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富田仲次郎の関連作品 / Related Work
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水戸黄門(1978)
制作年: 1978東映での映画化十七回目の今回の「水戸黄門」は、人気テレビ・シリーズのしギュラーキャストをそのままスクリーンに起用したもので、加賀百万石のお家騒動の解決に乗り出す黄門一行の活躍を描く。原案・脚本は葉村彰子、監督は「祇園祭」の山内鉄也、撮影は「日本の首領 完結篇」の増田敏雄がそれぞれ担当している。 -
肉体の門(1977)
制作年: 1977終戦直後の荒廃した有楽町を舞台に体を張って必死に生きる、ボルネオ・マヤはじめ五人の女たちの生きざまを生々しく描いた田村泰次郎原作の同名小説の映画化。脚本は「性と愛のコリーダ」の田中陽造、監督は「肉体の悪魔」の西村昭五郎、撮影も同作の山崎善弘がそれぞれ担当。 -
にっぽん三銃士 おさらば東京の巻
制作年: 1972四十代の戦中派、三十代の戦後派、二十代の戦無派と思想も、職業も、年令も全く違う三人が意気投合し、大騒動をひき起こす。原作は五木寛之の同名小説で、第一部“おさらば東京の巻”第二部、“博多帯しめ一本どっこの巻”と二部構成のうちの第一部。脚本は「雨は知っていた」の長野洋、監督は脚本も執筆している「激動の昭和史 沖縄決戦」の岡本喜八、撮影も同作の村井博がそれぞれ担当。 -
銀蝶流れ者 牝猫・博奕
制作年: 1972“銀蝶”シリーズ二作目。札師だった父親の復讐のためヤクザな世界に身を投げうった主人公緋ざくらナミが仇を討つまでを、賭場の札さばきなどをおりまぜながら描く。脚本は「不良番長 一網打尽」の松本功、監督は脚本も執筆している「銀蝶渡り鳥」の山口和彦、撮影は「ポルノの帝王 失神ソープランド」の中島芳男がそれぞれ担当。100点 -
喜劇 男の顔は人生よ
制作年: 1971ペテン師、元やくざ、馬鹿正直者という三人のろくでなしが、それぞれの目的のために金をつくろうとする姿をコミカルに描く。脚本は前川宏司と「谷岡ヤスジのメッタメタ ガキ道講座」の山崎巌。監督は「暴力団・乗り込み」の江崎実生。撮影は「喜劇 いじわる大障害」の高村倉太郎がそれぞれ担当。 -
妖艶毒婦伝 人斬りお勝
制作年: 1969「博徒一代 血祭り不動」の高田宏治が脚本を執筆し、「さくら盃・義兄弟」の中川信夫がメガホンをとったシリーズ第二作。撮影は「妾二十一人 ど助平一代」の飯村雅彦。 -
不良番長 どぶ鼠作戦
制作年: 1969「妖艶毒婦伝 お勝兇状旅」の山本英明と「女親分 喧嘩渡世」の松本功が脚本を共同で書き、「不良番長 練鑑ブルース」の野田幸男が監督したシリーズ第五作。撮影は、「不良番長 送り狼」の星島一郎が担当。60点 -
二人の世界(1966)
制作年: 1966「黒い賭博師 悪魔の左手」の小川英と「男の紋章 竜虎無情」の松尾昭典が共同でシナリオを執筆、松尾昭典が監督した歌謡もの。撮影は「四つの恋の物語(1966)」の岩佐一泉。70点 -
新・事件記者 殺意の丘
制作年: 1966島田一男の原作を「雨の中の二人」の高橋二三と前作「新・事件記者 大都会の罠」の監督井上和男が共同で脚色し、井上和男が監督した「新・事件記者シリーズ」の二作目。撮影はコンビの村井博。 -
がらくた(1964)
制作年: 1964「越後獅子祭り(1962)」の三村伸太郎、「無茶な奴」の井手雅人と「士魂魔道 大竜巻」の稲垣浩が共同でシナリオを執筆、稲垣浩が監督した時代劇。撮影もコンビの山田一夫。 -
東京湾
制作年: 1962佐田啓二の企画第一回作品で「山河あり」の松山善三と多賀祥介が共同で脚本を執筆、「春の山脈」の野村芳太郎が監督した刑事もの。撮影もコンビの川又昂。別タイトル「左ききの狙撃者・東京湾」。 -
新諸国物語 黄金孔雀城(第三部・完結篇)
制作年: 1961スタッフ、キャストは「新諸国物語 黄金孔雀城 (第一部・第二部)」に同じ。北村寿夫のNHK連続放送劇の映画化で、四部作。「江戸っ子肌」の結束信二が脚色し、「あばれ駕篭」の松村昌冶が監督した。撮影は「鉄火大名」の松井鴻。 -
新諸国物語 黄金孔雀城(第一部・第二部)
制作年: 1961北村寿夫のNHK連続放送劇の映画化で、四部作。「江戸っ子肌」の結束信二が脚色し、「あばれ駕篭」の松村昌冶が監督した。撮影は「鉄火大名」の松井鴻。 -
柳生一番勝負 無頼の谷
制作年: 1961近衛十四郎・里見浩太郎による“柳生武芸帳”シリーズの第三話。永江勇と関伊志雄の脚本を「霧丸霧がくれ 南海の狼」の松村昌治が監督、「新黄金孔雀城 七人の騎士」の脇武夫が撮影した。 -
台風息子 お化け退治
制作年: 1961台風息子シリーズの第4話。「風流深川唄」の笠原和夫と、「生き抜いた十六年 最後の日本兵」の甲斐久尊がそれぞれ摂津茂和の原作を脚色し、「決斗の谷」のコンビ鈴木敏郎が監督し、内田安夫が撮影した。