映画専門家レビュー一覧
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POP!
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脚本家、映画監督
井上淳一
こんなヘンな映画、絶対に書けないし撮れない。個性的としか形容できない役者たち。よく探してきたと思う。ただ何でだろう、新しさをあまり感じない。数多ある、誠実に生きたいのに世界にも人間にも違和感ばかりでうまく生きられない的な映画群と同工異曲だからか。定番に対する答えの見つからなさこそ描きたいのかもしれないが。主人公は爆弾魔のツケ髭を付け、運転手のいない車で走り出すが、どこに向かい、何と闘うのか。70年前後の大島や若松とは本質的に違うラストが見たい。
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日本経済新聞編集委員
古賀重樹
会話がかみ合わないおかしみとか、物語を脱臼させる快感とか、そういうものがあるのはわかる。ただそれはかみ合っていたのがずれるとか、組み合っていたのが外れるからダイナミズムが生まれるのであって、最初からかみ合っていなければ、何も起きないんじゃないか? そんな根本的な疑問がわいた。別役実でも、コーエン兄弟でも、まず普通の人の凡庸な日常があって、そこに思わぬ裂け目が現れるから面白いのであって、最初からどこか怪しい奇人ばかり出てきたって、驚きはない。
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映画評論家
服部香穂里
頭でっかちの女の子が、黒柳徹子女史もびっくりのハートヘアーで、TVのど真ん中に鎮座する面白み。外見もシニカルな生真面目娘の心身を、天衣無縫な爆弾魔がかき乱す。釈然としないことはそのままに、話せば長くなる経緯も割愛し、とにかく先へ。そんな“大人”の事情を汲み二十歳を迎えた彼女が、スタジオを飛び出し、重たげなハート頭で軽やかに進む表情には、青くさい憂鬱から解放された晴れやかさに、何か失ったような陰りも覗く。ひねくれた成長譚の妙味が後引く怪作。
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マトリックス レザレクションズ
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映画評論家
上島春彦
前シリーズに引き続きジェファーソン・エアプレインのナンバーが効果的。キャラの中にホワイト・ラビットのタトゥーの人もいる。この映画を評価するかどうかは、方法論として使われる「世界への自己言及とデジャ・ヴュ(既視感)」をストレートに楽しめるか否かにあろう。差異と反復、などと言いたくないが同じ話(のヴァリエーション)をまたやってる、とは言える。システム破壊を運命づけられた美少女が実はシステム構築者の娘、という物語は有名な他のシリーズ映画から来ている。
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映画執筆家
児玉美月
トランス・シネマとして位置付けられ、クィア・リーディングのテクストとしても映画史において重要な価値を担うシリーズの最新作にあって、やはり「すでに決められていること」と「自分で選ぶこと」といった選択可能性の問題系が引き続き顕在化している。「速さ」を意識した画面構築と、繰り返される「飛翔」の運動を武器に、このラストは次作への観客の期待を高める効果と同時に、オルタナティブな「現実」へと私たちを字義通りの意味で「引き上げてくれる」ものとして提示される。
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映画監督
宮崎大祐
今やアクションのキレでは「ジョン・ウィック」に、ハッタリのかまし方ではノーランの諸作に大きく水をあけられた「マトリックス」だが、実に18年ぶりの続篇は引退した名レスラーの復帰戦を見るようなワクワク感と哀愁が横溢していて、日頃ノスタルジア・アレルギーの筆者もまったく嫌いにはなれなかった。今でもキアヌ・リーヴスとキャリー=アン・モスが向き合うと、そこには映画が立ち上がるのだ。なんやかんやあっても結局世界を救うのは運命の愛なのだと信じたくなるほどに。
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BELUSHI ベルーシ
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米文学・文化研究
冨塚亮平
常に生き急ぐような危うさと表裏一体の感覚は、決してべルーシの笑いから切り離すことはできない。その意味で、単に最盛期の活動を賞賛するのではなく、移民の子としての疎外感を抱えつつ笑いへと向かった幼少期から、ドラッグの濫用により破綻していく、『ハリウッド・バビロン』を体現する晩年までの姿を虚飾を交えず淡々と追う構成は正しいし、だからこそ最後に添えられた歌唱場面がひときわ胸を打つ。彼を知らない世代でも、とりわけ『ボージャック・ホースマン』ファンは必見。
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日本未公開映画上映・配給団体Gucchi's Free School主宰
降矢聡
べルーシの目まぐるしい人生を表すように、さまざまな声や音楽が矢継ぎ早に入り乱れる編集が楽しい。人を笑わすことで自己を見出し、天狗になり、他人に嫉妬もし、女性蔑視もひどく、ドラッグに溺れた天才コメディアン。唯一無二でありながらもよく聞くスターの悲惨な末路にも思えるのは、べルーシの登場がコメディをどう変えたのかへの踏み込みが今一歩足りなかったからかもしれない。喧騒から一転、無敵だったべルーシの死後を語る最後の15分の静寂が一層の悲しみを誘う。
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文筆業
八幡橙
『SNL』での侍キャラや「ブルース・ブラザース」誕生の瞬間など、懐かしい映像や音楽を盛り込み綴られる、閃光と陰翳に彩られた、わずか33年の男の人生。ダン・エイクロイドとの友情、チェビー・チェイスへの嫉妬、成功と共に加速する尊大さと薬物への依存……知られざる側面が抉り出される中、特に胸を打つのは、妻に宛てた手紙に並ぶ繊細かつ率直な言葉の数々だ。孤独の淵で薬に頼ってでも逃げたかったのは、誰より厳しい自身の目、からだったのか。笑いの底の生真面目さが切ない。
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ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
息をもつかせぬ、とはこのことを言うと思った。全篇に漂う緊張感。どんどん事件に巻き込まれて、引き返せなくなっていく感じがたまらない。敵の巨大企業がいやらしくて腹が立つ。テフロンってそんな危険なものだったのか。びっくりした。主人公は、友だちがいなくて、信じている人が家族しかいないっていう少し歪んだキャラに設定されていて、それがすごく生きている。彼の狂気じみたこだわりや粘りは、職業意識だけでは説明がつかない。寂しくて意地になる。感動する。
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文筆家/女優
睡蓮みどり
テフロンで有名なデュポン社がその危険性を隠していることに屈することなく闘う一人の弁護士の物語。闘いには長い長い時間がかかる。資金のある大企業のやり方はとことん汚い。ところどころ「MINAMATA」を思い出した。こうした実話を基にした意義深い作品ではあるが、予告篇だけで全てを見た気になってしまい、本篇を見てもとりわけ驚くべきことがなかった。主人公ロブを支える妻役のアン・ハサウェイは好きな俳優だが、今回は今ひとつはまっていなかったような気がする。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
T・ヘインズがこんなに巧みな職人になるなど、そのデビュー時は予想しえなかったはず。だが一見なんの衒いもなく見えたとしても、実はその衒いのなさこそがいちばんの衒いであると彼は知っているのだ。本作では産業公害を扱いながらも、それを糾弾するプロパガンダにはしない。「大統領の陰謀」(76)に連なる“内部告発もの”の枠内で、巨大な悪に立ち向かうアメリカンヒーローを造形するまでだ。その関心は現実に迫ることより意匠の洗練にあり、この点評価が分かれるだろう。
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世界で一番美しい少年
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
ヴィスコンティの「ベニスに死す」を見たくなった。あの美しい少年が50年後、どうなったか? 見事にジジイになっていた。ジジイには、若い彼女がいるのだが、その彼女には別に気になる男性がいて、電話で「なぜなんだ」と問いかけるシーンが切なかった。「何か解決方法があるはずだ」と呟くジジイが自分と重なった。彼の孤独に深く入っていく。母親の失踪。死。いろいろあって、でもまだなんとか生きている。時々ドキッとするぐらいかっこいいときがある。美少年の面影が蘇る。
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文筆家/女優
睡蓮みどり
私は彼を傷つけることに加担して来たのだろうか? 「ベニスに死す」は人生のベストに必ずあげる大好きな映画だ。飼い猫にタージオと名付けるほど、一目見たときからビョルン・アンドレセンの美貌に魅了され続けている。ヴィスコンティが映画祭で酷いスピーチをしビョルンが悲しそうな目をしている。よくわからないまま撮影現場に連れ来られ戸惑っている。これまで知らなかった彼のあどけない笑顔に胸が痛む。この映画に映っているビョルンの孤独を目に焼き付けて忘れたくない。
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映画批評家、東京都立大助教
須藤健太郎
「ベニスに死す」のビョルン・アンドレセンの現在の姿は「ミッドサマー」で目にしていた。だから、このフォトジェニックな60代の風貌に驚きはしないのだが、彼が送ってきた人生がこんなにも波乱に満ちたものだったとは……。無名の15歳の少年は映画の成功によって大人たちに搾取され、性虐待にあっただけではなかった。自身の出生から母親の失踪、そして生まれたばかりの息子の死など、彼は次から次へと運命に翻弄されてきたようだ。日本の芸能界の醜悪さに怒りがこみあげた。
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ニューイヤー・ブルース
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映画評論家
上島春彦
香港にはお正月映画というジャンルが存在するのだが、韓国ではどうなのかな。ともあれ、ある新年への一週間カウントダウンを四つのカップル(恋人同士だけじゃなく知り合ったばかりの人もいる)のすったもんだを核に描く。フィクション世界はコロナ禍じゃない。ウェス・モンゴメリー風のクリスマス・ジャズソングは軽快でいいんだが、何となくハッピーエンド前提みたいな定番企画。なので儲け役は主演陣じゃなく、弟が中国美人と結婚間近の未婚女性。魅力は彼女が総取りって雰囲気も。
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映画執筆家
児玉美月
オムニバスや群像劇の類の作品は、どうしても一つ一つのエピソードが薄くなるのは致し方ないために、いかに有機的にそれぞれを繋ぎえるかも価値判断の材料になるが、この複数のカップルを描く群像劇はそこが成功していない。会話する人物のバストショットが延々と続くテレビドラマ的な演出も、画面にデジタルデバイスのディスプレイやSNSのアイコンが無邪気に映されるのも、陳腐さに拍車をかけている。日本で公開される韓国映画とて、質が高いとは言えない作品は当然ながらある。
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映画監督
宮崎大祐
日本の90年代を思い出す躁的な空気が渦巻く群像劇。テレビドラマもテレビ局映画もまったく見ることなく40を過ぎてしまったわたしにはこの手の楽観性や肯定性が眩しすぎて、かといって作者の都合で意味もなく本音ゲームがはじまるようなトレンディ・ドラマには生きる気力を削がれるばかりで。俺がスクリーンに求めているのは地獄を這いずり回った末の悪魔のあたたかみだ!と叫んでみても、そんなものは今や誰も必要としていないのだろう。みんな幸せならそれでいいんだけど。
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GUNDA/グンダ
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映画監督/脚本家
いまおかしんじ
冒頭から何が始まるのか、不安でいっぱいだった。何も起きない、カットが変わらない。どうしたんだと思っていたら、いきなり凄いことが起きてる。動物をあんなに近くで撮って、なんであそこまで自然体なのか?CGかと思ってしまった。ブタ、鳥、牛って、全部人間が食料にしてるんだよなと思い当たる。家畜を人間みたいに撮る映画。感情があるように撮れてるのが、本当に不思議だった。ラストの母ブタ、ウロウロの長回しに涙する。ブタが意外と子煩悩なのを知った。
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文筆家/女優
睡蓮みどり
潔くて美しくてもの悲しい。それにしてもどうしてこの映画はこんなに面白いのか考えていた。母豚グンダとその小さな生まれたばかりの子豚たち、片足のニワトリ、顔に虫がたくさんついた牛たちの“顔”を撮っているからかもしれない。顔に人生が刻まれるのは何も人間だけではない。じっと顔がこちらを見ている。何度もドキッとさせられる。モノクロの世界に自然界の音が響く。映像だけでなく音の編集も非常に凝っている。凝っているけどシンプル。このシンプルさに見習うことは多い。
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