映画専門家レビュー一覧

  • いつかの君にもわかること

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      階級を中心とした社会問題を巧みに取り込みつつも、大上段に構えることなく個人の暮らしに焦点を当てた、どこかケン・ローチを思わせるドキュメンタリー的な引き算の演出と撮影は効果的だが、その反面サスペンス性を削ぐことにも。余裕のない状況でそれでも扶助の精神をなんとか保ちながら生きようと奮闘する、主人公やソーシャルワーカーたちの血の通った人物像を引き立てるためか、数多く現れる家族候補の一部が彼らと比べるとやや紋切り型めいた人物造形となっているのは残念。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      死にゆくシングルファーザーが息子の里親を探すなかで「どの家族が良いか悪いか、会った瞬間に判断がつくと思っていた」とこぼす。このセリフが示すように、本作には、家族とは、死とは、息子とは、といった事柄を抽象的ではなく、目に映ったもので捉えようとする誠実さがある。だから里親候補への面会を時間をかけて繰り返し描くのだろう。面会を繰り返しそれでもわからないと実直に語る父親と彼を助ける新米ソーシャルワーカーが共に困り果てるカフェのシーンはとりわけ美しい。

    • 文筆業

      八幡橙

      「おみおくりの作法」同様、“死”について、それを巡る個人と個人のつながりについて、パゾリーニ監督は実話を軸に描き出す。小津を引き合いに出すほど“控えめ”に徹したと語る演出は、ジェームズ・ノートン演じる若き父の思いを淡々と、静かに見守る。しっくりこない養子縁組希望者たちの描写もリアルで、価値観の合う人間に出会う難儀を痛感。それでも人情家の監督らしく、全篇に“控えめ”なぬくみを湛える佳作だ。子役の愛らしさは反則の域だが、それこそが本作の肝でもあり。

  • 別れる決心

    • 米文学・文化研究

      冨塚亮平

      作中のあらゆる要素を徹底してヘジュンとソレの関係性を微細に変化させるための触媒として用いることで、荒唐無稽な展開を強引に観客に受け入れさせてしまう力業の演出に舌を巻く。PCの要請を逆手に取るかのような、ほとんど触れ合うこともない二人に渦巻く激情は、スマホを用いた翻訳や録音によって誇張される互いの断絶を通じて高められ、相手にハンドクリームを塗るだけの接触場面を異様なまでに官能的なものとする。古典メロドラマの過剰さと現代性を奇跡的に両立させた怪作。

    • 日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰

      降矢聡

      いろいろなギミックを使って演出される視線の複雑なやり取りや、凝ったシーンのつなぎによって、一筋縄ではいかない男女のロマンスを面白く見せてくれる。こうした多彩な演出は、明確に言葉にしては崩れてしまうこの二人の微妙な関係性を、曖昧に、あるいは繊細に表現し、映画にただよう雰囲気と主演のタン・ウェイはとても凛々しく妖しい魅力がある。しかし、越えてはいけない倫理的なラインを越えてしまう、決定的で理不尽でもある具体的なこれという瞬間が私は見たかった。

    • 文筆業

      八幡橙

      20年近く前、「評論家出身の監督の考える、いい映画の条件とは?」と取材で訊くと、パク・チャヌクは「一シーン観るだけで誰が撮ったかわかる映画」と答えてくれた。時を経て、今、その独自性に改めて敬服。「オールド・ボーイ」の激しさも「お嬢さん」の際どさも濾された後に残るは、程よく力の抜けた、究極の澄んだ愛だったとは……。イ・ミョンセ監督「М」ではBoAも歌った〈霧〉の切ない旋律と共に、絡みつくような余韻が後を引く。パク・ヘイルとタン・ウェイの相性も、出色。

  • 二十歳の息子

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      分からないことが多い。なぜ少年を養子にしたのかも養父が働く自立支援団体もプレスを読まなければ分からない。それでダメな映画も多い。しかし本作は違う。撮っていて使わなかったのか、敢えて撮らなかったのか。とにかく相当に考え抜いて使うもの使わないものが選択されている。だから描いた以上のものが行間から伝わる。これぞ映画だと思う。「赤ちゃんの写真が残ってるっていいですよね」と呟く孤児の少年に泣いた。普通なんてどこにもないのだ。三十歳四十歳の息子が見てみたい。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      字幕もナレーションもないダイレクトシネマである。勇気と渉が養子縁組を決意した理由はつまびらかにされない。ただ新しい生活を始めた二人のそれぞれの希望と苛立ちは確かに映っている。それぞれにマイノリティであることを自覚しながら、のっぺりとした社会と向き合い、その息苦しさを鋭敏に感じ取りつつ、前に進む。意外な結末が唐突に訪れるが、島田隆一監督はわかりやすい理由で説明することから慎重に距離を置く。だからこそ滲む二人の人生の苦みにリアリティがある。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      劇中で、率直な質問を渉氏に投げかけ続ける女性が登場するが、撮入前の制作陣の取材内容の一部くらいは、観る者にも共有させるべきではないか。ふたりが出逢い、親交を深めて信頼を築き合い、養子縁組まで結ぶに到ったかの経緯がほぼ明らかにされないので、“親子”として暮らし始めた1年間のみを見せられても、正直とまどう。我が子を丸ごと尊重する網谷氏のご両親がすこぶる魅力的なだけに、これまでにない“家族”の関係が育まれるさまに、重点を置いてみてもよかったのでは。

  • 銀平町シネマブルース

    • 映画・音楽ジャーナリスト

      宇野維正

      斜陽産業の定めか、近年世界中で同時多発的に増えている「映画についての映画」。大きくは「作り手サイドの物語」と「劇場サイドの物語」の二通りに分けられるが、本作は地方都市の老舗劇場に流れ着いたワケありの元映画監督という両方取りの都合のいい設定の中、ステレオタイプな登場人物たちが無邪気に「映画っていいよね」みたいなぼんやりしたクリシェを言い合うだけの薄寒い内容。本来は優れた監督、脚本家、役者が揃っているだけに、策やヒネリのなさに?然としてしまった。

    • 映画評論家

      北川れい子

      無一文で公園のベンチで寝るしかない映画監督を救ったのは、いまにも潰れそうなミニシアターとそこに出入りする人たちだった。それにしてもここ数年、次から次へと作品を撮り続けている城定監督と、今回は脚本だが同様に監督作の多いいまおかしんじによる本作、挫折と失意を抱えた映画人を、あえていいこ、いいこしているようで、いささかこそばゆい。ホームレスを食いものにする貧困ビジネスの連中なども出てくるが、昭和的人情が色濃い展開は、映画への夢や憧れも徒に感傷的。

    • 映画文筆系フリーライター。退役映写技師

      千浦僚

      ああ、わかってしまった。私は奥田民生になりたいとは思わないが、いまおかしんじにはなりたい。たぶん、いまおかしんじ脚本作監督作に慰撫されたことのある男はみんなそうなんじゃないか? これはいまおか氏のアイドル化、崇拝というより、自分の生活のなかに自分サイズのユートピアを見出す術を身に付けたい、という感覚だ。快調な城定秀夫演出が死を超えるユートピアを見せた。渡辺裕之と、宇野祥平(川島雄三「わが町」の辰巳柳太郎に迫る)の美しさに慄然とさせられる。

  • #マンホール

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      ワンシチュエーションものに興味がない。閉じ込められた場所からの脱出なんて、手法だけの映画になるしかないからだ。でもたまに社会の閉塞状況の暗喩だったりして、やられたと思うこともないではない。しかし本作には見事に何もない。ネタバレ禁止らしいから何も書けないが(批評するなと言ってるのも同じだ)、映画の中でしか存在し得ない人間を見せられても心は動かない。復讐譚だし。これがベルリン? 久々の熊切和嘉、どうせならもう少しマシな転向を。これを経てどうなるか?

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      閉鎖空間、限られた道具の活用、信頼と裏切り、どんでん返し。様々な脱出劇を連想させるサスペンスだが、今日的なのは主人公の頼みの綱がスマホであること。電話、GPS、カメラ、SNS。それらは脱出のためのツールであると同時に、姿を見せない犯人が仕掛けたトラップでもある。穴という伝統的でリアルな枷と、ネット空間という現代的な仮想現実の罠。結末までスリルが途切れない。岡田道尚の精緻な脚本を熊切和嘉が映像化。撮影の月永雄太、美術の安宅紀史も力量を発揮。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      公私ともに幸せ絶頂の好青年風の営業マンが、極限状態へと追いつめられ、化けの皮が次々とはがれていく展開は想定内だが、終盤近くにもなって、ここまで大きな仕掛けを施すと、主人公がなぜ自分の居場所を特定できずにいたのか疑問が残るし、あれこれ推理をめぐらせてきた観客に対しても、裏切りに近い禁じ手ではないか。もう少し時間配分を考えて前倒しできていれば、ジャンルが途中で一変するユニークな作品になり得たかもしれないが、端折り気味に風呂敷を畳み損ねた印象も。

  • Sin Clock

    • 脚本家、映画監督

      井上淳一

      窪塚洋介が何をやってもうまくいかない前半戦の密度にいやが上にも期待が高まる。現代の犯罪ってこうやって起こるんだよなという説得力。が、ここからがいただけない。いざ犯罪になったらグダグダもいいところ。計画は杜撰極まりなく、出てくる人皆バカ。というか皆捨てキャラで誰も生きてない。いや、失敗を宿命づけられた犯罪映画でもいいのだ。でもそれだって成功しそうな要素はないと。犯罪話に入るのが遅いし。演出力はあるんだから、シナリオをちゃんと作りなよ。残念な映画の典型。

    • 日本経済新聞編集委員

      古賀重樹

      犯罪サスペンスなのだが、3人のタクシー運転手による名画詐取計画が動き出すのは映画の中盤から。前半は運転手たちの転落の道のりと荒んだ生活ぶりを丁寧にゆっくりと見せていく。後半はテンポが一転。電光石火で犯罪計画が立てられ、猛スピードで実行へと走りだす。簡単に騙される政商の脇の甘さなど、現実離れしたところは多々あるものの、一気呵成に見せて、まさかの結末へと向かう。この転調が果たして効果的なのかどうかは疑問だが、人物一人ひとりはよく描けている。

    • 映画評論家

      服部香穂里

      標的にされる強欲な国会議員をはじめ、危機管理意識の甘すぎる人物ばかり登場するため、いかに犯罪計画が時間に正確で緻密に練られたものであるかを、少々細かすぎるカット割りで強調されても、それが予期せず狂っていく衝撃やスリルのようなものに直結していない。はまり役の三者それぞれの事情はなかなかに興味がそそられるものゆえ、無国籍感が新鮮な神戸のロケーションをバックに、奇妙な運命のめぐり合わせで出逢った個性派トリオ内の物語をこそ、もっと観てみたかった。

  • バビロン(2022)

    • 映画評論家

      上島春彦

      サイレント映画時代のアメリカを描く撮影、美術は最上で、最後のフィルム引用も美しい。しかしケネス・アンガーを批評意識なしにアダプトするコンセプトには疑問を覚える。妄想に映画マニア監督が寄りかかってるみたい。昔、『知ってるつもり!?』という番組があったが、「分かってないのに知ってるつもり」で書かれた脚本だ。エピソードを「雨に唄えば」からまんま借用するのも問題。初めてのトーキーのロングテイクをトラブルを乗り越えて何とかやりこなす場面での女優の好演が光る。

    • 映画執筆家

      児玉美月

      「ラ・ラ・ランド」ではオープニングで味わった疾走感とリズムによる快楽が本作ではラストにくるが、ゴダール、ベルイマン、ドライヤーなどの映画史における名作がコラージュされたシークェンスにまんまとシネフィル心を擽られた。決して大文字の映画に対するノスタルジー的な陶酔のみに堕さず、映画産業が抱え込んできた泥臭さや暴力性を包み隠さずあらわにし、映画へのアンビバレントな感情を描いている。いま映画についての映画を撮ろうとするのであれば、必然的にこうなるのだろう。

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