映画専門家レビュー一覧
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ユダヤ人の私
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文筆業
八幡橙
シリーズ第一弾「ゲッベルスと私」同様、余分な演出を排除した極めてストイックな映画だ。軸となるのは、撮影当時103歳だった、マルコ・ファインゴルト氏の独白のみ。オーストリアにおける反ユダヤ主義の根深さについて訴え続けてきた彼は、長い歳月を経てもなお、当時を振り返り怒りを滲ませる。途中挟まれる貴重なアーカイブ映像も多くは無音で、観客をいたずらに煽動しないよう細心の注意が払われているが、正直、もう少しだけ人間としての氏の素顔が覗く言葉を聞きたかった。
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聖地X
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映画・音楽ジャーナリスト
宇野維正
どこに向かっていくのかまったく予想できない序盤こそ興奮させられたが、早い段階で尻すぼみに。同じ著者の原作映画化歴もある黒沢清作品を連想させる風や水のカットがこれ見よがしに何度も挿入されるが、そういうシグネチャー演出は監督に属するものであって、付け焼き刃な印象のみが残る。また、黒沢清の別作品では役者としての新しい領域を引き出されていた川口春奈が、本作ではテレビサイズの雑な所作や表情に終始していて、展開上不可欠な緊張感を吹き飛ばしてしまっている。
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映画評論家
北川れい子
人間の願望を察知して、それを実体化する得体の知れない何か──。この作品を観た某監督が「惑星ソラリス」を連想したとおっしゃっていて、私も心して観たのだが、強いて言えば「惑星ソラリス」の地上版ふうドタバタパロディ。しかも舞台は韓国の海の近く、人物はほとんど日本人。確かに奇妙な現象が起こる。日本にいるはずの人間が、同時にこっちでうろうろしているのだから。更に韓国の土着的な呪い伝説まで盛り込み、心理学みたいな会話も。でも捨て難いのは映画の本気度!
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映画文筆系フリーライター
千浦僚
SFミステリ、ホワイダニット、ハウダニット、ハプニングからのルール探し、というのはかなりいろんなことがやれると思う。「リング」、シャマラン映画、荒木飛呂彦漫画の面白さとはこういう系統。韓国でロケされているため、ある人物が過去を欠落させたり復活させたりしたうえで反省と謝罪してみせたりすることが日韓の歴史上の課題を連想させた。ゲーム好き人生の思いがけない活かしどころを得、さらにえらいことまでしそうになった岡田将生が成長することに劇を感じた。
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COME&GO カム・アンド・ゴー
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脚本家、映画監督
井上淳一
リム・カーワイのスゴさは国境も映画も軽々と(ではないかもしれないが)越えていくことではなかろうか。本作はリムのある到達点だと思う。全篇から漂う映画としか形容しようのない香り。人も街もリムの手にかかると実に様々な顔を見せる。どの国の人も同じように抱えるよるべなさ。物語の着地点として未消化なところも多いが、それすらも現実ってそうだよな、なんでもかんでも解決しないよなと思わせる力がある。短所も長所に。リムがこんな映画を撮るなんて。悔しい。負けたくない。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
大阪・梅田を舞台に10カ国・地域のアジア人たちが交錯する群像劇。当り前のことだが、一昔前の豊かな日本と貧しいアジア、おごれる日本と可哀想なアジアという図式から見事に脱している。裕福な中国人がいれば、貧しい日本人もいる。上品なマレーシア人もいれば、助平な奴はどこにでもいる。そんなアジア人が断絶したり、つながったり。一人一人が複雑な事情と葛藤を抱えた人間で、そいつらが行き交う混沌とした街としての大阪の魅力が浮かぶ。映画漂流者リム・カーワイの面目躍如。
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映画評論家
服部香穂里
リム・カーワイ監督の“ホーム”かつ“アウェイ”でもある大阪に対する、独特の感覚や絶妙な距離感が光る。夢の実現を焦る移民が道を踏み外していく過酷なリアルから、大阪慣れしたAVオタクの台湾人(リー・カンション!)と渋々ひとり観光を強いられた中国人が、超大衆居酒屋で意気投合するファンタジーまで、同じ空気感の中で自然と成立させてしまう繁華街・キタ。アジアの一角に陣取る、コテコテもセカセカもしていない懐の深い大阪像を、再発見させてくれる佳篇。
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ずっと独身でいるつもり?
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脚本家、映画監督
井上淳一
昔書いた脚本を「これはドラマではなくスケッチ」とプロデューサーに一蹴されたことがある。本作にはそう言ってくれる人はいなかったのか。薄っぺらな女たちとさらに薄っぺらな男たち。いつかどこかで見たような人物とエピソードのコラージュ。いくら孤独だからって、あんな男と結婚しないでしょ。話を進めるため、最後に啖呵を切らせるためのバカな選択。他の人物然り。この程度で刺さる人がいるのか。「あのこは貴族」はオジサンにも刺さったけど。消費される監督にならないで。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
ろくでもない男しかでてこないのだが、そんな男たちとずるずるつきあっている女たちを見ているのもつらい。36歳の売れっ子女性ライターの揺れる気持ちに寄り添ったということなのだろうが、ここまでふらふらと周囲に流され、意志が弱いということに、逆にリアリティーがない。SNSとセレブな東京のイメージの中に浮遊している女たちということなのだろうが、ここまでヤワではないんじゃないか? 登場人物一人一人の芯の弱さが、葛藤の弱さとなり、映画の弱さとなっている。
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映画評論家
服部香穂里
かつて自立した女性を賛美するベストセラーを放つも、以降は代表作を書けないヒロイン。彼女の苦難の十年間が窺い知れず、ここにきての転向が、アラフォーという設定のみに直結した皮相なものに映るため、明白な選択ミスを経た復活劇にも、何か実感が伴わない。一発屋、おひとりさま、パパ活女子など、やたらと括りたがる世間からの解放を志す女性たちの物語のはずが、“ずっと”の解釈は緩めに、孤独をマイナスに捉える一面的な認識が見え隠れするのも気になった。
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ミュジコフィリア
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脚本家、映画監督
井上淳一
脚本が酷い映画ばかりで本当にイヤになる。異母兄弟の話で弟主役なのに、その弟が分からない。だから弟の話になっていない。子供の頃、音楽をやめた弟は芸大の美術科に入り、兄と再会。そこで見事にピアノを弾くが、ずっとやっていたのか。回想は点にとどまり線にならず、ドラマ以前の登場人物の生き方が見えない。ディテールに神は宿る。脚本は論理。その二つが雑だとすべてが台無し。役者に努力させてピアノのシーンをちゃんと撮る前に、脚本にこそ頭を使って努力してほしかった。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
嫡子と庶子の確執というコテコテのメロドラマでありながら、好感をもったのは京都の風景が生き生きしていたから。絵はがき的な景色を切り取るのでなく、あの街の独特の音に耳を澄ましている。賀茂川のせせらぎや、東山の風など、風景と結びついた音が重要なモチーフとなっている。芸術をテーマにすることも、大学を舞台にすることも、この街なら無理なくできる。物語の上だけでなく、人材やロケ地など制作の上でもそうだろう。今日的な京都発の娯楽映画の可能性を感じさせる。
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映画評論家
服部香穂里
「トウキョウソナタ」の少年の将来像のような井之脇海が、桜満開の賀茂川沿いに佇むピアノを揚々と弾く。“未聴感”を表現する高いハードルを、嫌でも目を引くシチュエーションの助けも借りてクリアする軽快な序盤から、死後も残る新しい音楽を追究する異母兄弟がぶつかる、生みの苦しみに主眼が移る。それゆえ、努力家の兄との確執の末に天才肌の弟が紡ぐ楽曲こそハイライトかと期待が高まるも、サクッとはぐらかされた上、畑違いのMV風に転じる終幕には、疑問符が浮かぶ。
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リトル・ガール
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映画評論家
上島春彦
自らの社会的な性別に違和感を覚える所謂トランスジェンダーと呼ばれる人々は少なからず存在する。だが、この映画の新機軸は、彼女ら本人のその自覚はこれまで考えられてきたよりも時期的にずっと早いのではないか、という点への注視にある。自分を女の子として遇してもらいたい、という主人公と、その願いを学校という場で叶えようとする家族の奮闘を描く。学校側が頑なでなかなか上手くいかない展開だが、一方の当事者である教育関係者が取材拒否したのか、誰も現れない。
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映画執筆家
児玉美月
リフシッツの審美的な映像はトランスの少女サシャの置かれた苦境にすぐさま観客を共感と同情を持っていざなっていく。多くの者はサシャのような子供を拒絶する学校側を敵対視し、不寛容な社会を悪とし、無知な自己を内省するかもしれない。しかしこの映画の果たすそんな功績の全てが、まだ成人に満たない性的少数者のサシャが映画の名のもとで未知数のリスクに曝されて初めて成り立つ事実を決して軽んじるべきではないだろう。寧ろここでは観客側の受容の態度こそが問われている。
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映画監督
宮崎大祐
まるでコマーシャルのような美しく決まった映像にさまざまな扇情的な音楽が重なり、トランス・アイデンティティを持つ7歳児サシャが現在の世界で生きることの困難と救済についてサシャの母カリーヌが語り尽くす。わたしたちがいつの間にか与えられる性別や名前、国籍といった烙印に一度も違和感を抱いたことがない方は是非とも本作を見てその暴力性についてご一考いただきたい。そう、あなたはあくまであなたであって、男でも女でも田中でも山田でもなに人でもないはずだ。
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茲山魚譜 チャサンオボ
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米文学・文化研究
冨塚亮平
知的好奇心によって結びついた世代も階級も異なる二人の師弟関係と友情関係は美しく、自負の強さを感じさせる昌大役のピョン・ヨハンの面構えも良い。また、どこか近年の学術会議の問題を想起させもする知識人と国家の関係は、単なる異国の時代劇としてではなく現代日本にも通じる物語として本作を今観る意義を示しているようにも思える。だが、書物をめぐる動きの少ない題材をあえて映画化するのであれば、単に絶景をモノクロで撮るだけではないさらなる工夫を凝らして欲しかった。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
学はあるが頭でっかちな学者と、学はないが生きることの意味を体感している素朴な島の若者という構図かと思うと、実際にはそう単純ではなく、学があるゆえに生きることの意味を探求し、素朴ゆえに教条的な学を求める両者のすれ違いが面白い。しかし、では学ある学者が“正しさ”を体現しているのかいうと、時代が時代のため仕方がないが、父権的な振る舞いが滲み出ていたりする。話の結末に驚きはないが、肝である二人の間に流れた時間の厚みも最後にしっとり感じさせて悪くない。
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文筆業
八幡橙
イ・ジュニク×ソル・ギョング。「ソウォン/願い」はあまりに辛い話だったが、水墨画を思わせる今作は、一陣の清涼な風を感じる物語に。特に、若銓と昌大が知的好奇心をぶつけ合い心寄せ合う過程が爽快だ。時に滑稽な顔を見せるソル・ギョングのしなやかさはもちろん、若き漁夫を演じるピョン・ヨハンの存在感にも目を引かれた。貧しい暮らしの豊かさと、権力を手にした人間の陥る闇。情を以てどの国の、どの世にも通じる普遍のドラマに仕上げる力は、さすがイ・ジュニク。盤石なり。
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1941 モスクワ攻防戦80年目の真実
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
クソ真面目なロシアの戦争映画。無垢で元気な若者が次々死んでいく。泣くしかないでしょ。戦争への怒りが全篇を覆っていて、凄まじいエネルギーで描かれる。戦闘シーンもひたすら無残だ。恋愛も甘くて哀しい。真面目故に、歴史の教科書を読んでいるような気持ちにもなった。敵はどうなのか?ドイツ軍の描写がほとんどないので、わからない。いつの世も、偉い人は安全圏にいて弱いものばかり犠牲になる。美化されすぎてる気もするが、戦争って本当に嫌だというのは、伝わった。
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