映画専門家レビュー一覧
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クーパー家の晩餐会
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映画監督、映画評論
筒井武文
クリスマスイヴの晩餐会に向けての準備が進むなか、各人の人生模様が描かれる。中心になる夫婦は離婚寸前であることを隠し、娘は偽の恋人を連れて参加するといった具合だ。最も可笑しいのが、万引きで逮捕された妻の妹と護送する黒人警官との車中の会話。そうして積み重ねた伏線を基に、愛犬も参加した晩餐会が始まるのだが……。ここで自分の秘密を隠し通そうとするやりとりが面白くないとまでは言わないが、本質的な気まずさに欠けるのである。どこかに計算違いがありはしないか。
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映画監督
内藤誠
下重暁子の『家族という病』がベストセラーになる日本と同様に、アメリカでも一年に一度、家族が顔を合わせるクリスマスの晩餐会は気が重いものらしい。ジョン・グッドマンとダイアン・キートン夫妻を中心に、芸達者が顔を揃えたコメディーなので、大いに期待したのだけれど、演出にテンポがなくて、ときに退屈。台本構成も繰り返しが多く、オリヴィア・ワイルドがニセの婚約者のジェイク・レイシーを家に連れてくるくだりなど、説明過多。ただ、クリスマスの雰囲気描写はみごとである。
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映画系文筆業
奈々村久生
小出しに登場するクーパー家の面々が、一つ屋根の下に集合しても、まったく親族に見えない。設定や小道具以外に彼らをつなぐ糸やグルーヴが感じられない。熟年の両親がなぜ些細なことで離婚に走ろうとするのか、一時のノリで引っ込みがつかなくなったにしては演出に勢いが足りないし、またその解決の仕方も、予定調和に向かって敷かれたレールの上を歩んでいるようで手抜き感が否めない。クリスマスを舞台にした群像劇という点でも特に新鮮味はなく、コメディーの処理も甘い。
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ホテルコパン
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映画評論家
上島春彦
撮影が良く、照明も凝りまくっておりこれでも星を足した。美術設定も大がかりでかなり予算を使っているのは間違いないが、肝心の物語が未熟。ただし偽教祖さまの偽予言がちゃんと奇跡を呼ぶ、というオチには洒落が利いている。このエピソードは、氷が溶けたら何になるというなぞなぞの答えがキーになっていて、きちんと出来ていた。だが「グランド・ホテル」形式にこだわりすぎ、全体、かえって散漫な印象。さらに李麗仙があまりに宝の持ち腐れで、結構、頭をかかえてしまった私。
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映画評論家
北川れい子
長野県白馬村のさびれかけたホテルというリアルな設定と、週刊誌のこぼれ記事にでもなりそうな曰くありげな10人の客たち。ホテルのオーナーや従業員たちも悩みを抱えていて、深刻なドラマにするか、コメディーを狙うか、監督のサジかげん。結局、門間監督はシリアスコメディーという座りのいい手法で人物たちを演出、コクやキレはないが、グランド・ホテル形式に挑戦した意欲は買う。何とかしてほしかったのは、男性モデル並のソフトモヒカン頭で登場する市原隼人。この役でこの頭?
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映画評論家
モルモット吉田
グランド・ホテル形式で丁寧に描かれる群像劇に好感を持って観たが、全員がえらく前向きな結末に向かって進むので、キレイ事の感が拭えず。「さよなら歌舞伎町」が性を発露する剥き出しの場ゆえに作劇が特徴づけられたように、長野五輪開催地という舞台の特徴が作劇に活かされたとは思えないのが惜しい。東京五輪に浮かれる連中への揶揄も可能な設定なのに。元教師のホテルマンという市原隼人は直情的で腕っぷしの強い教師時代と穏やかな今とを、自身の無骨さと愛嬌を活かして好演。
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ライチ・光クラブ
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映画評論家
上島春彦
廃墟趣味の美術が楽しい。それは閉鎖的なアジトであると同時にそこを取り囲む世界そのものでもある。野外演劇集団にこういう人たち、いたなあと漠然と感じたのだが原作は東京グランギニョルの舞台だそうで、ちょい意外。BL風味は私の許容範囲を超えるも、カリスマが古川で反抗分子が野村というキャストは豪華である。永遠の存在たらんとする少年たちと、彼らによって命を吹き込まれるロボット、そして彼らが拉致した美少女という構成要素の微妙なミスマッチ、不均衡な感覚が秀逸だ。
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映画評論家
北川れい子
原作コミックのルーツは舞台劇だそうで、ナルホド舞台なら14歳をかなりオーバーした役者が14歳を演じても、舞台という空間のマジックで素直に受け入れるに違いない。けれども本作は、いくらダーク・ファンタジーとはいえ、実写である。しかも年齢がドラマの大きな鍵になっている。それなのに出演者たちに少年顔はほとんど不在で、オトコ顔とおやじ顔ばかり。そんな風貌で反大人を実践する少年たちの残酷な美学を描いても、ただグロテスクなだけ。題材が面白いだけにとても残念だ。
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映画評論家
モルモット吉田
美術、衣裳などは素晴らしく、世界観も魅力だが、このクラブがどういう組織で何を目的にしているのか不明瞭なのでディテールを愛でるのみ。内藤監督らしく少女とロボットという奇形の愛に傾倒する部分はハツラツとしているが、クラブのメンバーたちが没個性的で、肝心のロボットの人格形成やライチの木など物語の細部の扱いがルーズなのでコメディータッチになる部分も戸惑う。メンバーを女子集団にしてしまうか女子が男装して演じた方が監督のフェティシズムが発揮できたのでは?
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鉄の子
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評論家
上野昻志
大人の身勝手に振り回される子ども。片や母と息子、片や父と娘、双方の親が結婚したために、二人は、今日から「きょうだい」と言われ、学校では同じクラスになる。それだけでもイヤなのに、少年は義父に、少女は義母に馴染めない。そこで「離婚同盟」を結成、父母を別れさせようとするが成功しない。そうこうするうちに、二人は仲良くなるが、あることをきっかけに、少女が義母を「おかあさん」と呼ぶようになり、万事丸く収まると思いきや、またしても大人の身勝手が……この結末は渋い。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
少年が赤く融けた熱い鉄にアイデンティファイしている。本作題名は子どもが自己の鉱物質の部分を鍛えあげることを示すがファーストシーンが全く同じなので筆者は思わずシュワちゃん映画「コナン・ザ・グレート」を連想。有史以前の英雄コナンは鉄を崇拝する民族出身の孤児だ。「鉄の子」主人公少年が精神的な父と慕うスギちゃんがやたら、男は筋肉! と唱えてマッチョポーズをとるのも何か通底する。子ども映画ではなく、子ども時代を終わらせてゆく映画。悲しいことだが嘆かずに。
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文筆業
八幡橙
今なお“キューポラのある街”として知られる川口を舞台にした、とある再婚家庭の物語。まだ打たれる前の、熱く柔らかい鉄のような子どもたちの多感かつ繊細なひとときが、温かいまなざしをもって綴られる。デビュー作「お引越し」を思い出させる母親役の田畑智子がいい。父親に扮する裵ジョンミョンのキャラも憎めないのだが、ふとこの父にとって、家庭とは何だろう? と考えてしまった。とはいえ、大人の意味不明な行動に子どもが振り回されるのは確かに世の常でもあり。子役も光る。
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ネコのお葬式
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翻訳家
篠儀直子
たぶんアイドル映画的なものを意図していて、現在と過去とを交互に語っていくやり方も特にひねりはなく、恋愛物にも出演者たちにも興味のない観客がこれをどこまで面白がることができるかは疑問なのだけど、喜怒哀楽を強烈に押し出してくるのが韓国映画だというイメージを真っ向から裏切るかのような淡白な語り口(重要な事実の露呈がごくさりげなくなされたりする)と、現代の韓国のさまざまな地域の風景を俳優の背後につねに取りこんでいる画面には、ちょっと捨てがたい魅力がある。
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ライター
平田裕介
回想場面が多いが、規模は小さくとも男女が旅をして、会話を重ね、想いを?み締めるノリは、なんだかR・リンクレイターの“ビフォア3部作”に近い感じ。切ないが前向きな展開、ベタだが共感せざるを得ない“恋愛あるある”描写が程よくマッチした、良き小品。1年ぶりに再会した元カレが自分のコーヒーの好みを忘れていて、ムッとするヒロイン。しかし、“ミルクの代わりに豆乳で割ったダブルラテ”なんて面倒なのを覚えていられる男は少ない。だから、別れたともいえるが。
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TVプロデューサー
山口剛
シンガーソングライター志望の青年とアニメ作家志望の女性、二人の出会いと別れ、二人の愛した一匹の猫。青春映画にはゴマンとあったような設定だ。「等身大」という言葉を昨今よく聞くがまさにそんなオハナシだ。ファッショナブルで表層的、人気のウェブ・コミックが原作と聞けば納得。それでも、この手のドラマがあまり好きでない私を最後まで退屈させないで見せてくれたのは、イ・ジョンフンのナイーブで細心な脚本、演出だろう。都会と対照的なさびれた島のロケも印象的。
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火の山のマリア
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翻訳家
篠儀直子
グアテマラ高地の暮らしがすぐれたドキュメンタリー映画のようにとらえられ、変化に富んだ地形、緑したたる森、色彩豊かな衣裳や日常の道具類、民間伝承、果ては人物の何気ない動作に至るまで、目に映るものすべてが面白い。しかもことの推移を淡々とつづっているだけのように見せかけながら、やがて力強い物語性と強烈な問題意識が立ち現われる。主人公のマリアもその母親も、内側に熱いものを宿した火山のようであり、映画が終わったあとも噴火の予感(あるいは期待)に心が騒ぐ。
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ライター
平田裕介
雄大な火山、その灰が積もる原野、そこから吹く煙、そして古来の祭典や呪術。スピリチュアルでプリミティブな風景のなか、現代文明がもたらす沈痛な物語が淡々と進む。無垢なまま伝統や文化を守ってきたがゆえに、現代を生き抜くにはあまりに無知で弱い存在となってしまったマヤ人の姿、そこからあらゆる場面で不遇を強いられる女性の悲しみをも浮き上げる二段構えのメッセージ性と視点が巧み。とはいえ、かなり酷い目にあってもヒロインの両親はどこかあっけらかんとしている感じ。
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TVプロデューサー
山口剛
グアテマラの高地で農業を営み、迷信や呪術に従って生きる先住民マヤ人。その一家の母子の物語だ。娘は父親のいない子供を身籠る。堕胎が出来ないと知るや、娘と生まれてくる新しい命のために献身する素朴で善良な母親の存在感は圧倒的だ。大きな体?に大地から学び取ったような生活の知恵。おおらかな女権社会で男性の影は薄い。今村昌平の映画や中上健次のオリュウノオバを思い出す。ドキュメンタリー的に描かれていくが、やがて一家は現代文明の暗部との対峙を余儀なくされる。
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スティーブ・ジョブズ(2015)
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翻訳家
篠儀直子
緻密に書きこまれた会話劇(字幕翻訳の苦労がしのばれる)で、俳優陣もみな力を発揮。プレゼン前の緊迫した時間に展開される緊迫したやり取りを見ているだけで昂揚する。しかし映画全体がずっと同じリズムなのはどうなのだろう。幕間(この映画はくっきりとした三幕構成だ)に休憩が欲しくなるし、時々挟まる「キメ画」はもう少し長く見ていたい。これではまるで、会話劇では退屈されるのではと無用な心配をして、闇雲に突っ走っているかのようだ。音楽と場面との連動の面白さは出色。
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ライター
平田裕介
ベタに少年時代や青年時代から描かず、ジョブズ的にもコンピュータ史的にもエポックな3つの発表会だけで時制を区切る構成に唸った。そのなかで、彼の切れ者ぶりと人格破綻者ぶり、出自、人間関係、家族……といった人となりをすべて観る者に伝えてしまう語り口にさらに唸った。“シンク・ディファレント”と大衆にけしかけて世界を変えた男が、自身の偏狭で歪んだ部分を少しだけ変えていく物語といったところ。ジョブズに扮したM・ファスベンダーは、枯れた高橋がなりにしか見えず。
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