映画専門家レビュー一覧
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マイヤ・イソラ 旅から生まれるデザイン
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
マイヤ・イソラは相当変な人だったと思う。19歳で結婚して娘を産む。母親に預けて自分はデザインの学校に行く。ずっとあちこちを放浪し続け、娘とも離れて暮らし、ただひたすらデザインという仕事に没頭していく。仕事しかない人。孤独だったろうと思う。娘に宛てた手紙がいい。我が子と一緒にいられない苦しさを全然出さずに、淡々と旅の様子を伝える。いろんな男の人を好きになったり、急にわがままを言ったりめんどくさい人だけど、時代の先頭を走っている人の覚悟がある。
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文筆家/俳優
睡蓮みどり
あの大胆な色づかいやデザインのその向こうに秘密の花園を見つけたような気がした。深く静かであり同時に情熱的な側面をもつマイヤ・イソラの生み出してゆく世界に魅了される。若くして産んだ娘クリスティーナに語りかけられる言葉の数々、そしてクリスティーナ自身の言葉がちりばめられ、マイヤのデザインがアニメーションで動き出す。母娘の関係性が本当に素敵だ。アーティストとしての鋭い眼差しと、いまも愛されるデザインの原点に触れられる、とても心躍る貴重な一作。
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映画批評家、都立大助教
須藤健太郎
年上の男性と若くして結婚し19歳で娘を出産するも、すぐに離婚。娘を母親に預けて大学に進学、卒業後はデザイナーとして活躍し、世界中を自由に旅しては絵を描き、次々と恋をした。そんなマイヤ・イソラの奔放な人生は、と、ここまで書いて、自分がいかにジェンダーバイアスに囚われているかに気付いて愕然とする。「子供を預けて」「自由に旅し」「次々と恋をする」のが「奔放」?これが男性芸術家なら同じ形容を使うだろうか。むしろこの点はありふれた芸術家像のはずなのに。
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そして光ありき
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
最初ドキュメンタリーかと思った。セネガルの森に住む部族の人たち。一人背の高い女の人のスタイルが良くて目を惹きつけられた。彼女は一人の男を巡って別の女の人と取っ組み合いの喧嘩を始める。のどかな日常。せこい男女の色恋沙汰。なんか笑ってしまう。小屋に入ってセックスを始めると周りにいた女たちが歌を歌い始める。小屋がギシギシ揺れ始める。女たちがホント強くて男たちはダメなやつらばっか。物哀しくてどこかユーモラス。クスクス笑いがずっと止まらなかった。
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文筆家/俳優
睡蓮みどり
これは……! 一体どんな演出をしているのだろう。セネガルのディオラ族が話す言葉はまったく私にはわからない(ほぼ字幕もない)のだが、それは少しも映画を楽しめない理由にはならない。むしろ、ひたすら映画に集中し没頭し、見知らぬ世界を体感するという点においても驚きの連続で身を乗り出すような気持ちで心奪われていった。木が倒れるだけでもう映画なのだ。イオセリアーニの映画をもっと見たい、という興奮に包まれながら映画の暗闇へと戻る。ぜひ、劇場へ!
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映画批評家、都立大助教
須藤健太郎
セネガル南部にあるディオラ族の集落。部族の生活と風習に基づきながら、イオセリアーニが創作を交えて綴る寓話的な一篇である。狩りや漁から魔術に雨乞い。ワニに乗って川を移動し、木を叩いて交信する。歌い、踊る。みんなで集まって日没を見る。女性主導の離婚と再婚、そして家出。世代交代と継承の儀式。森林伐採による楽園の終焉。補助的に中間字幕が使われるとはいえ、言語による翻訳を必要としていないのはやはり驚くべきことだ。映画の本源的な喜びに満ちた傑作。
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劇場版 ナオト、いまもひとりっきり
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脚本家、映画監督
井上淳一
ダメと思ったらいつでも全部殺処分しますからと農水省が簡単に言う。だからナオトは残された生き物の面倒をひとりみる。自分も原発に関わった。その贖罪もあるのか。8年に亘る密着。政府の無策。安倍昭恵のサイン色紙。観客のいない聖火リレー。描かれるのは原発で潤った町の末路だ。ナオトの口から出る原発再稼働容認の衝撃。福島も原発も続いている。中村さん、いい仕事をしたと思う。福島の映画を撮っていて助かった。じゃないと恥ずかしさで死ぬところだった。いや、また撮らねば。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
松村直登さんはなぜ今も一人で富岡町にいるのか? 我がことのように考えさせられた。誰に求められているのでもない。自分の意志でそこにいる。震災直後に目の前の動物たちに餌をやり始めたときは、理不尽な国の施策への抵抗の思いもあったろう。その後も、蜂を飼い、鶏を飼い、水田を作る。やっぱりそれも理不尽な体制への抵抗なのだと思う。道路や港はできても、人はほとんど戻ってこない。「復興」というお題目ばかりで、形はあっても実を伴わない。そんな理不尽さへの怒りだと。
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映画評論家
服部香穂里
原発事故を機に生まれた根拠の乏しい膨大な造語の矛盾を、“警戒区域”にはじまりコロコロ形容が変わる富岡町で、見捨てられた動物を世話して独り暮らし続けるナオト氏が、まざまざと体現する。最後に自身もカメラ前に立つ中村監督の、終わりなき原発問題を作品として強引にまとめようとしない誠実さが、監督も含め大半の予想を裏切る、震災前後を肌で知るナオト氏ら当事者ならではの衝撃発言を引き出したふうにも思え、その結果、“復興”とは何かをも問う、ズシリと響く仕上がりに。
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ただいま、つなかん
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脚本家、映画監督
井上淳一
東日本大地震から12年。この時期に311モノをちゃんと公開するのは素晴らしい。しかも最近は長期に亘って取材したものが多い。本作は10年。なかなか出来ることではない。取材対象の民宿も女将もいい。だから敢えて書くが、映画を撮るならちゃんと映画を撮らないと。雄弁過ぎるナレーション、饒舌過ぎる描写。なのに、登場人物の「なぜ」に全く迫れていない。極めて悪いテレビ的というか。テレビが悪いと言っているのではない。テレビにはテレビ、映画には映画の佇まいがあると思うのだ。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
深い悲しみと再び動き出す力とが映っている震災ドキュメンタリー。津波で自宅が被災し、海難事故で家族を失い、民宿がコロナ禍に見舞われる。そのたびに持ち前の明るさで再起する菅野一代さん。彼女にひかれて集まった多くの若いボランティアたちが唐桑に移り住み、仕事を始め、生活を築く。まさに民宿「つなかん」という磁場がつくりだした喪失と再生の物語。一代さんと周囲の人々の折々の表情を10年以上も追い続けたディレクターの取材の成果が豊かに実っている。
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映画評論家
服部香穂里
東日本大震災など、ある種の悲劇が出逢いやご縁を紡ぎ出す10年間を、丹念に追う。予期せぬ事態に次々と襲われ、とびっきりの笑顔が曇っていく一代さんと、彼女に救われてもきた学生ボランティアが、“あの日”を胸に刻みながら新たな幸せを模索しつつ支え合い、関係性が深まり広がっていくさまが、流れゆく歳月の中で、しみじみと映し出される。終盤に突如として登場する某著名人にウェイトが傾きかけたせいで、作品のバランスに乱れが生じて見える点が、少々気にはなったが。
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ペーパーシティ 東京大空襲の記憶
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映画評論家
上島春彦
昭和20年3月の東京大空襲の記録映画、という側面は希薄で、むしろその記憶を語り継ぐ運動家たちの地道な活動に取材した企画。取材自体は数年前のため、当時の総理大臣の戦争体制推進法案が大きな話題となっている。それにしても祖国防衛などと口では言っていたこの人が準反日組織の支持者であったとは。まったく笑いごとではない。この映画を見ると戦争犯罪の記憶を失わないことの大切さを痛感すると同時に、記憶喪失を強いる巨魁とそのお先棒担ぎの存在を感じないではいられない。
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映画執筆家
児玉美月
本作のオーストラリア出身の監督は第二次世界大戦当時、日本の敵国であったがゆえに東京大空襲については映画を通して初めて知ったという。そうした個人の映画の記憶からこの記録の映画は生まれた。序盤の紙にインクが滲んでゆく映像は爆撃に見舞われた都市部のイメージを連想させるだろう。タイトル「ペーパーシティ」の通り、何度も差し込まれる紙のイメージを写すカメラは、燃やせば焼失してしまう脆弱な記憶と記憶をデジタル技術によって後世へと強靭に残そうとする意志となる。
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映画監督
宮崎大祐
丁寧に撮られた素朴なドキュメンタリーである。あの悲惨な大戦から早くも80年近くが経った。いや、まだたった80年しか経っていない。だが、この作品が撮影された当時からの6?7年で時代は急激に「戦前」へと回帰しつつある。あのすべてを奪った震災ですら10年やちょっとで忘れ去ってしまうのが国家でありわれわれである。劇中映し出される空襲生存者たちの「われわれに戦後はない」というスローガンを2023年に生きる日本人たちはどのツラ下げて眺めればいいのだろう。
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レッドシューズ(2022)
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
「日本映画界、ボクシングが好きすぎ」問題に加えて、主人公が女子ボクシング選手ということで、直近のあの傑作が頭によぎらない人はいない、損な巡り合わせ。真面目に作られた作品ということは伝わってくるのだが、容易に予想がついてしまう展開とクリシェにまみれたセリフの応酬がいかにもしんどい。「ちひろさん」も扱っているシングルマザーの貧困問題だが、そのようなモチーフこそ類型的に描くだけでは感動ポルノと言われても仕方がない。それも感動できればの話だが。
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映画評論家
北川れい子
ママさんボクサーは負けても勝! にしても、往年の「母もの映画」顔負けの設定と、子どものために闘う女という今ふうのキャラを一つにした本作、狙いはともかく、脚本の粗っぽさには鼻白む。特に前半。女手一つ、ジム通いとバイトで生活が苦しいのはわかるが、子どもが幼稚園で栄養失調で倒れたとか、電気を止められたとか、コンビニの廃棄弁当に手を出そうとするとか、あげく、バイトは次々と失職、警察騒ぎまで。終盤のチャンピオン相手の試合は、演じる朝比奈彩、見違える迫力。
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映画文筆系フリーライター。退役映写技師
千浦僚
「ケイコ?目を澄ませて」の洗練や賢明さと逆のしんどさ。しかし嫌いじゃない。主演朝比奈彩はシャドウボクシングはまだしも試合の場面ではちょっと腕だけのパンチに。相手も。すなわち泥試合。しかしそのストレスフルな状態は人生の嫌な感じによく似ている。せんだみつおが演じる、介護士女性の尻を撫でて威張り散らす老人の醜悪。松下由樹演じる姑が、自身がシングルマザーで苦労したからヒロインを抑圧するという地獄。まとめて殴り殺したれ! それだと違う映画になるか。
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日の丸~寺山修司40年目の挑発~
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脚本家、映画監督
井上淳一
建国記念日が制定された1967年、寺山修司は日の丸についてインタビューのみの番組を制作し問題になる。今それと同じ質問をぶつけたら。55年前の闘いの拡大再生産。日の丸君が代天皇国家戦争安倍晋三自分自身脳内リスクで身動きとれない表現、そのすべてに対して向けられる刃。よくこんな企画を通したものだ。テレビ局もやれば出来るじゃん。クレジットが終わっても席を立たないで。「ゆきゆきて神軍」以来の危険な大傑作。TBS、深夜でいいからテレビでやってほしい。やるべき。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
「日の丸といったらまず何を思い浮かべますか」。1967年と同じ質問を2022年に街頭で投げかける。何より違うのは回答者の視線だ。67年は多くの人が戸惑いながらも、聞き手と正対し、聞き手の目を見て、それぞれに自分の言葉で語ろうとする。22年はほとんどの人がカメラを意識し、どう報じられるのかを気にしている。そんな時代に街頭インタビューは成立するか? 答えはイエス。この反応、この態度が今の日本人の姿であり、この映画はそんな群衆を映し出す鏡なのだ。
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