映画専門家レビュー一覧
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スティルライフオブメモリーズ
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映画評論家
上島春彦
現代日本映画界において、商業映画的な設定とほぼ実験映画というしかない抽象的なコンセプトをスマートに両立させる、ワンアンドオンリーの存在が矢崎仁司監督。大きな声では言えませんが、本作ではちょっとアブないスチル写真が最後に出現する、その過程を物語にしている。なるほどあのアングルだとこうなるんだな、ときちんと分かる(オリジナル版では)。私の世代のイコンともいうべき伊藤清美が死ぬ寸前の抜け殻のような裸身を提示するのもデュシャン風設定共々見どころだな。
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映画評論家
吉田伊知郎
近年の商業作品からは、この監督独自の魅力が薄まったと思っていただけに、未知の女優たちを美しく際立たせた本作で久々の本領発揮ぶりを堪能。女性器を撮ることは〈日本映画〉では不可能だが、女性器を撮る写真家を映すことは出来るだけに、女性たちに向けられる柔らかな眼差しという矢崎映画の核が活かされている。女性器や螺旋階段などから足立正生の「鎖陰」「銀河系」を想起させるが、原作者が劇中に本人役で登場したりと、60年代のアートフィルムを違和感なく継承した感。
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悲しみに、こんにちは
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批評家、映像作家
金子遊
両親を病気で亡くした少女フリダが、カタルーニャの田舎で叔父夫婦と暮らしはじめる姿を、被写界深度の浅い手持ちカメラで淡々と追う。自伝的な物語だというが、養母に反発したり従妹にちょっとした意地悪をしたり、突発的に家出までするフリダの姿を、距離を保って見つめるようなカメラアイで全篇撮っている。それでいて、少女の気持ちが痛いほど伝わってくるから不思議だ。個人的には、急に新しい娘を迎え入れることになった大人たちの戸惑いのほうに感情移入しながら観ました。
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映画評論家
きさらぎ尚
子どもを描いた映画の成否は、感情移入ができるかにほぼかかっている。これが長篇デビューという監督は、この点を実によく心得ているようだ。それも6歳の少女が孤児になった理由などの説明はせず、かつ孤独や悲しみの心情を感傷に訴えることもしない。自分の居場所を懸命に探し求めている少女と微妙に距離を保ちながら、その表情を捉える手法で、見る者の想像力に訴える。その甲斐あってこちらはずっと少女の心情に伴走。彼女が号泣した瞬間、感情移入は最高潮に。成功を確信した。
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映画系文筆業
奈々村久生
独立問題で話題のスペイン・カタルーニャ地方。その中でも中心地のバルセロナと田舎ではまた生活が違う。両親を失ったばかりのフリダは子供ならではの順応力を見せる一方、自分ではどうすることもできない環境の変化に戸惑いを隠せない。しかしそれを言葉や態度で訴えることはできない。意思とは別に溢れ出てくるものを体現したフリダ役のライアとそれを引き出した共演者、演出が素晴らしい。誰も答えはわからないし、正解もない。きっとこの先もラストシーンは繰り返されるのだろう。
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未来のミライ
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評論家
上野昻志
生まれたばかりの赤ん坊に注がれる両親の愛情に、自分が取り残されたように感じる甘えん坊の男の子と、物語の起点になるのは、小さな話だが、それが次第に大きくなり、ついには、一人で世界に向き合うなかで、自分が何者なのかという問いにぶつかる展開は、アニメーションならではの自在なイメージ展開と合わせて魅せる。とくに最後の、東京駅を思わせる巨大な駅に迷い込み、忘れ物係から問われても、両親の名も自分の名前も言えずに列車に引き込まれそうになるくだりはワクワクした。
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映画評論家
上島春彦
現代建築が好き。本作の舞台がまさにそれ。この建築家自邸のコンセプトは自然を家の内にしつらえ、コンクリート扉で外を完全にシャットアウトすること。有名な「住吉の長屋」がヒントか。冒頭に昔の家の様子を超俯瞰で示すことから分かるように、戦後初期から平成を経て未来の日本までを建物の外観やそこに住む人の使い方から幻視する構成になっている。突然お兄ちゃんになって親からかまってもらえなくなった子どもの自己確立を、彼の視点というか地点から描く意図がそれで生きる。
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映画評論家
吉田伊知郎
4歳児の生き生きとした姿が活写されており、庭を挟んで上下階に配置されたリビングとこども部屋を結ぶ空間が幼児の躍動を描くのに活用されている。「トトロ」の糸井重里みたいな星野源の不器用な父ぶりをはじめ、ファンタジーに頼らなくとも、この家と家族の物語だけで成立したのでは? 派手に盛られた異世界と繋がる庭も、実は脇役に過ぎなかった未来から来る妹も、東京駅の見事な空間造形も、脚本が壊滅的では要領を得ない。次回作は奥寺佐渡子との再タッグを切に望みたい。
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BLEACH
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映画評論家
北川れい子
同じ非人間系のキャラ同士のバトルでも、佐藤監督の前作「いぬやしき」は、唐突に変身するキャラも、パワフルな映像も、そのアクションもしっかり楽しめたが、今回は、ただ眺めているだけだった。死神パワーとか悪霊軍団とか、ダークな世界の不毛なバトルが延々と続くだけで、早く終わらないかとそればっかり。原作コミックはアニメ化され、ゲームにもなっているそうで、脚本がもう少し親切ならば関心が持てたのだろうが、“序”抜きの“破急”だけでは何が何やら、あゝ空しい。
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映画文筆系フリーライター、退役映写技師
千浦僚
まだ弱いあるいはまた弱い。原作漫画の奇想の面白さはVFXに担われていてそれはMCUに追いつき追い越せかもしれないが同じ土俵でというならまだ及ばない。「GANTZ」からこちら佐藤信介監督の長篇劇映画作品すべてを同時代的に主にこの欄のためと対象作品でないにしても劇場で観ているが本作が最も芝居がだめだったと思う。最もトータルによかったのは「アイアムアヒーロー」と「いぬやしき」、腹立たしかったのは原作のヤバさを殺いだ「GANTZ」。その圏域内に収まってしまった。
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映画評論家
松崎健夫
あの世とこの世のハブを担う杉咲花の“眼”は、常に何かを物語っている。それは怒りや哀しみといった感情だけではない。言葉と裏腹な内面や恋慕、それらを“眼”で語っているのだ。それゆえ、相手を「貴様」と呼ぶことが“愛”であると観客にも悟らせるのである。オープンセットによる市街戦は、破壊することを前提にしつつ細部までこだわり、アナログ的な職人技がVFX以上に作品をより魅力的にしている。闘う男が強いのではなく、闘わない女が強いと描いている点も一興。
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ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ★アディオス
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ライター
石村加奈
97年の再結成時より、18年後の方がメンバーの背筋が伸び、若返っているという奇跡! イブライムステージ用に新調したスーツ、オマーラを飾るドレスにルージュ。彼らには、情熱的な赤がよく似合う。50年来の友情が珍しくもないキューバ音楽の歴史即ち世界とは、作中の言葉を借りれば「物質の世界」ではなく「真実の世界」なのだ。16年、フィデル・カストロの死からはじまる本篇のクライマックスは同年、ホワイトハウスでのライブ。政治について多くを語らずとも思いは伝わってくる。
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映像演出、映画評論
荻野洋一
ヴェンダースのドキュメンタリーから約20年の年月が経過した。続編としてBVSCメンバー数人の死を看取るが、後日譚だけでない点が本作の特徴だ。BVSC結成前の前日譚――すでに引退して久しく、ギターさえ所有していない元ギタリスト、才能は認められつつも大成しないまま靴磨きで生計を立てる元ボーカリスト――がせつなく語られる。ブームの発火点となった前作を踏まえつつ、より思弁的な製作姿勢は好感が持てる。鑑賞後はキューバ音楽を爆音で聴きたくなること必至。
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脚本家
北里宇一郎
前作はキューバにこんなイカすバンドがあるんだ! の驚きに満ちあふれていた。今回はその解説篇みたいな趣き。キューバの歴史、メンバー一人一人の歩み(若い時の映像が貴重)などが綴られ、さながらBVSC大全集の嬉しさ。そこから97年売り出しの時をピークにして、一人また一人とメンバーが亡くなっていく悲しみ。それでも活動は続くという最後の盛り上げ。その構成がピタリはまって。何より作り手たちの彼らに対する深い愛と敬意。それがこの映画をあたたかく息づかせて。
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志乃ちゃんは自分の名前が言えない
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評論家
上野昻志
南沙良演じる志乃は吃音で、他人を前にすると名前を言えないが、心を開いた相手とだったら、歌もよどみなく歌える。一方、蒔田彩珠扮する岡崎は、ミュージシャンを目指しながらも、歌は音程が外れてしまう。そんな二人が、勇気を出して橋の上で歌うシーンがいい。そこに、コンプレックスから道化を演じる菊地(萩原利久)が介入したことで、志乃と岡崎の繋がりも壊れていくという展開も自然。そして何よりもいいのは、結末部分をなす学園祭で、ありがちな復活劇にしなかった点だ。
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映画評論家
上島春彦
ハッピーエンドだが、もっとストレートなハッピーエンドでも良かったのに、と思った。このへんが評価の分かれ目だろう。それぞれに弱点のある二人が一緒に文化祭ライブを目指す。結成されるのはアコギ系デュオ。懐かしめのフォークも出てきて私みたいな者にはそっちの方が嬉しかったりする。それで問題のライブだがネタバレ厳禁の法則故に詳しく書けない。ただしクライマックスが二つある不思議な作り。弱点も二つあるわけだからそうなんだよな、と納得する。来年は三人でやろうね。
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映画評論家
吉田伊知郎
吃音症とコンプレックスを抱える同級生が意気投合して音楽を始めるありきたりな話かと思いきや、『金閣寺』の主人公と同じく幸福の象徴を壊しにかかるのが良い。「リンダリンダリンダ」でライブをしないで終わる構想があったようだが形を変えて実現したと言うべきか。主人公も友人も鬱屈や卑屈さが無く、教師たちの無神経さも類型的。美しい背景と光線を映えさせた画面は綺麗とは思うもののそこに依拠し過ぎではないか。吃音を描くといっても対話のリズムは緩急をつけられるはず。
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毎日がアルツハイマー ザ・ファイナル 最期に死ぬ時。
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評論家
上野昻志
人は必ず死ぬ。若くて元気なうちは他人事だろうが、老いて病を得れば必ず直面する現実だ。アルツハイマーの母の介護をしているうちに、ご自身も股関節手術をした関口監督は、死を身近に感じ、外国にも行き、死の迎え方、選び方を探っていく。その中で興味深いのは、スイスの医師が進めている「自死幇助」という試みだ。安楽死が医師の判断で行われるに対し、こちらは自分の意志により選べるからだが、それらの研究も含め、死を視野に取り込んだ介護を描いた本作の意義は大きい。
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映画評論家
上島春彦
シリーズ最終章ということで母親の認知症の病歴等は最小限にして、今回は監督自身も含め、人の晩年というか「差し迫った死」をどう迎えるかにテーマが広げられている。言うまでもないが「自身も」というのが鍵だ。ただ私的ドキュメンタリー映画の方法論にありがちな自閉性は一切なく、あくまで監督(取材者)の軽いフットワークを楽しめる。自身の死に方を選択するという際どい問題にも踏み込んでおり、そのおかげでヨーロッパの介護現場の諸事情など、思いがけない知見も得られた。
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映画評論家
吉田伊知郎
シリーズを通して観ているとドキッとさせられる題だが、テーマが〈死〉なのでファイナル。監督自身の全身麻酔手術から幕を開け、監督の母が机に突っ伏しているショットなど、不穏な気分をかき立てる瞬間が何度もあるが、誰もが確実に死へ近づいていることを実感させる。最期への選択肢が希望通り行くかどうか、次が観たくなる。1作目の頃は元気だった自分の父が今や歩くことも覚束ない老々介護を受ける身になっていることを思えば、作を重ねるごとに他人事ではなくなってきた。
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