映画専門家レビュー一覧
-
赦し
-
日本経済新聞編集委員
古賀重樹
「ドラマ」としての緊迫感はある。人物の性格や感情が明確で、日本映画にありがちな曖昧さがない。基調にあるのが恥の文化でなく、罪の文化なので、「赦し」という主題がくっきり浮かび上がる。画面の厳密さも緊迫感を高めている。同じ監督の「コントラ」同様、異形の日本映画だ。ただ「裁判劇」としては現実離れしてはいないか。再審が容易に認められない日本でこんな裁判が成立するのか。少年法の理念を問いたいのはわかるが、事実認定の不当を示す明らかな証拠は何だったのか。
-
映画評論家
服部香穂里
観る者には小出しに示される、加害者の動機のようなものが、被害者の両親には共有されていない事実が終盤近くに発覚し、三者それぞれの心情の辻褄合わせのごとき作業を強いられるのは難。とはいえ、自暴自棄に生きてきた少女Aが罪と真摯に向き合い、更生への糸口を懸命に探る成人に変貌する空白の7年を想像させる、松浦りょうの内省的な巧演は目を奪う。判決がどうであれ、悲痛な事件の余波を生き続ける人びとの苦悶は消えないことを、カタルシスを拒む法廷劇に落とし込む力篇。
-
-
郊外の鳥たち
-
映画監督/脚本家
いまおかしんじ
男がホテルの部屋に帰ってくる。そこに電話がかかってくる。次のシーンはもう半裸の女とベッドの中にいる。何が起こるかわからないワクワクに満ちている。小学校に忍び込み机の中のノートを見る。いきなり子どもたちの話になる。とにかくみんな異常に生き生きしている。枝をつないで鳥の巣を突く。いちゃついたり抱き合ったりの描写が素晴らしい。子どもたちは小さな旅に出る。一人ずついなくなっていく寂しい感じ。夕暮れの河原で女の子が立ち尽くす。その後ろ姿の美しいこと。
-
文筆家/俳優
睡蓮みどり
始まりからずっと、この映画が好きだなぁとしみじみ感じ、それが無理なく続いていく。どのシーンも言葉にし難いのだが、さざ波が押し寄せるように胸を震えさせ、きゅっと熱くさせる。記憶としての映像が入り混じり、におい立つ木々の香りと鳥の声を感じる。とてもノスタルジックなこの感じ。夢を見ているような、そして終わってしまうことを知っているような寂しさが少しだけ残る。あの子たちは確かにそこにいたのだ。チウ・ション監督の名前を胸に刻みつけた。紛れもない大傑作!
-
映画批評家、都立大助教
須藤健太郎
18年製作の本作と清原惟「わたしたちの家」(17)の同時代性。しかしチウ・ションの場合、別世界との交通を可能にするのは「家」(空間を保証するもの)ではなく、空間の歪みをもたらす「地盤沈下」が始まりにあり、むしろ家の解体こそが主題となる。だから、監督がズームの使用をホン・サンスの影響だとか、測量機の模倣というのは照れ隠しなのだろう。ここでのズームは空間の歪みを視覚化する便宜的な技法だからだ。なお、劇中の謎々の答えは私にはわからずじまいだった。
-
-
妖怪の孫
-
脚本家、映画監督
井上淳一
何を隠そう「パンケーキを毒見する」を断った監督の一人は僕だ。ビビったワケではもちろんなく、映画として面白くなるはずがないと思ったからだ。完成した作品は面白くなるように懸命に努力していた。しかしそれが面白いか、また映画になっているかは別問題。映画はいつからテレビでやれないことをやるカウンター・メディアになってしまったのか。安倍晋三は本当にクソだ。死んだからといって、その罪が消えることはない。安倍が生んだモノ、安倍的なモノはこの国で続いている。→
-
日本経済新聞編集委員
古賀重樹
出色なのは安倍晋三政権のメディア戦略への斬り込み。安倍は第一次政権の失敗の反省に立って、メディアをコントロール。SNSや動画配信も活用し、若者層の取り込みを図る。まさにポピュリズムの手法で、選挙に勝ち続けた。その異様な周到さを丹念に追うことで、既存メディアの凋落も浮き彫りにする。ただ映画全体としては総花的で、結論を急いでいるのがもったいない。地元下関での利権、両親への反発と祖父への心酔は、それぞれに1本のドキュメンタリーを編める話だ。
-
映画評論家
服部香穂里
よくも悪くも戦後日本に道筋をつけた祖父に対抗意識を燃やし、それとは一線を画す道を模索した実父に学ばなかった“妖怪の孫”の政治家人生。国家権力の下で自明の理不尽が罷り通ってきたからくりを、顔出し厳禁の官僚や専門家の証言から紐解く。題名に引っ張られすぎのアニメーションパートは効果的とは言い難いが、好戦的な風潮に流れる現状に危機感を募らせる“愛娘の父”として腹を括った監督の覚悟に、長期政権で培われた不穏なイズムの継承を阻止せんと痛感させられる渾身作。
-
-
零落
-
映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
正直、竹中直人監督作にも浅野にいおのコミックにも苦手意識がある。もちろんただの食わず嫌いではなく、それぞれ過去作に触れてきた経験からその哲学や美学に隔たりを覚えてきたのだが、今作には思わず引き込まれてしまった。最大の要因は柳田裕男のカメラ。竹中の念頭にあったのは石井隆作品なのだろうが、近年柳田が関わってきた若手監督との仕事の成果もしっかり流れ込んでいて、時流から外れた自分を良しとする主人公のナルシシズムに、ある種の現代的説得力が生まれている。
-
映画評論家
北川れい子
漫画家である主人公の自虐的言動は、業界における自分の足元がグラつきだした不安の裏返し。他の漫画家に向けた、たかが漫画家のくせに、という主人公の台詞は、自分もたかが漫画家であることへの苛立ちが言わせた言葉に違いない。そんな彼が、かつて因縁のあった“猫の目顔”の娘にそっくりのデリへル嬢と親密になり、束の間の寄り道。それにしても、主人公の厄介な自意識に冷静に寄り添う竹中監督の、恥じらいのある演出と映像センスには降参だ。されど漫画、というオチ? も痛快だ。
-
映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
現代における成功したアーティストの代表格は売れてる漫画家だろう。その影響力、知名度と稼ぐ金のことはよく語られ知られている。同時にその成功が人気獲得、徹底的な世間への迎合によるものだとも。自己の表現とか内面の吐露では食えない。その食えないことが表現になっていった漫画家つげ義春原作を監督主演した竹中直人氏が、食える以上の栄達も成した漫画家の零落をいま最新作として監督する円環、個の尊重が沁みる。また、石井隆監督作の村木のような男を見た、とも。
-
-
死体の人
-
脚本家、映画監督
井上淳一
今時死体専門の役者なんているだろうか。その設定を受け入れるとしても、かつて劇団の座長までやった男があそこまでバカでいいんだろうか。だいたい妊娠検査薬が陽性だからって、自分が妊娠してるかもと疑う男がいるだろうか。バカでもいいけど、映画の中にしか存在しないバカはダメ。死についての考察も浅過ぎて。懇意になる風俗嬢の彼氏はバンド崩れ。ならばその挫折男を合わせ鏡にして価値観の対決させないと。何がやりたいか結局分からない。唐田えりかが頑張り損。でも頑張れ!
-
日本経済新聞編集委員
古賀重樹
ああこれはあるよな、と思ったのは、テレビの撮影現場で死体役の俳優が、売れている後輩の俳優に声をかけられるところ。人生のレースで抜かれてしまったような軽い敗北感。だからといってへらへら笑うことしかできない無力感と含羞。そんな売れない俳優の実感が、例えば部屋に呼んだデリヘル嬢とのやりとりにもにじんでいる。大仰なコメディ仕立てなのだが、奥野瑛太も唐田えりかも生きるのに不器用な役を自然体で演じている。母親役の烏丸せつこの死に方がとてもいい。
-
映画評論家
服部香穂里
死体役も斬られ役同様、突き詰めれば奥が深く、それをないがしろにする撮影現場は二流であることがシニカルに示唆され、奥野瑛太史上稀なクセのない役柄を通し、彼の演者としての純粋な芯のようなものが垣間見えるのにも興味津々。売れなかろうが役者の道に必死にしがみついてきた主人公と、献身的な恋人に依存し音楽を諦めかけているヒモ男の、紙一重にも見えるふたりの対照性が、烏丸せつこの名演光る母の愛を介して明確に際立てば、さらなる良作に成り得たようにも感じた。
-
-
アンドレ・レオン・タリー 美学の追求者
-
映画評論家
上島春彦
黒人カルチャーの映画というのは好みなので期待して見た。黒人教会の礼拝が一種のファッションショーだった、という好例がカラーで示されたり、自身が祖母と過ごした平穏でクリーンな少年時代をカポーティの『クリスマスの思い出』に喩えたり。本人の証言は面白い。しかしサンローランのスタッフに陰では「ゲイの猿」と蔑まれていたといった話を聞くと、要するにそういう程度の社会だよね、米国ファッション業界なんて、という怒りがこみあげてくる。これは私の偏見でしょうが。
-
映画執筆家
児玉美月
昨年逝去したファッション界の巨匠アンドレ・レオン・タリーの来歴をめぐるドキュメンタリー映画。黒人男性という属性により被差別的な処遇に置かれざるを得ない当時のアメリカの苦境の中ですら、臆することなく貴族のように絢爛な服装で着飾り、「ファビュラス」を体現し続けたアンドレの生き様に瞠目。ただそうした振る舞いだけでなく、アンドレの仕事がどのように受容され、影響をもたらしたか、ファッション史においての位置付けを概観できる俯瞰的な視点がもう少し欲しかった。
-
映画監督
宮崎大祐
魅力的な人間が生活している様子をとらえればそれはおのずと映画になるというお手本のようなドキュメンタリー。ジム・クロウ法下のアメリカ南部で生まれ、決して裕福とはいえない家庭の出であったアフリカン・アメリカンの青年が、白人貴族たちのたしなみであるファッション業界に単身飛び込み、本場フランスにおいても唯一無二の地位を築いたという事実は少なく見積もっても奇跡としか呼べないわけだが、本作はそんな奇跡もうなずけるアンドレの知性とチャームを存分に伝えている。
-
-
長ぐつをはいたネコと9つの命
-
映画評論家
上島春彦
CGアニメが嫌いな私には苦痛かと危惧したものの、そういう人向けに配慮されているようで随所に昔ながらの手描きタッチが溢れていて、嬉しい。三つ巴のバトルがレオーネ映画を踏襲しているのは、突然音楽がモリコーネ風になるのですぐに分かったが、これは同時に東映動画へのオマージュでもありそうだ。あの森は「ホルスの大冒険」の迷いの森でしょう。矢吹公郎の「長猫」だってスタッフは見ているだろうし。しかし★がもう一つなのは可愛さを狙った画が効果的じゃないから。
-
映画執筆家
児玉美月
吹き替え版で鑑賞。2011年に製作されたシリーズ前作も高いクオリティだったが、まったくダレずにハイテンションのまま駆け抜ける、負けず劣らずの力作。時折、絵の具で描いたような絵本を模したタッチに変調するのも功を奏している。家族、友情、恋人関係などの多様な在り方を余すことなく詰め込み、多くの観客へと開かれた物語になっている。ただし悪役に「共感能力がない」という台詞があり、共感性に基づいた排除の論理の危うささえ除けば完璧な家族映画として推せる一本。
-
映画監督
宮崎大祐
バンデラスとハエックのラテンなノリの掛け合いを期待していただけに、この「ただ読んでいるだけ」の吹き替えを聞かされるとレコーディングを68回も行ったという制作者の意図などまったく尊重されないのだなと資本の暴力を呪わずにはいられないわけだが、練り込まれているとはいえない脚本をさほど魅力がないキャラクターたちが躁的に演じるアニメを楽しむのはなかなか厳しい。手書きアニメーション風の戦闘シーンだけは空間を縦横無尽に使っていて涙が出るほど素晴らしかったが。
-