争いやビル火災、ジョンソンと妻ネーヴ・キャンベルが家族を守るための必死の闘いへと移っていく。面白そうにビルの方を見物する香港市民たちがおかしい。
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ライター
平田裕介
穴だらけというか、ネジが締まっていないというか……そんな脚本ではあることは間違いない。主人公が義足であることを弱点にも利点にもしようと試みているが、最もそれが活かせるはずのシーンで活かせていなかったりと語ればきりがない。だが、そんな穴や締まりの悪さを無理矢理になんとかしてしまうのがD・ジョンソン。クレーンから燃え盛るビルへジャンプし、壁面にしがみついたりぶら下がるイケイケガンガンな姿に引っ張られるうちにすべてがどうでも良くなってくるのである。
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ウルフなシッシー
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評論家
上野昻志
タイトルが何を指すのか、よくわからないが、大野大輔監督、主演ぶりも堂に入っている。対する根矢涼香の、相手を睨み付けるような眼差しも、コワくて良い。ベッド一つで一杯のワンルームで延々と繰り返される言葉のバトルも、こういうカップルならいかにもありそうな物言いでリアル。時々、挟まれる二人が出会った頃の様子が、ドツボに填まったような現在を浮き彫りにして効果的。ラストの、自販機が並ぶ道に出てきた根矢の動きを引きの画で捉えたショットにニヤリとしてしまった。
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映画評論家
上島春彦
十分に楽しめたものの、痴話喧嘩で長尺は無理。男女のなれそめとか、回想を入れて飽きさせない工夫は評価できる。そこでの過去の女は結構かわいいのだが、現在の彼女が今一つ。というか冷静に考えると悪いのは女の方ではないか。パチンコに依存している以上に男に依存しているのである。一方、男はあんな最悪のAV現場でも投げずに成立させようとして立派な人だ。結局一晩しゃべり続けるというコンセプトはいいのだが、細部が弱い。部屋の狭さをもっと活かしてほしかったところ。
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映画評論家
吉田伊知郎
映像的な魅力は薄いものの室内に着席して会話が始まると、途端に輝き始める。倦怠期カップルの会話の攻防が実に魅力的で、インディース映画にありがちな歯の浮くような台詞や、男根主義が透けて見えることも無い。映画・演劇周辺に居る者にとっては抱腹絶倒かつ洒落にならない生々しさを持つ押し問答が躍動する。生活感や経済観念を具体的に描くことで奥行きが広がり、双方の内面を覗かせるあたりも抜かりない。諦念を持ちつつそれでも生きていかねばならない疲弊感が響いてくる。
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モアナ 南海の歓喜
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ライター
石村加奈
90年以上も前の(!)フィルムには、南太平洋サモア諸島で暮らすルペンガ一家の日常がノスタルジックに記されている。長男モアナの結婚式に向けて、踊りやタトゥー、ポリネシア民族の歴史に裏打ちされた儀式のひとつひとつに敬意を払い、厳かに取り組む島の人々の姿は、観ているだけで清らかな気持ちになる。美しい島で、モアナ兄弟らが器用にカニやカメを捕らえながら、どんな会話をしていたのか、と自由に想像するのも愉しい。半世紀後に付け加えた音も映像とぴったりで驚かされる。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
デジタル復元の意義深さをいつにも増して痛感させる超傑作。タロイモ採りに励む男たちを俯瞰でとらえた冒頭から映画の奇跡が充満し、空中でヤシの実を採る少年、後半の婚礼ダンスに至るまで、全カットが期せずして映画芸術そのものを祝福する。そしてなんといってもサウンド版だ。無声オリジナル版から50年後、フラハティの娘モニカの陣頭指揮で録音されたもの。島を再訪し、現地の人にリップシンクするよう話してもらい、歌ってもらったのだという。その労力に驚嘆する。
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脚本家
北里宇一郎
あの時代に重い機材を担いで、未開の島で撮影する。その開拓精神に敬意を表する。中身も当時の島民の生活を初めて世界に紹介――の喜びにあふれて。ただ、南海映画に旨いものなしというかつての米映画のジンクス同様、ちとノンビリしすぎの感も。大氷原が舞台の「極北の怪異」の緊張とスリルがないのは残念。と思ってたら、最後の刺青を彫る場面でびっくり。サウンド版にしたのは、この音を聴かせたかったためなのか、と思わせるほど効果抜群。主人公の彼女がチャーミングなのも眼福。
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顔たち、ところどころ
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批評家、映像作家
金子遊
A・ヴァルダとJRは田舎に行くだけで、その場をワンダーランドに変える。巨大な写真グラフィティと少しのドキュメントによって、村の郵便局員が英雄になり、廃墟の町に人があふれ返り、港湾労働者の奥さんがコンテナ・アートの主役となる。アートは現実に介入し、その発想で人々を驚かせるが、映画もこれくらい自由になるといい。90歳のヴァルダがフランス映画祭での来日をキャンセルしたのは残念だが、原宿の個展で猫の写真と浜辺のインスタレーションを見たので満足だ。
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映画評論家
きさらぎ尚
土地とそこに生きている人とを素敵に描く作家。A・ヴァルダに長年そんな印象を抱いている。だからこの映画で創作する様子も同時に見られるのが嬉しい。計画を立てないで巡る先々での彼女には、人の生き様を大切にする姿勢がにじむ。それは作品の対象の人々に限らず、一緒に旅をするJRに対しても同じ。素敵の源流はこれだったのだ。なのに、ヴァルダへのゴダールの仕打ちに?然。なぜ……。ヴァルダの涙は切なすぎる。直前に見た「グッバイ・ゴダール!」で好感を持っていたのに。
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映画系文筆業
奈々村久生
ロードムービーの道すがらに出会う一般の人々を写した顔、顔、顔。相手と向き合い、言葉を交わし、カメラを向ける。そしてビジュアルの楽しさを追求する。そのシンプルな行為の美しさが際立つ。これは写真というツールがフィルムからデジタルに、紙焼きから液晶ディスプレイに転じても、驚くほど変わらない。ゴダールの「はなればなれに」のワンシーンを模して車椅子でルーブル美術館を駆け抜ける“ルーブルチャレンジ”に興じる80代のヴァルダと30代のJR。その関係性もまた尊い。
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HOSTILE ホスティル
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批評家、映像作家
金子遊
終末的な世界でのジュリエットの救いがたい現実に比べ、回想で振り返られる愛の物語は瑞々しい。だが、疫病によってどんな生理学的な反応が起き、クリーチャーが出現したのか理屈も必要か。CGだと思っていたクリーチャーが、ハビエル・ボテットの怪演だったことには驚いた。難病による身体的な特徴を、むしろ俳優としての個性に変えて活躍する姿に感動する。でもそれってSF映画が想像する怪物の外見が、難病や障害を抱える方々の姿に似てしまっている大問題を意味するのでは?
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映画評論家
きさらぎ尚
近未来らしき荒野を駆ける車。バックに流れる音楽は、身の上を歌う古いフォークソング「朝日のあたる家」。車を運転する女性には深い事情がありそうだ。それを考えているうちにクリーチャーが出現。さらには同じ女性が現代の都会でラブストーリーを展開。しかもその恋愛ドラマが随時フラッシュバック。荒野と現代の都会との関連・意味に気づき、彼女がパンデミックで生き残った一人と知るまでに時間がかかる。難易度の高いホラーである。フラッシュバックの入れ方に工夫があれば……。
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映画系文筆業
奈々村久生
これでいいのか? そのクリーチャーの造型はそれで正解なのか!? チラチラと見切れるたびに気になって仕方ない。手足の一部が小出しのうちはともかく、全貌が現れてしまうと、疑惑はほぼ確信に変わる。「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズのゴラムの出来損ないといえば身も蓋もなく、それを可能にしているのはハビエル・ボテットの実演にほかならないが、いささかそこに頼り過ぎている。結果として異形度、恐ろしさ、哀しみ、どれも人以上妖怪未満の中途半端な印象が拭えない。
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ダウンレンジ
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翻訳家
篠儀直子
大して面白くもない会話が大して面白くもない演出でだらだら続き、いっこうに事件が始まらないうちはどうなることかと思ったが、生き残り全員が物陰に逃げこんでからはそれなり面白くなる。これまたキャンプ場で若者たちが殺人鬼に襲われる物語の変奏。一個のアイディアだけで勝負しているような映画だが、そこまで血まみれにしなくてもというのも含め、数年後にカルト作品になりそうな予感。キャスト等のチープさは否めないけれど、中心人物を演じた女優二人の今後には期待したい。
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